死が最後にやってくる
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紀元前2000年の古代エジプトを舞台にした、資産家の内紛を描いたミステリー。 外から見える性格と内に潜む本来の性格がストーリーの肝となるだけあって、登場人物はよく作り込まれており、とても丁寧に描かれています。 特に絶対君主である父親が妾を連れて帰ってきてからの、ギスギスした人間関係の描き方が恐ろしいほどリアルです。 その後は「そして誰もいなくなった」が頭をよぎるくらいに人がどんどん死んでいき、本来の性格が表に現れたり、人間関係に変化があったりするなど、愛憎入り乱れる人間ドラマが展開されます。 人物造形や心理描写に重きを置いた作品かと思うので、大仕掛けのトリックやどんでん返しといったものはありませんし、犯人は比較的わかりやすい方だと思います。 しかし、伏線の張り方や意味深長な台詞など全体的に質が高く、クリスティの他の名作と肩を並べても遜色ないほどの作品ではないでしょうか。 | ||||
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クリスティを読むのは35年ぶりである。 ませガキであった筆者、中学1年の夏から一年をかけて、日本における海外ミステリの古典の十傑(ぐらいにはなるでしょう?)ヴァン・ダイン、クリスティ、クイーンをあらかた読み切り… …すっかりミステリに自己免疫症状を起こすようになってしまった。 無理もない。 この時期の少年少女はすべからく多種多彩な栄養を脳にぶち込むべきで、大人のデザートともいうべきミステリはときどきぐらいで良かったのである。 (年代的には「十角館」とかP・D・ジェイムズ「死の味」が出たころではないかと思う←これも存在を一世代後に知った) 年齢的にも戦争やテロでどれだけの死体が量産されるかを知りはじめるお年頃である。 よくて数人、頑張っても10人(それだけの死体を量産すると、もはやミステリとか殺人事件の範疇を越える気がする)殺してもだからなんだ、と猪口才な知能が覚醒しはじめ、本来、ミステリは大人の余暇の現実逃避にワインでも片手にチビリチビリと読む体なのが本来の姿なのだろうが(どういうイメージだ)数人にこの世からお引き取り頂くのがせいぜいの殺人犯にこれはこれはお疲れ様ですと食傷し・・・・以後一世代、人生の主要部分からは完全にミステリを切り捨てた。 つまらぬアナフィラキシー反応を持ったものである。 人生の終わりを感じるようになり、もう好いか、ちょっと試しに残り時間で読んでみた、という感じで、クリスティを読むのは昭和末期以来だった(平成時代、クリスティを一冊も読まなかった) 35年ぶりのアガサ・クリスティは大人の作家として立ち現れた。 彼女は人類の心理の深層を観察する科学者としての目を持っていたのか、と10台ガキには到底気づかなった(気づくわけがない)事に瞠目した。 ・あの二人の喧嘩は本気ではなかったのよ。あの喧嘩を楽しんでいたんだわ。本気で相手を怒っていたのではないのよ。でも、今は違うわ。相手を本当に傷つけたいと思う気持で、そして喜んでるのよ。 ・墓には侵入者を惑わす扉がついているでしょう?自分でもそうした扉を作って自分も他人もそれを信じる。でも、現実がその人に迫って、真理の羽で触れると…本当の本性が現れるんです。やさしさとか従順で、バカを装った方が人生は暮らし好いのでそうしている。でも、危険という現実が彼女に迫ったので、その本質が現れたわけです、 ・お前にはまだほんとの楽しみが分かってない。恋愛におさらばして、愛だの憎しみを忘れて悠々としていることがどんなにいい気持か。ものを見物させてもらて、自分は痛痒も感じない。息子がきれいな娘にうつつを抜かしてその娘が家中を掻きまわす。笑いが止まらないよ。 ・墓所でただ座っているだけで安心できるの。自分で勝手に考えられるし、それで幸福なの。 お前は運がいいよ。皆が心の中で願う幸福を手に入れたんだ。私はこの年になって内側の世界があるって気づいたんだ。だけど手遅れだよ。 ・信じられないことなんか何もないよ。少なくともそれだは人生から学び取った。愚鈍な女は危険だよ。一つのことしか分からない。自分が見たいと思った事しか見ない。 だから毒を入れた酒を、こともあろうに夫が一緒に呑む可能性をまったく考えない。 ・男ってもの自体がなによ。子供を産ませるためだけのもの。民族の力は女にあるわ。 だから男なんか、子供が育つようになったらさっさと死ぬがいいわ。 結論のような嘆息が現れる。 ・なんであれ成長するんでしょう…優しく、賢く、偉大な方向に成長するのでない場合、逆に邪悪なものを育てるのかもしれません。 古代エジプトでならその宗教観ならさもあらんと思わせる、あっと驚く(つくづく私は単純な構造である)トリックがあり、そうした奇巧を組み合わせた時ミステリは成立するのだな、と納得。 反面、これまた七つの海に君臨した大英帝国人というべきか、中王国に向けて統一過程にある当時のエジプトを見て ・小手先の小才子ではない、大きなものがあります。私は一書記にすぎませんが、帳簿を通じて利益を越えた壮大な世界を見れますし、その大いなる流れがエジプトなのです。それを知る満足は総督よりも大きいと思う。 と、政治的センスの片鱗を見せたりもする。 イギリス式ユーモアにも噴いた。 ・なんらかの結論に到達するには、見通しを立てた上でないとね。 エサは頷いた。 そのときかつらがずりおち、彼女はじつに奇怪な面相になったが、誰一人笑おうとしなかった。 ・あいつら葬式費を一割も値上げしました。人件費がかさむからですと。 数が多いんだから割引すべきだよ。(孫の死が連続したあとの祖母のセリフがこれである) 解説子・深堀骨さんは「彼女はミステリを舐めて書いている。ミステリの約束事を殺人とトリックが必要なんでしょ、クリアしておけばいいんでしょ、そんなもんと思って書いている」といったような事を書いている(逐語ではなく大意の要約)「メドドダマ」と馬鹿にされているが、クリスティの真髄は人間関係を描きだす普遍的な小説の面白さにあるのだから、ミステリというジャンルの縛りは小手先なのだ、とクリスティ愛の充溢する名(迷?)解説だった。 アガサ・クリスティは大人の作家。大人の、余暇の楽しみの作家。 一世代後の再会だった。 といってこれから全作品を読破しようとは毛頭思わない。読むとしてもチビリチビリとつまみ食いで好いのである。それで好いではないか? 蛇足。 登場人物AとB、BとC、CとAでそれぞれの性格の別の面が現れ、まったく違う展開とケミストリーが生まれる。それで物語が進む。クリスティはこの方法を多用するが、きびきびと使いこなすので、世間話から生まれる世間知は密度につながり、関係性が物語の進路を渋滞させることがない。 クリスティを敬愛した乱歩賞作家であり、饒舌な大海小説「グイン・サーガ」を遺した栗本薫(1953-2009)は、この関係性の魔力に魅入られ、構成要素の膨張は、部分が巨大な連作の一部に変質し、全体はいくつかのまとまりを持つ巨大なサーガの一部に拡大するとともに分散され、全体の見通しの視野と、構想の統御を失った。 彼女は部分の膨張が全体を構成し、物語の筋が呑み込まれたフローベール後期の長編と同じく、クリスティが単一の長編の中で完結させた、関係性を人間性の剔出に使用するという目的に向けて収斂させず、描出そのものが小説を構成する方法論から逃れられなかったように思われる。 | ||||
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すごい感動はないが、読みやすくそしてやっぱり面白い。 | ||||
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アガサ・クリスティが好きで全巻持ってます。 買い始めて30年以上も経てばボロボロになる巻もあるわけで数冊買い替えです。 古き良き時代の定番ミステリーです。 | ||||
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古代エジプトの南王国が舞台のミステリ。王国の首都の墓地管理人をする一家の独裁的な寡夫の主が、北から若い愛妾を連れ帰ったことからはじまる事件。主の息子嫁たちは彼女をいびるが、それをネタに訴えられた主は息子たちと絶縁を宣告。息子や息子嫁達が呆然とする中、愛妾は不審死を遂げる。一旦は快哉を叫んだ彼らだが、次々に病や病死に襲われていき…あのテーマじゃないだろうか、だれかしら生き残るのか不安にすらさせるが、極めて合理的な解決が訪れる。 現代人読者の目からは犯人も手口も概ね見当がつくだろう(大体現代のミステリ読者は「誰が最も怪しくないか」を考える癖がある)が、合理精神とは無縁な世界に住む作中人物たちが大真面目に右往左往する心理はなかなか説得的だ。 | ||||
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