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三つの棺
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三つの棺の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.86pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全51件 21~40 2/3ページ
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自分はそれほど推理小説にリアリティーは求めない方で、知的遊戯として楽しめれば良い のだけど、この作品の終盤(謎の解き明かし)は現実感がなさ過ぎてちょっと疲れた。 主役のフェル博士の言うとおり全体的にねじれてしまっていて、終盤にそのねじれを一気 に解明するものだから、こっちまで何かおかしくなる。凝り性のカーならではのコクかな? 作中で、フェル博士に「我々は小説の中に居る・・・」と言わせたり、脇役の曲芸師に奇術の タネ明かしをさせたりしており、作者は「これは推理小説という舞台でのマジックなのだ」と 宣言しているのだろう。 マジックというより、凝り過ぎて変になったパズルのような気がする。作り込み感が強すぎ るのだ。しかし、そこはさすがにカーで、登場人物の性格や背景に意を用いて、不気味な ドラマを構成している。1935年が初出だから、トランシルヴァニアの吸血鬼伝説みたいな 味付けは当時としてはけっこう「来て」いたのではないか。 敵役が突然現れて「三つの棺。オレが来ようか、弟を行かせようか?」と謎かけみたいな 脅しから幕が開くこのお芝居は、疲れるけど妙味のある作品だと思う。 厳密に言うと、不可能犯罪物としては少々破綻しているのだが、カー独自の奇術なので 嵌められてそれを楽しめばいい。 | ||||
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密室ミステリの最高傑作が改訳でさらに読みやすくなっている。前回改訳時の誤訳もなくなっている。kindle版のため、どこにでも持っていけるのがいい。 | ||||
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旧訳に比べて非常に読みやすく、旧訳では最も大切なトリックの部分に誤訳がありましたが、それもう巻き修正されています。入手困難だった時期が長いのはカー作品の欠点ですが、この作品も早く入手しないと本屋さんから消える日も直ぐに来るでしょう。推理小説の原点であるこの作品は必見の書です。是非、入手し、お読みください。 なお、翻訳者は最後に入手困難なカー作品の一つである「ユダの窓」の翻訳も手がけられるとのこと。この作品も必見の書です。新訳の出るのが待ち遠しいです。 | ||||
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吸血鬼伝説を想起させる「墓場から甦った男」グリモー教授とその二人の兄弟にまつわる過去の因縁。そして奇怪な仮面の男が出現し発生する二つの不可能殺人。 カーの持ち味満載の作品であり、さらに古今のミステリーの密室トリックを論じた「密室講義」を載せる等、この作者らしいサービス精神に溢れた逸品です。 ただし30数年ぶりにこの新訳版で再読しましたが、初読の時と変わらず、私のこの作品への評価はあまり高くありません。 なぜならあまりにも解決の説明がひどいからです。偶発事象の連続、万に一つの賭博的な行動の数々等、事件の為に人の心理を都合よく歪めているとさえ感じられます。 坂口安吾は本作を『カーも意外を狙いすぎて不合理が多すぎる。「魔棺殺人事件」は落第。』と評してますが、翻訳の問題はあるにしても、的確な指摘だと思います。 作者は、作中「密室講義」で探偵のフェル博士の口を借りて、“ありそうもない”ことを批判するのは、好き嫌いの話であって、作品の良し悪しの評価ではないと述べています。 自分が推理小説の登場人物だとの発言からして、作品の欠点を自覚した上での記述でしょうが、何やら弁解じみていて、私はこの箇所があまり好きではありません。 カーは大好きな作家ですし、この密室トリックも面白いと思いますが、そんな所が引っかかって、素直に評価できないのが正直なところです。 余談ですがカバーの表紙は、昔の旧版の墓場からぬっと手が出ているイラストの方が好きです。本作と言えばあの不気味な迫力のある表紙がすぐ思い浮かびます。 | ||||
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ジョン・ディクスン・カー(1960年11/30~1977年2/27)、英国での活躍が目立つため、英国生まれと思われがちですが、米国生まれです。 商業作でのデビューは、夜歩く(1930年)です。本作、三つの棺(1935年)は、火刑法廷(1937年)と並ぶカーの2大傑作として、 マニアの間では定評になっています。事実、東西ミステリーベスト100(文藝春秋)では、海外編の第16位にランクインしています。 カーと言えば、オカルト趣味(吸血鬼、狼つき、黒死病・・・・)、不可能犯罪・・特に密室物・・・、ユーモア―というかむしろファースに近い、 が3大特色だと思いますが、本作もその後多分に漏れません。 本作では、主人公の過去が語られるところで、トランシルバニア地方が出てきます。トランシルバニアと言えば、吸血鬼ですね! それに、黒死病(ペスト)、それに、奇術師、などの小道具が、上手く雰囲気を盛り上げています。 そして、本作に登場する名探偵は、ギデオン・フェル博士・・H・メリヴェール卿と比べれば少し存在感は薄いのかな?・・・、 作中で有名な密室講義を披露します。というわけで、本作のメイン・トリックは、密室ということになりますが、 使用されているトリックは、当然、フェル博士の講義の範疇に入っています 世評では高い評価を受けていますが、カーの他の作品にも言えることですが、とにかくトリッキーすぎます。 最後のフェル博士の推理を読んでもよくわからず、2度、3度と読み返すうちにようやくその言わんとすることがわかりました ・・・ああややこし・・・大阪弁です。 本作は、名作と言われていて、手に入りにくい状態が続いていましたが、今度、新訳で再刊されました。 改訳されて読みやすくなったのかな、と期待していましたが、相変らず読みにくい!!これは、もう翻訳の問題ではなく、 カー自身の泥臭い文章術のせいなのかもしれません!! そんなこんなで、欠点だらけのように見えますが、それがまたカーの魅力の一つなのでしょう!! 巻末に、最新の長編著作リストが付いています。三つの棺に関しては、さすがに魔棺殺人事件は所有していませんが、 その他の版はすべて所有しています。 ちなみに、火刑法廷との比較ですが、これは言わずもがな、圧倒的に〇〇のほうが優れています。 | ||||
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誤訳・悪文と非難轟々の旧訳版であったから、もはや遅きに失した感もあるが、待望の新訳版リリース。カー・ファンにとっては今年一番の僥倖であろう。 加賀山氏の翻訳は、カーの『火刑法廷』を含め幾つか読んだが、非常にスタンダードな現代文で、読みやすい訳文といっていい。もちろん、旧訳で問題だった誤訳部分も適切に修正されている。 とはいえ、それでこの小説のすこぶる錯綜したプロットが整理整頓されるわけもなく、本質的な読みにくさは変わらない。カーを読むのは体力勝負、との覚悟が必要だ。 本書のトリック等の内容については旧訳版の方に(ネタばれを含み)多数のレビューがあるので、あえて触れない。 ここでは第17章の「密室講義」について蛇足を少々・・・。 この「密室講義」の冒頭で、カーは「われわれは探偵小説の中にいる・・・」云々と、フェル博士に大上段からメタ的発言をさせているが、これに飛びついてこれをメタ・ミステリの走りだなどと評するのはもちろん失当である。 ここでの密室トリック分類自体は、分類基準がやや錯綜していて論理的な分析とは言いがたいが、メタ発言により小説の枠組をぶち壊してまで言いたかったことは何なのか、そこは注意しておく必要がある。ミステリ作家としてのカーの本音が垣間見えるはずだからである。 カーは1922年(15歳の時)、地方紙に「リアリズム作家を語る」というコラムを載せているが、その中で、世にはびこる「愚にもつかないリアリズム小説」をこきおろし、「トラック一台分のフィッツジェラルドの本よりも、ほんとうに上質の探偵小説を書き上げるほうが作家としての才能をはるかに要する」と、大胆に探偵小説を擁護している。 フィッツジェラルドの小説をリアリズムと呼べるかはともかく、カーが15歳の若さですでに危惧していたとおり、『三つの棺』が書かれた時代(1935)は、フィッツジェラルドやヘミングウェイの文学が探偵小説に伝染し、ハメットを経由してチャンドラーに至る過程にあった。 カーはのちにチャンドラーのハード・ボイルド小説を、低俗なリアリズムとしてケチョンケチョンに罵倒しているが、カーの「反リアリズム」はこれほど年季が入っており、相当根が深い。 「密室講義」の導入部で、フェル博士に「われわれは、ありそうにないことが好きだからこそ、探偵小説に愛着を抱く」のだと明言させたのは、もちろん、自己の密室モノをはじめとする不可能犯罪への嗜好を擁護するのが主な目的だが、その根本には、自分の書く小説が近代リアリズムの対極にある物語、すなわちファンタジー(あるいはロマンス)の一種であるという強い確信がある。 で、あとはグダグダ言わず「それでいいのだ!」と開き直って揺るがない。このドン・キホーテばりのカーの雄姿が、案外、時代を超えて「探偵小説を愛するわれわれ」の拠り所になっていたりするのだ。 | ||||
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名前は有名なのに長年絶版状態が続いていた「三つの棺」。 自分のようなカー初心者も待望の刊行なので年長ファンは待望などという言葉では表せないでしょう。 翻訳された加賀山氏は以前「火刑法廷」も担当されており信頼して間違いないと思います。 内容も密室殺人に衆人環視殺人という不可能犯罪を盛り込みカーを代表する作品なのも頷けます。 巻末の長編著作リストは日本での刊行タイトルも羅列されていて参考になるリストです。 (例えば「三つの棺」の前後作は「死時計」と「赤後家の殺人」というようなことが容易に調べられます) ただ一つ注意したいのは有名なフェル博士の「密室講義」。既読の方には今更の話題ですが ここでM・D・ポーストの「ドゥームドルフ事件」のトリックが完全にバラされています。 自分は偶然数日前に読んでいたので「危なかった…」と思いました。 該当作品は創元推理文庫「世界短編傑作集2」に「ズームドルフ事件」として収録されているので 名作のネタバレは嫌だという方は予習のつもりで読んでみることをオススメします。 | ||||
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原題 The Three Coffins(原著1935年刊行) 『火刑法廷』(1937年)と並ぶカーの代表作にして最も華麗で巧妙な不可能犯罪ミステリの最高峰。 綱渡りの様なきわどいバランスの上に成立する複雑な密室トリックの妙技。それを支える伏線とミスディレクションの素晴らしい技巧と読者を翻弄する叙述のテクニック。 そして吸血鬼伝説などの怪奇的意匠が結末に至って見事に収斂する謎解きの快感はカー作品中屈指。 さらに作中フェル博士が宣う「密室講義」に代表される遊び心の愉しさ。全てが相まってもたらされるカー魔術の集大成であり、探偵小説黄金時代ならではの論理遊戯の極致。 三田村裕による旧訳は誤訳(重版の際該当箇所は訂正されたが)を含め読みづらく不評だったが、ようやく改訳された事は素直に喜びたい。 なお巻末のカー長編書誌リストは昭和初期から現在までの邦訳版を網羅し非常に有益。 | ||||
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訳が悪かろうが、錯綜しすぎるプロットに辟易しようが、本格ミステリ・ファンたる者はこの小説を避けて通るわけにはいかない。一種のイニシエイションとしてこの作品はある。 それはひとえに、「密室の講義」という1章のためである。 この「密室の講義」の冒頭で、カーは「われわれは推理小説の中にいる人物であり・・・」云々と、フェル博士に大上段からメタ的な発言をさせているが、これに飛びついてこれをメタ・ミステリのはしりだと評するのはもちろん失当である。 この1章(第17章)、密室トリック分類自体は分類基準がやや錯綜していて論理的な分析とは言いがたいが、メタ発言により小説の枠組をぶち壊してまで言いたかったことは何なのか、そこは注意しておく必要がある。ミステリ作家としてのカーの本音が垣間見えるはずだからである。 カーは、別の作品でも登場人物に言わせているが、大のロシア嫌いである。19世紀のロシア小説的なリアリズムが大嫌いなのである。はっきり言えばドストエフスキーである。それから、この時期はまだ長編デヴューしていないが、チャンドラーのハードボイルド小説も大嫌いで、後に低俗なリアリズムとしてケチョンケチョンに貶している。この時期、ヘミングウェイ的なハードボイルド手法はハメットを介してチャンドラーに伝染してゆく過程にあったと思うが、カーはすでにその予兆をはっきり感じていたのだろう。 カーがフェル博士に「われわれが探偵小説を好む大きな理由は、ありそうにないことを好むからなのだ」と明言させたのは、もちろん、この時期顕著になってきた自己の密室モノをはじめとする不可能犯罪への嗜好を擁護するためだが、その根本には自分の書く小説が近代リアリズムの対極にある物語、すなわちファンタジー(あるいはロマンス)の一種であるという確信がある。 で、あとはグダグダ言わず、それでいいのだ!・・・と開き直って揺るがない。この不動のカーの雄姿が、案外、時代を超えていまだに「探偵小説を好むわれわれ」の拠り所になっていたりするのだ。 | ||||
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とりあえず昔のミステリー作家の作品を読み漁ろうと購入しました。これは面白かったと思います。 | ||||
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読みづらさはあっても、やはりこのトリック、そして真相が明らかになる一連のシーケンスの迫真性は圧巻。今読んでも十分に新鮮。 | ||||
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トリックは図があったから分かったものの、文だけだったら理解するのは、難しかったかもなあと思う(自分の頭が悪いだけなのかもしれないが) 密室講義が凄い。それだけのために金を払う価値はある。 | ||||
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作者から期待していたもの(本格推理と怪奇)は満たされたと思う。 | ||||
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作品の質を損ねるほどの悪約。 この翻訳は英語を話せない高校生が辞書を片手に訳したような滅茶苦茶な翻訳で、誤訳、勘違いは枚挙に尽きないばかりか、日本語として読んでみても支離滅裂な文章が延々と続く。 日本訳の独占権を出版社が保有しているならば、改訳をして新たな読者に、この優れた一作を呈するべきであると思えます。 | ||||
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有名なフェル博士の「密室講義」は、「オッタモール氏の手」「13号独房の問題」「茶の葉」「ズームドルフ事件」など、著名な古典推理小説を、一通り読んだ後のほうが、「ふむふむ、あった、あった」と楽しめるかもしれません。 本作を読んだ後は、鮎川哲也氏の短編「白い密室」もおすすめです。 | ||||
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本書は、カーの作品の中でも最も複雑・緻密な構成の作品のひとつにして、そこで用いられているトリックも実に大胆で、多くの読者が絶賛するところだが、その一方で読みにくいという悪評(翻訳に対する悪評が主だが、カーが悪筆との意見もある)も多く聞かれる。推理作品としては論理の筋が見事なぐらいきちんと通っているし、トリックも実行可能なもの。ただし、作者が図で示して読者に納得させようとしているような効果が本当に得られるかは、少し疑問に感じるが。本書の読みにくさについては、翻訳の拙さだけでなく構成の複雑さがそれに輪をかけているように思う。いずれが原因であるにせよ読みにくいのは確かなので、これから読もうと思う人はある程度覚悟されたい。 | ||||
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この作品に出てくる2つの密室殺人は、不可能の上に不可能を幾重にも重ねた最難関のものでしょう。 又、有名な密室講義の章も有るので、彼の代表作とされるのも当然でしょう。 しかし、カー初心者にはお薦めできません。 それは、他の作品のネタバレがある事とプロットがあまりにも凝り過ぎているうえ、 かなりアンフェアなオチだからです。 この作品は、密室殺人ものを幾つも制覇した読者が最期に兜を脱ぐ作品だと思われます。 | ||||
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ミステリーファンなら一度は目を通しておきたい「密室講義」。作品自体の素晴らしさも今更述べるに及びません。 しかし読者は、あまりにも酷い翻訳に閉口することでしょう。 決して当時の英国人たちは、唐突にわけのわからない事を言い出す癖があったり、会話が絶望的に苦手なわけではありません。 翻訳が悪いのです。この問題は、時代遅れということではなく、もっと根本的な訳者の能力のように感じます。 改訳版を切望します。 購入される方は、密室の謎の前に、難解な日本語と対峙する覚悟を。 | ||||
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カーの作品の中でも、ユダの窓や火刑法廷と並ぶ名作です。個人的には一番おすすめです。 | ||||
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密室からの犯人消失と、衆人環視の下での足跡のない 殺人という、ふたつの不可能犯罪が扱われている本作。 不可能状況の根幹をなす時計の恣意的な設定や、犯人消失に用いられる、 ある大道具の処理など、ツッコミどころはいくつかありますが、カーの〈密室〉 に対する、並々ならぬ熱意が感じられる傑作であることは間違いありません。 特に、犯人消失事件後、密室内に被害者が知人の画家から買った三つの墓標を描いた絵が 切り裂かれて落ちていたこと、そして、足跡のない殺人で、被害者が死の直前に、「二発目は おまえにだ」というダイイング・メッセージを遺していたことなどがミスリードとして実に秀逸です。 前者は、カーの持ち味であるオカルト趣味や過去の因縁話に読者の意識 を向けさせることで、トリックの存在に気づかせない効果を発揮してますし、 後者は、関係者の状況に対する錯誤をより強化することに成功しています。 (あと、オーバーコートの細工も見逃せないところ) そしてなんといっても本作には、「われわれは推理小説の中にいる人物であり、 そうではないふりをして読者たちをバカにするわけにはいかない」といった宣言 の下、展開されていく、フェル博士の〈密室講義〉があります。 これはメタミステリというより、カーの本格ミステリに 対する溢れんばかりの愛情の発露なのでしょうね。 | ||||
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