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天地明察
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天地明察の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.20pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全418件 341~360 18/21ページ
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本屋大賞1位だし、帯の裏にも著名人から数々の賛辞のコメントが。これはきっと面白い小説に違いない。と思ったのもつかの間、全然ペースが上がらない。 最後まで盛り上がりのないまま終わってしまった。 私としては、なぜ暦がそこまで大事なのか、この大和暦を作るのにどのような苦労があって、そのようなプロセスで主人公はこれを作ったのか、もっと科学的な解説も付け加えて欲しかったし、それを期待していたから最後までペースがあがらなかったのだ。最後のあたりで、いつの間にか大和暦が出来あがってて、あれっていう感じです。 | ||||
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この”気分爽快!”感は一体なんなんだ。 暦も囲碁も全く興味無いし、絶対無理と思いながら読み始めたのに!!! 作者さん、いい時間をありがとうございました。 | ||||
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本屋大賞第1位に加え、この本の帯に寄せられた専門家筋の賛辞の嵐。読む前に、これだけの情報を刷り込まれてしまうと、否が応でも、どんなに素晴らしい本だろうかと、期待に胸をふくらませてしまう。しかし、そんな期待の大きさからすれば、実際に読んでみた印象は、期待ほどではなかったといわざるを得ない。前記賛辞の中には、「読んでいて涙が止まらなかった」という感想がある。私はどこで泣けるのかもわからないのだが、これは、皮肉でも何でもなく、この本を読んで涙が止まらなくなるくらいの豊かで繊細な感受性があれば、読書が本当に楽しくてしょうがないだろうと、うらやましくさえ思う。 私は、この本を、「暦を作ることに生涯を賭けた男の壮大なストーリー」と思って読み始めたのだが、実際に読んでみると、この本は、碁、神道、朱子学、算術、測地、暦術に多芸な渋川春海の伝記的小説といった方が近いと思う。これらに関するエピソードや、春海を取り巻く人物のエピソードを丹念に拾って物語を進めていくため、暦を作るというこの本のテーマが具体的に形を持って現れてくるのは、全474ページのようやく中盤過ぎになってからなのだ。 「たかが暦、されど暦」というこの本のテーマの性格上、致し方ない面はあるのだが、決して、読者を引き付けて離さないような力のある物語でもないし、読者を引き付けて離さないような筆致でも書かれていないので、このあたりの進行の遅さを、まどろっこしいと感じてしまう面があることは否めない。とはいえ、一つ一つのエピソードは結構面白いし、これらの多くが、この本のテーマの布石の役割を果たしていることも認めなければいけないと思う。 むしろ私は、本編の筋立て以上に、脇役のキャラ立ての上手さの方に感心した。その双璧が、えんと関孝和だろう。春海は気弱で頼りなく、美人で、勝気、しっかり者のえんは、春海にきつい一言を返してくるような女性なのだが、どこかいとおしさを感じてしまう魅力的な女性であり、箒を構えて春海と相対する姿が目に浮かんでくるような存在感がある。 関孝和は、春海以上の才能を持った希代の天才でありながら、不遇な立場に置かれた孤高の存在として描かれている。2人がお互いの存在を知ってから15年を経過して、ようやく初めて顔を会わせる終盤の場面は、「されど暦」を象徴するようなシーンであるとともに、この物語の最高の見せ場といっていいだろう。 | ||||
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非常に楽しく読ませていただきました。 歴史物にはほとんど興味のなかった自分ですが、登場人物のセリフや動作が目に浮かぶようで、 すごくリアリティのある優れた物語に仕上がっています。 長編だけに読了までに時間がかかりましたが(もともと遅読なもので)、いつもわくわくしながら 読みました。 映画化を楽しみに待ちたいと思います。 | ||||
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あっという間に読み終えました。 最近の人気小説と同じく、あらすじを読んだとの感想です。文学とは感じ得ませんでした。 | ||||
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江戸時代に様々な苦労を経て大和暦を大成し、太陰暦から太陽暦への転換という大事業を成し遂げた渋川春海の生涯を,彼を取り巻く人々とともに描いた作品。 この作品を貫くのは、「知」や「真理」への純粋な探求心と憧憬である。 渋川春海という名前自体、本名である安井算哲という名が、元々代々江戸城で御前碁を打つ家に育ち、優秀な碁打ちでありながら、定石をはみ出すことのできない職務につくものであり、その非創造性に「飽いて」「自分だけの春の海辺がほしい」ということから名乗ったものである。 その「自分だけの春の海辺」を必死で捜し、渋谷の金王神社にある算術の設問と解答を記したたくさんの絵馬を見に行き、その絵馬どうしが風でふれあう、「からん、ころん」という音が、彼の生涯の様々な重大場面で繰り返し出てくる。その音こそが、「知」への憧憬の象徴だからだ。 その絵馬から、和算の大家となる関孝和と出会い、算術の才能から酒井雅楽頭に抜擢され、22歳で北極星観測隊に参加してから、改暦事業に携わるようになり、3度の挫折を経て、ついに、45歳の時、改暦の大事を達成する。 主人公はもちろん、関孝和への出題が誤問と知ってその場で切腹しようとするなど、純粋でまっすぐな性格だが、他の登場人物も、権力にも利害にも関心がなく、学問への純粋な関心だけに突き動かされている愛すべき人たち、とくに、北極星観測隊の隊長建部と伊藤の、儒教社会にもかかわらず、孫のような年齢の春海の計算の正確さを子どものように喜ぶ、純粋さ、その稚気に、思わず本を閉じて落涙した。「学問は長く、人生は短い」という真実を改めて思い出し、一応学問を仕事とする自分のいいかげんさが恥ずかしくなった。 学問や真理、知という絶対的なものに仕える同志愛で結ばれている者という関係は、授時暦の誤りを検証する自分の研究を無償で提供しようとする関孝和や、碁のライバル本因坊道策、会津藩士安藤との関係にも表れ、現実の世界で利害計算が第一になっている人間関係にまみれた者から見ると、そのすがすがしさはまぶしいくらいだ。 しかし、改暦は政治とはもちろん無縁ではなく、春海自身も、改暦事業に関わる中で、暦を相対化するということが、権威そのものを相対化する危険をはらむものだと気づく。「権威の所在−つまり人々は、徳川幕府というものを絶対的なものとして崇めているわけではないのではないか。帝のおわす京、神々の坐す神宮、仏を尊崇する寺院、五畿七道に配置された藩体制。人々が自由に権威を選ぶ余地はいたるところに残されており、しかもそうした余地は、決して誰にも埋めることのできないものなのではないだろうか。」 暦を幕府の力で正確なものに変えることは、幕府の権威を絶対的なものとするためにも必要だったのだ。 しかし、そうした政治的な思惑ですら、作者の手にかかると、やはり公平無私な企みになる。民の安寧のために武断政治から文治政治への転換が絶対必要、改暦はその第一歩と考える家光の異母弟保科正之の徹底した名君ぶり、数々の善政も、自分の手柄とあっては徳川宗家の恥と自分が関わった書類を焼き捨てる忠義と無私(その徳川家への忠誠という家訓のために、幕末会津藩は朝敵とされ白虎隊などの大きな悲劇に見舞われる)にも泣かされる。水戸光国も大きな役割を果たす。それがきれい事になっていない筆力がすばらしい。 全て、歴史の転換点にあって、個人の利益でなく、自らの果たすべき役割だけに集中する人々の姿が、読者に清冽な印象を与えるのだ。 また、主人公のえんとの関係も、甘いばかりの恋愛でなく、えんの自律した女性ぶりも共感できる。 久しぶりに読書の楽しさをどっぷりと堪能させてくれた作品。 『小さいおうち』も悪くはなかったが、なぜ少なくともこの作品が直木賞を同時受賞しなかったのかが不思議でならない。 | ||||
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現代では何気なく使っている暦が江戸時代においても、政治、神事など幅広く影響を持っていた事を前提とした小説であり、細かな設定に難があるにしても、その舞台設定・着想は面白いと思う。この様な現代の科学社会の中で当然と思われているものを、歴史的に再構成しエンターテイメントな小説にした本書の様な本がこれから出てくる事を期待している。 | ||||
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韓国ドラマ「善徳女王」を見て、随分昔から暦というのは重要な、今以上に神の力的な存在だったと知りました。 江戸時代、外来品ではない本物の日本の暦を作ったという小説です。 江戸前期の賢い人達が自分達の身分の中で協調し協力し素晴らしい暦を数十年もかかって出来た感動的な小説でした。 | ||||
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深い洞察もなく、見せびらかすような薄っぺらな文書。 中学生でもおかしく思う算術問題が恥ずかしげもなく登場する 無能さ。これが吉川文学賞なの、読者対象なの。 延べて程度が落ちたということかな。 | ||||
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ただ今読了しました。名作!!この名に相応しい、久々の日本文学です。小説の醍醐味、読むこの楽しさを久々に感じました。著者の力強い構成力もグワッと感じます。どの点をとっても素晴らしいものです。 確かにこれはこのまま映像になります。この本を読むだけで天界の星々が見えますね、晴れた犬吠埼の夜空は確かに現在でも見事の一字に尽きます。それも思い出させてくれました。 今、これほどの筆力と全体感、構成力のある書き手はそういません。 翻訳物ばかり読んでいて、日本に良い書き手がいなくなったと思っていたのですが、この度これを「拝読」して改めて、日本の小説もまだまだいける、と思い直しました。 主人公春海に集中して弛むところがなく、周囲の人物も必要不可欠な数とし(それでも結構登場はしますが)、その代わり、登場させたからには必ず重要な任務が与えられております。小説なのに、登場人物に入念な配慮がなされています。 関孝和と初めて対面するときの、関の激怒は良いですね、あれは思いっきり叱ることで春海を救っているんです。 そして、この小説は人間の死を扱っている小説でもあります。人間の限りある生とその死を明確に伝えることによって星辰の長さとの対比を扱っている類稀な小説です。 いずれに致しましても、この充実感、この幸せは素直に著者にありがとう、と言えるものです。 ありがとうございました。 | ||||
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「天地明察」非常に面白く読みました。 碁打ち、算数、天文、歴史、好きには答えられない小説。 作者は非常に良く調べているが、専門家のチェックも必要だったのではと思う。 大切な春海の第1の出題はあまりにも誤りが明白過ぎるし、比に単位が入っているのもおかしい。 小円の径を7寸、大円の径を30寸にすればと思うが、これは解がある。 第2の出題もこれだけでは不定で幾らでも解がある。 各星の周の関係に対する何らかの規制(規則を持った数列として)が必要。 最後の章は「天地明察」で良いが、主人公の性格からして、 結と表題は「天地未明」の方が良いようにも思う。 | ||||
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ストーリーとしては面白いと思う。 だが、それだけで終わってもらっては困る。 著述を生業とする人には、正しい日本語を後世に伝えるということについて気概を持ってもらいたいものだ。 本書においては、随所に見られる単語の誤用、そして歴史小説にそぐわない軽薄な言葉遣いが物語の面白さに水をさしている。不必要な背伸びをしている様子が感じられてならない。 他の方が書かれたレビューを見ると暦や算術に関する解釈や記述についても苦言が呈されているようだが、それらもさることながら、文章を書くという行為における最も基本的な部分がおろそかにされていると思う。 この点については著作者本人だけでなく編集者の資質と責任も見逃すことはできまい。 もう一度自分の立ち位置を見つめ直すことをお勧めする。 | ||||
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ご存知’10年、「第7回本屋大賞」、「第31回吉川英治文学新人賞」受賞作。これまで一部のファンの間では熱烈な支持を得ていた冲方丁(うぶかたとう)だが、初めて時代小説にトライした本書でブレイク、一躍全国区の作家になった。本とコミックの情報誌『ダ・ヴィンチ』’11年1月号で発表された、読書好き4652人のアンケートによる「ブック・オブ・ザ・イヤー2010」総合第2位(ちなみにTOPは村上春樹の『1Q84』BOOK3)、ミステリー・エンターテインメント第4位に選ばれた。 「今日が何月何日であるか。その決定権を持つとは、・・・宗教、政治、文化、経済―全てにおいて君臨するということなのである。」暦とはこれほど重みのあるものなのか。まず、それに驚いた。江戸時代、4代将軍徳川家綱の時代、そんな日本独自の暦を作ることに生涯をかけた男がいた。渋川春海(しぶかわはるみ)は、碁の名家の生まれで、幕府の公務として将軍の前で碁を打つ身分だったが、一方でそれにも増して算術に身をのめりこませるほど興味を持っていた。物語は、碁を通して幕閣の重鎮とも親しく接する“特権”があった春海が、能力を見出され、彼らの推挙と命によって、数多くの知遇と協力者を得て暦作りに奮闘する20年余りの歳月が描かれる。 この春海のキャラクター造形が秀逸である。さまざまな出会いや出来事に対してやたら大げさな、「蹌踉」「瞠目」「慙愧」「凝然」「卒然」それこそ時代がかった表現で反応するのだが、すこしも重々しさは感じない。むしろ情熱的で爽やかな青春成長小説の趣がある。 また、ふだんあまり気に留めない、碁や算術、暦といったものの成り立ちについて、読者の知的好奇心を充たし、一方で戦乱の世から泰平の世になり、幕府と朝廷との関係、為政者の方針が武断から法治・文治へと移りゆく様などがよくわかる歴史書としての一面も併せ持っている。 まさに、本書はエンターテインメント時代小説と呼んでしまうのが惜しいような『士気凛然、勇気百倍』の力作である。 | ||||
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物語に引き込む力が素晴らしい。 難しい導入部から見事になされています。 エンターテイメントとして楽しく読むことができます。 他レビューで指摘されている問題点も、物語の流れとしては気になりません。 その辺りは読者の個性も関係してくると思いますが。 自分が娯楽小説を読みたいと思うのであれば、面白いこと請け合いでしょう。 | ||||
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小説の書き方は自由である。 だが、歴史小説を書くときには、一定のルールがあると思われる。 骨は事実である。ただし事実だけでは小説にならない。 わからないところは作者の想像で埋める。 その想像が小説としての骨になる。 まず前者の骨に数々の誤謬があることは、ほかのレビュワーの指摘にあるとおりである。 後者の骨については、あまりにも現代的な解釈が施されすぎていると僕には思われる。 この時代の人が本当にそう行動したであろうか。 ただし、この作家の解釈については作家の自由であるから、好き嫌いの判断になるわけで、 僕の好みではないというだけである。 僕の好みではないのはもうひとつ、笑いのとり方が稚拙である点である。 「ほんとうにおもしろいこと」と「おもしろそうなこと」は違う。 作者は「おもしろそうなこと」を、「笑え」という命令記号とともに 書いているので少しも笑えないのである。 “「えん」という名を炎と言う字とは言えなかった”と書くが、 笑えない。 | ||||
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ここ数年 ビジネス書ばかり読んでいたのですが、 久々に読んだフィクションがこの本で良かったです。 小説って楽しい、また色々読んでみようかな〜、 と思うきっかけになりました。 主人公が全力で天職に打ち込んでいく姿を描いたもので、 爽やかな恋愛もキレイな感じで織り交ぜられていて、 小学生が読んでもOKなピュアなファンタジーという感想です。 舞台となる江戸時代の時代考証などが浅いというコメントもありましたが、 あまり詳しくない自分は全く気になりませんでした。 さらっと楽しく読めました。 | ||||
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碁打ちの主人公が幕府の大きな事業を支えてくれる人と共に成し遂げていくもので いろいろな苦難が主人公を待ち受けています。 通勤中に読んでいましたが気になりすぎて業務中にも読んだりしていました。 読んだあとの爽快感もよく、エンターテイメントとしてのこの作品のレベルの高さに作家さんの力、能力を感じました。 フィクションなので史実とは若干のずれなどはあるかもしれませんが良いものです。 一度は読んでみて欲しい作品です。 | ||||
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読みやすい、キャラが立っている、そしてストーリーに起伏があっておもしろい。 おそらく、今は、歴史小説の時代なのだろう。 「のぼうの城」以来、歴史小説の敷居が低くなって、若者にも読みやすいいわゆる「ライト歴史小説」が流行し、様々なジャンルの書き手が歴史小説に参入している。 この作品もその一つであるが、本屋大賞にも選ばれるだけあって、侮れない出来栄えである。 しかし、他のレビュアーも指摘しているように、残念なことに、暦学、数学、時代考証等の点で、専門家でなくても気がつくような理解不足、誤りが多々見受けられる。 暦学・天文学に関しては、既に他の方々が詳しく指摘しているので、ここでは、算術問題について書くことにする。 小説の中で、春海は、3問の算術問題を解答又は出題しているが、そのすべてについて問題がある。 【1問目】直角三角形に内接する2円の直径を問う問題 答えは、30/7で合っている。また、春海の解き方は、2ab÷(a+b+c)×c÷(a+b)となっている。 これは、先ず直角三角形の内接円の直径を出した後に、2つの直角三角形を組み合わせ、相似を用いて解いたものだと思われる。中学数学を習った現代の人なら、方程式を立てて解くのが一般的であり、春海の説き方は、普通、上記の式だけでは分からない。解説があってしかるべきところであり、式の順序も少しおかしい。おそらく、筆者は、この問題の解き方をよく理解していないのであろう。 【2問目】大小の円の蝕交している幅の長さを問う問題 この問題は、出題ミスであり、解なしとなる設定である。 しかし、他の算術家が誤問であるが面白いと評価するのであるから、それなりのミスでなければならないはずである。にもかかわらず、2つの正方形の辺の比は、一方が他方の対角線となることから√2:1となることが一見して明らかなのに30:7としていたり、小円の半径の方が大円の半径より大きくなってしまうなど、一流の算術家のミスとしては、お粗末すぎる。 その上、想定していた正解が(√7+√23)÷4だったり、辺の比の矛盾を無理数なのに奇数と偶数で説明しようとするなど、もう意味が分からず滅茶苦茶である。 【3問目】15個の円の内の一つの円の円周の長さを求める問題 この問題は、小説に書かれている条件だけでは解けない。15個の円の大きさが何らかの数列になっていると考えれば、解ける可能性もあるが、等差数列や等比数列で考えても矛盾が出てしまう。また、もっと複雑な数列を考えても、おそらく小説で正解としているような答えにはならない。 この問題は、実在する和算の問題の数値を筆者が変えて作った問題だそうだが、何のために数値を変えたのか意味が分からない。 筆者のみならず、編集者や出版社の人間にも、こうした誤りを指摘する人はいなかったのだろうか。いくら出版関係に文系が多いといっても、中学1、2年レベルの数学を理解していれば分かるはず。 小説自体は、おもしろかったので、文庫で再度出版する際には、是非、専門家のアドバイスを聞いて、問題を修正して欲しい。 | ||||
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初めて読んだ時代小説で、初めて読んだ冲方丁小説。 厚さに勝る熱さが含まれている、良書。 歴史的背景を知らずとも、これのみで面白く読める。囲碁を知っていると、更に面白く読める。 天と、地と、人とが結び付くダイナミズムが、大きなうねりとなって蠢動するストーリーに感服。 | ||||
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先に言っておきますが、話自体は結構面白かったです。主人公が数学や新暦にかける情熱がとてもよく伝わってきています。それらの学問に馴染みのない方でも興味をそそられる内容だったと思います。 しかし、です。この作者は作中で決してやってはいけないことをしました。(以下少しだけネタバレ) 作中には主人公が数学の天才である関に挑戦するべく問題を作る場面があります。必死になって主人公が作った渾身の問題は、しかし答えのない誤問であり、そのことに気付いた主人公は失意のどん底に落とされます。しかし、様々な人に支えられて立ち直り、リベンジを決意します。「関にといて欲しい」その一心で前以上に慎重に推敲を重ねて作った主人公の問題に、関は見事な解答を添え、主人公の宿願は叶うのです… ですが、関が作中で解いて見せたリベンジ問題…なんと解答不可能な誤問です。というより、問題の前提が既におかしいです。具体的には、問題の前提では宿星がだんだん大きくなるはずなのに、宿星1・2の円周の合計が10(平均5)宿星5・6・7が27.5(平均約9.2)宿星11・12・13・14・15が40(平均8)と途中で縮んでしまっており、問題文が既に矛盾しています。 調べてみたところ、この問題は渋川春海が実際に出した問題を、作者が数字を変えたもののようです。(現実の春海の問題ではこの矛盾は起きていません) このリベンジ問題のシーンは物語なかばのクライマックスというべきシーンであり、ストーリーの流れからしてリベンジ問題が「誤問ではなかった」ことこそが重要なシーンです。にも関わらず作中でベタぼめされている「良問」が作者が勝手に数字を改変したせいで、単なる「誤問」になり下がっているという事実は、知ってしまうと一気にこのシーンのやりとりが白々しく感じられてしまいます。 数学ができないならできる人に聞く…その位のことは出来たはず。 | ||||
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