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博士の愛した数式
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博士の愛した数式の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.32pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全849件 801~820 41/43ページ
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「第一回本屋大賞」に選ばれたとか。うなづけます。だってまるきり「毒」がない。そりゃもう、お薦めのおとぎばなしでしょう。どこからもクレームは来ないでしょう。最近、本屋がしゃしゃり出て来すぎです。「白い犬とワルツ」現象はもうやめて欲しい。読者にはもっと純粋な、その人にとっての良書との出会いの余地を残しておいてほしい。染み入るところは何箇所もありました。本屋大賞でなかったら、大人の絵本としてもっと堪能できたような気がします。 | ||||
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本の中に「すばらしい」という言葉が何度もでてきます。私は普段、この「すばらしい」という言葉を口にすることはほとんどないですが、「すばらしい」という言葉がピッタリの本だと思いました。この本は、博士の愛した「数字」の美しさを本当に美しく描いています。数学が苦手な人は読んだら数学がちょっとは好きになれるかもしれません。そして博士が愛したもう一つのものは「子供」。博士の数字と子供への愛情は計り知れません。なんだか博士がとってもかわいくみえて、博士に会ってみたくなってしまうような、そんな本です。おすすめです。 | ||||
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お寿司屋さんで’今日のお勧めは’と聞くと全部お勧めですと怒られますが、本屋さんが勧めちゃう本て?どんなのかな?某週刊誌に掲載されていました”本屋さんが勧める本NO1”のキャッチにつられて買い求めました。余談:田町のお寿司屋さんで、お客さんの”お勧めは?”の問いに、”鯖アレルギーの人に今日のサバは美味しいですよ”と勧める事は出来ないヨ、食べたい物を食べたいだけ食べればイイの!だそうですハイ!実生活では√を開くこともまず在りません、1、2、3、4、5‥‥の自然数から数学者はいろんな事を考え出すものですネ!家政婦さんの響きはおばさんを感じますが、(実際に若い設定ですが)ここでは全く感じられません。博士の妹さんは野際陽子さんをイメージしてしまいました。エピローグの辺りで、子を持つ親としてはドキドキさせらる雰囲気も楽しめます。 | ||||
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学生の頃、数学が好きだった。その頃はただ問題を解くのが楽しかったのだ。で、その数学がテーマ、というので手にとりました。主人公の家政婦が派遣先の「博士」によって数学の美しさを発見していく過程が、わかりやすく表現されていて、ひきこまれた。数学って問題を解く楽しさばかりでなく、美しいんだなー、と感じさせる作品です。またさらに数学が好きになりました。数学嫌いな人こそ、読んでほしいです。数学をいとしいと思っちゃいますよ。 | ||||
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休日を利用して、1日で読み切りました。スリルがあるわけでもなく、まったりとしたストーリー展開ですが、それでも、ハラハラするのです。「読むには簡単であり、理解するには難解である」これが読後の感想です。 | ||||
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人はなぜ数学を学ぶのか、という問いに対してよく世間では「論理的な思考方法を養うため」などともっともらしいことを言いがちです。私が中高生の時にもそんな理屈がまことしやかに流布されましたが、おそらく今でも状況は同じでしょう。 このまやかしに対して御茶の水女子大の数学教授・藤原正彦氏がそのエッセイの中で敢然と矢を放っているのを私が目にしたのは大学に入った頃でしたでしょうか。分数の計算すらろくに出来ないアメリカ人が、議論となると日本人には歯が立たないほどとうとうと自論を述べる。だから数学の出来不出来と論理的思考との間には何の関係もないのだと氏は綴った後で、それではなぜ我々は数学を学ぶのか、と改めて問い掛けます。その答えは「数学が美しいから。その美しさを味わうために」。 目から鱗が落ちるというのはまさにこのことです。数学は永遠の美しさをたたえている。でもそれは常に世界のどこかに姿を隠していて、我々が積極的に関わっていかないことには見抜くことが出来ないものです。 本書「博士の愛した数式」は、事故によって記憶を蓄積できなくなった初老の元数学者「博士」と、彼に雇われたシングル・マザーの家政婦「私」との交流を描いた小説です。記憶力を失ったことで永遠に循環する時の中に閉じ込められたかのような「博士」の真の姿は、家政婦である私にとって少しずつ解き明かされていく数式のようなものです。 彼がかつて隠した秘密が物語の終盤に「私」の前に姿を現しますが、それはまさに数式のように永遠の美しさをたたえていて、読者の心にも迫ってきます。 そして「博士」とともに「閉じられた永遠」の中に生き続けていたもう一人の人物が姿を現すに至って、その永遠の完璧なまでの美しさと悲しみを私たちは知ることになります。 大きな起伏のある物語ではありませんが、しっとりと静かに胸にしみてくる思いを味わえる小説であると思います。 | ||||
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『数字』がこんなにも美しいものだと、初めて知りました。淡々と静かに物語は進むけれど、何度も涙を流しました。自分でも泣く理由が分からないところでも、涙が自然と溢れました。淡々とした博士たちの日常は、確かな匂いや息づかいとなってすぐそこに感じられ、博士の記憶に残る事のないこの親子との日々は、読み手の記憶には確実に美しく残ると思います。 | ||||
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書店とその従業員が推奨する「本屋大賞」の栄えある第1回受賞作。 そんな記事を某週刊誌に出ているのを読んで、あまりラブ・ストーリーの本は得意ではないのですが、そんなにプロが薦めるのならと買ってみました。 最高に面白かった、買ってみてください。 読み始めて、休むことなく一気に読み終えました。読み終えたあと、ほのかな感動が体全体を包み込みました。 記憶が80分しか持たない数学博士、そしてその家に派遣された家政婦と家政婦の息子ルート、そして博士の家の主人である義姉。博士の記憶障害を原因として起こる数々の問題や交流を、その四人の関係の中で描いていく。 私は数学を苦手としていますが、同じく数学をまったく理解しない家政婦の目を通して物語が進むので、それは安心してください。 愛するものに自己の記憶が残らないせつなさ、せつなさは苦しみではなく、心の中にゆっくりと染み渡っていくもの。 心に染み渡る作品です。 | ||||
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メルヘンとして読む限りにおいては良い本だと思う。博士のキャラクターは独特のものであるし、ちりばめられた数学の話は興味深く、江夏投手とその周辺のエピソードもほほえましい。主要な三人の登場人物、つまり主人公の家政婦、記憶障害のある老数学者(博士)、家政婦の10歳の息子(ルート)は、みな純粋な心の持ち主である。読後感に切なさと安らぎがもたらされる。しかし手応えのある文学作品を求めるとすると物足りなさは否定できない。純粋であるということは人物たちの人間性に陰影がないことにもなる。多感な10歳の少年、それも母子家庭で育った少年が、博士、つまり普段接することの少ないであろう大人の男性に、あまりに抵抗なく溶け込んでしまう。葛藤があって、それを乗り越えるということではない。まあこれは少年の性格がそうだった、でも片付くのだが、やはりそれ以上に、博士がなぜ子供(この少年以外も含めてすべての子供たち)に多大な愛情を注ぐのか、その動機付けが見えないのが弱い。事故に遭う1975年以前のエピソードにその伏線をはって、自身に子供のいない博士が子供に愛情を注ぐ動機の由来が詳らかにされていれば(ある程度生い立ちに伏線はあるのだが)、物語の説得力(とりわけ少年と博士の絆について)が増したと思う。しかしそうして心理の深層に踏み込まないために、物語としては見通しがよく、読み易いのも事実だ。その意味でメルヘンとして読めば、読後感の良い佳作だと思う。 | ||||
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昔に『妊娠カレンダー』を読んだきり、小川洋子さんの本は、読まず嫌いのままでした。あまりにも書評などでの評価が高いので読んでみたのですが、目から鱗・・・でした。(数式をこんなふうに語ってくれる数学の先生がいたら、私の人生も少し変わっていたかもしれない、などと埒もないことを思ったりしました。)80分しか記憶がもたない・・・ということを考えるとき、ああ、人間って記憶によって成り立っているんだと、今更ながら感じました。たとえ、その記憶が事実と違って定着していようと、自分の思い違いであろうと、とにかくそういうものの積み重ねの上に今があるというふうに、成り立っているんだなあと。博士の記憶が80分しかもたないことは、博士にある種の純粋さを与えることとなっています。記憶が定着しないからといって、博士の物事に対する受け取り方は決して変わらないことが、ルートへの「おお、なかなかこれは、賢い心が詰まっていそうだ」という決まり文句や、熱心に算数を教える態度から窺えて、博士の人間性が浮かび上がります。読んでいて本当に切なかった。博士の日常がどこへもつながっていかないこと、“私”がそれを一生懸命に支える様子。これまでの家政婦が皆短期間でやめていったことを思えば、“私”が博士と繰り返される80分をいかに濁りのない気持ちで、向き合っているか。この、1992年3月からの半年余りの“私”の博士に対する記憶は、博士には絶対に届かないのに。そんな博士が「世界は驚きと歓びに満ちている」と示すことができるのですから。・・・・・切なかった。 | ||||
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表紙から受ける印象そのままに、内容は虹色を全部混ぜてつくったように色彩を網羅した白い色、という感じがしました。私が印象深く残ったひとつは博士とその義姉とのかつての思い出を垣間見た場面でした。時は移ろいゆくもの 事故後、記憶を留めておくことができなくなった博士にだけでなく、もしかしたら生きることって、その一瞬一瞬がだれにとっても全てなのかもしれないと思いました。白い光を放つようにキラキラした、そして胸に切なく不思議な読後感でした。もう一度読みたいと思う本です。 | ||||
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博士は80分しか記憶が持たないけれど、数学には特別の関心を持って生きている。そんな博士が、無条件に愛情を注いで接するのが家政婦さんの息子のルート。ルートの11歳の誕生日プレゼントにグローブを贈り、ルートがそれをいつまでも大切にしていて時々、博士とキャッチボールをするというシーンで涙が流れました。ルートが一生懸命になって探した野球選手カードを博士にプレゼントし、博士もそれを大事に身に付けて過ごすというエピソードに、子どもと老人であり、言葉は多くなかったけれどもお互いのことをとても大事に思っているのが伝わってきて感動しました。ピュアな3人の登場人物に、心が癒されました。 | ||||
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全編を通してキラキラとした情景が感じられるのは、ボクだけであろうか?80分しか記憶が持たない天才数学者の”博士”と家政婦の”私”、そして阪神タイガースファンで10歳の”私”の息子・ルートが繰り広げていく素敵な刻が、やがて……。この儚い愛は、切なすぎる。読んでいる間、何度も感極まってしまった。久しぶりに素晴らしい物語に出逢えて満足だ。 | ||||
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泣きました…!!読み終えた後、明日も早いから寝なきゃと思ってすぐ布団に入ったのですが、涙が止められなくて、暫く嗚咽が続いていました。決してバッドエンディングじゃ無いと思います。でも、全体を通してとにかく悲しくて、些細な場面で何度も何度も泣いてしまいました。もともと、私が『おじいちゃん』にとても弱いので、こんなに泣いてしまうのだろうなと思うのですが。いつ壊れてしまうかわからない暖かさにずっと脅えながら読んでいました。何も起こらないでいて、せめてずっと今のままでいて欲しいと願っていました。それでなくても悲しみは、ずっとそこにあって消えることはありえ無かったからです。でも、そんな臆病な私より、博士はずっと強かったです。毎日、必ず自分の力に絶望して憤りを感じるでしょうに、博士はいざという時は非常に強くありました。思い出すだけで涙が止まりません。 | ||||
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非常に面白く、読んでいて飽きない設定だった。時折登場する数学的な事柄が、ストーリーのスパイスになっている。設定も、非常に現実味を帯びていて、現代の社会情勢を反映するものとなっている。 | ||||
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記憶を失い、80分の記憶しかストックできなくなった数学者。彼の許に家政婦として派遣された女性。その女性の、阪神タイガースファンの10歳の息子。三人が時間を共有する中で、語り手である女性は、博士が心から愛する数字や数式の美しさに目を開かれて行く……。数と数式に潜む美しさ。潔く、声高にならない静かな美しさ。それが胸に沁みました。普段意識したことがなかった数の個性と性格。ハッとさせられました。数学は苦手なのですが、そんな私でも、数と数とを結ぶ不思議な関係と調和、数式の無駄のない美しさには目を奪われました。小川洋子さんの作品、初めて読みました。話の静謐感、静かな透明感が素敵でした。 | ||||
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いや、6回も、涙を流すような場面はないだろう、と、言われるかも知れませんが、確かに、6回ぐらいは(数えた訳ではありませんが)涙を流しました。 『博士』とは、交通事故によって、脳に損傷を受け、ものごとを記憶する能力が失われた、天才数学者のことです。 1975年までの記憶と、直前80分間の記憶しかない。1975年以降、80分前までの記憶は、脳の中に、保持できないのです。 そんな博士と、博士の世話をすることになった家政婦『私』と、その息子『ルート』の3人が、主な登場人物です。 1975年以前の知り合いでない家政婦の私は、博士とは、何度会っても、間隔が80分以上開いてしまうと、初対面になってしまいます。 初対面の挨拶代わりに、博士は、数字の質問をします。 「君の電話番号は何番かね」 「576の1455です」 「5761455だって? 素晴らしいじゃないか。1億までの間に存在する素数の個数に等しいとは」 ≪記憶が80分しかもたない≫博士の頭には、しかし莫大な数字が入っています。豊富な知識によって、素晴らしい数の世界が広がります。 毎朝、目覚めると、記憶は1975年に戻っている。しかし、自分がいるのは、1992年(小説の中では1992年です)。 そんな博士の気持ちを想像し、博士の愛したきれいな数式を見るだけでも、また涙が出てしまいます。 | ||||
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まだ映画化されることが公表されていなかった、発売後すぐくらいに読みました。「記憶が80分しか持続しない天才数学者」「通いの家政婦」「阪神タイガースファンの10歳の息子」。これだけの素材を見ただけでおもしろそうだと思いこみ、すごく期待して。そしたら、なんだか、それだけでした。「数式」という非日常的な箇所を読むにあたっては新鮮さや興味深さがありましたが、会うたびに自分の記憶をなくされていることへの失望感や何やかやはとてもさらりと省略されており、心理描写の浅さには驚きました。ご都合主義のテレビドラマを見ているような感じでした。小説?でこんな事が起るなんて、びっくりしました。 | ||||
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普通にいい!登場人物の整理、内容のわかりやすさ、深さ。久々にいい本に出会えました! | ||||
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読み始めてすぐ文章自体の流れるような美しさに引き込まれました。外側からだけ見れば、博士も家政婦さんとその息子も恵まれない境遇と思われてしまうでしょうが、目に見えないその内面はとても豊かです。豊かにしているのは愛なんだと感じました。また、博士は病を得ながらも一歩ふみ誤れば迷宮に迷い込んでしまう危うい整数論の世界に飄々と生きている、そんな微妙なバランスがまた面白く気に入りました。以前に様々な脳の障害によって起こる病を扱った「妻を帽子とまちがえた男」という本を読んだことがあり、博士のような記憶障害の人の事例が出てきたことを思い出しました。さぞかし不安なことだろうと思います。それでも懸命に生きようとする博士の姿が思い浮かんできて、読み終わるころには感動の涙が出て来るのでした。 | ||||
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