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風の歌を聴け
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風の歌を聴けの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全370件 261~280 14/19ページ
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何か困難にあたるといつもこの本を読んだ。 おかげでもうすでに50回は読んでいると思う。 何のために書かれたのか分からない、 でもすごく深いものがあるように感じられる。 時々そんなはずはあるわけないのに 「これは将来の僕が書いたのではないか?」 などと思わせるような感覚も覚える不思議な本。 ただ、何度読んでも自分に引っかかってくることからなんとなく分かったことがある。 何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ければ年老いることは苦痛ではない。という冒頭の言葉。 いろんなことを考えながら50年生きるのは、はっきり言って何も考えずに5千年生きるよりもずっと疲れる。そうだろ?という台詞。 君は何を学んだ?そして絶望に自殺をする青年。 そして最後に僕が一番好きな太文字の言葉にぶつかる。 僕達は今の自分達よりも成長するためにみんな歯を食いしばって生きているし、 これからも同じことを続けて行くのだろう。 | ||||
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どうも村上氏の作品は評そうとすると、つまり言葉にすると嘘になってしまうようなところがあって、こうして書くのはなかなか難しいところがあると思います。いわく言葉にし難い魅力と、特に古い作品になると個人の思い入れが重なり、普通の人にはこの感性を客観化し辛いせいなのでしょう(自分がそうです)。この後に続く「1973年のピンボール」や「ノルウェーの森」などそっと心にしまっておきたい、そんな作品の多い作家のような気がします。 1979年刊行の表記作ですが、デビュー作として歴史もあるだけに(といっても30年くらいですが)、同時代で作品に触れた世代にとっては「心にしまっておきたい」感が一段と強いものなのではないでしょうか(私はもう少しあとの世代)。村上氏自身は、ジャズ喫茶を経営するかたわらの日々、ある日ヤクルトの試合を見ていた神宮球場で突然、神の啓示を受けこの作品に着手したと述べており、この次の「1973年のピンボール」まではどことなく腰の定まらない執筆だった、と述懐していたのをどこかで読んだことがあります。まあ腰の定まらないまま、これほどのものが書けるのも凄いと思いますが、高校時代から恐ろしく文章の上手い奴がいる、と評判だった才能のなせる業なのでしょう。 仕事で疲れた後、深夜の静まりきったキッチンのテーブルの上で、ことことと筆を動かす若き氏の姿が浮かびます。 | ||||
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キラキラと輝く宝石箱のような作品です。 こんなにも素敵な文章って読んだこと無いと思わせるような。 とにかくその眩しさに触れるだけでも読む価値はあると思います。 でも中には何も入っていない宝石箱だと思います。 | ||||
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10代後半の夏にある雑誌で取り上げられていて、読んだのがきっかけかな。だからもう20年近くも前のこと。缶ビールとピンボールとビーチボーイズ。当時高校生だった僕には、ちょっと背伸びした感じの刺激的なその雑誌の紹介文が印象に残った。 その後、深くその小説が掘り下げられて別の角度からの評論などを読んだりするとそうだったのかと妙に納得させられた感じだった。 小説の内容は主人公のひと夏の思い出を語ったものであったが、しゃれた言い回しや感覚などとても身近でありながら、よく練りこまれた小説であったなと思う。 | ||||
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『日経アソシエ』の7月1日号では、メールの書き方について特集している。 すべからく、「メールは簡潔に要点のみを、判り易く」が 現代のビジネス常識となった感がある。 もう、今更いう必要も無いが、村上春樹のこのデヴュー作に影響を与えている と言われているのが、カート・ヴォネガット『スローターハウス5』伊藤典夫訳である。 私は、20歳頃に読んだと思う。短いパセイジを断片的に、繋げて行く手法だが、 話は、第二次大戦の欧州西部戦線では最大死者数を出したドレスデン大空襲を 扱っている。トローマティックな「実体験」を書くと為ると記憶メモリーの 作動自体がランダムに為る。そう言うものだ。私も覚えがある。いや、現に今そうだ。 短いパセイジを繋げて、全体で何を構築出来るのか。「フレームワーク」が 出来ていて、パーツをアッセンブルする事で、何らかのテーマを伝えようとしているのか。 いや、多分、何も構築されないかも知れない。「人生」の様に。 構築されたものが有るとすれば、次の5文字だろうか。 hello本作は、村上春樹自身の「挨拶」と為った作品である。 「人生」みたいなものだ。 hello, goodby続きはまた書く。 プーティーウィッ。 続きだ。 70年代後半当時ダラダラ書かないスタイルが 「斬新」だったと言うよりも、選考者達にとって 「読むのがラクだった」のかもしれない。 その「ラクさ」が、快感を齎し、その快感自体が「斬新」な 「生理的経験」に為ったので、本作が選ばれた可能性も有る。 其の意味では、本作は時代を「センコー」していた訳である。 また、オヤジギャグだ。 | ||||
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本作品は村上春樹氏によるデビュー作。 読んでいて時代のギャップを感じましたが、 日常にありふれていそうな光景を感じ取れました。 洒落ていてユーモアのある文章。 時折出てくる哲学的なフレーズが作品全体に絶妙な深さを醸し出しています。 なぜか外に持ち出して読みたくなる一冊です。 | ||||
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☆村上春樹のデビュー作☆ 主人公“僕”のなんともいえぬユーモアの ある言い回し。 全然気取っているわけではないんだけど、 なんとなくカッコよさを感じる。 そんな主人公のほろ苦いひと夏を描いているのだ けれども、しかし重々しいものではなく とても軽快なタッチで書かれています♪ | ||||
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完璧な文章などといったものは存在しない。 完璧な絶望が存在しないようにね。 これほど引き込まれる出だしに出会ったことはない。 村上春樹氏の処女作「風の歌を聴け」の第一文だ。 あらすじは、ウィキペディア でも参照してもらえればよい。 僕が語ることでもない。 僕と、この小説の主人公「僕」は、似ている部分が多いなと感じた。 相手を否定しないという点だ。 ただ、この小説でも描かれているように、 相手を否定しない=相手を受け入れる のとは意味合いが異なる。 優しさは、ときには武器になる。 相手を傷つけてしまう。 ”優しさ”という道具は、扱うのが難しい。 道具とは得てしてそういうものだということが、わかる一冊だろう。 ≪以下抜粋≫ ・正直になろうとすればするほど、正確な言葉は闇の奥深くへと 沈みこんでいく。 ・もしあなたが芸術や文学を求めているのならギリシャ人の書いた ものを読めばいい ・「何故そう思うの?」「うーん」 答えなどなかった。 ・「ねぇ、私っていくつに見える?」 「28。」 「嘘つきねぇ。」 「26。」 女は笑った。 ・優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、 その機能を充分に発揮していくことができる。 ・「・・・ねぇ、いろんな嫌な目にあったわ。」 「わかるよ」 ・「冷たいワインと暖かい心」 ・「何故いつも訊ねられるまで何も言わないの?」 ・彼女は彼女にとってふさわしいだけの美人ではなかった ・巨大さってのは時々ね、物事の本質を全く別のものに変えちまう。 | ||||
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読まず嫌いだった村上春樹。書店でたまたま手に取った「海辺のカフカ」。すっかりはまっって「ノルウエィの森」「世界の終わりと・・・」と立て続けに読了。そしてこの著書へ。 これが村上春樹の原点なのか? | ||||
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実のところ、何も起きないし、何も変わりやしない、でも、時間というやつは とりあえず過ぎていく。 物語なんてどこにもない。 まさにそれこそが、この小説の表現する、的確極まりない時代描写の正体。 あるとき読み返して、はっとさせられたことがあった。 「もしあなたが芸術や文学を求めているのなら――」というあのくだり。 なんだ、春樹ってめちゃくちゃ分かってんじゃん、と感嘆せずにはいられなかった次第。 | ||||
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この小説を読んだのは二十歳前でしたが、その時は加藤氏の指摘にあるような事実(と言っても構わないでしょう)に露ほども気付く事無く、「さわやかな青春小説」とだけしか捉える事が出来なかった自分の読解力の無さに滅入るばかりです。「ヨーロッパでは肉体を離れた魂は 鼠の姿をとる」という文を見た瞬間、何かが崩落した感じを受けました。なるほど鼠はキズキ、影、五反田君と連なり、ジェイやDJは羊男へと引き継がれ、病気の少女は直子に重なる 印象が強い。加藤氏の針のような洞察力には脱帽です。そしてこの小説の原題でもあり、作中の鼠の書いた小説のタイトルでもある「ハッピーバースデイ、そして、ホワイトクリスマス」 の文字が表紙の上部に、物語の終わりである八月二十六日(8・2・6)が同じく表紙の港の倉庫の壁面に刻まれているのを発見したとき、震えが止まりませんでした。村上春樹、当時若干29歳。同じ人間とは思えない。原点という意味では、彼のすべてがここに詰まっているんでしょう。目をよく洗ってから読むべし。 | ||||
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デビュー作ということもあり、文章はまだまだ下手っぴな部分も多いが、この直後にやってくる80年代 的Coolness&Popnessの先駆的意匠というアプローチから読めば、実はかなり前衛的な純文学だったと言え るかもしれない。内容自体はどうでも言いっちゃどうでも良く、読んでいて小っ恥かしくなる──二十歳そ こらでそんなこと言う奴いるかよ的な──場面も多く、個人的には好きな作品とは言えないまでも、結局、 村上春樹の村上春樹たる最も偉大で稀有な資質とは、テキストを上滑りながら読んでも読者を作品の本質と いうか内奥にまで接近させる技術にあるのだと思った。 他の純文学作家の場合、大前提として読者は、そのテキストと極めて近い距離から半ば文学的格闘を通じ てその作品を読む必然に駆られる。つまり、適当に上滑りつつ読みなぞっていても作品世界の内奥に没頭す ることができないのが他の純文学ほとんど全てに通じる最低条件だったりするのだが、村上春樹には、特に 深い入りすることもなく表面を適当になぞっているだけでも作品の深い部分にまで読者を引きずり込む魔力 がある。その魔力自体は必ずしも芸術的価値のある構造的特質というわけではないものの、それでも、興味 のない読者までをも作品のボトムスに引きずり込む作力だけは評価していい。(アンチにまで何かを奮い立 たせる作家はそう多くないだろう。) とはいえ、作品の内容をあれこれ議論する程度の世界観でもないだろうというのが率直な感想。つうか、 ほとんど内容とか細部を、もうほとんど忘れてる。謎めいた女の登場人物がややショッキングな打ち明け話 をするという必殺技はカポーティーの『草の竪琴』からの飛び切りのインスパイアだったのか、その後の彼 の作品でも必ず登場するお決まりのプロット(筋運び)である。そう考えると、登場人物にほとんど真相を 語らせることなく作品に衝撃の結末を用意してしまうレイモンド・カーヴァーに、彼が自分とは正反対の ハードボイルド観を見出して大きな衝撃を受けたであろうことも素直に納得できる。 ちなみに、「完璧な文章」は必ず存在します。ただ、我々がそれを遂に見る事がないというだけのことで す。完璧を目指して絶望するのと、完璧の不在を拠り所に最初からに絶望を回避するのとは、全く意味が違 うばかりでなく、いちいちそんな言葉を有り難がっていること自体が一つの大いなる絶望を招くということ に早く気づいた方が、方向感覚を剥奪された真っ暗闇の海上から微かな岸辺の灯を見つける日もそう遠くは ないってもんだろう。 | ||||
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私は本を読む時、どうしても、はっとするような思想に出会いたい、 と思ってしまう。 そういうスタンスの読者にとっては、気分の良くない作品だ。 結局、主人公の僕、の物憂さの原因の一つは、きっと、 恋人が自殺したこととか、なのだろうとわかる。 その事を書く時、読者を引き込もうとする為に、ぽそっ、と書き、また、さっ、と 場面転換し、忘れた頃に、また、ぱっ、と出す。 自殺とか、そういう重い話を、そうやって、物語を引っ張るための、 小道具にしている感じがして、嫌なのだ。 ああ、そうか、「僕」はその事件がネックになっているのだな、 という共感は持てるかもしれない。 しかし、人間関係そのもの、とか、死、そのものについて、 何かを語っている小説を読みたい、と願うものにとっては、 本当に、空疎な作品に思えてしまう。 もっとも、作者は、青春期の、そういう死とか人生に対して、 受け身にならざるを得ない若者の姿を書きたかったのかもしれない。 そういう点が、若い読者をひきつけるだろう。 「嘘」ということも、この作品の重要なモチーフである。 何だか、この作品自体が、巧妙な嘘に満ちているような気もする。 ハートフィールドのこともそうだし、ラジオ投稿の難病少女の手紙も、 作者は、読者を騙して笑っていたりして・・・。 トリッキーな作品ではある。 | ||||
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随分昔に読んだのですが、何回読み返してもいいですね。 映画撮影に使われた三宮のバーは今でも健在。ピンボールもあります。 つい最近、デレクハートフィールドが実は村上さんの創作した人物だと知ってびっくり。 でも、騙されたって気はしなくて、とにかく清々しさの残る本。 若い人に是非読んで欲しい一冊です。 | ||||
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本書のストーリーは、村上氏本人の学生時代のエピソードがベースになっていると思われ、 「ノルウェイの森」との共通点がいくつか認められる。 そのためか読み終わった時は、ただ単に「ノルウェイの森」の短縮バージョンという印象しか残らなかった。 しかし、主人公が最も影響を受けたとされるデレク・ハートフィールドという作家についての真相を後で知ってから、本書に対する評価はがらりと変わった。 そのハートフィールドなる作家について、あれこれと薀蓄が語られるだけでなく、最後に村上春樹氏がオハイオ州にあるハートフィールドの墓地を訪ねたという「あとがき」も心憎い。 ちなみにウィキペディアで「デレク・ハートフィールド」を調べると、 大学の図書館などでは、「デレク・ハートフィールドの著作を読みたい」という学生のリクエストが後を絶たないという逸話が紹介されている。 あと、これは蛇足だが、主人公の車に大きく書かれた牛の顔についての記述が、私の笑いのツボにモロにハマり、それを読んでいるとき通勤電車の中だったので大いに困った。 | ||||
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神戸を舞台に展開されるこの小説は、映画化もされており、双方とものそれぞれに良さが表現されていたと記憶する。バーでの男女の出会いとか、男が思いを寄せる切なさや、決して問うてはならない人さまの気持ちをあれこれ思い悩むことなど、まさに青春というものかもしれない。まったく実態もつかめないのが歯がゆくてしかたがないのだが、それもまたいい。村上氏の作品にはそうした得体の知れないところに苦悶する人間模様が感じ取れるものと、私は読んでいる。もちろん私などの青春にはこうした展開もなく、しかしこんなのすてきやなあ!という淡い期待を抱かせてくれていた、そんなもんな青春であり、それが現実ってもんだろう。映画のラストシーン(ここに記載するのもなんだが)では、長距離バスの発進の情景は今でも忘れられない。今風に目をやると、神コレなどにみられるトレンドの短期的な変動は、歴史と文化を多面的に有する神戸という街がかもしだす特徴の長い周期においては一側面にすぎない(なお外来種をよろこんで受け入れ、神戸流にアレンジも早い)。それだけこの小説に描かれた都市の底力は、大きい。ある意味ではこの小説は、神戸に居住する人間を理解するひとつの参考書なのかもしれない。ともあれ、はかなさや、せつなさを身にしみて感動できる傑作である。記20070908 | ||||
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ご存知、村上春樹さんのデビュー作です! まずはクオリティーの高さにビックリ! 最初からこんなに書けたんだ〜、すごい!と感じました! これを読んだら作家をめざす人のほとんどが尻込みしてしまいそう! 英語のほうですが、村上作品のメジャーなものは英訳されているのですが、、 いつも思うのは翻訳者の質の高さです! 他の作家だと、原作と翻訳が「別の本」のようなものが多い中で、 村上さんの翻訳者はレベルが高いのか原作世界とのずれが少ないのです! むしろ翻訳のほうが村上さんの世界が、わかりやすいかも?と思う時さえあるのですから、、、 | ||||
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10年前に一度読んでいる村上春樹氏のデビュー作を改めて読んでみました。 ほのかに心温まる良作だと思います(以下は特殊な読み方かも知れません)。 再読して感じたのは、アンディ・ウォーホルの絵に通じる時代の感性でした。 作品の背景にあるのは1960〜70年代。多量生産大量消費の時代の盛期であ り、メディアの発達によって情報が無限に拡散していく時代の始まりです。 そういう時代にウォーホルは、マリリン・モンローの顔を20個プリントした り、キャンベル・スープの缶詰を100個プリントしたりした作品を作るわけ ですが、『風の歌を聴け』に頻繁に登場する「25メートル・プール一杯分ば かりのビールを飲み干し」「床いっぱいに5センチの厚さにピーナツの殻を 巻きちらし」といった過剰な数量の表現も、それに通じていると感じます。 数や量、情報が信仰される時代の中で、1つ1つ、1人1人の実在の価値が 希薄化する。作品全体に通じている、登場人物たちの生々しい実感の欠如の ようなものは、そういう時代の表現だと思います(それは現代にも通じてい るかも知れません)。その中で自分の存在意義を求めて挫折する人たち。体 を重ねながらも、心を通い合わせることができない男女。文章を武器として 戦っていた作家は、過剰な言葉を費やした挙げ句、意識主体である自分を消 滅させる…。そういう世界の中で、主人公たちが戸惑いながら発揮するナイ ーブな優しさ、愛情に、この作品の感動の種があるような気がします。 | ||||
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まだ20代半ばの頃、何気に読んだ「ノルウェイの森」の魅力にハマり、 次に読んでみたのがデビュー作のこの本。 最初は、「ノルウェイの森」の暗く重々しい感じとは全く違う この本の妙な軽さに面食らったことを覚えている。 それでも、相変わらず脈略の無いストーリーの中に 唐突に出現するあまりに印象的なフレーズは実に強烈だった。 多くのレビュアーが引用している冒頭の「完璧な文章など・・」 と言う文も「やられた!」と言う感じだったが、 私の心に残ったのは、同じく1ページ目に登場する次の文。 「あらゆるものから何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り、 年老いることはそれほどの苦痛ではない。」 この一文、ストーリーには全く関係ないのだが、 読後に私はこのフレーズを呪文のように唱えていたものだ。 40歳になって再びこの本を読み返してみて良く判った。 この本、「軽くてお洒落」に見えるのは、ほんの見かけだけでしかない。 実は「若き作家の卵」村上春樹の意地が凝縮されているのだ。 生まれ持っての文才も去ることながら、 様々な海外文学からの引用や、綿密にリズムが計算された文体など、 とにかく練りに練って考え抜かれた文章なのだと思う。 全体に軽く感じてしまうのは、 そのような「意図して作られた文体」をあえて隠すためだろう。 デビュー作なだけに、渾身の力を込めていたはずだ。 初めて呼んだ頃からずっと、こんな文章が書きたいと思ってきた。 もちろん全く追いつくことなど出来ないのだが、 そのために意識して努力してきたことは無駄になっていないと思う。 | ||||
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登場人物たちは重いものを感じさせるが、文章は軽いものを感じさせるものだった。きっとそのギャップが、この作品から漂う曖昧な空気に満ちた空間をつくっているのだろうと思った。湿っているような、でも乾燥した流れに乗っているような。友達に一読すべきと言われて読んで良かったと思う。その雰囲気にふっと引き込まれてしまった。捉えどころがないけれど、著者はしっかりと物事の本質を見極めていると感じた作品だった。 | ||||
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