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風の歌を聴け
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風の歌を聴けの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全370件 101~120 6/19ページ
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村上春樹さんご自身はこの作品をあまり認めていないようです。しかし思うのです。デビュー作品のこの作品は氏にとって、出発点でもあり分岐点でもあり終着点ともいえる。つまりこの作品で全てを語り尽くし、作者として生きるために過去との訣別をしている。続く羊三部作はモラトリアム期間のようなもの。そしてノルウェイの森で、それまでの文豪とは異質なタフな作家へと生まれ変わります。リアルタイムで読んできたので、最新作やノルウェイの森から村上春樹的ドアを開けた方とは感じ方が異なるかもしれません。氏のヒストリーを辿るならここから | ||||
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名言、格言風の言葉が山ほどあります。わかった風な、格好いい台詞を私生活で言ってみたいとき、風の歌のページを開くと良いでしょう。 明確なストーリーのある小説ではありませんが、一度読めば、その後はどのページから読んでも面白いです。どのページにも、名言が含まれています。ちょっと言ってみたくなります。 読者の心に、乾いた、何かが欠落したような、優しくも悲しい、風が吹くことでしょう。 | ||||
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中学一年生で何の予備知識も無いときに、書店で手に取って、文庫本の表紙デザインとタイトルと作家名の醸し出す雰囲気だけに惹かれ、購入して読んでみた。 面白いんだかつまらないんだかよく分からない、雰囲気だけは悪くない小説だと思った。でもその後も細部まで鮮明に記憶していて、既にレビューを書いた映画版を観たときも、原作と細部を比較することができた。 既にレビューを書いた『アフターダーク』はレーゼシナリオに近いシナリオライク・ノベルだったが、デビュー作である本書でも、DJが曲が流れる最中に暑さのあまり飲み物をねだる「OFF」から始まる断章などは、シナリオ的だった。学生時代に大学の図書館で洋画のシナリオを読み耽ったという彼ならではの作風だ。 | ||||
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作者の作品は好きで何冊か読んだことがあり、これが処女作ということで興味があり読んでみました。 正直、面白いか面白くないかでいうと僕には面白くはなかったのかなーーーーと。 僕が感じた印象としてはまるで外国語を日本語に訳したような文章。 けれども、読んでいるうちに本に引き込ませられるようになるのだけれど、途中ではじき出されてしまうような感覚。 そして、この主人公がやたらとビールを飲みまくる、もう21歳にしてアル中じゃないのかってくらいに。 そして最後に辿り着いたのがこの作者も嘘つきだなと。 読んで調べればわかると思います。 ただ、作者自身デビュー作は小説が書きたくて書いた本で多くの人に読んでもらうということを考えて書いた本ではないとどこかの記事で読みました。 これが初めての作品だとはやはり村上春樹は凄いと素直に思います。 | ||||
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最高です。 これはよい こんなにすてきな本は無い ぜひひとに進めたい | ||||
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その時の情景が手に取るようにわかり、作家の意気込みが感じられた。 | ||||
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アメリカかぶれとか、翻訳調だとかいう批判が有ると知った上で読んだが、特に気にならず面白かった。こういう批判は英文学者夏目以降の近代文学の努力の歴史を全否定することになるんじゃないのかなあ、日本の近代西欧文学の歴史をさ。村上はみんながやってることを、それをものすごくあからさまに上手にやったから叩かれだけのような気がする。今から考えると下らない理由で偉大な才能を消滅させなくてよかった。この小説は今の作品と比べるとあまり読み応えないけど。 | ||||
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村上春樹の作品はこれが初めてです。 よく言われていることですが、英語を和訳したような文章でどうにもリズムよく読めません。 また、キザなセリフがどうにも受け付けられません。 内容を必死に理解しようとするのですが、 いちいち文に「wwwwwwwwwwwwwwwwwwww」と反応してしまって気持ちが入っていきません。 他の方のレビューを読んでみると他の作品は面白かったという意見もあったので機会があれば新しいものも読んでみようかと思います。 | ||||
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村上春樹のデビュー作。 随分前に読んで、彼の作品をいくつか読んだ後に再読してみたのだが、この小説には後の作品にも含まれているいろいろなものが散りばめられているように感じた。火星にある水脈から外れている井戸に男が降りる話は、ねじまき鳥クロニクルを思い出さざるを得ない。 ねじまき鳥といえば、たしかあの作品に登場する笠原メイが、知り合い(確か親戚)に指が四本の女の子がいるという話をしていた。村上春樹作品に登場する人物は皆かなり変わっているがひょっとして全員血族で、変人の血と変な物事に関わってしまう血が流れているのかも? と馬鹿馬鹿しい想像をしてしまった。 ところで再読してみたら鼠の出番が思ったより少ないことに驚いた。記憶の中ではこの作品の大部分を鼠が占めていたのに。不思議な魅力があるキャラクターだ。 しかし村上作品は、私にとっては考えさせられるとか感銘を受けるとかいうよりも、単純に読んでいて楽しい。最初に彼の作品を読んだ時の感想は「読んでいるとバーでジャズを聴きながら酒を飲んでいる気分になる」(作中場面が昼の新宿でも)。後になって村上春樹が過去にジャズ・バーをやっていたと知って驚いた後苦笑した。 彼が人に提供する感情にはぶれがないんだなあ、と。 | ||||
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作家のデビュー作品。最初の作品なのに、完成度が、非常に、高いのでは。 | ||||
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村上春樹氏の最初の作品であり、彼の現在に至るまでの作品の特徴をたった160ページ程度ながらも、如実に表現した作品ではないだろうか。 気づいた点について、挙げていってみよう。『……鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。……』このデビュー作でも村上氏の小説は、鼠の小説と逆の傾向を持っている。それは今でもずっと続いている、それどころか、ますます老いてその傾向が甚だしくなってきたような気さえする。 主人公がよく訪れるバーのバーテンダーは、ジェイと言う名前だが、中国人だ。この後に出版される「中国行きのスロウ・ボート」ではもちろん、中国人が多く登場するのも、彼の小説の特徴だ。育った神戸近郊には中国人が多いから、そうした傾向になったのかもしれない。 当たり前だけれども、携帯電話がまるっきり出てこない。村上氏の小説は、お洒落だ、という評判なのだけれども、彼も時代の子、その人が最初に書き上げたのはこんな時代の小説だったのだ。 それから主人公がある女子大学に電話を掛けて、在学生のことを尋ねる場面が描写されている。そしてその女子大の事務室の職員が、その女子大生は病気により退学した、と答えている。現在だったら、考えられないことだ。やはりそんな、今のような個人情報に関する厳しい規制などない時代だったのだ。 そして主人公は、あとがきにかえて、も含めて、デレク・ハートフィールドと言う作家の影響で作家になったと語っている。そしていかにも、このハートフィールドが存在したような書きぶりである。けれどもこのハートフィールドは、実在しない作家である。おまけに、トマス・マックリュアなるハートフィールド研究家まで登場する。村上氏のエッセーによく現われるKurt Vonnegutも、自分の作中に架空の人物を登場させていたようだ。それに村上氏の場合、彼自身が群像新人賞を受賞した際に、どんな作家が好きか?とインタヴューで訊かれて、明治時代にいかにも実在したような名前の架空の作家を、それも二人も挙げて答えておいた、とどこかのエッセーにから、ハートフィールドくらいの冗談はいくらでも思いつくのだろう。ところでこのハートフィールド、誰かモデルはいないのだろうか。一番近いのは、Conanシリーズで有名なRobert Ervin Howardではないだろうか。ハートフィールドは、1909年にオハイオ州にうまれ、冒険物と怪奇小説を書き、1938年に母親が亡くなった後、ニューヨークまで出かけて、エンパイア・ステート・ビルから飛び降りて亡くなった、と主人公は言う。一方のHowardは、1906年にテキサス州に生まれて、やはりConan等の冒険物、そしてホラー小説を得意としていたようだ。そして1936年6月に、母親が結核のため亡くなる前日にピストルで頭を撃って亡くなった。つまりHowardは、ハートフィールドより一つ上の30歳で自ら命を絶ったことになる。村上氏は、Stephen Kingに関するエッセーの中で、Howardが好きな作家の一人である、と述べているが、いかがだろうか………。 | ||||
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最初に文学論?があるのですが、切ないです。村上さんなら大学生くらいの頃には小説家としてデビュー出来たと思います。だけど完璧な文学を求めて10年弱沈黙しこの小説を書きました。ノルウェイの森がヒットした後10代の頃に読んで信用出来る人だと思いました。 だけど生きてくうえで村上さんの主人公のように生きるのは出来ないことが何度もありなんとなく村上さんの小説を読まなくなりました。 | ||||
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懐かしい一冊です。 私の中では、一番、村上春樹を感じる一冊かな。 | ||||
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この小説をはじめて手にしたのは、高校生の頃。村上春樹に当たられた私は夢中になってこの人の小説を全部読んだ。 そんな私が一番好きな小説がこの小説です。今でもたまに読み返すとそのころの自分が呼び起されます。 僕は”僕”になりたかった。でも私はもう”僕”ではない。 それがたまらなく悲しい。 | ||||
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初めて、村上春樹作品を読みました。 著者は、阪神間の出身者であり、実際の地名で著して欲しかった。 今ひとつであった。 | ||||
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村上春樹の処女作。この作品により新人賞をとり、そこから作家としての人生をスタートさせた。 村上春樹の作品は結構賛否両論のある作品が多い。私自身も比較的好き嫌い入り混じった感想を抱いているが、この作品に関しては「否」の立場をとる。理由は単純に面白くないから。正直物語が印象に残らず、『ノルウェイの森』を水で薄めたような印象を受けた。 無論新人の一作目としてはすごいと思う。面白くはないが、平凡な要素もまた見当たらない。彼らしい要素というのは本作でも出ており、それが次第に発展していくことになる。これは「記念碑的」な作品といった方が適切だろう。 | ||||
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まだ読んでないですが、テレビで加藤浩次さんが 中学生の娘さんに勧めたら、面白かったと言うので購入。 ノルウェから入ったので、当初の作品を読んでみたくて。。。今は、騎士団を読んでます。 | ||||
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初めて電子書籍を購入し、村上春樹を読むのもほぼ初めてに近かったがとても深みのある作品に感じた。 | ||||
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村上春樹のデビュー作であるが、モラトリアムな大学生、友人との不毛な日々、セックス、そして死。そんなモチーフは「蛍」そして「ノルウェイの森」に通底するもので、改めて彼の原点なのだろうと感じた。 よく現実感に乏しいと批判される作家だけど、無意味に時間だけあって無為に過ごした学生時代の感じをとても良く表していると個人的には感じた。もちろん単純に「セックス」だとか「身近な人の死」を経験したわけじゃないんだけど、作者と同世代である私には確かに共感するものが感じられたのだ。 私の世代以後、大学生がまじめに良く勉強するようになったと聞く。たぶん作者より下の世代には絵空事のように感じられるのではなかろうか。デビュー時には青春を描いていた筈の村上春樹も、結局普遍的でなく「あの時代」の青春を描いていたに過ぎないわけだ。 | ||||
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この小説は主人公の「僕」の内面世界の自己対話と小指のない女の子との交流が同時進行で描かれます。 ところがその境目があいまいなためにとても幻想的な雰囲気を作り上げています。 その後の村上作品から登場人物の背景が明らかになっていくのですが、 ここは本作に敬意を払って深読みは慎みたいところです。 作者は人の生と死を意識しながらこの小説を書いていきます。 8年間抱き続けた想いに答えを出すために。あるいは自己療養のささやかな試みとして。 「もう何も考えるな。終わったことじゃないか。」 この小説のクライマックスは何といっても鼠との対話のシーンです。 山の手のプールで遊んだ後に鼠が胸の内を語り始めます。 「時々ね、どうしても我慢できなくなることがあるんだ。自分が金持ちだってことにね。逃げ出したくなるんだよ。」 「時が来ればみんな自分の持ち場に結局は戻っていく。俺だけは戻る場所がなかったんだ。」 そして小説に対する思い。 「書くたびに自分自身が啓発されていくようなものじゃなくちゃ意味がないと思うんだ。」 「蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために何かが書けたらどんなに素敵だろうってね。」 最後に鼠の彼女について。 「世の中にはどうしようもないこともあるんだ」「誰が慰めてくれたって痛みが止まるわけじゃない。」 鼠の存在と彼の語る言葉は依然として謎に包まれています。 仏文科の女の子についても、何故彼女が死んだのかは誰にもわかりません。 それでも彼らは「僕」の心の中にとどまり続け、その後の「青春3部作」を導く原動力になっていきます。 私も鼠の謎に引き込まれてしまった読者の一人です。 | ||||
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