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風の歌を聴け
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風の歌を聴けの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全370件 21~40 2/19ページ
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30代のごろ夢中で読んだ本をキンドルで読み直していますが読みやすくて助かります。 | ||||
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なんだかよくわからないのですが、心地よいのです。 自分でも小説が書けそうな気がしてしまうのはなぜだろう。 | ||||
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村上春樹の作品は、どぎついセックス描写があることが、しばしばあるが、この作品は、その点、爽やかに書かれている。 | ||||
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ゆるふわメルヘンな小説です。筋の面白さはありませんが、純文学としても物足りません。ただ、詩としては悪くないと思います。あと良い曲が引用されてる。 お酒やタバコを覚えたての大学一年生にオススメです。セックスもいっぱい出てくるし。 | ||||
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ホントに、何で5点ばかり?ぼくは、純文学も時代小説も読む。この作品は、表現比喩と小物ばかりで内容がスカスカにしか感じなかった。人の痛みとかも感じない。ひたすらカッコいい表現だけの羅列。中身がないことが、何かあると思い謎を呼ぶ。だけど、実際何もないだけだった。 | ||||
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急に読みなくなり10年ぶりに読み返しましたがやはりすごくいいです。 | ||||
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本作は村上氏のデビュー作。どれも似ているといえばそれまでですが、デビュー作にしてすでに村上色が大いに出ています。 その特徴といえばやはり主人公。 やや厭世的・衒学的・理知的で、運動を定期的に行う。周囲に無関心気味、微妙な比喩を繰り出し、相手と若干かみ合っていないような会話もしばしば。近い知り合いが死ぬ。キザめな音楽からの引用や文学からの引用の数々。そして濃厚な性描写(でも冷静)。こうした要素がウイットに富んだ軽妙な文章で綴られる。 ・・・ そんな主人公が出る作品が売れたわけですから、やはり主人公のような人物が、時代のロールモデルというか憧れ、だったのでしょうか。 思えば私も、文学、音楽、運動、全部好きでした。が、いかんせん男子校上がりで女性にはモテなかった。だから彼女(今の嫁さん)ができたら、もうのぼせ上っちゃって、冷静どころではなかったですねえ笑 ということでついぞ主人公のような人物にはなれませんでした。だからこそ冷静なエロにあこがれたものです。知的で社交のできるむっつりスケベ。これが村上作品の主人公にたいする私のイメージです(大分偏見が入っていますが)。 ・・・ 他方、今の10代、20代が本作のような村上作品を読んだらどう反応するんだろうか?とちょっと気になりました。 若者気質も時々刻々と変化します。今の若者にとっては村上作品の主人公はちょっと「面倒クサ」「わけわからん」とかなるのではないかと感じました。今の若者は全般的にもっと覚めていてかつストレートなコミュニケーションを好むような気がしました。言っても若者なんて自分の子供とその友人数人くらいしか知りませんが。 ・・・ ということで10年ぶりか20年ぶりくらいに読み返した村上春樹氏のデビュー作でした。昔は熱読し今も好きですが、2022年の今、1970年代の作品にやはり「時代」を感じざるを得ませんでした。 本作はじめ村上氏の作品が今後10年20年と残っていくかは予測できません。もし残るのならば、そこに某かの普遍的価値・気分のようなものが捉えられているということなのでしょう。あるいは、昭和の名著として学者による注釈が巻末についたうえでやっと読み継がれるような、化石のような物語になるのでしょうか。結果は空の上から見守るしかありませんねえ。 | ||||
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そもそも小説の冒頭で言及されるデレク・ハートフィールドは架空の人物なので、この小説は虚構であることを前提として出発している。 この小説は三層に分かれている。一番底にある層はハートフィールドの作品で登場する火星人が「喋ってるのは君自身こちらはヒントをあたえているだけだ」と言う、生もなければ死もない〝風〟のいる虚無の世界。この世界と第二層はジェイズ・バーを通じてON/ OFFで繋がる。必然的というわけではなく繋がりやすい場所になっていると言えよう。 鼠はその〝風〟のために何か書こうとしてあげている存在である。鼠の親は金持ちであり、戦後日本資本主義のメタファーになっている。それを憎み、含まれることを拒否しながらも、どこへも行けないで留まっているイノセントで弱い存在が鼠だ。 鼠は最下層にいながら第二層に半身を置いている。第二層は主人公「僕」の属する世界。この世界はラジオDJによって ON /OFFで第一層、通常の世界と繋がる。これもまた必然的ではなく、繋がることもあるという装置であろう。主人公はまだ完全には第一層とは繋がることができない。なぜなら主人公は思ったことの半分しか語ることのできなくなった、「半分の存在」だからだ。それを象徴するように、ラジオDJによって第一層の世界から知らせが届いても、主人公はカリフォルニア・ガールズを借りた女性に返すことができない。 主人公の残り半分はもちろん鼠である。高校の終わり頃、「僕」は思ったことの半分しか口にすまいと決意するのだが、ちょうどその頃、鼠と出会い、その三年後に三番目に寝た彼女を自殺により失う。卵が先か鶏が先かといったいった話になりそうだが、鼠が戦後日本資本主義の世界を生き抜くため強い「僕」を作り出したという方が自然だろう。実体がどちらかはまた別だ。「僕」が会話、文章など伝達手段を駆使したON/ OFFの繰り返しの末に第一層に浮かび上がったときに必然的に鼠も第一層に浮かび上がり、そこで再び出会い一つになることが理想であろう。そのとき、あるいはどちらかが消えてしまうのか、その問題は次作へと持ち越されたテーマだ。 ところで本作にはケネディの名が四度出てくる。資本主義によって生み出された金持ちと貧乏人との格差、つまりはケネディは不公平の象徴だ。鼠はケネディー・コインのペンダントを胸に吊るしている。 鼠の創作した小説の中でケネディの名を口にする女が登場し、その後、ジェイズ・バーで主人公と小指のない女が出会う。小指のない女もケネディの名を寝言で口にする。そして、主人公の失った三番目に寝た女の唯一残る写真はケネディが頭を撃ち抜かれた年のものだとの言及がある。 三番目に寝た女が自殺して、主人公が自分の存在理由を無くしたとき、鼠はジェイズ・バーを通して小指のない女を「僕」のために第二層に送り出したのである。小指のない女は極めて第三層に近い存在である。 「僕」は「強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ」と鼠に対して言う、鼠は「嘘だと言ってくれないか?」と真剣になる。なぜなら、その言葉を「僕」に口にされた瞬間、イノセントを残して強い「僕」を送り出したはずであった鼠は存在理由を失ってしまうからだ。 ライトな文体で大いなる虚無を見事にものしている。読後、世界の虚しさにとてつもなく切なくなる。 | ||||
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村上春樹を知る原点となる本 | ||||
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本書をきっかけにして村上春樹の小説を乱読し始めた。 本書を読むまでは村上春樹を敬遠していた。だが、読み始めてびっくり。文才がすごい。 読ませる力って大事。簡潔で明瞭で、誘惑的。次のページが気になる仕掛けになっている。 これは人気作家にもなるわ、と納得。 カートヴォネガットジュニアっぽい世界観ですね。 | ||||
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一年半に一回くらい読んでしまう。 今日もまた読んでしまった。 サクッと読めてしまう短さと、短いながらも味とクセのある文。 誕生日などのプレゼントに困ったときに、この本を上げることもある。それくらい、自信を持って人に勧められるし、知って欲しい作品だ。 村上春樹では、これが一番!という人もけっこういる。 短いし、安いので、まだ読んだことがない人は読んで欲しい。 もし、これを読んで面白くなかった・・・と思うのであれば、たぶん、その人が間違っているのだ!とさえ言ってしまえる。 | ||||
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村上春樹らしいエッセンスを味わえる作品です。この小説の誕生を事件と評した論客も居る様で、処女作らしい瑞々しさと都会的なセンスを感じる文体に思わず酔いしれてしまいます。 また、夏の匂いを強く感じる作品で、是非夏の夜風が気持ち良い季節に読んで欲しいと思います。 | ||||
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彼はこの作品を始め日本語で書こうとしてうまくいかなくて、英語で書いた後、日本語に直したらしいですね。そのせいか、神戸の港の風を感じる。ポートタワーがまだ中突堤という広場ができる前、立っていた頃に、その下に行ったら吹いていたような、そんな風。 | ||||
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架空の作家を引き出しにに始められるこの本は冒頭からスッと引き込んでくる。 一つ一つのエピソードは短いながら最後までは語ることはなくその言葉の、意味の切れ端をそっと読者に渡してくる。 あらゆるところに小説技法が散りばめられていて綿密に計算して作られていることがわかる。 わずか200ページ程度なのにその本の薄さとは反対に密度はとんでもなく濃い。 読み返すたびに違う解釈が浮かんできたり違う色彩を見せてくれる。 村上春樹が好きな人は絶対に読んでおくべき本であろう。 | ||||
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その年の夏は暑かった。大学生の主人公は、夏休みに地元に帰省する。彼の周りを充たす空気は甘酸っぱく、時にドライだ。さわやかな石鹸や冷えたビールの優しい香りが漂う。そこで過ごす夏はとても短い。あっという間にドアを開けて去っていく。 非常に詩的な作品で、人生の無常や青春の儚さが全編を貫いている。70年頃の乾いた空気に満ち溢れているのも不思議と懐かしい(、たぶん)。荒削りなところも多いが、逆にそれだけ純粋な作品だとも言える。村上春樹の記念すべき処女作である。 | ||||
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村上春樹さんのお洒落で奇抜な世界観に魅了されて読みました。 主人公の僕やその親友である鼠や小指のない女の子といった個性豊かな登場人物達が登場して世界の心理とは何かや儚くて脆い青春の雰囲気が漂っていて素敵な作品だと思います。 ジェイズバーでの会話や鼠の小説を書く話も面白かったです。 ただこの作品で物足りなかった点についてはハートフィールドの話が蛇足だなと感じました。4本指の女の子は主人公と結ばれて幸せになってほしかったです。 いつかこの作品の映画も観てみたいなと思います。 | ||||
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飄々と風が吹いている | ||||
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状態も良く無事に届きました | ||||
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気付かぬ間に、時間は一瞬で過ぎ去り、 戻ってこないことを教えてくれた。 その間になにか学ぶことがあれば、その時間は 有益なものに変換できるということも。 | ||||
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読み終わったあと何も残らなかった。アメリカというものを撮影し、その写真を張り付けて、それらを音楽や小説の一説で繋ぎ合わせている。そんな感じがした。誰が何の話をして、今どの場面なのかも分かりにくく、読んでいる側は、指をかけられる 引っ掛かり もなかなか見つけられない。なので世界には入りにくい。青春が描かれているらしいが、日本に居ながらアメリカ文化が好きな男が見た夢のよう。そこにたまたま女の人が出てきて、友達が出てきて、憧れが夢に反映されている。だから、場面が脈絡もなく飛び、置き去りにされ、ふとした時に、後述される。だから、何かを読んだと言うよりも、ある一枚の写真を見た。それに近い。 | ||||
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