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風の歌を聴け
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風の歌を聴けの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全370件 181~200 10/19ページ
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著者が小説を書き始めた頃のことがそこはかとなく分かるような気がします。 | ||||
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学生の頃、ハードボイルドワンダーランドやノルウェイの森など、いくつか村上春樹作品を読んでみたが 「何がおもしろいのかよく分からん。」という感想だった。 それからしばらく村上作品は読んでいなかったが、 ふと短い小説が読みたいと思いこの作品に手を伸ばした。何とはなしに。 すると自分でも不思議なことに、1ページ目からすぐに引き込まれ夢中になって読んでしまったのだ。 この空気感。つながってないようでつながっているような、 意味があるようで無いような、 そしてそんなこともどうでもよくなるような物語。 村上春樹ってすごい人だったんだなぁこの文章はそうそう書けないな、と ファンの方々には今さら何いってんだ?と言われそうな感想しか出てこない。 一人の人間の才能に打ちのめされてしまった。 これだけ村上春樹に対する印象が変わったのは年齢や状況の変化にも依るのだと思う。 時間をおいてまた読みたくなる作品。 | ||||
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久しぶりに読み返しました。 初めてこの本を読んだとき、何が面白いのか、正直わかりませんでした。たった200ページ足らずの分量 なのにやたらと場面転換が多く、文章も淡々としていて物語全体に起伏がない。いわゆる純文学というもの はこんなものか、そう思っていました。 しかしこの物語の冒頭を丹念に読み返してみたとき、それが間違いである、と気付かされました。おそらく 作者がこの作品を通じて伝えたかったことは冒頭部分に集約されているのではないかと思います。それは、 「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」 「結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしかすぎない」 ということです。 「僕」にとって「絶望」とは何だったのか、その「絶望」が「完璧ではない」とはどういうことなのか、「自 己療養」とは何か?それはこの本の中にきちんと書いてあります。 あまりに淡々と語られているがゆえに気付きにくい「僕」の「絶望」、「僕」はその「絶望」から何を学び、 何を学んだのか。 そして、場面転換が多いために気付きにくい「僕」と「鼠」と「小指のない女の子」の関係性。 まだこの作品を読んだことのない人、あるいは、読んだがあまり面白くなかったという人は、ぜひ宝探しをす るつもりで上記の答えを探して頂きたいと思います。 | ||||
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21歳の主人公の青春小説、情景描写が上手く文体が美しい、「時々 自分が一時間ごとに年を取っていくような気がする、そして恐ろしい ことにそれが真実だ」「真実しかしゃべらないとしたら真実の価値な ど失くなってしまうかもしれない」 非常にシャープな語り口、言葉をよく知ってる作家である。 | ||||
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『風の歌を聴け』は、 「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」 という印象的な書き出しで始まる村上春樹氏のデビュー作。1979年の作品である。 私がこの作品を読んだのは、今から24年前の1989年。 20代の頃、私は村上春樹氏の作品を読むのが好きだった。 理由など考えなかったが、村上春樹氏の作品を読むと孤独を癒される気持ちがしたのだ。 40を過ぎ、ふと思い立って再読し、その理由がわかったような気がした。 それは、村上春樹氏の作品から滲み出る、 「自分は、友人や恋人と本当に分かり合えることができるのだろうか」 という問題意識に、共感したからである。 例えば、物語の終わりで「僕」が「小指のない女の子」と過ごすシーン。 『「ずっと何年も前から、いろんなことがうまくいかなくなったの。」 「何年くらい前?」 「12、13…お父さんが病気になった年。それより昔のことは何ひとつ覚えてないわ。ずっと嫌なことばかり。頭の上をね、いつも悪い風が吹いてるのよ。」 「風向きも変わるさ。」 「本当にそう思う?」 「いつかね。」 彼女はしばらく黙った。砂漠のような沈黙の乾きの中に僕の言葉はあっという間もなく飲みこまれ、苦々しさだけが口に残った。 「何度もそう思おうとしたわ。でもね、いつも駄目だった。人も好きになろうとしたし、辛棒強くなろうともしてみたの。でもね……。」 僕たちはそれ以上は何もしゃべらずに抱き合った。彼女は僕の胸に頭を乗せ、唇を僕の乳首に軽くつけたまま眠ったように長い間動かなかった。 長い間、本当に長い間、彼女は黙っていた。僕は半分まどろみながら暗い天丼を眺めていた。』 わずか数行の会話描写だが、ここからは、「僕」と「小指のない女の子」の間には容易に分かり合えない何かがあることが分かる。 人は一人では生きていけず、その意味で世間一般で言われる友情、愛情の大切さは分かる。 一方、各個人は、それぞれに深い闇を抱えて生きていて、その意味で人は本質的に孤独である。 このことは、『風の歌を聴け』の書き出しになぞらえて言うと、 「完璧な恋愛などといったものは存在しない。完璧な孤独が存在しないようにね。」 という問題意識であり、これは、多くの村上春樹氏の作品の出発点のひとつであると、私は思う。 そして、私が、村上春樹氏の作品を読んで孤独が癒されたと感じたのは、この問題意識への共感にあったのだと思っている。 | ||||
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ひさびさに読んでみた。 最初に 読んだ時は正直嫌らしいとしか思えなかった。 なんでもそうかもしれないが 心に響くときはいいタイミングでよんだとき。 若い時はその時敏感なことに反応して 重要なことが頭に入らないことが多かったきがする。 | ||||
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初めて読む村上春樹作品でした。 村上春樹さんよりは少し遅れて生まれました私ですが、私自身の青春時代を少しほうふつとさせるものがあり、とても共感できました。 とても優しい語り口で、すらすらと読めたし、おしゃれ感も気に入った。 主人公とネズミの友情や、主人公の優しさあふれる人柄に好感を持ちました。 もう一度、青春時代を再体験して、再生できたような新鮮な作品でした。 | ||||
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わからん。 良くあちこちで言われているように、小説としてはつぎはぎ。 色々な隠喩が登場するのですが、これが非常に難解。 文章は軽快だけれども、隠喩を理解しようとすると全く読み進めません。 ウィキによると 「村上自身はこの「物語の難解さ」について、「論理」ではなく「物語」としてテクストを理解するよう読者に促している。一辺倒の論理的な読解ではなく、「物語を楽しむ」ことがなによりも重要なことだという。また、物語中の理解しがたい出来事や現象を、村上は「激しい隠喩」とし、魂の深い部分の暗い領域を理解するためには、明るい領域の論理では不足だと説明している」 だそうだけれども、 ・隠喩に立ち止まらずに物語を楽しめる人はどの程度いるのか?(そんな人いるの?) ・激しい隠喩を理解しながら読み薦めるにはどれくらい時間がかかるのか?(そもそも理解できるのか?) その辺のバランスを上手く取って読める人には楽しいかもしれないけれど、僕にはさっぱりでした(それが普通じゃないのか?)。 会社の若造が「村上春樹最高」なんて青臭いことを言うので、合わないとは思いつつ久しぶりに読んでみましたが、やっぱり全然駄目だった。 星一つ。 | ||||
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今をときめく村上春樹さんの文壇デビュー作品。新人賞作品として掲載された当時の『群像』をたまたま読んでいて、これは面白い作家が登場したなと思いました。とにかく全てがかっこよかった。ちょっと頑張れば自分にも真似できるかも知れないという期待と憧れを抱いて読んでいた読者も多いのではないでしょうか。真似出来そうで出来ない、それが村上春樹の文体なのだと思います。 | ||||
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ビニール袋にきっちり梱包され、帯び、カバー、本体に擦り傷、日焼け、折れ傷等もなく新品同様で非常に満足。 | ||||
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ふと、もしかして『鼠』はグレート・ギャッツビーなのではないかと思った。 そして鼠は、今後何度も村上作品の中で生まれ変わって登場し、春樹作品の主人公たちを支え続けていく。 鼠、ダンス・ダンス・ダンスで再会し死ぬ美青年の友人、ノルウェイの森の先輩、ねじまき鳥クロニクルのシナモン、海辺のカフカの女性だが男性として生きている人、最新作の灰田くん。 彼らは、いつも優しく、透明で、そして何かしら傷を背負い、自分にある種の自信と失望を抱えている。そして、いつも主人公を理解し、支えてくれる。 彼らは、村上春樹が感銘を受けたグレート・ギャッツビーそのものなのかもしれない。 ふと、そう思ってしまった。 この作品から、再び再読して確かめてみたい。 | ||||
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この小説の中にピーナッツを肴にビールを飲むシーンがあるのですが そこのところは本当に読み手も飲みたくなってしまいます。 「老人と海」を読んだときに刺身が喰いたくなったのとよく似ています。 | ||||
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冒頭から文章の才能を感じた。終盤はグダグダで内容のないものであった。これはこの人の作品によく当てはまる。 力つきているのだろうか。 ノルウェイやカフカに見られるような文章の「質感」は、まだこの処女作にはない。 ただし小説や音楽の教養に自分は驚かされる。自分も多くの本や音楽は聴いたがここまで正確に記憶していないし 小説を書くにあたっても、ここまでうまく織り交ぜられる自信がない。これは記憶力か? 他の作品のレビューにも書いたがこの人の作品は基本的に文章をクラシック音楽のように高貴なものとして楽しむだけのものであって ちょっと出てくる警句以外、実利はほぼない。上品な時間に身を置きたい方はどうぞ。ただしこの処女作はまだ読むに堪え難いところは 多い。進化したノルウェイやカフカなら間違いなく面白いので、そちらをお勧めする。 | ||||
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本好きなら、この書は、ある意味、好みに関わらず、洗礼すべきであるような気がし、中古本を買い読んでみた。 村上春樹の特別なファンではなく、何冊か気まぐれに読んだだけである私が、この本を読み、何を想い、感じたかというと、 とても一言じゃ、言い表せないのだけど、村上スタイルは、デビュー作において、もう確立されているのだなという新鮮な驚きと・・作者の出身地である神戸が小説の舞台と推測されるが、関西弁が一切出てこず、海外小説に出てくるような洒落た会話が展開されていること。あとはやっぱり、食べ物のの描写が巧み。美味しそうに感じられる。 もし、このデビュー作から順に、作品を読んでいけば、楽しいだろうな。 鼠の書く、セックスシーンが出てこなくて、人が一人も死なない小説、好みなので、是非読んでみたい。 | ||||
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これまで読書習慣がなく、以前まではある程度の読解力が必要そうな村上春樹さんの著作を読まず嫌いしていました。しかし、ここ最近じわじわと読書習慣をつけたせいで、村上春樹さんの著作を読んでみようと決心、デビュー作である本書を読んでみることにしました。読んでいる間、アメリカ人作家の翻訳小説を読んでいるような錯覚に陥り、主人公、彼をとりまく登場人物たちが語る言葉、生き様に、素直に、「かっこいいなあ」と惚れ込んでしまいました。これからも村上春樹さんの描くかっこいい世界を追いかけて行こう。読後そう思いました。 | ||||
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BobDylanかよ(・□・;)作品名は格好良いし素晴らしいよ・・・ 問題は内容だが、彼は現在、全世界で読み語られていて、近年ではノーベル文学賞の噂もあったJAPANESEです。 今作は初HarukiMurakamiであり最後まで楽しく読めたけど、氏の作品の空気なんだろうね・・・ この空気が駄目でね・・・まあ、『ライ麦畑で捕まえて』と似た匂いがあって、サリンジャーが駄目な人間は本書も駄目なんじゃないかなぁ?(・□・;) 逆もありで、まあ、そういうの俺だけかも知れんけど、合う合わぬは世の常だから 日本人として村上春樹さん頑張ってね♪\(^o^)/ | ||||
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日本を代表する小説家、村上春樹のデビュー作です。 このころはまだ、一人称のようです。 外国の小説を日本語に翻訳したのかと思える文体と雰囲気は最高にロマンチック。 常に何かで満たされているのに、どこか陰のある「僕」はどうしても格好良く見えてしまい、その生活に憧れてしまう。 | ||||
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デレク・ハートフィールドの何冊かに出会っていなかったら小説家にはなっていなかっただろうと言う話で始まり終わった。 井戸を掘る火星人の話がでてきた。 僕、鼠、彼女のはなしだ。 僕と鼠は、三部作、「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」にも登場する、お馴染みさんだ。 「風の歌を聴け」が1作目だ。 60年、70年の安保の時代を感じるのは私だけだろうか。 僕は、3人の女性とセックスした。夏休みに東京から帰省しているあいだのはなしだ。 ラジオのリクエストがきっかけでレコード店を訪れ、彼女と出会う。帰省中の一夏の彼女だった。 小説は、ラジオのディスクジョッキーからの電話で始まり、17歳の病床の少女の手紙を姉に代筆してもらったという。 僕と鼠と彼女の伏線にあるのが、高校時代にレコードを貸してくれた彼女のストーリーだった。 話は変わるが、村上春樹氏の言葉はやさしいが、読めない(自信がない)漢字が多い。 たとえば、下記のような漢字だ。 読めても、意味が分からない漢字もある。 芥子 からし 齧る かじる 嚥み下す のみくだす 吃水線 きっすいせん 銃把 じゅうは などだ。 | ||||
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これは期待できるかもと気合い入れたのですが 最後まで読むと、 「これのなにがいいのか、さっぱりわからない」が正直な感想。 読者に投げかけてばかりで、作者は結局何が言いたいのか?はっきりしない。 ただ、意味ありげな若者が意味ありげな事を言うが 実は何も意味がなかったって感じ。 | ||||
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寂寥感のある空気がなんともいえず、良い。 最近の村上春樹とは全く違う作風で、 最近のよりはこういう作風が好きなファンも多いようです。 私はこの本を読んで、ビーチボーイズという アメリカのロックバンドを知り、ファンになりました。 今ではブライアン・ウィルソンの新譜をチェックするくらいです。 | ||||
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