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風の歌を聴け
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風の歌を聴けの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全370件 301~320 16/19ページ
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帰省中の大学生「僕」と友人の「鼠」のひと夏。 ロマンスと呼ぶには奇妙な設定の恋と、独特の味を出しているジェイズバー。そんな中で生き生きと描かれているのは、ハートフィールドをはじめとする作家の話だった。 夏の思い出として振り返っているにはあまりにも詳細であり、現在の話としては淡白すぎる。 自分の過去をビデオで見て再確認するような小説だった。 春樹作品の主人公「僕」は、いつも同じような性格と雰囲気を持っている。その「僕」の青春時代、すべてのはじまりの物語として一読をお勧めする。 小説家は自らを描く以外に書くものはない。 | ||||
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村上春樹のデビュー作であるこの作品はなんと言えばいいのだろう。 退廃的、斬新、何も残らない、表現すればこんな感じ。 読者によって好き嫌いが分かれてしまう作品かもしれない。 私には少し荒削りな、ごつごつした感じの文章という印象でした。 | ||||
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先週遂に「春樹をめぐる冒険」国際シンポジウムが開かれたほど、今や国境を越えてが愛読されている村上春樹。本書は著者のいわずと知れたデビュー作。後の作品のモチーフが凝縮されている。鼠もビールも指が4本の女の子の双子の女の子もサンドイッチも中国も井戸も、31章の古墳を眺める鼠の感覚と32章の火星の井戸の縁に腰を下ろし荒野を眺めた青年の感覚との対称性と同一性も・・・・・・本当にきりがないほど。本屋や図書館司書泣かせのデレク・ハートフィールド創作は抜群のアイデア。十年に一度は風の歌を聴きたくなる。 | ||||
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まず普通の小説からは違う書き出しでこの小説は始まる。それはまるでドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のような始まりかただなぁという印象を見出すことができる。そして、この本を読み終えると鮮やかとは言わないが、なにかある種の満足感を与えてくれる本である。 | ||||
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えーと、微妙です。('-,_ω-`)プッ とりあえず前半は楽しめました。親しみやすい文体がすーっと身体の奥に入っていく感じがして心地よかったです。 だけど後半から(主人公が女子と絡みだした辺り)謎の哲学めいた言葉だったり、他の書物から印象的な言葉を引用したりとよくわからない展開になって興ざめしてしまいました。 中盤辺りで一度読むのをやめたのがまずかったかなあ。一気に読めば前半の心地よさをそのまま後半まで持ち越せた気がしなくもない。 この人の小説全般に言えることだけど、訴えたい明確なテーマってないですよね。多分。最初にプロットは立てるけれども書いていく中でどんどん話が脇に逸れて行ってる気がする。で、最終的には意味の分からないものになると。 だけどその意味の分からない話の中にも共感するところがあったり、話の雰囲気がなんとなく良かったりしてこの人の作品は評価されてるんでしょうけど、今作では読了した後、その"なんとなく良い"感じにはなれませんでした。ダンスダンスダンスとかねじまき鳥ではなれたんですけどね。何が違うんでしょ。('-,_ω-`)プッ | ||||
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春樹氏はすでにスーパーな作家だ。 だから今春樹氏に初めて出会えば今の新作から読むと思う。 でもそれからその新作を読んでみて「いい」と思えたなら必ず作者のデビュー順に読んでみてほしい。 するとその「いい」と思えた作家の歩みまでが楽しめる(読める)。 これはその人の作品を読むうえですごく貴重な体験を提供してくれるはずだ。 本書は著名なこの作者の「スタート」で、作品自体もコンパクトなのに十分に味わい深い実が凝縮された作品だと思う。 結局はノルウェイもここから出世したんだな〜、と思うだろう。 実は「根」は同じなのだ。 村上春樹氏の順番の「1」を楽しんでほしい。 | ||||
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村上春樹は私の最も好きな作家さんです. なかでも,この処女作はこれまで何遍も読み直しています. 何遍もの読書に耐えうるだけの力を持った小説であることは確かです. この人の描き出す世界が心地よく感じる理由を表現しようとすると, 論理的に簡潔に表現できない. もちろん文体の軽やかさや, 比喩を駆使した表現などが 魅力的ということはわかる. けれども, そこだけに惹かれているわけではないこともわかる. この引っかかるような心地よい感覚を感じてください. | ||||
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村上さんの作品は気取ったところがあるから嫌いだ、とかいう人がい ますが僕は彼の作品が好きです。確かにかっこつけすぎの表現はありま すが、読んでいてなんともいえない世界に浸ることができます。人に何 かを語る本もいいですがカンジで入っていく彼独特の調子は読んでいて 癖になります。 この作品は村上さんのデビュー作で「1973年のピンボール」「羊をめ ぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」とつづいていく4部作になって ます。この作品が気に入った方は読んで見てください。 | ||||
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単行本の初版を買った。純文学はほとんど読まないがロックとジャズの香りが漂う本を好んで読んでいたから買った。世代も2つ上の作者ということで同世代の共有するものを感じた。僕には「わかる」本であったが、芥川賞の講評を読んで、こういう人のために書かれているのではないのになあと思った記憶がある。20年経った今、いわゆる大作家になったはずなのに、私にはそんな風に思えない。そういう意味ではそれまでの作家のイメージを払拭してくれた新しいタイプの作家です。テレビに出ない、自分の我侭を貫く、すごくアメリカンぽっくて実は庶民の目が根底にある。そして体制に迎合しない。作品の前に人物に惹かれているので一応全ての作品を読むことになった。 | ||||
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非常に読みやすく、世界に入り込みやすいことは好感が持てます。しかしそのことと、文学性は切り離して考えるべきだと思います。まったく別のある実用書のレビューで、次のようなことを書いている人がいました。 「この本は非常に○○についてわかりやすい。しかし、わかった気になるだけで実際はわかっていない危険性をもはらんでいると思う。読むと文学がわかった気になる村上春樹作品と似ている」 非常に的を射たコメントだと思います。そして、この小説は村上春樹の処女作だけあってその性質が特に顕著です。 個人的には村上春樹氏は、純文学の新境地を切り開いたと言うのではなく、純文学を大衆文学に近づけたという意味で偉大なのではないか、と思います。それはすばらしいのですが、氏は同時に「曖昧なままごまかす」という手法を文壇に持ち込んでしまった点が、少しまずかったんじゃないか、という気がします。 要するに彼の作品でしばしば見られる 「‾つまりはそういうことだ」 という表現です。この作品などはそれの宝庫です。この言葉を、小説、ひいては文学をわかったつもりにさせる免罪符として用いているような気がしてしまうのです。文章で書いてあるからには、三島由紀夫の作品のように、細大漏らさず書いてほしいと、僕は思います。 この小説を読んでピンと来なかったとしても、文学を諦めるのは早すぎます。ピンと来なかった人は、曖昧な表現が受け入れられなかった可能性が高いと思います。そういう方には、三島やトルストイなどの、ハッキリと書いてある作品をお薦めします(ただ、その細部を理解するのは少々困難ですが)。 村上春樹氏の作品では、「スプートニクの恋人」が、最後に曖昧さがあまり残らず、晴れ晴れとした読後感が得られるので、お薦めです。 | ||||
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村上春樹は間違いなく全共闘時代を生き、影響を受けた作家の一人だが、彼はそれから10年の年月を経て語り始める。しかも全共闘時代という嵐を書くのに、70年代の退屈な夏を書く。ちょうど大地震の物凄さそのものを見せるのは不可能で、地震が収まった後に被災地の映像を写すことしか出来ないのと同じように。そういえば、僕の学生時代には「しかし彼女は間違っている。僕はひとつしか嘘をつかなかった。」という部分で、どれがそのひとつの嘘だと思うか、という問題が流行ったこともあった。そういうことを思い出すと、やはり村上春樹は社会現象だったのだなと思う。 | ||||
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この作品に出会ったのは予備校生のときで巷では村上氏の「ノルウェイの森」がベストセラーとなっていました。姉にもらったこの本はいまだに何かのおりに読み返してもう20回ぐらい読んだと思います。当時ちょうど主人公と同じ年頃で大学生への憧れもあいまって強烈に響いたと思うのですが、今も当時のままの思いで読むことができます。確かに他の村上作品にはもっとインパクトのあるものもたくさんあり好きな作品もたくさんあるけれど何故かこの作品は自分にとって別格のような気がします。デビュー作が一番好きだなどというと村上さんには申し訳ないけれど、いまや村上ワールドに入り込んでしまった自分にとってのプロローグがこの作品なのだと思います。かすかに心地よく流れてくる風の歌が本当に聴こえてくるようなそんな作品です。 | ||||
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あるいは、村上春樹のデビューはもはや革命だと思う。 作者は後続の様々な作品世界に決定的に影響を与えた。本多孝好、井坂幸太郎など、今活躍中の小説家たち多大な影響を与えているのが、その作品を一読しただけでわかる。 理解しやすいと言われている村上春樹だが、全然理解できない。デレク・ハートフィールドなんて架空の作家や変なTシャツの絵は出てくるし、なんだかよくわからない。だけど、全然つまらなくもなく、ヴォネガットのような乾いた文体と文章のラストにときどきぽつんと僕らを突き放すように置かれる「そういうものだ」みたいな文句がたまらない。 何度となく読んだ本。最高の一冊だ。 | ||||
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私の場合、夏が近づく度にこの作品が読みたくなります。人物の内面描写よりも、軽妙洒脱な文体に力が入っているため、賛否両論なのでしょう。しかし、私が初めてこの小説を読んだ時は、そのドライな文章に魅せられました。そしてすごく切なくなりました。この三部作(+1)が個人的に村上春樹作品でのベストです。 | ||||
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こういっちゃ言葉悪いですが、この小説に中身を求めちゃだめです。中身なんて全然なくて、スタイルだけで書かれたような作品です。でも、というかだからこそ、村上春樹さん初期独特の軽やかな乾いた文体をもろに感じることができ、読後感はさっぱりと気持ち良い気分になれます。内容というより、文章やそのテンポに癒されます。むつかしい文章に疲れたときなんかに、トイレで適当にページをめくり、何行かさらさらと読んでみるのに向いてる気がします。ちなみに僕はもう7回くらい読んでます。けど飽きないです。無内容な小説も良いもんですよ。 | ||||
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入り込んだら一気に読み終わる。読後感は良質な映画を観た後に似ている。いろんな場所で、いろんな気持ちで、何度となく読んだ本。毎回共通するのは、体が軽くなったような気がすること。 | ||||
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当時に発表された小説の中では、かなり革新的な作品であったのではないかと思いました。読んでいてあきないし、上から見下ろしたような文章でもないからでしょうかわかりませんが、なんとも不思議な後読感です。長さも繰り返し読みやすい。 村上春樹氏の作品(私が読んだ中で)に登場する主人公はどれも、気の利いたジョークを操ります。それをマネしようとしても咄嗟には出ないような言葉ばかりで、いつも感心させられます。 また作者が本書の題名を「風の歌を聴け」とした意図はなんなのでしょうか。歌ではなく、声や音ではいけなかったのか。風は一体どこにふく風なのか。何かを比喩的に言ったものなのか。などなど想像は尽きませんが、本来このような事を考えるべきでないのかもしれません。読みやすい長さなので、時間をおいて繰り返し読んで、作者が本作品で読者に伝えたかった事を少しでも知りたいと思いました。私も村上春樹氏が聴いた、「風の歌」をぜひ聴いてみたい。 私には評価しがたく、形容しがたい面も数多くあったので、世間の本書に対する、批判的な意見も、肯定的な意見も多く聞いてみたいです。 | ||||
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最も人気の高い現代作家の一人である村上春樹のデビュー作。ストーリーらしいストーリーがなく、ごく短く詩的なエピソードの連鎖によって主人公である「僕」とその親友「鼠」のものうい一夏が語られる。どこか芸術短編映画みたいなとりとめない印象を受けるこの作品、行間に隠された謎を解こうと必死になるのも良いが、そのとりとめのない心地良さに浸ればそれで十分だと私は考える。映画のように鮮烈でクールなフレーズ。アメリカ風のちょっと気の利いたジョーク。これまでの日本文学特有の湿った風はここには吹かない。これは不完全な形式によって創り上げられた完璧な文章空間だ。村上春樹はこの小説で日本文学=陰湿のイメージを打破しようとしたのだろうし、その試みは成功したように見える。「ねじまき鳥クロニクル」を頂点とする難解な長編小説のような深みはないけれど、革命的に軽いスタイルは今読み返しても十分楽しい。 | ||||
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いわずと知れた村上春樹のデビュー作。ドライな感じで凄くかっこいいセリフばかりでストーリーを覚えてしまってもまた読みたくなる。そういう本。 | ||||
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「僕」と「鼠」はともに20歳で、親友です。二人ともどうも人生が楽しめない。漠然とした悲しみを抱えています。過去に何があったというのではありません。社会に(あるいは自分に)なじめないでいる。拒絶反応を起こし、必死にそれに耐えようとしている。その姿に共感してしまいます。仲間を見つけた、という安心感。社会とも自分自身とも折り合いがついている人には楽しめないかもしれません。この小説は、時間の流れを追いません。著者である「僕」が二十代に失ったものと得たものを交互に描いていく。まるで思いつきのまま書いているみたいに、ものすごく短いエピソードが継ぎ足されていきます。物語はものすごく断片的に語られていきます。そのおかげか、退屈な場面はなく、象徴的でインパクトの強い場面ばかりが連続します。おいしいとこどりの小説です。「僕」は耐える。苦しみながらもいろいろなものを受け入れていく。「鼠」は少し弱い。読者は二人に共感し、「自分も」という気持ちになります。僕らは今のままじゃ駄目だ。でも弱点をなんとか克服すれば、世渡りのうまい奴らよりずっとマシな人間になれそうな気がする。僕は部分的に20回以上読み返しています。何かの補給作業みたいに。この続編が「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」となります。僕らの可能性は書き継がれ、「僕」と「鼠」の努力は続きます。現実世界では、僕らの努力も。 | ||||
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