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国宝
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国宝の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.61pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全683件 1~20 1/35ページ
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| 下巻では喜久雄は歌舞伎界で確固たる地位を築いていきます。 ただ、どんどん周りから人がいなくなっていきます。もちろん大物役者になるにしたがって世話してくれる人、主役級の配役、観客、は増えていきますが、それと反対に心底、喜久雄へ心を開いてくれる人が離れていった気がします。 ==ここからは「ネタバレ」になりますので、閲覧にはご注意下さい== ライバルであった俊介とは一時期、溝が深まりますが、互いの人気が高まるにつれて双方が自然に歩みより、以前とは違う形で関係修復した印象です。ですが、大黒柱を俊介に譲る感じで、丹波屋とのやりとりはなくなりました。また、俊介出奔を機に取られた昔の恋人・春江はすっかり丹波屋の人間になってしまいました。 舞台と現実両方で喜久雄を、影に陽に支えてきた徳次も喜久雄の盤石の活躍を見て、中国へ行ってしまいます。さらに徳次には喜久雄の娘・綾乃へ父親的な役割も担ってもらっておりました。 その娘・綾乃は反抗期もありましたが、徳次や春江の助けもあり、喜久雄との親子関係も良好になったと思いきや、その娘・喜重(喜久雄の孫)のヤケドをきっかけに、本当は綾乃は喜久雄に対して、心の隔たりがあったことが明らかになります。 妻・彰子と世話役の蝶吉との男女の仲も、わずか1.2行ですが、その兆候が見られます。 周りの役者たちも喜久雄の技量についていけず、喜久雄もそれに合わせることなく、次第に一人で演舞する役柄が増えていきます・・・ 俊介は病により身体的な両足を失いましたが、喜久雄は芸が秀でるほどに、精神的な不具者になっていったようで、俊介はいなくなり、彼を理解できる者が、誰一人いなくなったようでした。 末巻、瀧晴巳さんの解説にある通り、下巻中盤、『藤娘』を舞っているときに、観客の一人が舞台に上がり込みます。この事件のあたりから、喜久雄は狂気の淵へと入っていきます。 映画やテレビには、スクリーンや画面という「境界線」がしっかりありますが、舞台にはその境界線はありません。だからといって観客が勝手に舞台へ上がっていい訳はなく、双方暗黙の了解で、舞台と観客の間には、目に見えませんが明確な境界線があるのです。 「舞台:虚構」と「観客:現実」とは決して交わることはありませんが、芸を究めるほどに、喜久雄のなかで、その境界線が曖昧になっていった印象です。 振り返ってみれば、上巻序盤、高校の朝令で宮地の大親分に単身斬り込んだ際は、「舞台:宮地親分」「観客:喜久雄」という関係でした。それをきっかけに喜久雄は歌舞伎界(舞台側)へと人生が進み出します。そして、物語の後半には舞台側で香を放つ存在に上りつめますが、そんなときに観客が舞台へ上がってくるという事件を機に、今度は「現実」の方へ引き戻され始めたかのようでした。いや、それは「現実」でさえも「舞台化」してしまうような狂気の世界といいますか、「いつまでも舞台に立っていたい」という喜久雄の願いが叶っていくようでした。 そして、ラストシーンでは、ついに舞台から街中へ喜久雄は歩を進めていきます。が、誰も止めることができません!綾乃は拍手を送り、父親の芸を認めてはくれたのかもしれませんが、その孤高の世界へと分け入ってくことが出来ませんでした。春江、一豊も喜久雄を止められず、もはや観客でしかなかったようです。喜久雄は孤高の世界へとついに行ってしまった、という感じで物語は幕を閉じます。 願わくば、このあと歌舞伎座へと向かっていた徳次が喜久雄を見つけて「坊っちゃん!」と抱きとめて、喜久雄を現実世界へと引き戻してほしい、と思うばかりです。 | ||||
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| 「青春篇」ということで主人公・喜久雄の生活のがコロコロと変化して、そのような面で下巻よりかはストーリー的には面白かったです。 作者の語り口調による進行は上下巻とも変わらず終始、漫談・講談を聴いているような楽しい雰囲気が読者をつつみ込みます。もちろんシリアスな場面もあります。それはそれで読みごたえはありました。 喜久雄は長崎の新興ヤクザの親分の一人息子です。この小説の始まりは任侠映画っぱりの新年会からのシーンで始まり、読者は一気に心を持ってかれますが、じょじょにヤクザから「歌舞伎」の世界へどんどん話は展開していきます。 梨園名門の御曹司・俊介とは良きライバル関係になりますが、俊介がもつ「血筋」という最大の利点に対して、喜久雄は「才能」というもので対抗していった印象です。 歌舞伎界から見た「部外者」である喜久雄。作者はなぜ「ヤクザ」出身にしたのでしょうか。現実にヤクザ出身の歌舞伎役者などいません。 喜久雄のモデルではないかと女形・坂東玉三郎が言われてますが、彼は歌舞伎の名門の出身ではありません。この点は喜久雄との共通点です。しかし、さすがにヤクザ出身ではありません。(ご両親は料亭を経営されていたとか) 喜久雄は愛想が言えない、昭和的ぶっきら棒さと、気に食わないことには感情的になる粗野さがあり、性格的にヤクザ的です。さらに、ヤクザ出身ということが作中、たびたびマイナス的な働きを及ぼします。これらは話を盛り上げてくれますが・・・ 結果、この話は「虚構」ですよ、っていうことを作者は表現したかったんじゃないかと思います。話の序盤に、血が滴る雪景色が描かれてますが、これは非常に幻想的でかつ、生々しく舞台的な演出です。 これらは「喜久雄というのは、本当には存在しませんが、読者の皆さんはこの主人公・喜久雄の波乱万丈の人生を、どうぞ心ゆくまでお楽しみ下さい」という作者メッセージであったんじゃないかと私には思うのです。ヤクザ出身というのは、この小説は現実ではないという明確な境界線になったと感じます。 しかしながら、本作品は歌舞伎に馴染みのなかった私にも勉強となり、歌舞伎へ興味を待たせてくれるきっかけとなりました。この作品がヒットしたということは、日本文化にとっては良き影響となったのは確かなことです。 | ||||
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| 今読んでいる何回も読んでいる映画も見に行って良かったです | ||||
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| 期待した程でなく、少しガッカリでした。 | ||||
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| 何回も読んでます | ||||
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| 映画は観てないです。人付き合いで読みました。 講談のような口語調のため一文が長く、主語と述語が対応が分かりにくい。「渡る世間は鬼ばかり」のように事件が矢次に起きるのだが、大半のエピソードは物語本筋と関係がない。体感3割ぐらいのエピソードは無くても物語は成立する。登場人物もやたら多いのだがこれも同様。どうでもいいエピソードと人物を削って、話をもっとスリムにした方がいいと思う。 また、歌舞伎の描写にこだわっているようだが、馴染みがない歌舞伎用語を大量に出されて、何を描いているのかサッパリ分からない。「翠帳紅閨に枕ならぶる床の内 なれし衾の夜すがらも」という文章を読んでも何を言っているのかサッパリです。 古文の授業でしょうか?理系で教養の無い私には理解できません。アホですみません。 | ||||
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| デジタルデトックスをしたくて小説を読んでみようとこちらを読みはじめたのですが、小説で泣いたのは初めてです。どっぷり感情移入してしまいました。 下を読むのが楽しみです! | ||||
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| 映画は観てませんが、映像が目の前に浮かぶ素晴らしい小説です。大河ドラマを一気見した気分になります。 | ||||
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| 2025年11月時点で国内興収173億円を超え、実写邦画の歴代首位に躍り出た話題作『国宝』。その圧倒的な熱量に背中を押され、私は原作小説の扉を叩いた。選んだのは、歌舞伎役者・尾上菊之助氏が朗読を務めるAudibleだ。結論から言えば、この物語は「聴く」ことで完成するのではないかとさえ思う。落ち着いた語りの中に、舞台の熱狂と静寂が同居し、文字で追う以上に「芸の凄み」が直接脳内に流れ込んでくるからだ。 正直に言えば、私は歌舞伎に全く興味がなかった。世襲という閉鎖的な仕組みや、役者たちへの偏見もあり、劇場に足を運んだことなど一度もない。しかし、聴き進めるうちに、かつて両国国技館の升席で大相撲を観戦した時の記憶が鮮烈に蘇った。テレビ中継では消えてしまう、力士同士が激突する鈍い音。粛々と進む儀式の威厳。あの時、肌が粟立つような感覚で触れた「目に見えない歴史の重み」が、菊之助氏の声を通じて物語の随所から溢れ出していた。 これは、道徳や理屈を超えた「芸」という得体の知れない魔物に魅入られた人間の、壮絶な業の物語だ。何のためにそこまでするのか、もはや言葉にはならない。ただただ、不可思議な魔物に取り憑かれた人間の執念が描かれていく。 主人公・喜久雄が辿り着いた境地は、まるで深い海の底のようだった。遥か高い水面に降り注ぐ光を眺めながら、常人には計り知れない静寂の中に沈んでいく。「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている」という言葉があるが、芸に溺れた表現者たちは、自らその深淵に身を投げ、二度とこちら側には戻ってこない孤独を選んでいるようにも見えた。 人生を賭けてそこに辿り着いた者にしかわからない幸福と、背中合わせの闇。その深淵を垣間見た今、私は一度、劇場で本物の歌舞伎を見てみたいと切望している。あの海の底に差し込む光の正体を、自分の目で確かめるために。 | ||||
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| 映画で見て本当に素敵な作品だったので、本も読みたくなり購入しました。 読みながら映画のワンシーンが浮かび上がってくるのでスルスル読めました! 映画を観てない方にもおすすめしたいです(^o^) | ||||
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| 映画を観てから原作を読み、原作の方が描写が繊細でした。 | ||||
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| 『国宝(上)青春篇』は、極道の家に生まれながら歌舞伎の世界へと身を投じた主人公の波乱に満ちた成長を描いた作品です。極道の息子と梨園の御曹司という対照的な生い立ちを持つ二人が、互いを認め合いながらも芸の極致を目指して火花を散らします。 | ||||
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| 『国宝(下)花道篇』は、任侠の家に生まれながら歌舞伎の世界へ飛び込んだ主人公・立花喜久雄の波乱に満ちた後半生を描きます。喜久雄が歌舞伎界の頂点へと登りつめていくプロセスが描かれる一方、周囲には苦難や病も生じます。一難去ってまた一難という韓国ドラマのような展開です。芸を極めるために「それ以外何もいらない」と願うほどの執念が描かれます。 | ||||
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| Kindle版 初めての購入です 意外と読みやすいですね PCから読みました | ||||
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| 映画が先に大反響したので、本から読むことにして購入しました。 これが映画化すればと思わせる内容で面白く読ませていただきました。 | ||||
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| 何年ぶりで、一気読みしました。次は?次は?と、ページを、めくるのが、楽しかった。 かぶきの演目を文章で、丁寧に解説。 目の前に、美しいまいが、広がる。 素晴らしい小説でした。 | ||||
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| 面白かったです | ||||
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| 国宝の映画は観ていませんが、頭の中に情景が見えてくる。 どんどん吸い込まれていきました。 | ||||
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| 歌舞伎芸に身を捧げた男の一代記でございます。作者が数年間取材の為に働いていたとのことで内幕、描写に文句の付けようがございません。映画を見てから原作を通読致しますと、やはり映画の3時間では端折った箇所や内容を変えた箇所が多々見られますが、メインテーマは崩さず、上手く換骨奪胎できていると思うのでございます。ただ映画のラストシーンは原作のラストシーンの余韻に遠く及んではおりません。それは文章には水槽がないのに対し、映像ではあまりにも見えてしまい映えないからでございます。原作のラストシーンを思い浮かべると、私たちは水槽を飛び出した喜久雄の彼岸の境地を、夢幻の世界を幻視するのでございます。とても良い読書でございました。 | ||||
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| とても面白く素晴らしい作品です | ||||
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