国宝
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国宝の総合評価:
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全1件 1~1 1/1ページ
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素晴らしい作品だと思います。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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| 下巻では喜久雄は歌舞伎界で確固たる地位を築いていきます。 ただ、どんどん周りから人がいなくなっていきます。もちろん大物役者になるにしたがって世話してくれる人、主役級の配役、観客、は増えていきますが、それと反対に心底、喜久雄へ心を開いてくれる人が離れていった気がします。 ==ここからは「ネタバレ」になりますので、閲覧にはご注意下さい== ライバルであった俊介とは一時期、溝が深まりますが、互いの人気が高まるにつれて双方が自然に歩みより、以前とは違う形で関係修復した印象です。ですが、大黒柱を俊介に譲る感じで、丹波屋とのやりとりはなくなりました。また、俊介出奔を機に取られた昔の恋人・春江はすっかり丹波屋の人間になってしまいました。 舞台と現実両方で喜久雄を、影に陽に支えてきた徳次も喜久雄の盤石の活躍を見て、中国へ行ってしまいます。さらに徳次には喜久雄の娘・綾乃へ父親的な役割も担ってもらっておりました。 その娘・綾乃は反抗期もありましたが、徳次や春江の助けもあり、喜久雄との親子関係も良好になったと思いきや、その娘・喜重(喜久雄の孫)のヤケドをきっかけに、本当は綾乃は喜久雄に対して、心の隔たりがあったことが明らかになります。 妻・彰子と世話役の蝶吉との男女の仲も、わずか1.2行ですが、その兆候が見られます。 周りの役者たちも喜久雄の技量についていけず、喜久雄もそれに合わせることなく、次第に一人で演舞する役柄が増えていきます・・・ 俊介は病により身体的な両足を失いましたが、喜久雄は芸が秀でるほどに、精神的な不具者になっていったようで、俊介はいなくなり、彼を理解できる者が、誰一人いなくなったようでした。 末巻、瀧晴巳さんの解説にある通り、下巻中盤、『藤娘』を舞っているときに、観客の一人が舞台に上がり込みます。この事件のあたりから、喜久雄は狂気の淵へと入っていきます。 映画やテレビには、スクリーンや画面という「境界線」がしっかりありますが、舞台にはその境界線はありません。だからといって観客が勝手に舞台へ上がっていい訳はなく、双方暗黙の了解で、舞台と観客の間には、目に見えませんが明確な境界線があるのです。 「舞台:虚構」と「観客:現実」とは決して交わることはありませんが、芸を究めるほどに、喜久雄のなかで、その境界線が曖昧になっていった印象です。 振り返ってみれば、上巻序盤、高校の朝令で宮地の大親分に単身斬り込んだ際は、「舞台:宮地親分」「観客:喜久雄」という関係でした。それをきっかけに喜久雄は歌舞伎界(舞台側)へと人生が進み出します。そして、物語の後半には舞台側で香を放つ存在に上りつめますが、そんなときに観客が舞台へ上がってくるという事件を機に、今度は「現実」の方へ引き戻され始めたかのようでした。いや、それは「現実」でさえも「舞台化」してしまうような狂気の世界といいますか、「いつまでも舞台に立っていたい」という喜久雄の願いが叶っていくようでした。 そして、ラストシーンでは、ついに舞台から街中へ喜久雄は歩を進めていきます。が、誰も止めることができません!綾乃は拍手を送り、父親の芸を認めてはくれたのかもしれませんが、その孤高の世界へと分け入ってくことが出来ませんでした。春江、一豊も喜久雄を止められず、もはや観客でしかなかったようです。喜久雄は孤高の世界へとついに行ってしまった、という感じで物語は幕を閉じます。 願わくば、このあと歌舞伎座へと向かっていた徳次が喜久雄を見つけて「坊っちゃん!」と抱きとめて、喜久雄を現実世界へと引き戻してほしい、と思うばかりです。 | ||||
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| 「青春篇」ということで主人公・喜久雄の生活のがコロコロと変化して、そのような面で下巻よりかはストーリー的には面白かったです。 作者の語り口調による進行は上下巻とも変わらず終始、漫談・講談を聴いているような楽しい雰囲気が読者をつつみ込みます。もちろんシリアスな場面もあります。それはそれで読みごたえはありました。 喜久雄は長崎の新興ヤクザの親分の一人息子です。この小説の始まりは任侠映画っぱりの新年会からのシーンで始まり、読者は一気に心を持ってかれますが、じょじょにヤクザから「歌舞伎」の世界へどんどん話は展開していきます。 梨園名門の御曹司・俊介とは良きライバル関係になりますが、俊介がもつ「血筋」という最大の利点に対して、喜久雄は「才能」というもので対抗していった印象です。 歌舞伎界から見た「部外者」である喜久雄。作者はなぜ「ヤクザ」出身にしたのでしょうか。現実にヤクザ出身の歌舞伎役者などいません。 喜久雄のモデルではないかと女形・坂東玉三郎が言われてますが、彼は歌舞伎の名門の出身ではありません。この点は喜久雄との共通点です。しかし、さすがにヤクザ出身ではありません。(ご両親は料亭を経営されていたとか) 喜久雄は愛想が言えない、昭和的ぶっきら棒さと、気に食わないことには感情的になる粗野さがあり、性格的にヤクザ的です。さらに、ヤクザ出身ということが作中、たびたびマイナス的な働きを及ぼします。これらは話を盛り上げてくれますが・・・ 結果、この話は「虚構」ですよ、っていうことを作者は表現したかったんじゃないかと思います。話の序盤に、血が滴る雪景色が描かれてますが、これは非常に幻想的でかつ、生々しく舞台的な演出です。 これらは「喜久雄というのは、本当には存在しませんが、読者の皆さんはこの主人公・喜久雄の波乱万丈の人生を、どうぞ心ゆくまでお楽しみ下さい」という作者メッセージであったんじゃないかと私には思うのです。ヤクザ出身というのは、この小説は現実ではないという明確な境界線になったと感じます。 しかしながら、本作品は歌舞伎に馴染みのなかった私にも勉強となり、歌舞伎へ興味を待たせてくれるきっかけとなりました。この作品がヒットしたということは、日本文化にとっては良き影響となったのは確かなことです。 | ||||
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| 今読んでいる何回も読んでいる映画も見に行って良かったです | ||||
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| 期待した程でなく、少しガッカリでした。 | ||||
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| 何回も読んでます | ||||
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