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丕緒の鳥 十二国記



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【この小説が収録されている参考書籍】
丕緒の鳥 十二国記 (新潮文庫)

丕緒の鳥 十二国記の評価: 3.89/5点 レビュー 184件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.89pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全184件 81~100 5/10ページ
No.104:
(3pt)

小品

普通の短編です。十二国記である意味はそれほどないかと。逆に十二国記を知らないと訳が分からない描写が多いので、よく出来た同人誌程度の認識で。でも、各作品通して伝えようとしている一言では言い表せない感情をテーマにしている点が凄く十二国記シリーズっぽくてそこが凄く好きです。
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No.103:
(3pt)

期待が大きすぎたかな?

もちろんハズレではなかったものの、期待が大きすぎたので、そんなに満足感はありません。
とにかく、また次に期待したいです。
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No.102:
(5pt)

普通の人々が主人公の話です

十二国記を読み始めて日が浅いのですが、この作品は世界観がよく作りこまれ
ていると感じます。
最初読んだ時は、生物は全て卵が木に生って生まれるというのが納得しづらか
ったのですが、物語のなか少しずつ説明が追加されていくので、読み進める
うちに依然よくわからなかったところが徐々に解明されていきます。
この巻でもそのあたりの説明がさらにされていますので、よりこの物語の
世界をイメージしやすくなっています。世界観がしっかりしているので、そこで
生活する人々の思いや行動に共感しやすいのではないでしょうか。
この巻の主人公たちはあくまで普通の人々であって、これまでの物語のような
王や麒麟が主役の時のような派手さはありませんが、取り扱っているテーマ
が私たちの世界にも共通している内容のため、主人公たちに共感しつつ、作者
もこのような考えを持っているのだろうかと興味深く読むことができました。
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No.101:
(5pt)

人々の想いが伝わってくる

作者の言いたかったことなのかなと思いました。暗いという批評もありましたが、ホラー作家にしては希望のある話だったと思います。でも私としては本編のの続きが読みたかったです。
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No.100:
(4pt)

王と麒麟の物語から離れて・・・

短編集、うち2編は書き下ろしという豪華文庫本です。

どの作品も、己の職責を全うしようとする主人公たち(『風信』」のみ孤児になった女の子の視線で)の苦悩や葛藤が描かれ、最後に希望が灯される物語(『落照の獄』のみニュアンスが違いますが)です。

待望の書き下ろしの2編、読後感がとても良くて楽しめました!
『青条の蘭』は、この物語の舞台は果たしてどこの国なのか?、恥ずかしながら読んでいて分からず、まあそれも楽しみながら読んで、最後の最後、分かりました!

王と麒麟の物語から離れ、結果十二国記の民の物語が語られた本短編集、本編とは違う読書の楽しみがありました。

P.S.
『風信』のP315、「ええとね、あの山の中腹に野木があるんです」の台詞が清白が言った事になっていますが、これは支僑の台詞ではないでしょうか?
場面的に清白ではあり得ないので・・・。
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No.99:
(4pt)

一生懸命な人たちの苦悩は分かるのですが。

すごく久しぶりなので期待して読みました。まず、やっと書いてくださってありがとうございます、と作者にお礼を言います。毎度のことですが、やっぱりもう少し明るい話も入れて欲しい・・。とことん救いようもない人も出てくる分、ちょっと明るい人物(楽俊とまでは言いませんが)も入れて下さると重たい空気が楽になります。泰麒のその後ばっかり心配してますので、ぜひ書いて欲しいです。
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No.98:
(1pt)

流石にこれは・・・

結論から言うと、初めて十二国記に触れる方は読む必要はありません。いままで同シリーズを読み込んできた方にとっても“にやり”とする場面が無いわけではありませんが、既刊の焼き直しでは間が持たないのでとりあえず書きました的なレベルで、時間とお金がもったいないです。寄り道せずに長編新作をはやく完成させてくださいね。
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No.97:
(5pt)

短編集よかったです。

久々の12国記です。今回は、王様は出ませんが、一般の人々から見た生の12国記を感じることができ、よかったです。
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No.96:
(5pt)

心に響く短編集

十二国記、待望の新作は短編集。
全四編、短いながらもそれぞれの章が内容の濃いエピソード。
共通するのは、人々が暗い時代の中でも希望を持とうともがく姿。
私たちもおそらく、ここに描かれている人々と大差ないと思われ、一人一人の真摯な生き方が胸に響きます。

実は初めて、十二国記シリーズで泣いてしまいました。
特に、丕緒の想いが王に通じたとき、蓮花が蜜蜂や燕の営みを見て泣いたとき、胸にこみ上げるものがありました。

死刑制度のあり方に惑う瑛庚の姿はファンタジーであるが故に生々しく、
凶悪犯罪が頻繁にニュースで流される社会に生きる私たちにも常にある課題です。

どのエピソードも素晴らしいものでしたが、実は一番共感させられたのは「青条の蘭」でした。
私たちの多くは、ただ「希望」の箱を背負い、次につなぐために必死で歩くことしかできないのではないのか・・・。
その花が咲く姿は見ることができないかもしれないが、きっとこれが未来を生んでくれると信じるしかない。
そして、それを一時でも背負い、次に渡すために必死で生きる。
そんなことしかできないのかもしれません。
でも、確実に繋がっていく。そう望んで、ただひたすら、役割を果たす。

待望の新作は、私たち一人一人への作者の静かなエールのように感じられました。
小野先生、ありがとうございました。
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No.95:
(2pt)

微妙でした。

短編集なので、本編には全く必要無さそうな内容...。
それは理解していましたが、今回は正直ガッカリでした。
ダラダラ綴られた感を感じてしまいました。
本編のような、寝る間を惜しんで読む事にはなり得ませんでした。
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No.94:
(5pt)

久しぶりの十二国記

ひとつひとつが、胸に刻まれる、珠玉の物語です。それにしても泰麒はどうなったのか、長編の方も待ち遠しい。
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No.93:
(5pt)

十二国記の列伝

読んでいて、「ああ、これは列伝なのだな」と理解しました。

その昔、司馬遷は前漢までの歴史を「史記」にまとめるにあたり、いくつかの形式を用いました。
そのうちのふたつは後の歴史書に引き継がれます。
それが”本紀”(後の”紀”)と”列伝”(後の”伝”)です。
前者は国王の物語であり、木に例えれば、幹を描くことで木を伝えようとするもの。
後者は臣下や庶民の物語であり、木に例えれば、葉を描くことで木を伝えようとするものです。
一枚の葉であっても、それがみずみずしく青々としていれば、人はそこから木の充実ぶりを連想できますし、逆に、水気を失って枯れかけた葉を見れば、人はそこから木の衰退を知ることができる、というわけです。

十二国記にあてはめると、「月の影 影の海」はさしずめ「陽子本紀」であり、本書の表題作などは「丕緒列伝」か、もしくは「羅氏列伝 丕緒の章」ということになります。
著者に、史記の形で、という意思があったかどうかはわかりませんが、少なくとも、頭のすみに意識としてあったのでは、と私は思います。

さて、本書は、いってみれば四つの列伝が収められた短編集です。
個人的には、とりわけ感銘の深かったのは、表題作です。
いやもう、ラストではぽろぽろと泣いてしまいました。
エンジニアとか、ものづくりにたずさわった人ならば、この感銘をわかってもらえると思います。
この物語はつまり”ものづくりバカ”(決して軽蔑しての表現ではありません)が、苦悩の末に作り上げたものが評価される、という、単純といえば単純なお話なのです。
それが丹念に作りこまれ、芳醇な物語となっています。

ハラハラドキドキの”本紀”ももちろんいいですが、こういう渋い”列伝”もまた見逃すてはありません。
ぜひお読みください。
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No.92:
(5pt)

もっと出して

十二国記をもっと出して欲しいですね。
続編を出して欲しい、というより中途半端な終わり方をしているのできちんと終わらせて欲しいですね。
この本も違った角度からの十二国記なのでそれなりに楽しめました。
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No.91:
(4pt)

短編集ということで

ひとつひとつ感想を述べる。

・丕緒の鳥
慶の夏官、射儀という儀礼についてこれを摂りしきる下級官吏の話。
主人公の丕緒は4代の王に仕え、100年以上に渡りこの官職を務めてきた。
射儀は式典の一儀礼にすぎず、これを司る丕緒は国政に関わる立場などにない。
とはいえ国官である以上、己の職分を通じて何かしら、国家の安康に貢献すべきだと考える。
時の慶王は、その振る舞いに次第に暴虐の色を強めていた。
丕緒は射儀を通じて虐げられる民の惨状を表現し訴え、これを諌めようとするが──

儀式に象徴的な意味を込め、王や重臣たちに何かを訴えようと錯誤する丕緒の姿を、
自分は途中から作者自身の投影であると、勝手ながらそう解釈して読んでいた。
十二国記という作品も、架空のファンタジー世界を通じて現実社会の、
あるいは人間の本質に関する色々なことを訴えてきたように思うからだ。
丕緒は儀式に様々な手法を凝らすが、王たちには丕緒の真意は一向に伝わらず、
また伝わったと見えてもそれが望むように受けとめられず、
やがて失望した丕緒はそういったことの一切を諦めて、創造的な仕事を断ってしまう。

十二国記シリーズもまた、長らくの中断を経た。
小野先生自身、読者に対して丕緒と同じような失望を抱いていた、
と決めつけることはすまい。
しかし創作意欲が減退し煮詰まる丕緒の様子などは、
空白期間中の作者そのものとしか思えないほど真に迫る。悪く言えば露骨だ。
「次はどうしようか、詰まったことは多々あった。
 だが、そういう場合にも頭の中には、あれこれの断片が無数に漂っていたものだ。
(中略)頭の中に何もない──断片すらなく、
 綿のような空白しか存在しないという経験は初めてだった」
これは本音すぎるでしょう(笑)

そんな丕緒も、登極した新王陽子のために、気の進まないながらも
職責を果たさざるをえなくなり、けれど結果的には、
陽子の気性に触れることで再び意欲を取り戻す。
これが、作者の身にも実際に起きた何事かを象徴しているのかどうかは、
小野先生を直に存じ上げない自分にはもちろん判らない。
しかし、シリーズ再開に際した最初の物語としてはうってつけの内容であったように思う。

・落照の獄
シリーズで度々語られた、法治に優れる柳国を舞台とした話。
延王をして「出来物」と言わしめる柳の法制度はいかなるものか、
と楽しみにして読んだが、少なくとも司法制度に関する限り
これは現実世界の、現代の先進国のものとほぼ同一である。
司法の独立についてさえ、その重要性と意義からして正しく理解され存在している。
これはとんでもないことだ。
何故なら現代の法治の概念は、法の民として今でも讃えられるローマ人が
数百年をかけて築き上げた法体系を基礎とし、
その上に近代思想を積み上げて洗練されてきたものだからだ。
これを劉王が独自に発想し築いたというのであれば、
これは天才というどころの騒ぎではない。
かつて断片的ながら描写された慶の司法制度と比べても、軽く千年は先を行っている。
あまりに先進的であることから、これは劉王が蓬莱の法学をカンニングしたのではないか
と自分は疑っているが、とりあえず今回の話はそれとは関係がない。

柳国は王自らの宣下によって、死刑が事実上廃止されている。
これは人道上の理由ではなく、刑は罪人の更生のために課すものであるとの考えによる。
これが妥当であるかどうかはさておき、この柳国にあって極めて凶悪な大量殺人事件が起こる。
事件犯人の、ささいな理由で子供を殺し、夫婦を生きながら切り刻む
その残忍さには酌量の余地なし。法的には死刑、市民感情も死刑、
しかし最高裁判事にあたる官職に就き、司法官として高度な倫理観を備える主人公は、
公正であらんとするがために安易に決を下すわけにはいかない。
情を排し、あくまで事実と理によって判断しなければならない。
犯行内容とその動機、被告の人格など
既に下級裁判所で行われた取り調べ内容を再精査することにはじまり、
被害者の感情、減刑要素、さらには死刑そのものの倫理的妥当性や、
長らく禁ぜられてきた死刑判決をここで下すことの政治的重大性等々、
あらゆる点についてこれを検事、弁護士(に相当する官吏)と議論し、
あるべき答えを見出そうとする。

これを通じて、死刑に関する現実の多くの議論が再現される。
死刑そのものの是非についてその結論は出されずに終わるが、
重要なのは、この議論を通じて法治というものの奥深さを覗き見ることができるということだ。
いかな悪人といえど、感情任せに刑をお手盛りしたのでは法治は成り立たない。
しかし殺人には死をもって報いよ、とは人の内から発する本能の声である。
と同時に、刑罰と言えど殺人という蛮行を自ら行うのを厭うもまた、人の性である。
……堂々巡りはどこまでも続く。
悪人は死刑にしろ、どんどん重罰にしろ、
と簡単に言ってしまえる人には(あるいはその逆の意見にある人にも)、
この章をぜひ一言一句余さずに読んでもらいたい。
法治とはそんなに単純なものではないのだ。

ただひとつ残念なのは、この話に限っては十二国の設定がノイズとなってしまっていることだ。
国が傾いている、なので必然的に人心が乱れ凶悪犯罪が増える、
これを片端から死刑にしていては国権はさらに暴走する。
この論理は現実に対応させるのは少し難しいかもしれない。

・青条の蘭
・風信
ひとつひとつ感想を、と書いたけれど、この2つの話はセットであるように思われるのでまとめて書く。
『青条の蘭』は林野庁のような部署、『風信』は生物研究所と気象庁を合わせたような部署が描かれ、
どちらも自然の観察や研究に没頭する「科学者」と呼んでもいいような官吏が登場する。
十二国記の世界の生き物は全て、里木(野木)と卵果という、
まったくいかがわしい仕組みによって誕生する。
これは自然科学の観点からは実に興の醒める話だ。
どの動植物もみな天帝が「そうあれかし」と言って創ったというのであれば、そこにはもはや、
膨大な時間の中で進化した生命の驚嘆すべき精妙な体構造や生態系を読み解く愉しみは存在しないだろう。
自分がこの世界の住人なら、到底自然科学に興味など持てない。

しかしそれでも、この世界にはこの世界なりの自然が存在する。
森林は土壌を支えて地すべりを防ぐのは現実と変わらないし、
セミは野木から孵って土中へ潜ると、生存圏を確保しようと
木々の根を伝い可能な限り遠くへ移動してゆく。
そして自然のふるまいを注意深く観察し、それを読み解こうとする人々の努力は、
現実世界のそれにひけをとらない立派な「科学」である。
『青条の蘭』では科学研究で得た成果をもとに危難から国を救おうとする人々が、
『風信』では国難の最中でも変わらず研究をつづけ民の暮らしを支える人々が描かれるが、
どちらにせよあの世界にはあの世界なりの、人間の叡智が基底に存在する。
天帝がでっちあげた薄っぺらいファンタジー世界では終わらないのだと、
そういう説得力を与えてくれる。
丕緒の鳥 十二国記 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:丕緒の鳥 十二国記 (新潮文庫)より
4101240582
No.90:
(5pt)

芳醇なお酒を飲むような喜び

12国記を講談社版で読んだ時、誤字や表現の齟齬が幾つか気になって、どんな編集者がついているのだろう、と思っていました。今回の新潮社版ではそれが修正されたようで嬉しく思います。 
 12国記の文体は、年季の入った芳醇なお酒に似ています。最初の印象は白川静氏の著作の高雅で深い学識に満ちた佇ずまいを思わせます。しかし小野不由美氏は創作家で、その想像力は色彩に溢れ、豊かな語彙力に裏打ちされて、どっしりと厚みがあります。文章を読みながら、瞼の裏で光を感じ、風の音を聴き、雪の冷たさや痛みを通して、人々の息遣いや絶望や希望を思う。力強い文章と豊かな表現力、独特の中華風の語彙の豊かさを舌の上で転がしながら、ゆったりと楽しみつつストーリーを追う。そんな極上の読書の楽しみを与えてくれる作家はそんなに多くありません。
たとえば、この本の最初の文節を見てみましょう。
「その山は天地を貫く一本の柱だった。」まずはじめにドーンと力強い縦の線を舞台に据えています。それに続いて山塊という塊の重層感を添えて、その下に広がる水平線に民の住む街をみせる。縦の線の山頂には王が住み、麓には民が生きて、その間には「偽りなく天地ほどの落差があった」。その中間に下級官の主人公のすむ冶朝がある… これが舞台となり、ここに住む人々が主人公であり、この上下の落差がストーリーのテーマとなる絶望と希望を作り出すのです。最初の一ページでこれだけを描写しきる筆力に感嘆しないわけにはいきません。
 12国記の「天」について思いをめぐらすのは楽しいことです。堀田善衛氏に「美しきもの見し人は」という本がありますが、彼は、“天壇をめぐって”の中でカントの「宇宙論」を引用しています。カントに限らず、“天”とは人類学でいうcosmology の、限りなくtranscontinentalな概念だと思われます。中国の各思想家でけでなく、古代インド、原始仏教、ギリシャの古典思想家達にも、汎神論的な ”天“のアイデアが伺われます。神といい、天といい、人が自分の生きる立ち位置を模索するとき、座標軸として必要になるのでしょうか。
 この12国記の新作は、庶民、又は下級官吏といった、脚光を浴びないけれど地道に社会を支えている草の根の人々を描き、12国世界に厚みと奥行きを与えて、いわば2次元から3次元の世界に昇華することに成功したと思っています。
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4101240582
No.89:
(5pt)

心に残る作品

派手なアクションは無いが心に残る作品
久しぶりの新作、短編とはいえ名作
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4101240582
No.88:
(1pt)

期待に対してこれか…

本編とはあまり(直接の関係は)ない、市井の人々の物語。
それももしこの作品が、無名で、これだけ人に期待されている作品の続きというか一部でもなかったら、単なる「ひとりよがりの地味なつまらない短編集・深いとか何かを感じ取る人はいるかもしれないが、実際つまらない」という印象。

本編でも飢饉や天変地異があり、結構ハードモードの世界なのだが、そのハードモードを乗り越えたりひっくり返したりできるのが主人公レベルの王&王候補生や麒麟たちなので、今回描写されるような一般や下級の仙の公務員たちはただただ災厄に対して耐えたり負けたり「彼らのできる範囲で」少しばかり抵抗したりすることしかできない。

そのような、一般人の様子を知ることで、元のシビアなファンタジック作品に厚みが出る、と思われる読者の方もいるかもしれない。

が、長年待ってこれか…という購入者としての素直な嘆きもまた、はっきり言いたいと思う。
もっと本編の雄大な事象と絡めれば。凶悪犯の始末判決を悩む官吏にもう少し前向きな事象が起これば。絶滅寸前の植物を一公務員そして何も知らぬまま託された人々が何だか分からないままに都へ運ぶ話も、運搬リレーのところでいきなり人の良い人物の手に次々と渡っていって、勢いはあるけどそれまでの栽培の苦労の部分とのバランスが…?

この本には、希望と明るさの量がもう少し足りなかったと思う。

長編がコンスタントに出ている間に、たまにこういう話が入ると「いつもの壮大なものに対して掌編も良い」と感じられたかも。
今回の短編集として発行するなら、「王の休日(お忍びで市場に出て、一般のちびっこと出会ってほのぼのする話)」的な主要キャラのサブストーリー集などの、印象が柔らかく、長らく本棚に入れたままだった本編キャラの様子を懐かしく思い出して本編をもう一度最初から読み直したくなるようなものの方が良かったと思う。
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4101240582
No.87:
(5pt)

待ってました!

待ちに待った「十二国記」の新作!
一気に読みました。
続編にまた期待します。
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4101240582
No.86:
(5pt)

面白かったです。

久々の新作。とても面白かったです。早く本編の新作が読みたいです。
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4101240582
No.85:
(3pt)

期待外れ

長編のダイナミズムがなく、物語がピンとこない。
今後の長編に期待する。
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4101240582

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