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九尾の猫
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九尾の猫の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.31pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全41件 21~40 2/3ページ
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【ネタバレあり!?】 (1件の連絡あり)[?] ネタバレを表示する | ||||
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「間違いの悲劇」を読み、30年ぶりに再読。最後の意外な真犯人はなんとなく覚えていましたが、ニューヨークが猫によりパニックに陥る緊迫感、ミッシングリングの分からなさは、本当に凄い。悩むエラリーが本当に魅力的です。見方によってはいろいろ評価があると思いますが、私にとっては、クイーンのベスト1です。 | ||||
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クイーンの作品の中では『Yの悲劇』と並んで好きな作品である。 初めて読んだのは、20年ぐらい前だが、強く引きこまれた記憶がある。国名シリーズなどと違い、悩むエラリーの人間臭さとスリリングな展開が面白かった。 犯人などメインとなる部分を覚えていたけれど、今回再読してみたがやはり面白かった。極めてニューヨークという都市が重要なことが理解できた。なかでも自警団やパニックなど、人間の集団心理に関する部分など、興味深い。 他作品のレビューにも書いたが、1940年代後半、第二次世界大戦の戦勝国でありながら、アメリカ社会に満ちる「苛立ち」が読みとれる。ほかにも、エラリーと女性、宗教や心理学など、前期とは違った面からのアプローチもある。こういった主筋とは違う部分で面白い部分が多いのが、クイーンの中期・後期作品の魅力だろう。 | ||||
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前作「十日間の不思議」で心に深い傷を負ったエラリーがクイーン警視に頼まれ挑むのはニューヨークに現れた連続絞殺魔「猫」。国名シリーズや悲劇四部作のようなアクロバティックな論理展開はないし、ライツヴェルが舞台でもないが間違いなくクイーンの傑作の一つだ。当時のアメリカの人々の生活や文化に関する詳しい描写に加えてパニック映画のような「猫暴動」。そして、犯人の動機に迫る精神分析学的なエラリーの推理とどんでん返し。注目すべき点を挙げればキリがないがやはり一番の注目点は最後のエラリーとセリグマン教授とのやりとりだろう。自らの見識の至らなさで犠牲者を出してしまい感情的になり、今までの自分のやってきたことをなじり、もうこんなのはゴメンだと叫ぶエラリーに老精神分析学者セリグマンが優しく諭すシーンは心に染み入る。「十日間の不思議」に続いて待たしても傷を負ったエラリーだが最後にセリグマンの優しさが悩める名探偵の心を少しでも癒してくれたことを願わずにはいられない。 | ||||
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前作、十日間の不思議でモーゼの十戒をめぐる、 フロイトの語る原父のような、男と法、言葉をめぐる犯罪が描かれた。 この作品はその傷をめぐる話であり、そして、モーゼとは何かをめぐる物語です。 結論から言いますと、モーゼは水を流れてくる子どもです。 羊水の中に浮かぶ全ての母親にとっての名前をつける前に腹に抱えた赤子。 それがモーゼなのです。 厳しい父として、砂漠の荒ぶる声として、法を暴力を追い求める前作のモーゼのある究極な犯罪に先立つ本当のモーゼ。 しかし、クイーンの筆はそこにおいても逃れられない更に究極の犯罪を問い詰めます。 この作品も強い原父が出てきますが逃れられない罪の前に、ある運命を受け入れます。 私はいつもここのところで泣いてしまいます。 それを包む別の父はこう言います。 神の名は一つだと。 最後に登場人物の名前が一つ一つ記されます。名前を記すことの暴力。 記されない子どものための暴力。逃げることはできません。 それでも私たちは名前をつけ、言葉を交わす。法を作る。 登場人物の一つ一つの名前。かけがえのないものが、ここにあります。 キリスト論の間違いの悲劇と並ぶ。クイーンの掛け値なしの傑作です。 | ||||
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ひさびさに、エラリークィーンを読みました。 いやぁ、やっぱり、すごいわ。 最初は、翻訳がちょっと〜とか思っていましたが、途中からは、気にならなくなるくらい、ぐいぐいテンポのいい展開。 ニューヨークで、「猫」という犯人が、無差別のように見える殺人をしていく。絹の紐で首を絞めるというやりかたで。 なんというか、精神科的な話なので、ちょっと、アンフェアな気もしないではないが、筋はとおってしまう。。 エアコンもないし、警察は馬も使っているくらいの、古いお話なんだけど、やっぱり、上手い。。 | ||||
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アメリカの推理作家エラリー・クイーン(フレデリック・ダネイとマンフレッド・ベニントン・リーの従兄弟同士による合同ペンネーム)の 1949年作。 ニューヨーク市民を恐怖に陥れる連続絞殺魔〈猫〉!動機もなければ目撃者も容疑者もいない!悪気のない〈猫〉の殺人遊びにエラリーが挑む! これはあれだね。いわゆるところのミッシング・リンクものってやつ。でもそれだけじゃなくてね、その中でヒステリックな群衆心理と様々な 現実レベルが重層的に関連し合ってひとつの哲学が花開いてるんだ。 ミステリという手段を使って、本物らしさと、見事な見せかけの中間に存在するミステリの可能性を模索。知的かつ感覚的にミステリという 媒体の可能性とその創造の過程について考察してるんだね。 ミステリを描くという行為についてのミステリの肖像的なものともいえる。実際問題、現在までのミステリ創作の流れにおいて意識するか しないかは別として、もちろん間接的なものとして、本作の影響をまったく受けないなんてことはないのかもしれないなあ。 作者にそれだけの苦悩があったから。ラストのエラリーの悲愴ぶり。。 さて、そんな哲学的側面も素晴らしいんだけど、なにより本作で〈猫〉が引き起こす恐怖は明らかに赤狩りを反映したものとしてとれるんで あって、それに対して濃密な芸術性でもってして答えたってところが素晴らしいと、そう思うんだよ。なにより健全だ。しかし狩るまでもなく どっかの国ではもう必要ですらないと思われてる(笑)・・・んだけど、本当のところ〜ですらないなんてものが健全なのかどうか甚だ疑問。 これはまったくナンセンスで悪気のない素朴な概念で思うことなんだけどさ、奴隷ってのは奴隷主にとっては当然ながら必要なんであって、 もしいなくなればそれがそのまま面当てになるわけさ。しかし、のたれ死にしようが何しようが無関係ですよ、いつでもどこからでも自動的に 補充されますからねっ!なんてものは奴隷ですらないんであって。それがある意味で精神的に成り下がっているんであれば、相対としての 必然的法則によって奴隷主は自らを猿並みだと宣言してるんだけど。同じ猿なら芸があったほうがいい。 | ||||
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著者の中〜後期の作品は、どんどん本格ミステリ度合いが少なくなるように見える。しかし、本作も紛れもなく本格ミステリである。ミッシング・リンクものであり、広い範囲から容疑者を絞り込んでいくという、まるで警察小説のような設定なのだが、クイーンのロジックは相変わらずである。 クイーンにしては結構長い作品であり、読みでがある。導入は割とすんなり行くが、途中でのたるみは、少々気にはなる。これはプロット上、仕方のないことかもしれないもだが、もうひと工夫あっても良かったかもしれない。作品の雰囲気は、デアンドリア「ホッグ〜」にも似ているような気もする。「ホッグ〜」もまた本格ミステリであったが。 本格原理主義者には、受けは宜しくないかと思う。クイーンとしては、新機軸を打ち出そうとしたのかもしれない。失敗作だという評価もあるが、それでも私は本書のクイーンのロジックを、若干の破綻があるにせよ、この設定へのチャレンジを、そして相変わらずの本格愛を、評価したい。 クイーン作品の中で、なぜか愛着のある一冊である。 | ||||
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結果的には精神・心理学的な動機づけが すこし重いかとは思いますが、 小説としては、 もう一対の「夫婦」になる若い二人の活躍 との対比も意識に織り込んでいる、 なかなか重厚なプロットになっていると思います。 エラリーが内省的なのも、 常に過信しないことで、何かを見落とすことを防ぐ という姿勢なのだと思いますが、 人間味があって素敵です。 エンディングのあたりも、ただの推理小説ではない、 目指す部分が老成していて素晴らしく巧い。 読み進めるうちに、残りのページ数から 色々と察しはつくのですが、 間違いなく傑作の一つだと思います。 | ||||
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結果的には精神・心理学的な動機づけが すこし重いかとは思いますが、 小説としては、 もう一対の「夫婦」になる若い二人の活躍 との対比も意識に織り込んでいる、 なかなか重厚なプロットになっていると思います。 エラリーが内省的なのも、 常に過信しないことで、何かを見落とすことを防ぐ という姿勢なのだと思いますが、 人間味があって素敵です。 エンディングのあたりも、ただの推理小説ではない、 目指す部分が老成していて素晴らしく巧い。 読み進めるうちに、残りのページ数から 色々と察しはつくのですが、 間違いなく傑作の一つだと思います。 | ||||
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人間描写に重きを置いたミステリーです。 なぜこういったかは終盤でわかると思いますが その終盤を読むと人間がいかにしてそうなっていくか と言うことがいっそうよくわかって面白かったです。 でも読み心地は残念ながらお世辞にも いいものではありません。 読み終わった後非常に重苦しい気持ちにも なりましたし。 しかしながら、それに余りあるほど 終盤の展開がものすごいです。 人と言うものはある種の感情を持つと ここまで恐ろしいものになれるということ… 恐怖すら覚えました。 | ||||
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人間描写に重きを置いたミステリーです。 なぜこういったかは終盤でわかると思いますが その終盤を読むと人間がいかにしてそうなっていくか と言うことがいっそうよくわかって面白かったです。 でも読み心地は残念ながらお世辞にも いいものではありません。 読み終わった後非常に重苦しい気持ちにも なりましたし。 しかしながら、それに余りあるほど 終盤の展開がものすごいです。 人と言うものはある種の感情を持つと ここまで恐ろしいものになれるということ… 恐怖すら覚えました。 | ||||
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前作の『十日間の不思議』で、自らの論理に裏切られた探偵エラリィの自己再生がメインテーマの作品。 かつて初刊行時からしばらくはアクロバティックな論理展開に乏しく従来のクイーンらしくないため、あまり評価されてませんでしたが、後年サイコスリラーの流行などを経て近年さらに再評価著しい作品です。 ゆえに、本格ミステリ的な仕掛け、いわゆるミッシング・リンクには、大きな意外性はありません(ただ深い意味はありますが) 作品は、生と死を前記のテーマに複合的に絡めて、未知の連続殺人による大都市市民の恐慌を迫力ある筆致で描いてます。 本作での探偵クイーンの懊悩は深く、当初は自ら事件に関わる事すら拒否します。 しかし、父であるクイーン警視の再三の要請と説得でようやく事件解決に乗り出し、やがて犯人を追い詰めたかに思えましたが…。 ライツヴィル物の諸作では、事件の渦中にあって、人間的な弱さを見せたクイーンは、前作に引き続き精神的なダメージを負います。 ただ、 最後のクイーンの悔告を聴いた老精神分析医の言葉に、僅かながら救いの光明を見せていて、余韻の深さはクイーン全作品中随一です。 『フォックス家の殺人』、『十日間の不思議』、『ガラスの村』と並ぶ、戦後のクイーンを代表する名作です。 | ||||
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前作の『十日間の不思議』で、自らの論理に裏切られた探偵エラリィの自己再生がメインテーマの作品。 かつて初刊行時からしばらくはアクロバティックな論理展開に乏しく従来のクイーンらしくないため、あまり評価されてませんでしたが、後年サイコスリラーの流行などを経て近年さらに再評価著しい作品です。 ゆえに、本格ミステリ的な仕掛け、いわゆるミッシング・リンクには、大きな意外性はありません(ただ深い意味はありますが) 作品は、生と死を前記のテーマに複合的に絡めて、未知の連続殺人による大都市市民の恐慌を迫力ある筆致で描いてます。 本作での探偵クイーンの懊悩は深く、当初は自ら事件に関わる事すら拒否します。 しかし、父であるクイーン警視の再三の要請と説得でようやく事件解決に乗り出し、やがて犯人を追い詰めたかに思えましたが…。 ライツヴィル物の諸作では、事件の渦中にあって、人間的な弱さを見せたクイーンは、前作に引き続き精神的なダメージを負います。 ただ、 最後のクイーンの悔告を聴いた老精神分析医の言葉に、僅かながら救いの光明を見せていて、余韻の深さはクイーン全作品中随一です。 『フォックス家の殺人』、『十日間の不思議』、『ガラスの村』と並ぶ、戦後のクイーンを代表する名作です。 | ||||
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◆〈サイコ・サスペンス〉もの 本作は、トマス・ハリス『羊たちの沈黙』の大ヒット以降、 広く一般に浸透した〈サイコ・サスペンス〉ものの先駆的作品。 犯人の動機について精神分析的なアプローチをしている点や、「意外な真犯人」の 案出など、フォロアー作品に与えた影響は、計り知れないものがあります。 ◆〈ミッシング・リンク〉テーマ 本作は、〈ミッシング・リンク〉テーマ(無関係に見える被害者間の繋がりを探る)の 作品でもあります。 そもそも、サイコ・サスペンスにおいて、精神異常者の特異な動機を描く上で、この テーマが選ばれるのは必然といっていいのですが、本作における「繋がり」は特に、 即物的な論理を超えた哲学性、といったものが濃厚です。 ◆ニューヨークという大都市の「生態」 本作では、ある意味ニューヨークで暮らす名も無き「群衆」が主役だといえます。 連続殺人鬼《猫》の跳梁により、怯え、惑い、狂奔する「群衆」。 彼らの制御不能なエネルギーの奔流は、結果的に、 《猫》による事件の、何倍もの被害を、彼らにもたらします。 個人を超えた集団の力学に対し、何の対処もできないエラリイ。 そこで描かれるのは、神のごとき〈名探偵〉ではなく、リアリズムの 前に立ちすくみ、苦悩する一人の無力な青年の姿なのです。 | ||||
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◆〈サイコ・サスペンス〉もの 本作は、トマス・ハリス『羊たちの沈黙』の大ヒット以降、 広く一般に浸透した〈サイコ・サスペンス〉ものの先駆的作品。 犯人の動機について精神分析的なアプローチをしている点や、「意外な真犯人」の 案出など、フォロアー作品に与えた影響は、計り知れないものがあります。 ◆〈ミッシング・リンク〉テーマ 本作は、〈ミッシング・リンク〉テーマ(無関係に見える被害者間の繋がりを探る)の 作品でもあります。 そもそも、サイコ・サスペンスにおいて、精神異常者の特異な動機を描く上で、この テーマが選ばれるのは必然といっていいのですが、本作における「繋がり」は特に、 即物的な論理を超えた哲学性、といったものが濃厚です。 ◆ニューヨークという大都市の「生態」 本作では、ある意味ニューヨークで暮らす名も無き「群衆」が主役だといえます。 連続殺人鬼《猫》の跳梁により、怯え、惑い、狂奔する「群衆」。 彼らの制御不能なエネルギーの奔流は、結果的に、 《猫》による事件の、何倍もの被害を、彼らにもたらします。 個人を超えた集団の力学に対し、何の対処もできないエラリイ。 そこで描かれるのは、神のごとき〈名探偵〉ではなく、リアリズムの 前に立ちすくみ、苦悩する一人の無力な青年の姿なのです。 | ||||
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今までのレビューの皆様と同様に、この作品はクイーンの傑作です。真の意味でパニックが起きる犯罪の怖さが読者を襲います。 ただ、ひとつ不明なのが、なぜ犯人はそんなに簡単に被害者達を連れ出し、または後をつけ、絞殺できたのか?この辺が私には不明瞭です。ということで星4つ。 | ||||
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1977年秋来日したフレデリック・ダネイは(共作者のマンフレッド・リーは1971年に没している)、インタビューに答えて作者自身のベスト・スリーに以下をあげている。1.『チャイナ・オレンジの秘密』2.『災厄の町』3.『途中の家』そして番外として本作『九尾の猫』をあげている。本作は1949年の作で、いわゆる国名シリーズやX・Y・Z・最後のドルリー・レーン・シリーズを書き上げた後であり、スタイルの呪縛から解かれ全く新しいエラリー・クイーンの冒険をその広範な知識のもと作り上げる時期だったと思える。プロットが実に現代的で他のレビューアーが書いている通り本作はクイーンの最高傑作だと僕も思う。他の『本格』作家に与えた影響も大きい。法月綸太郎氏などは『二の悲劇』の中で本作を『バイブル』と書いているくらいだ。国名シリーズやX・Y・Z・最後のドルリー・レーン・シリーズを読み上げてクイーンを理解したと思うなかれ、最高の果実はその先にあるのだ(●^o^●)。 | ||||
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クイーン(ダネイ)がベスト3に挙げた作品ですがと同時に日本で受けが悪いことを気にしていた作品病んでいるアメリカをサイコスリラー調に書き上げた無気味な作品ですが当時の日本では大量殺人ものは売れなかったんだと妙に納得してしまいます。今の日本の新本格物の方がよほど人が死にますしね | ||||
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クイーンの作品で傑作はと問われればこれか,あの本をあげます(最近のアマゾンレビューでは他書に触れるとそこだけカットされます。)。でも,クイーン最初の一冊となると無難な国名シリーズの最初あたりかYあたりの悲劇をお勧めします。この作品を一躍ヒットの作家が執筆していたなら有名になったのでしょうが,なにせ良品が多い作家なので損をしていると思います。昔の推理小説において,乱歩が褒めたとか,いつもベスト10入りしていたという評価は今日ではかえって失望の原因になると思います。ブランド名ではなく,推理小説の良品を求める人におすすめの一冊です。 | ||||
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