■スポンサードリンク
九尾の猫
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
九尾の猫の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.31pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全41件 1~20 1/3ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
数十年ぶりに読んだが、ハラハラドキドキ、とても面白い作品です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
面白くて数時間で読みました。 クイーンの小説って正直古臭さを感じることもあり、名作と言われる数タイトルも「いつの時代だよ…」と結構途中しんどさを覚えたものもあるのですが、こちらはあまり古さを感じずテンポも良く読み進めることができました。 それでいてラストにどんでん返しもあり! 私の場合読むと大体メルカリ行きですが、こちらはエンタメミステリーの傑作として手元に置いておこうと思った一冊でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ニューヨークと言う大都会で起きた、連続殺人事件。全く手掛かりのない事件に捜査の中心人物として任命されたエラリイが、挑むストーリー。一見何の関係もなさそうな被害者の共通項を探る推理は、クリスティー「ABC殺人事件」を想起した。 大都会で起こった連続殺人で、パニックに陥った人々が暴動を起こして、事件より多くの犠牲者が出る描写もあり、犯罪パニック小説のようにも読め、そのリアリティに戦慄。 謎解きミステリーとしては、容疑者が少なく、真犯人を割り出すのは比較的容易。だが、その人物の犯行動機を考えると、意外であった。クライマックスに向けて、畳み掛けるような真相究明の迫力は十分。同時に、事件の真相を暴けば良いのか、と言うエラリイの苦悩も伝わって来た。 名探偵の苦悩と再起を描く、文学的ミステリーの傑作と評価する。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
原題は、Cat of many tails。邦題のように、九と限定してしまうと、10番目、11番目はないというメッセージになり、ミステリーのタイトルとしては、それなりの慎重さは必要だったと思う。 途中出てくる人物の描写とサイコキラーとしての存在が全く重ならず、ページを戻り、読み返した。絹の紐以外は痕跡を残さず、目撃者に見られず、殺人を犯すのは簡単ではない。犯人がそれを九回もなしえたのは、サイコならではの、完璧な行動規範なのだろうか。そうすると、物語で描かれる人物とのギャップが気になるが、そこは、エラリー・クイーンでさえ、途中まで気づかなかったことを思えば、犯人の方が一枚上手だったと受け取るしかないのだろう。 古典ならではの、小ネタ拾いという楽しみ方もある。 ABC理論として、アガサ・クリスティのミステリーを紹介している(この小説の動機は違うという主張なのだろうか)。 また、ニューヨークには3つの空港がある。ニューアーク、ラガーディア、JFK。1949年に出版されていて、当時、JFKは大統領でもなんでもないわけ(下院議員)で、当たり前で、空港は別の名前で呼ばれています。そういうのを探しながら、読むのも楽しいですね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大昔に読んだ記憶があるのですが、全く覚えておらず。全編古き良き時代的テーストで懐かしく読めました。若干冗長な気がする部分もありますが、ひょっとしてあの人が?みたいな感じで読めました。ミステリーの雰囲気も本当に随分変わりましたよね。。。犯罪は刺激的なはずなのですが、どちらかというと大正ロマン風な映画チックです。試し読みでぴたりとくるかの確認をお勧めします。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
エラリイ・クイーンは、今回は5人も犠牲者が出た時点で、父親の警視から事件の情報を詳しく聞かされます。被害者の年齢や職業、性別に共通点は全く見出されません。ニューヨーク市長じきじきの要請に重い腰をあげて捜査に協力することになります。そんなときたまたま、被害者のきょうだい二人が事件解決に協力を申し出てきました。エラリイは父親の反対を押し切るかたちで二人を部下にします。7番目の犠牲者に近い親族の精神科医も精神病患者のリストの洗い出しをしてくれますが、何も進展しないままに終わりました。9番目の犠牲者の生年月日を役所で調べていたところ、真犯人につながる重要な手がかりが見つかります。ここから一気に面白くなり、ページをめくる手が止まりません。犯人を逮捕した後すんなり終わらずにかなり引っ張るなと思ったら、また衝撃の展開が!真犯人は別にいた!でも真犯人にあの首を絞める殺人を誰にも見つからずに果たして9回も行う事が可能だったでしょうか?犠牲者のうち二人は中年男性だったのに?敗北感に打ちのめされるエラリイに慰めの言葉をかける精神科医がまるで神の代理人のようでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
物語の中盤で事件の真相がわかり、その後は犯人を泳がせて、次のターゲットを狙うのを待ち構えるという捜査をするシーンがかなり続く。なんとなく冗長でまどろっこしく、そんな事より犯人のアリバイを調べていけば良いのではと思ったが。ラストでその理由がわかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
正直、中盤あたりで犯人の見当つきました。ミスディレクションとして、この人物が逮捕されるだろうな、というのも想定できる。それをどう裏切られるのかと読み続けたら結果はストレートにそのままでした。それでも全体としては面白かったです。未婚女性ばかり取り上げられた理由、 周囲の人間関係などいろいろ含めて。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
1977年秋来日したフレデリック・ダネイは(共作者のマンフレッド・リーは1971年に没している)、インタビューに答えて作者自身のベスト・スリーに以下をあげています。 1.『チャイナ・オレンジの秘密』 2.『災厄の町』 3.『途中の家』 そして番外として本作『九尾の猫』 本作は1949年の作で、いわゆる国名シリーズやX・Y・Z・最後のドルリー・レーン・シリーズを書き上げた後であり、スタイルの呪縛から解かれ全く新しいエラリー・クイーンの冒険をその広範な知識のもと作り上げる時期だったと思えます。プロットが実に現代的でが書いている通り本作は多くのヒトがクイーンの最高傑作ています。 他の『本格』作家に与えた影響も大きいです。法月綸太郎氏などは『二の悲劇』の中で本作を『バイブル』と書いているくらいです。 国名シリーズやX・Y・Z・最後のドルリー・レーン・シリーズを読み上げてクイーンを理解したと思うなかれ、最高の果実はその先にあるのです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
I like. | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
いろんな意味でクイーンの意欲作だと思う。連続殺人事件の規則性を追究する姿勢はあくまで本格ミステリなのだが、真相はその世界の“お約束”を超えて、もっと自由だ。また、本作がクリスティーの『ABC殺人事件』への一種の挑戦であり、クイーン流のアンサーであることは論をまたないだろう。 訳者のあとがきによると、クイーンは本作を自作のベストのひとつに挙げ、「これはどうも日本人好みじゃないらしい」と首をかしげたという。訳者はそれは早合点だとフォローしているが、でも客観的に見れば大方の日本人が本格ミステリに求める“味わい”としては、やっぱり『ABC殺人事件』のような作品になると思う。 そんな好みの問題はさておき、本作が傑作であることは間違いない。ハヤカワ・ミステリ文庫のロングセラーになっていることからも、じわじわと人気を保ち続けていることがわかる。僕が読んだのは旧訳だが、2015年には新訳も出ていて、少しだけ立ち読みした印象だと、文字も大きいし文章も新訳の方が読みやすいようだ。 僕は今、若いころ「小難しそう」と買ったまま放置していたクイーン作品をあらためて読んでいる。本書もそのうちの1冊である。同じくあまり読んでいなかったほかの作家の作品も読んでいるのだが、その中でも圧倒的にクイーンが面白いと感じている。ある程度、年を取ってこそクイーンの“読み応え”はわかるのかもしれない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
十日間の不思議の後、事件からすっぱり手を切ったエラリイだが、またもや事件解決に加わっていく。 展開はゆっくりで、なかなか進展せずに読んでいて苦痛に感じるところもあるが、その勿体つけた分、後半に急な展開となり、読者は引き込まれてしまう。 エラリイは真相を解明するが、またもや無力感を味わうことになる。 最後に、エラリイに対して「きみは以前も失敗していて 、これからもまた失敗するだろう 。それが人間の本性であり 、役割でもある」と言われてしまう。それが、エラリイの与えられた運命なのだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
作者の代名詞である理詰めのロジックで勝負する物語ではなく、事件の背景にある関係者の心理分析に力点が置かれており、真相の意外性もあるし、物語としての深みを感じさせる作品であった。 (以下、物語のあらすじに触れています。) <猫>と名付けられた犯人による連続殺人事件が5件続き、エラリイに出馬が要請され、捜査に当たるものの、さらに4件の殺人が続き、なすすべもなく、焦燥に駆られるエラリイ。一見、無差別連続殺人と思われた事件だが、エラリイの分析によって、その特徴が次第に明らかにされていき、物語の約半分ぐらいのところで、被害者間の意外なつながりがわかり、重要な容疑者が浮かび上がる。 無関係と思われた被害者がつながる条件や、女の被害者がすべて未婚だった理由はなかなか面白い。残りのページ数から判断して、このままで終わるわけがないと思い、根拠はなかったが、容疑者以外の別の犯人を想定してみた(結局はずれで、犯人は別の人物であったが)。 エラリイは、容疑者逮捕後も真相を見誤っており、ある事実を知ることで自分が間違っていたことに気づく。前提が崩れたことで、容疑者の取った行動や容疑者の過去の出来事を再検討し、心理分析を行うことで新たな動機を発見し、その動機と、犯行の実施可能性から真犯人を特定する。 精神病医との対話の中で語られる犯行の動機、その背景にある関係者の心理分析は読み応えのある内容であった。 また、エラリイが自分の探偵としての無力感に捉われるラストの場面も印象的であった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
新訳は初めてだが、『九尾の猫』は3度目になる。犯人なども知っていたし、だいたいの部分を覚えていた。それもあって、かなり変わった読みかたをした。冒頭から3分の1辺りまで読み、末尾を読み、戻って続きを読み、途中で解説を読み、また戻って続きを読み、末尾や解説を再び読むとといった感じだ。それでも最後まで楽しかった。 面白かったポイントは二つ。 一つは、連続殺人事件が起き、指紋も動機もないなか、エラリーがどのような形で、犯人に至るとっかりかりを見つけるのか。既読でも、やはり面白い。 もう一つは、暴動のシーンに象徴される当時のニューヨークの雰囲気。少し前に『ニューヨーク1954』を読んでいるのだが、かなり違う。発表時期こそ大幅に違うが、舞台となったニューヨークには5年ぐらいの差があるだけ。本作では多少だが戦前の残り香があるものの、戦争が終了し、新しい時代への何とも言えぬ期待がある。だからこそ、パニックとその被害にはインパクトがある。このパニックの死者数と連続殺人事件の死者数を比較した時、チャップリンの著名な台詞が思い出された。 「解説」にある、2012年に刊行されているマンフレッド・リーとフレデリック・ダネイの往復書簡集『Blood Relations』の邦訳を読んでみたい。どこか訳して、出版してくれないだろうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「エラリークイーン全作品解説」本にあるように、本書は読むべき順序がある。「十日間」とは正反対に登場人物が、ページを進むごとに増えて、こと名前に関しては途中からカバーページとにらめっこ状態となった。 内容に関しては、犯人らしき人物がかなり早く特定されてしまい、「傑作とかいうわりにあんまりおもしろくないなあ」というのが正直な感想だったが、そこから再び事件が様相を変え始めて、最後には「やっぱりおもしろかった」という終わり方をする。「十日間」同様に一種の異常性格者がでてくるのだが、物語のうまさで不自然さを軽くすることができているように思った。 そんなわけでもうしばらくクイーン再発見を続けようかと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ミュージカル・キャッツが封切されたニューヨークという風景もあるマンハッタン!という設定自体が戦後っぽいので、なかなか面白い。「なんで猫やねん?」っていうご感想も出てくるかもしれないけど、そこはそれ、前半のだらだらした展開を我慢して読み進めれば、後半一挙にスピードアップ。で、お決まりの大どんでん返し! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
1949年発表の本作品は、クイーン中期の傑作とも呼ばれる作品でありながら、若い頃からクイーンの作品を読んできたにも関わらず、オジサン化する現在まで未読であったものです。 物語の舞台は、ニューヨーク・マンハッタン。 ここに、通称<猫>と呼ばれる絞殺魔が出没し、市民を恐怖に陥れる。 現場に残されたものは、首に巻き付けられたシルクの紐だけで、証拠は一切なく、もちろん目撃者もいない。 そんな中、<猫>は次々と殺人を犯していく。 前作、「十日間の不思議」で心に傷を負ったエラリー・クイーンは、周りからの強い勧めで捜査に乗り出すが…といったお話。 驚いたのは、クイーンと言えば、「本格ミステリ」の巨匠であるのに、本作品はどちらかいうと、サスペンス、中でもサイコ・キラーものであることでした。 現在、「ボーン・コレクター」を始めとした「リンカーン・ライム」シリーズを執筆しているジェフリー・ディーヴァーの作風に近いものがあり、彼の作品群の源流は、本作品にあるのではないか、と感じてしまったものです。 通常、本格ミステリでは、複数の容疑者が提示され、名探偵がその容疑者の中から犯人を指摘するのですが、この作品では、被害者は、性別も職業も年齢もバラバラで全く接点がなく、どうやってエラリーが犯人を絞り込むのかという、これまでにない展開が、新鮮で大変に面白かったです。 結局のところ、犯行に隠された、「ある法則」を探っていくことで、推理を進めるのですが、この法則の奇抜さ・意外さが、この作品の肝で、後半にそれが明らかになった時、本作品が傑作と呼ばれる理由がよく分かりました。 また、その法則を知ることで、犯人の真の動機が分からなくなっていく――つまり、新たな謎が発生するところは、さすがミステリの巨匠だけのことはあります。 今回は、うれしいことに、角川文庫で国名シリーズの新訳を手がけた訳者が、本作品の新訳も手がけています。 巻末解説を読むと、最近のエラリー・クイーン研究の成果も踏まえての訳出になっているとのことなので、クイーンの初期作品を読んでしまった方には、中期の優れた作品として大いにオススメしたいと思っています。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作品では、猫とは、姿なき殺人者のこと。N.Y.の街の暗闇から現れ、被害者の首をシルクの紐で絞め殺し、まったく痕跡を残さず立ち去る。 九尾というのは、被害者の数。すごいね。9人だよ。野球チームができちゃうよ。 エラリイは、5人目が殺された後、事件解決の手助けをしてほしいと、正式に依頼される。 そのあと4人も殺されるので、「役立たず」と陰で罵られるが、本当に被害者には、見事に共通する部分がないのだ。 殺人鬼は、どのように被害者となる人間を選別しているのか? 行き当たりばったりな犯罪ではない。手際が良すぎる。何かがあるはず。この9人の共通項が。 偶然だが、その共通点らしきものが発見される。 そうか、そういう事か。だから、被害者の年齢が、だんだん若くなっていくんだ。だから、被害男性に既婚者はいるが、被害女性は独身ばかりなんだ。 最後のどんでん返しは無駄だと思う。作者としては、読者サービスのつもりかもしれないが、もともと大した物証はない。何とでもいえる。だから、スッキリ完結した方が、読後感がいい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
物語は、すでに、連続絞殺事件が五件起こったところから始まります。犯人は通称〈猫〉と呼ばれ、ニューヨークに住む人たちを恐怖の渦に叩き込みます。ニューヨーク市警とエラリイ・クイーンが犯人を追っている間にも、一件、また一件と絞殺殺人は起こります。一見ランダムに襲われている被害者たちですが、エラリイは、幾つかの法則性を発見していき、〈猫〉と呼ばれる犯人に辿りつくが。 と、いった内容です。越前俊弥氏による新訳がとても読みやすかったです。しかし、エラリイ・クイーン特有のペダンチックな文章ともってまわった台詞が、小説全体を、ほんの少しだけ読みにくくしているような気がします。だから、★四つにしました。それでも、『エジプト十字架の謎』と比べると、衒学的なところが大分抑えられていると思います。 あと、面白いと思ったところは、この小説は1949年発表なので、サイコキラーによる連続殺人事件が小説の中でも現実の世界でもほとんど起こっていないため、小説の中のニューヨーク市民はかなり事件に対して怯えます。なので、ニューヨーク市民は同時多発的にいくつもの自警団を組織するのですが、ニューヨーク市長やニューヨーク市警はそのことに難色を示します。ニューヨーク市長は、「世界一の大都市の警察権を民間人が法の権威を無視して奪ってよいはずがない」(p208)や、「それ(自警行為)が民主主義的な制度を脅かし、当初は高い志に基づいていたものが私刑となって、結局は最低の者たちの最悪の激情を満足させることになりかねない」(p215)と言っています。最終的にこの自警団は、集会のときに、誰か女性の「猫! 猫よ!」という声で集団ヒステリーを起こし暴動にまで発展して、死者を39人も出してしまい、解散します。 人によっては、市民による自警団の組織は、自立した市民やプロ市民といった言葉で賞賛すると思いますが、どうやら、エラリイ・クイーンは、市民による自発的な集団行動のネガティブな面を冷静に見つめていたようです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
原題 Cat of Many Tails (原著1949年刊) 何度読み返しても感動する。中期クイーンを代表する長編であり、現代的なリッパー物の先駆的名作の新訳版。 前作『十日間の不思議』(1948年)で手厳しい挫折を味わったエラリイ・クイーンが再起を賭け挑む、ニューヨークを震撼させる無差別連続殺人。猫と呼ばれる犯人に翻弄され焦燥するエラリイの姿は初期作品に見られるような超然たる論理の執行者ではなく、失敗し苦悩する一人の誠実な青年として描かれる。その煩悶する様が、恐怖と猜疑に苛まれマスヒステリーとパニックに陥るニューヨーク市民の迫真の描写(特に物語の中盤、流言により引き起こされる暴動のシーンは戦慄的)と相まって小説としての見事な奥行きの深さを見せている。 主要登場人物が限られている事もあり、フーダニットとしての興趣には若干乏しいが、意外な犯行動機の解明など終盤の畳み掛ける展開は迫力に満ち、そのダイナミズムはクイーン作品中屈指。そして結末において或る登場人物がエラリイに問い掛ける会話に生と死、罪と罰をめぐる本書の主題が集約されている。(今回の版では大庭忠男訳に比べ、台詞の中の言葉が持つダブル・ミーニングがより活かされた訳文となっている) 飯城勇三氏の解説にもあるように重要な繋がりを持つ『十日間の不思議』を未読でも本書の価値は充分堪能出来るが、可能ならば先んじて前作を読まれる事をお勧めする。名探偵の挫折と再生という感動的なドラマがより豊かに味わえるだろう。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!