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災厄の町
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災厄の町の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.96pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 21~27 2/2ページ
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「配達されない三通の手紙」というタイトルで映画化もされた本作は、著者のライツヴィルもののベストである。ただし、後味が良いかどうかという点では、議論があるだろう。 本作がミステリ文庫で復刊されたときは大学生時代であり、高校から大学にかけて創元、ポケミスと文庫で復刊されたクイーン作品の手に入る者は全て読んだ。やはりロジックにウエイトが置かれている国名シリーズ、そして「中途の家」からライツヴィルもののあたりが、最も面白かった。 本作の設定は、一つの町をクローズド・サークルとした閉鎖系ミステリであり、ある意味では横溝作品と共通するところがある。狭い町の人々の間の様々にからむ関係や家系などなどの描写は、登場人物の名前が日本語だったら横溝といわれても不思議ではない。 本作のクイーンのロジックは、まさにこれこそミステリと言える、僅かな手掛かりから真実を明らかにするものであり、その点では実に爽快である。ただし、その推理の結果もまた横溝ミステリに相通じるものであり、日本での映画化もまさしく、という感じなのである。 | ||||
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論理が絶対の正義であり、それが人々の幸福にも直結する《国名》シリーズは、 いわば、ミステリのためだけにつくられた、テーマパーク的なゲーム空間でした。 そこでの人間は、性別、体格、特定の知識の有無といった〈属性〉に還元される コマにすぎず、物質的な手がかりと結びつくかどうかだけがが問題とされます。 しかし、本作から始まる《ライツヴィル》ものにおいては、〈属性〉に還元できない、 矛盾や弱さを抱えたごく普通の人間が登場し、探偵が導き出す真実も、即、人々 の幸福に繋がるものではなくなっています。 そこの一員となったエラリイは、事件の関係者を生身の人間として眺めるようになり、 彼らへの同情や配慮のため、推理機械に徹することができなくなってしまうのです。 つまり、《ライツヴィル》ものにおいてエラリイが対峙しているのは、町という共同体が つくりだす無定形の悪意であり、それによって狂わされた人の心だといえるでしょう。 さて、本作をプロットから見た場合、『Yの悲劇』との類似性が指摘されています。 両方とも、《操り》を基本構造としているのですが、本作では、 操る者と操られる者に、一種の逆転・ねじれが生じています。 そのメカニズムも、複雑で矛盾した人間心理が、もたらしたものといえます。 | ||||
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クィーンは悲劇4部作、国名シリーズの代表作を書いた後、スランプに悩んでいた。あの華麗な論理展開を見せる作品を産み出せないでいたのだ。そして、イギリスのセント・メアリ・ミード村と並んで世界で最も犯罪発生率の高いライツビィルを舞台に「フォックス家殺人事件」を発表し、"クィーンの再生"と期待された。この作品は、深い人間観察に基づいた地道な作風で、探偵クィーンも天才探偵から人間味溢れる探偵へと変貌した。 本作はライツビィル物の第2段で、作風は前作を踏襲したものである。題名の「災厄の町(=Calamity City)」は無論「Calamity Jane」の"もじり"なのだが、この題名くらいしか作者の稚気が感じられない所が寂しい。作中の随所に稚気が溢れているのがクィーンの特徴だったのに...。日本でも「配達されない三通の手紙」というヤケに説明口調の題で映画化された。 本作も旧家の人間模様の中で事件が起こり、(ほとんど自然に)謎が解けていくのだが、良く言えば足が地に着いている、悪く言えばケレン味に欠けた刺激のない作品と言える。本作が(2作目にして)ライツビィル物の悼尾を飾ると言っても過言ではないかもしれない。 | ||||
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架空の町ライツヴィルを舞台にしたシリーズの第1作です。クイーンが映画脚本の仕事などの為に小説執筆のペースを落としていた時期を経て、再び積極的に創作に向かうようになった時期の作品です。野村芳太郎監督の『配達されない三通の手紙』(こっちのタイトルの方が内容にあってるなあ)の原作としても知られています。 本作でクイーンは、従来の論理一辺倒の描き方を離れ、事件の背景にある人間模様の悲哀を前面に押し出した作風に転換しました。作品に漂う叙情性を際立たせる為か、事件の謎そのものは極めてシンプルに作られています。ある一点に気づけば犯人である得る人はひとりしかいないというプロットは、ある種の残酷さを秘めており、エラリイがその真相を公にするのをためらった気持ちもよくわかります。 | ||||
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XYZや国名シリーズにみられるような論理一辺倒な書き方でなく、推理としてはもちろん物語として楽しめるクィーンの傑作。クィーンのなかではいまでもこれが一番好きです。 | ||||
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1942年発表。いわゆる『ライツヴィルもの』の第一作。架空の町ライツヴィルでの事件は5長編あり、『フォックス家の殺人(1945)』→『十日間の不思議(1948)』→『ダブル・ダブル(1950)』→『帝王死す(1955)』→『最後の女(1970)』と続く。冒頭にはライツヴィル上町広場を中心とした町並みの地図まであって早川書房編集部のこだわりが感じられる(●^o^●)。プロットの組み立て方もだが、クイーンは『Zの悲劇』あたりから非常に女性を描くのが上手くなっている気がする。本作はそれが特に顕著で中心となる3姉妹の描写が実に上手い。1977年秋来日したフレデリック・ダネイは(共作者のマンフレッド・リーは1971年に没している)、インタビューに答えて作者自身のベスト・スリーに以下をあげているが、1.『チャイナ・オレンジの秘密』2.『災厄の町』3.『途中の家』そして番外として『九尾の猫』をあげている。本作は作者自身が第二位にランクインさせるくらいの自信作で、いわゆる国名シリーズやX・Y・Z・最後のドルリー・レーン・シリーズを書き上げた後であり、スタイルの呪縛から解かれ全く新しいエラリー・クイーンの冒険をその広範な知識のもと作り上げる試みが行われている。プロットもだが中間部から展開する法廷での白熱したやりとりのシーンや登場人物の恋愛感情も見事に取り込む手法に、この年代の作品とは思えないくらいの『現代性』が感じられる。国名シリーズやX・Y・Z・最後のドルリー・レーン・シリーズを読み上げてクイーンを理解したと思うなかれ、最高の果実はその先にあるのだ(●^o^●)。 | ||||
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クイーンの転機になった作品です。この作品以降謎を快刀乱麻のように解き明かす超人探偵クイーンは姿を消し失敗もすれば謎を解くことに疑問を感じはじめる人間クイーンが誕生します。ニューイングランドの鄙びた雰囲気もよくでているわびの世界に通ずる作品といえるでしょう | ||||
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