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災厄の町
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災厄の町の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.96pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 1~20 1/2ページ
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なかなか殺人事件が起こらず、ジリジリした展開。そして事件が起きるや、その犯人は自明に見え、それを救うため、エラリーが奮闘するストーリーで、複雑で錯綜したミステリーが得意なクイーンとしては。驚くほどわかり易い内容だった。謎解き部分は、ラストだけだが、悲劇的結末を後付けで説明する感じであり、決して謎が解けてスッキリとはしない。つまり一般的な本格ミステリーとは、一線を画しており、議論の余地あるミステリー小説だと思う。 が、にも関わらず、読み応えは抜群で、クイーンの最高傑作と評価されている。その秘密を、私は血の通ったキャラの、人間ドラマが描けている事だと思う。まず作者と同名の名探偵は、たまたまこの町を訪れた作家と言う設定で、恋人がいる三女といい仲になって、仇役になる恋人と、私生活でも対立してしまう。この名探偵、道徳的には賛否あろうが、非常に人間的であるのは、間違いない。この三女が又、情熱的だが無鉄砲な行動派で、次女の夫が死刑判決を受けるのを遅らせるべく。カラダを張って行動し、「パットったら、おばかさんね。でも。大好きよ」と次女に言わしめている。とても印象的な名セリフであった。 そして何と言っても、毒殺され掛かった次女と、嫌疑を掛けられているのに、無気力で沈黙を守り、死刑判決を待つばかりに見える夫の、キャラ描写が秀逸。毒殺され掛かったのに、夫の無罪を信じる妻と、あえて沈黙を貫く夫。真相が明かされた後、私はこの夫婦愛に胸を打たれた。 容赦ない悲劇的な結末の後、一片の希望が残されたのは、作者の優しさか。読後に余韻の残る、素晴らしいラストであった。作者の最高傑作と言う世評に、異論なし! | ||||
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「国名シリーズ」のときと、クイーンのキャラが大幅に変わっている。良く言えば、人間味が出てきたというか。悪く言えば、感情に流されてポンコツになったというか。 推理というよりは文脈から真犯人はだいたい予想ができる。 ほとんどの読者はおそらく、事件よりも「微妙なバランスを保つ三角関係」の行く末が気になると思う。 | ||||
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時代背景はかなり前のものなのでそういう設定なのだと思い読んでいましたが、本当にそうなのだと知り驚きました。翻訳手法もあるのかもしれませんが斬新で古臭さを感じることなく読みやすいと思います。 | ||||
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新訳のシャーロックホームズが面白かったので、後ろの広告に載っていたこの本を購入してみました。 最後の方はともかく、前半はダラダラと抑揚がないのに加え訳が理解しにくいです。2、3回読み返してやっと意味がわかるような部分がけっこうあります。何度も途中で読むの止めようと思いましたが千円以上も出した本なので眠気と格闘しながら読み切りました。 高レビューを書いてる方は、よほど読解力が高いかと思われます。 私レベルの読解力の人間は、国内ミステリー読んだ方がいいと思いました。 | ||||
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エラリイ・クイーンの有名な作品ですが、今まで読んだことがありませんでした。新訳が出たのをきっかけに購入してみました。架空の町ライツヴィルにはじめてエラリイ・クイーンがやってくるところから始まります。たまたまライツヴィル一番の名家の隣の理由あり空き家に住むことになります。この名家のライト家は善人揃いでエラリイは三女のパトリシアといい雰囲気になり、パトリシアの彼氏からあからさまな敵意をむけられます。飄々として笑顔で優しいエラリイのキャラクターのせいもあり、作品の雰囲気は明るく、町の個性的な人たちの描写にもユーモアが感じられます。そんな中コップの水が口からあふれるように起こった殺人未遂&殺人事件。犯人は簡単に見当がつきます。タビサ叔母さんとか長女のローラとかは存在価値がないに等しい。小道具の手紙の文章のトリックはすぐに気が付きましたが、偽手紙と思ったら本物でした。あんな手紙を焼かずに取っておいたのが悪い。男女の複雑に絡んだ愛憎が事件の動機です。後味はよくないが忘れ形見が残されてライト一家は前向きに進んで行くことができます。 | ||||
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学生時代に一度読み、内容をまったく忘れてしまったため、再読した。 読んでいるうちに、学生の頃、この作品を借りた図書館を思い出し、 古き良き時代を懐かしみながら、読み終わった。 昔読んだときと訳者が違うせいか、読みやすかった。 犯人も読んでいるうちに思い出し、意外性はなかったが、楽しめた。 古典的な本格もので、凝ったトリックもない。 日本の新本格派などを楽しんでいるひとには、ものたりないかもしれない。 エラリークイーンも、クリスティの影響を受けてるんだなという事がよくわかる作品。 描かれている時代が、第二次大戦前だということに今回読んで初めて気づいた。 戦争が近づく影のようなものがまったく出てこないのが、アメリカの広さなのか、大きさなのか、 日本人とは違う精神性を感じた。 | ||||
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面白かったです。本書の作成された時代の結婚観や家族観の話なので、読んでいて、ずれる感じがすのは仕方ないですね。 | ||||
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読み始めたら止められず、一気に読み切るくらい没入できました。確かに良い作品です。主要な登場人物や舞台となるライツヴィルの雰囲気が生き生きと描かれているおかげだと思います。ただ、クイーンの最高傑作であるかというと、私は少し疑問。作者自身としても自信作であり、コアな読者層にも評価の高い作品であることは承知していますので、期待が高すぎたかもしれませんが、正直なところ、ミステリーとしての構築には「甘さ」を感じなくもないのです。いくつかの読者に対する「罠」はさほどうまく隠せてはおらず、偶然に左右されている面も大きいというか。 翻訳は大変良いと思いますが、誤訳がどうのとか、翻訳の質で印象が変わるのももったいないので、クイーンの主要作品はオリジナルの英語で読み直してみようか、と思いました。 | ||||
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仕掛けすぎ、テクニカルすぎ、という国名シリーズから進化し、EQ色を持ったまま文学作品になってます。 | ||||
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40年振りに読みました。素晴らしかったの一言です。併せて日本映画のDVDも鑑賞しましたが期待外れでした。エラリーのライツヴィル物を期待して再読します。 | ||||
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国名シリーズのエラリーを期待して読むと、裏切られるので要注意!! あの、初々しいエラリーはどこに行ってしまったんだろう。この『災厄の町』に登場するエラリーは、ちゃらっちゃらのチャラ男です。婚約直前の恋人がいる女の子に、ちょっかいを出しまくります。 推理小説としては、本当に単純で分かりやすい。ほとんどの人が、犯人を分かったんじゃないかな? この作品の読みどころは、推理部分じゃなく、事件の背景にある。 日本でもアメリカでも、こういった閉鎖的な田舎町の人間関係って、難しいだろう。特に、名家とか旧家とか言われる家ほど、そう。田舎町ならではの見栄の持ち主、噂の種になるなんて耐えられない。 そういった人たちにとって、この地元そのものが『災厄の町』なんだ。 | ||||
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本書は、2014年の新訳で、37年ぶりの新訳だそうです。訳は読みやかったですが、本書は、なかなか殺人が起きず退屈な小説だと思いました。舞台はアメリカの架空の田舎町ライツヴィルとその町に暮らす名士の家ですが、p178になってようやく殺人が起こります。物語全体の三分の一以上がすぎてようやく起こります。それまで、ライツヴィルとライト家のことなどがダラダラと書かれています。飯城氏の解説によると、殺人がなかなか起きず、重い人間ドラマが描かれているのは、国名シリーズとは違い「人間を描くミステリ」に、作者が挑戦したからだそうです。 一方でエアラリイ・クイーンではなく、アガサ・クリスティの小説に目を向けると、アガサも田舎のアッパーミドル階級で起きた殺人事件を書いています。準男爵の館で殺人事件が起こり、そこにバカンスを楽しむために来た、館の主人の親戚や友達が、一斉に容疑者になります。そこに、なんとも特徴的な容姿をしたポアロが登場します。容疑者たちもポアロ同様、それぞれの特徴がデフォルメ化され描かれていますが、探偵ポアロの目を通して見ると、普段は見せない裏の顔が見えてきます。さらに、ごくありきたりな容疑者たちの人間関係が実は複雑に入り組み、利害関係や愛憎に縛られたものだとわかってくるのです。一読してポップに描かれているようですが、ポアロもアガサもなかなかの観察眼の持ち主ではないでしょうか? 個人的に私は、エラリイ・クイーンよりアガサの小説のほうが「人間が描けている」と思ってしまいます。そう思ってしまうのは、エラリイ・クイーンの、気取った遠回しな表現が鼻につくということもあるかもしれません。。。ただし、エラリイ・クイーンはニューヨークなどの都会やそこに住む労働者や成り上がり者たちを描くと、かなりの冴えを見せると思います。わたしは、同じハヤカワ文庫から出た、新訳の『九尾の猫』(1949)を先に読んだのですが、こちらのほうが、ニューヨークで、連続殺人事件が立て続けに起き、あらゆる階層の、事件に怯えたニューヨーカーが、リアルに描けていると思います。 ここまで辛口なことしか書けませんでしたが、裁判のシーンなどは緊迫した雰囲気があって面白かったです。 『災厄の町』(1942)は、ライツヴィルという名前の架空の町で起きた事件を扱っていますが、私が気になったのは、事件が起きても容疑者としてなかなか逮捕されないある人物に向かって、町の住人達が<私刑>と称して、石を投げたり暴行を加えたりします。フォークナーの『サンクチュアリ』(1931)にもそのようなシーンが出てきます。『サンクチュアリ』のほうが強烈です。フォークナーの小説もアメリカ南部の架空の町が舞台になっていますが、多少なりとも影響されているのでしょうか? このような田舎の閉塞的な人間関係と集団心理を皮肉とユーモアを交えて描かれているのが、シャーリー・ジャクスンの『くじ』ではないでしょうか。 | ||||
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本作品については既読で、旧版のハヤカワ・ミステリ文庫が自宅の本棚に鎮座しています。 ところが、数十年を経過し、内容は忘却の彼方に。 近年、角川文庫から、分かりやすく、作中の伏線の訳出も的確な国名シリーズの新訳版が続々と出版されました。 本書はそれらと同じ、訳者、解説者による新版ということで、手に取ってみた次第。 本作品は、エラリイ・クイーンの片割れ、フレデリック・ダネイが自ら絶賛していただけあって、期待を裏切らない出来映えと自信を持ってオススメします。 確かに、ロジック重視の国名シリーズに比べると、「本格もの」としての装いは薄まっています。 また、殺人事件自体も地味だし、派手な捜査もありません。 その代わり、「災厄の町」である架空の地方都市、ライツヴィルを舞台に、事件に関わった名家、ライト家を中心に人間模様がじっくりと描かれていきます。 また、事件発生に戸惑うライツヴィルの人々の混乱ぶりも、新しい趣向です。 そして、意外な真相も、この「人間関係」から生じるもので、国名シリーズとは異なる、ある種、おとな向けのビターな味わいが特徴です。 エラリイ・クイーンの推理法も、論理もさることながら、「人間観察」を視点に据えて展開し、「悩める探偵」への成長が感じ取れました。 なお、「訳者あとがき」では、既読者向けに、旧版からの重要な変更が解説されています。 また、巻末解説では、過去の訳本の間違い部分を指摘しています。 このように、本書は、ミステリとしていかに正確に訳し、著者エラリイ・クイーンの緻密な仕掛けが損なわれないか、配慮されているのです。 この最高の翻訳によるミステリの傑作を、是非ともお楽しみ下さい。 | ||||
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エラリイ・クイーンものとしては、「X」「Y」に次いでこの「災厄の町」が好きです。 今回新訳版での再読です。 国名シリーズほどの論理のキレは無いかもしれませんが、町やそこに住む人々を丁寧に描くことで、悲劇を浮かび上がらせていると思います。 ミステリーを読み慣れている人なら、犯人は途中で推察できるかもしれませんが、探偵エラリイがある一つの手がかりから、それまで信じられていた事件の見え方を180度異なる方向に変えていくシーンには大変興奮しました。 今回の新訳は大変読みやすくなっています。 旧訳から重要な変更をしていますので、旧訳で既読の方にもお勧めいたします。 | ||||
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国名シリーズの純粋なロジックゲームという雰囲気から、この作品では、ロジックよりも登場人物がしっかりと描かれていました。 別の言い方をすれば、主人公が神様エラリイから、人間エラリイになっており親近感があります。 どちらがいいのかは、好みに分かれますが、比較するより、別の趣きを感じられる作品として考えるとよいです。 | ||||
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ストーリーは面白いのに 訳文がところどころあまりにもダメ過ぎで本当にびっくりしました。 有名な翻訳家さんで評判もいいんですよねぇぇ、、? 本当にところどころ、特に会話文の訳が本当に本当に下手過ぎます。 | ||||
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原題 Calamity Town (原著1942年刊) 国名シリーズで純粋論理としてのミステリを極めたクイーンの新境地。架空の町ライツヴィルを舞台とした年代記最初の作品であり、町を代表する旧家ライト家で起きる殺人と、それが田舎町の人間模様にもたらす波紋を克明に描く。 古き良きアメリカを思わせる小都市ライツヴィルの住民たちが殺人と醜聞によって猜疑心に苛まれて行く様は、まるでアメリカという国が抱く光と影を象徴するかのようであり、マッカーシズムへの抗議を込めた迫力満点の傑作『ガラスの村』(1954年)に顕著な社会性の萌芽が既に見られる。 まさにクイーンが自負したように見事な完成度の小説であり、当時従来の版元が出版を拒否したという逸話は逆説的に本書の斬新さを示すものだろう。さらに些細な手がかりから導き出される華麗な論理展開の興趣と悲劇的な物語がもたらす感動が相まって、代表作と呼ぶに相応しい達成を見せている。 なお青田勝による旧訳は一部短縮処理された版に拠っているという問題点があり、加えて今回の訳では人称に関する重大な翻訳上の変更が行われている。その為この新訳版は非常に意義深いものとなっている。(人称を変更した理由は訳者あとがきに詳しいが、物語の根本に抵触する怖れがある為、必ず読了後に目を通されたい) | ||||
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3週間以上前に『帝王死す (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-13)』を読み、数日前には『フォックス家の殺人 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-32)』を読み終えた。さらに、本書を読んだ。ただ、この順番になったのは、偶然にしかすぎない。なお、本書は35年ぐらい前に読んだ記憶があり、結末などは覚えていた。 本書は、1942年に発表されたライツヴィルものの第一作。 ライツヴィル創始者のジェズリール・ライトの子孫で銀行家でもあるジョン・F・ライト。ジョンには美しい三人の娘がいたが、長女ローラは出戻りで、次女ノーラも結婚式の直前に婚約者ジムに逃げられてしまう。しかし、三年ぶりにジムが突然戻り、元の鞘に収まった二人は結婚する。新婚旅行から帰った二人は一緒に暮らし始めるが… ライト家で殺人事件が起き、たまたまライツヴィルに逗留していたエラリーが、謎解きに挑むことになる。ただ、国名シリーズなどで見せた論理的推理の冴えはない。しかし、三女パット(パトリシア)を巡る恋のさや当てなどを見ていると、ある意味、人間臭い部分が描かれていて、面白い。また、探偵としての事件への関わり方も、変化してきていて、作風の大きな転換が感じられる。 初めに書いたような順番で読み、気付いたことがある。 一つめは、ライツヴィルものの長編を最終的には6作も書くクイーンだが、当初は、それほど綿密な目論見があったわけではないということである。それは、本書153ページのデイキン署長の「ライツヴィルには、いままで殺人事件がなかった」という言葉ではっきりする。本書は1941年ごろの事件を描いている。一方、第二作の『フォックス家の殺人』では、1944年が現在だが、問題となる事件はその12年前、1932年のライツヴィルで起きた殺人事件である。しかも、起きた事件も同じような構図で、妻が毒殺もしくは毒殺されそうになり、夫以外の人間が毒を入れることは不可能と思われている。9年前の似たような殺人事件を忘れるなんて考えられない。 もう一つは、どちらも事件の加害者に関わる人たちに対する町民たちの反応が、異常とも思えるほど厳しく、圧迫的なことだ。それは、おそらく時代の空気とも関係するのかもしれない。本書よりさらに12年も後に『ガラスの村』が発表されているが、クイーンは、戦争から戦後の冷戦期にアメリカの空気にどこか異常でヒステリックなものを感じとっていたのかもしれない。 | ||||
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アメリカの推理作家エラリー・クイーン(フレデリック・ダネイとマンフレッド・ベニントン・リーの従兄弟同士による合同ペンネーム)の 1942年作です。 架空都市ライツヴィルを舞台にしたシリーズの一作目ですね。このシリーズは人間心理への特化が魅力!ここでのエラリーの眼差しも温かい。。 初期の国名シリーズの傑作群を読んでみて、あんまり評価の芳しくない中期作品(ゆえに変遷の経過がある)を飛ばして、 この代表作にくるとほんとに同じ人間なのかと思ったりしちゃうかも。。 しかし法廷に爆弾を投げつける・・・じゃなくて(笑)、法廷で爆弾発言をするエラリーいいなあ、相変わらず。そうゆうとこ好きだよ君。 さて本作のストーリーというと、ある日のこと妻は夫の読みさしの本から三枚の封筒を見つけることになる。それぞれの中身の手紙には なぜか自分が病気になったことにされており、更には病状の悪化、、ついには死と、、、そしてなんとその本とは毒物学の本だった!? さてまあそんな具合なんだ(笑)。 その名家が事件の中心になるわけだけど、しかしそれを取り囲む町の人々なんだ。そうなんだ。その生々しいまでに残酷で愉しいかぎりの 人間風景なんだ。それでいて気品漂う作風なのが凄いんだよ。 サスペンスフルでリアリティーに富む新しい流行の波のなかで、明らかに本格推理小説は時代遅れになってたんだね。しかし追随しない! 安直に吸収もしない!!この牧歌的な地方都市を新たな活躍基盤として創造し、そこで悲劇的人間ドラマにパズル性をちりばめてまとめあげる。 より高いところからリアリズムを有名無実なものとして見下ろす。あたかも無邪気な子供のように。それはやはり残酷で愉しい。。 逃げじゃないんだなあ。オカルトと時代ミステリに傾倒したカーの、これたま一種の子供らしさからくる同時代嫌悪によって発露した天才もね。 クイーンだから出来た崇高なコラージュ。逃げじゃない。共通してるのはフィーリングだろう。残酷さと愉しさを非難なく繋げているもの。 それは余裕をもって見守っていたから、、と云えばそれまでだが。作り上げるものではなく自然と育まれるものなんだね。だので思うんだ。 あれもこれも危ないから触っちゃ駄目と殺菌部屋に放り込んでおきながら、なんでも好きなことをしなさい、そして好きなものになりなさいと 超放任主義といえる態度を示してしまう解離性障害とでも呼びたくなるそんな育て方のなかではさ、そのみずみずしいまでに純なフィーリングは 育まれることはないんだろう。ふとそう思った。しかしたかがフィーリングが死ぬほど欲しいんじゃないか?ちょっと大袈裟。だいぶ(笑)。 それでは! | ||||
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この作品でのエラリイは、読者に挑戦状を叩きつけ、神業のような推理で鮮やかに事件を解決する名探偵ではなく、探り当てた悲しい真実に苦悩する一人の青年として描かれています。 事件のポイントの一つは、「配達されない三通の手紙」の内容が、本当に意味することは何なのかなのですが、登場人物たちの会話や挙動、そしてそこから窺える心理状況から真相が明らかになっていく様は、まるでクリスティの作品のようです。 特に印象に残るのは、登場人物たちの優しさであり、事件もこの人間の優しさや弱さに端を発するもので、エラリイも事件の当事者たちを外側から冷静に観察するのではなく、関係者あるいは同情者としての立場で真相を探っていきます。 犯人も事件を起こす為の人形ではなく、血肉を持った人間として描写されており、その悲しい顛末に同情を覚えずにはいられません。 小説形式の「問題」ではなく、一級の小説として読むことのできる名作です。 | ||||
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