■スポンサードリンク
隣の家の少女
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
隣の家の少女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.75pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全207件 181~200 10/11ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とても衝撃的な本だ。 所詮は物語、と切り捨てられない重みを噛み締めながら本を閉じた。 紛れもなくこのような事は現実に起こっているのだと思うと、ひどく暗い気持ちになる。 いつだって我々は非力な傍観者だ。 残酷な事件のニュースに耳を傾ける傍ら、我々は被害者に対してどんなに同情を抱こうが、 結局は何の救いも手渡すことができない。 目の前の人間にだって――。 傍観者という立場に置かされた人間の無力を改めて思い知らされた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最初の数行で中断できなくなる。こなれた訳文、忘れ難いキャラクタ ー、効果的な演出(構成)。これで陰惨な物語を紡ぎだすのだから読 者はたまったものではない。14歳くらい、そして9歳くらいの姉妹 が苛まされる。救いはまったくない。いじめの心理はこの小説から十 分読み取れるかもしれない。しかし、これを書いた作者の冷めた神経 も恐ろしいが、読み通し、そして小説であるということで済まそうと する自分も恐ろしい。それでも読み通せるのは、端々に救いの心理が 文章として潜んでいるからである。不快・悲惨というだけで敬遠する のなら小説は発展しないだろう、とも思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ケッチャムという作家には驚かされます ここまで人の気分を暗くさせるなんて・・・ とにかく読むのが辛くて辛くて・・・・・ 辛くて早く読み終わりたいと思ったのは初めてでした。 虐待に関する小説はいくつか読んだことがありますが 描写や登場人物のせいか読んだ事を忘れようとする自分がいます。 本当に興味があるなら読んでください。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
陰惨で救いようのない内容だ。それは確か。 それなのにするすると読んでしまう。そればかりではない。 虐待される少女に同情し、救いたいと思う一方で、次に何が起こるのかと半ば期待の入り混じった感情が生まれてきていた。 自分の中の被害者性と加害者性を浮き彫りにされてしまったのだ。 恐ろしいのはこの小説の内容ではなく、ジャック・ケッチャムという作家本人だろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
鬱すぎです。途中で何度も読むのをやめようと思いました。('-,_ω-`)プッ 近所の家に養子として連れてこられた少女が気が狂っている養母に虐待されるお話です。('-,_ω-`)プッしかも養母だけではなく、その子供達まで虐待に加担するんです。それを止める事ができずにただ傍観しているディヴィットという少年の視点から物語は語られます。悲惨で、救いがなく、特に虐待の模様を綴った文章には目を覆いたくなりますが、それでもこの小説は読むのをやめさせてはくれないのである。 先が気になって仕方が無いのだ。バッドエンドであることを確信していながらも、先が気になって読むのをやめられない。読後感は最悪だが、僕は読者をこれほど夢中にさせるジャック・ケッチャムと言う小説家に畏敬の念を抱かずにはいられなかった。これから彼の著作を読み漁ってみようと思う。('-,_ω-`)プッ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読み始める時点で、恐ろしい内容であるという事はわかっていました。 その年の「このミス」で取り上げられており、わかった上で読み始めたのですが、あらかじめあった覚悟など吹き飛んでしまう、「酷い内容」です。読者はそれをわかっており、期待すらしてしまうのが、内容以上に「恐い」点です。 とある街でおきた凄惨な虐待事件。 あの家の地下室で起こっている事は、住民の誰もが知っているのに、なにも変化がなく、子供達は毎日のようにやってきて、ちょっとしたサロンのようになる。スゴイ状況ですよ。 この話は、実際におきたシルヴィアという少女がこの作品と同じように虐待されて死んで行った事件が元ネタです。とても奇麗な女の子が同じように居候先のガートルートという女性に様々な暴行の末に殺されます。実話だと知るとさらに恐ろしくなりますが、ケッチャムは、作品化するにあたり、最後に慈悲を加えているようです。それを知ったときは、とてもスカッとしました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
~書評などでけなされていたり、最低の評価を受けていると逆に好奇心が働いて読んでしまうことがある。すると、星5つもつけてはいけないのかもしれないけれど、グロテスクかつホラー味たっぷりの本作を読まなければ勿体ないとも思う。センセーショナルな内容とキングからのオマージュで彩られてばかりなのでそれ以外のことも書いておくと、結局アメリカの~~片田舎だとこういうことって起こりえるんじゃないか、という話。残虐な事件は本当は沢山おこっているんじゃないか、という。そういういみで全然空想物語じゃないと思うのです。この作家の創作の根底に人間が単に人間の皮をかぶっている悪魔のようなにおいに対して敏感であること(本人がそうであるというわけではない)があると思われます。読んでし~~まったら読む前のあなたには帰れないかもしれない。でも、この世界を知らなければあなたは陽気な世界の能天気な住人でしかないということかもしれません。~ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「蠅の王」に匹敵するくらい人間を表現している。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
一読してベッドに突っ伏しました。 ジャック・ケッチャムは天才だと思う。でも、もう二度と読み返したくはない。 スティーブン・キングは文庫版の解説で「ジャック・ケッチャムは徹底した偶像破壊者だ」と書いた。それは間違いだ。ジャック・ケッチャムは偶像自体は最後まで守り抜いた。読後の胸の痛みは、それが守り抜かれた証だ。 破壊されたのは・・・。 小説がどれほど人の心に影響(影響?いや、衝撃と言ってすら生やさしい)を与えうるかを示した傑作である。僕は、読む気はないのに自分の本棚においている。 なるべく見えないところにだ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
度々話題になる、職場・校内でのいじめや家庭内の虐待。バカな評論家たちの話を聞くより、これを読んだほうがいい。 ただし、この作品と違って、現実世界のこういった出来事においてもっとも悲惨だと思うのは、「かすかな希望」を与えておいてそれをぶち壊すことでさらにダメージを大きくできるということを、ヤツラが本能的に知っている場合がある、という事だ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ふと、これをマルキ・ド・サドが読んだら、どう思うだろうかと考えた。たぶん自分の書いたものとは比較にならないことを悟って、真っ青になり、絶句するんじゃないだろうか。この本を読む以前、いくら紙の上の作り話とはいえ、書いていいことと悪いこと(要するに倫理観のようなもの)は、やはり存在すると思っていた。もちろんこれを読んで、そんな甘い考えは吹っ飛んだ。真の芸術とは、読者が顔をそむけるところまで踏み込まないと、ほんとうの理解はえられないのだ。キングが絶賛したのも、わかる気がする。金子氏の翻訳の文章もいい。どの角度からみても、ほぼ完璧な小説だ。おそらく僕のこれから先の人生において、これ以上の作品に巡り合えることはないだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この小説は沢山の絶望と少しの希望の話だと思う。 だから私はホラーと言うよりも救いの無い童話の様に思えた。 と言っても全く怖くない、と言う訳ではなく 主人公が足を踏み外してしまわないか、それだけが怖かった。 希望である主人公が居なかったら本当に陰惨な話というイメージだけになってしまう。主人公が居たからこそ、ヒロインは僅かな希望を持てた。 私はこの小説を読んでそこが一番好きだ。 ただ実話では全くの希望も無かったらしい。 だから実話の方では陰惨な出来事と言うイメージしか私には無い。 小説においては主人公の存在で僅かではあるが、希望を持つ事が出来たヒロインは、ほんの少しだけ幸せだったのでは無いか?と思う。 何故そう思うのか?と聞かれたらそう思わなければ、この本はこんなにも面白いのに、本当に二度と読めない本になってしまうから、と言うと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
もれなく、最悪の読後感がやってきます。 同時に、こんな読後感を味わっているじぶんは、まだ大丈夫なのだと いう安心もやってきたりします。間違いなく名作です。 隣の家で虐待され続ける少女、彼女に同情を寄せながらも、 なにか大きな力に押し流されるように見て見ぬふりする少年。 やがて、彼女の救いを決意した少年の無力感は痛いほどに伝わってきます。でも、二度は読めません。痛すぎて。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「オフシーズン」、「老人と犬」等で有名なジャック ケッチャムの最高傑作。ここには人間の暗部の全てがある。 題材自体は最近ではよくみられるものなのだが、ヒロインの愛らしさや、そこに描かれるありきたりの、そしてどこか懐かしさを感じさせる美しい風景、反面、まるで地獄に落ちていくような気分にさせる構成、凄惨なリアルさ、途中で止める事の出来ないテンポは他の作品と完全に一線を画し、まさに『凄い』としか言い様がない。また、ヒトというものを底の底まで見据えた深い心理描写は、読者を主人公である『僕』と無理矢理一体化してしまう。 この作品を読んだものは皆一様に『不快な物語』だという。しかしながら、皆、一様に次のケッチャム作品を買い求める。何故か?それは彼の扱う恐怖が現実に存在するものであり、また、目を背け、なかった事にしてはいけない問題であるということを皆知っているからであろう。是非に一読をお勧めする逸品である。 なお、この作品は1998年のSTUDIO VOICE八月号(Vol.272)のケッチャムのインタビューとあわせて読む事をお勧めする。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
すでに、本の内容を、何となく書評などで知ってから読んだが、これはまた、予想を超えた。ページをめくるたびに、まさかここまでしないだろうという予想を超えた展開に再びページをめくる。何か救いはあるだろうと、期待しながらページをめくり、再び裏切られる。救いはない。にもかかわらず、読み続けてしまう。やめることは不可能。すばらしい?小説だ。十数年前の、あの事件を思い出すのは、日本人だからだ。プロローグは、現実を彷彿とさせる。なぜなら、あの事件の少年たちは、結婚して家庭を築いたもの、居酒屋を開き、客に「おれ、あの事件の少年なんだ」と自慢げにうそぶくもの、自宅に引きこもっているものなど、さまざまだ。小説は終わっても、現実は終わらない。きっと♂なら、必ず、こういう願望を一度は持つのかも…それが怖い。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
健康的な体、ふくらみ始めた胸を持つ少女と 主人公少年の出会いは美しく描写されている。 晴れた日の川辺その穏やかな物語の始まりが 「隣の家」入り込むはめになってしまった 少女のむごたらしき日々のなかに夢のように現れては消える 希望の切なさを助長している。主人公の少女に対する思いと、行動の伴わない葛藤は狭いコミューンの中で生活している人々の持つある種の 冷たさ、だらしなくもたれあう姿をも描写している。 コミューンの中に一滴しずくが落ちる。波紋が広がる。ゆるやかに。そのゆるやかで残虐極まりない時間、出来事は詳細に書かれているので 脳に焼きつくイメージは相当グロテスクなものになる。 それは筆者と訳者のうまさだと思う。狭く穏やかな輪のなかで、隣の家で何かが起こっている。 知ってしまった少年の苦悩は自ら手を下し残酷な仕打ちをしたものより 深く、突き刺さる。少年は大人になりこの物語を語り始めた。 大人になってもまだ生々しく突き刺さっている苦悩のナイフを どうにもできないでいる。隣の家の少女は見て見ぬ振りをしてこなかったかと問いかけてくる、読者に。 そして、苦悩のナイフに気づくか気づかぬかは 多分読者それぞれの生き様に依っている。 と、思わせられた一冊だった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
人間の影の部分を見事に描いた作品だと思います。 読み終えてから少し鬱な気分になりました。平和な社会だけ見ていたいという人にはお勧めできないです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とついついお願いしたく(誰に)なる作品。 読後のイヤーなかんジは、その昔、映画「ヘンリー」を観たときと同じ感じ。 それだけ強烈で面白いんだけどね。 淡々と続く描写、追い詰められていく様子は「浅間山荘」的? 同作者の「Road to Kill」 のとってつけたようなハッピーエンドの居心地の悪さがちょっと懐かしくなったりして。あ、やっぱり読んでなかったことにしてください。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
その筋では、カルト的なファンが多い作家、ジャック・ケッチャム。 そんな彼の作品群の中で最高傑作の一つとされるのが、この「隣の家の少女」です。内容を簡単に言ってしまえば、主人公の隣家に引き取られた少女が、虐待を受けてゆくという、何処にでも転がっていそうな話なのだが、諸々の特殊な設定が、この作品を他のものとは明らかに違うものにしています。この作品に興味も無く、虐待とかに特に嫌悪感を持っている人は、迷わず、食わず嫌いをした方が良いと思います。嫌な物をあえて読む必要は無い。反対に小指の先ほどでも興味を持っている方は、是非読んでみてください。必ず何か得るものがあるはずです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
厳しい少女監禁物だと評判なので、覚悟して読んだのだが予想を遙かに越える悲惨な世界に、何度も途中で読むのを止めようかと思った。だけど途中で投げ出すと、少女は傷だらけのまま僕の中で生き続ける。苦痛に顔を歪めながら読みつづけた。どんな形にしろ、終わりがあるというのは救いです。読み終えた僕は、安堵のため息をもらした。今までにない読後感だ。解放感。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!