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対岸の彼女
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対岸の彼女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.24pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全355件 221~240 12/18ページ
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自分はほとんど問題と思わなかった、学校生活でどのグループに加わるとかが中高生(特に女子?)にとって致命的に重要なことなのだなと思った。グループ間のバランス、どこについていくか、グループにどこにも属さない子にどう接していくか、それらは細心の注意を払って行動すべきことなのだ。主人公の女性2人は、どちらもそういう感受性を強く持ってて、一方はそれを年齢とともにわりきり、克服した。それでもふとした瞬間にそのコンプレックスが蘇ってくる。傷ついた心の再生の話。 | ||||
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登場人物と同世代の私。私は葵と近いところがあり、小夜子みたいな友人がいるので、とても身近に感じられました。 | ||||
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すでにこれだけの読者に支持されている名作ですから、 改めてレビューなど書かずもがなと思いましたが、 やはりこの感動を伝えずにはおれません。 人との関わりに必要以上に神経をすり減らす社会、 特に女性にとっては生き方の選択肢が増えたために 悩みも深くなる一方の現代で、生きることへの 精一杯のエールをもらったような気がしました。 物語の最後で、もう一度葵を訪ねる小夜子の勇気に拍手。 そして、ナナコのようなピュアな友人の存在をありありと 信じさせてくれた著者に感謝です。 | ||||
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主な登場人物は、葵、ナナコ、小夜子の3人だけ。背景や脈絡もほとんどなく、葵と小夜子の感情や行動だけを軸に物語が展開する。舞台は、東京と桐生と伊豆と横浜。いずれも、葵と小夜子の五感を通した形だけで断片的に描かれている。 どうしてこの小説が多くの読者の共感を得たのかわからない。どうしてこれが直木賞に値するのかわからない。TVの「アラフォー」みたいに、それなりの女優に演じさせれば、ドラマとしてヒットするかもしれない予感を感じさせる。そこに著者の意図があるのではと疑ってしまった。 しかし、小説としては、筋の展開にダイナミクさがないからワクワクするような面白味に欠けるし、人物描写が表面的だから人間の内面に対する発見もない。この小説に共感できる読者は、この小説全体に漂うどうにもならないような閉塞感を共有し、葵や小夜子に自分の人生を重ね合わせて、「私も同じ」などと感じるからではなかろうか。 読んでいて、真中で途切れるような、ぎこちなさが残る文章もところどころにある。いかにも「ワープロで書きました」といったような、音読したときのリズムやスムーズさに欠ける文章だ。高い評判を聞いて、前から読みたいと思っていただけに、落胆した。 | ||||
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この人の本始めて読んだんだけど、結構好きですね。 心に残ったのは、3歳の娘を連れて公園にいってみるものの、母親も娘もうまく友達が作れなくて悩んでる主人公に 「私たちの世代ってひとりぼっち恐怖症だと思わない?」 「ひとりぼっち恐怖症?」 「そ。お友だちがいないと世界が終わるって感じない? 友達の多い子は明るい子、友達のいない子は暗い子、暗い子はいけない子。 そんなふうに、誰かに思い込まされているんだよね。私もずっとそう。ずっとそう思ってた。世代とかじゃないのかな、世界共通の概念かなあ。」 と女社長が話すシーン。 ほんとそうだよね。頭からそう思い込んでしまってみんな余計自分を追い詰めてる気がする。 私も、もし自分のこがうまく友達を作れなくても、がっかりしたりいらいらしない心の余裕が欲しい。 | ||||
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読後、1年経った今も印象深いのは、2人の少女が、海辺の民宿で働いた日々です。 2人にとって、最高にキラキラ輝いた素敵な時だったと思います。 この部分以外は、どちらかと言えば、辛い暗い灰色のトーンですので、余計に印象的でした 友情がピークを迎えた時。この思い出があれば、つらくても生きていけそうです。葵はちょっと痛い感じの女になってましたが・・。(私個人の感想です。) 晩年にも少女のような、鮮烈な友情を経験したいものですが、それは難しいことは、 小説の後半にも描かれています。1度で十分。 | ||||
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「女」という生き物は、「親友」を作りたがる。学生時代「親友」と呼べる人間は確かにいた。たまたま席が隣だったから、なんとなく話しかけてくれたから、という理由で、「親友」となった。別に吟味に吟味を重ねたわけじゃない。でも、いつもともに行動し、悩みを打ち明け、彼女となら何でもできそうな気がしていた。そんな関係はいつまでも続くように思えるが、学校を卒業し、違う道を進むと、いつの間にかぱったりと途絶える。 その後の「女」は「妻」となり、「母」となり、「親友」と呼べる人はそばにいない。「○○さんの奥さん」「△△くんのお母さん」となって、取り巻く人間関係は「女」個人を見てはくれない。また、独身であっても、「仕事」を通じてしか知り合う人はなく、そこに「親友」はなかなか現れない。 本書は、角田光代の直木賞受賞作。女性同士の微妙な人間関係を見事に描いた書といって良いであろう。結婚して一児の母となった小夜子は、公園での母同士のお付き合いもままならず、夫と姑だけの人間関係の中で悶々とした日々を送っている。一発奮起して飛び込んだ小さな会社で出会った、同い年の社長・葵。小さなことは笑い飛ばす、フレンドリーな彼女には、学生時代、世間を賑わせた過去があった。 子を持つ小夜子と「対岸」にいる独身葵。二人の間に起こる幸せとすれ違い。30代以上の女性なら、誰もが経験しそうな二人の関係。小夜子の前進により、希望の持てるラストになっているのが気持ち良い。とかく感情に流され、白黒はっきりさせないと済まない女性にとっては、小夜子の選んだ道は「大人」の選択といえるだろう。 読後、自分の周りの「友人」との関係をしみじみ考えさせられた。 | ||||
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ナナコの「何もこわくなんかない。こんなところにあたしの大事なものはない。 いやなら関わらなければいい」というのがとても気になった。 単純明快で、潔いけれど「関わらなければ」いいことと 「それでも、関わらなければならない」事があると思う。 | ||||
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2人の女性の現在と過去を日常の中で綴った物語。 現在の小夜子が過去の葵のようで、現在の葵が過去のナナコのように見せていて、小夜子がかつての葵のようにどんどん変わっていく様子もリアルに感じられた。 だけどラストがなんとなく気持ちのいいものではなかった。 急速に覚めていった小夜子の気持ちがなんとなく解かりづらく感じた。 | ||||
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直木賞受賞作。 女子高生2人の友情に満ちた日々と、そのうちの1人の現在とを時間を交錯しながら描いていく物語。 過去の方の物語では、いじめられていた葵の憂鬱さやナナコの自由気ままな一匹狼的強さや、そしてその裏に抱えていたモノや、 2人の強く熱く、そして悲しい友情が大切に描かれている。 そう、角田光代という人は、本当に大切に一瞬一瞬を描く人だなぁと思う。 あの頃の、キラキラして美しくそして醜い日々をこんなに大切に描ける人がいるだろうか。 そして、葵は現在では女社長として会社を起している。 現在の場面では、新しく入社してきた同年代の主婦小夜子の目線から、葵とその周り人々、小夜子との交流が語られる。 結局私たちは、あのころも今も、同じように美しく、そして醜いのだと気づかされ、 そんな私たちを愛おしいと思わせる作品だ。 | ||||
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初めて角田光代さんの小説を読みました。 まさに、喰わず嫌い、でした。 なんとなくふにゃふにゃの小説を思っていたのですが、 かっちりとした、読み進むにつれて 自分の胸の中に何かが生まれる小説です。 揺さぶられて頭がグラッとするような描写。 描かれているのはどこにでもいそうな2人の女性、 2人の女子高生。 だけど、誰もが感じたことのあるなんとも表現できない 感情が巧みに切り取られて、目を背けたいのに、 ほらっと皿に載せられて、見せつけられているようです。 また別の作品を読みたいと思います。 さすが直木賞受賞作。 | ||||
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どんな立場でも悩みってつきないよなぁ〜。特に人間関係は……と感じる一冊でした。結婚してる立場からは独身で仕事をバリバリしてる人がよく見えて、独身の人からはそのまた逆で見えたり…。実際その立場になるとイヤな面もいっぱいあるんだけど、イイとこばっか見えて羨ましがったりするんだよなぁ〜…って思いながら読んでました。結婚まだしてませんが、主婦気分が味わえる一冊だと思いました(笑) | ||||
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どんな人間が読んでも感動出来る小説の代表のような小説だと思いました。ただの感動じゃない。じっくりと深い感動。 ただ、小夜子という主婦は大人しいくせに頑固で私はあまり好きになれなかった・・。「私ではない誰かだったら」という想いは私も何度も味わったことがあるので、共感出来ます。結構小夜子に似た女性の方が多いんじゃないでしょうか。何かを変えたい、と、望んでいる人はたくさんいると思います。 その答えは人との出会いのなかにある、というではないでしょうか。 | ||||
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人は他人のひととなりを彼・彼女が発言する日々の言葉や行動で わかったつもりになっていきます。 そして、自分を正当化するために、相手の批判をくりかえしたりします。 本当の自分について理解されることなく、すれ違う日々がお互いに続きます。 人との付き合いが苦手でうとましくさえ思い、限られた世界で不安を抱えながら 存在していた小夜子が仕事をしようと一念発起し、出会った女性が対岸にいる 葵でした。 葵にとっても小夜子は高校生の時に途中で喪失した思いを彷彿させ、彼女なりの 踏み込み方で近づいていきます。 小夜子にとって、葵にとって、双方の生活や大切にしているものは理解ができず、 共感性が低いものです。 それぞれの行動の背景すら、理解ができません。 一回決裂したその関係。後に小夜子が前に進むことで、2人の関係は変化し次に進む予感を感じて、この物語は終わります。 人との距離の置き方は難しいと思います。 だからといって、価値観ややりかたを簡単に変えていけるものではありません。 自分が傷つくからといって出会うことをやめず、傷つかない方法を覚えながら 人との出会いを大切にして、新しい世界に踏み込んでいく。 そうありたいと思いました。 理解しようと努力し、背景を思い、共感する。 この姿勢で行きていきたいと思うのです。 | ||||
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角田さんの本を初めて読んだ。 正直「○○賞受賞作品」とか、そういうものを軽くバカにしていた。そういう本に限ってつまらなかったり、小難しい事をこんな繊細な気持ち誰にも分からないだろう、とばかりに書いてあったりすると思い込んでいたから。 でも、これはどちらも違った。 もしこの本を買うかどうか悩んでるとしたら「ぜひ買った方がいい」と勧めたい。 この物語は2つの視点から描かれている。 専業主婦の小夜子は公園デビューも上手く出来ず、子供を遊ばせてやれないという思いから 保育園に預けるため働き始める。 姑にはイヤミを言われ、夫にもあまり良くは思われていない。 家事をできるだけ完璧にしようと心掛けるが、それは夫にとっては「頑張ってる事」ではなく「当たり前」の事なのだと気付く。 職場の人間関係や仕事の内容に少し辟易とし「こんな思いをしてまで働いている意味ってあるのだろうか」と思いながらも、少しずつ自分がそこで働いている価値を見出していく一方で 夫には「お前がいなきゃ支障が出るような仕事でもないんだろ?」と軽んじられ、傷付く小夜子。 小夜子の目には、社長である葵は明るく自由な独身女性に映る。 もう一つの視点は高校生時代の葵。 いじめられた中学時代から逃げるように、横浜から群馬へ引っ越す。 もういじめられることのないように、目立たないよう周りに合わせ、時には卑怯に生活する。 そんな中で出会う、少し変わり者ぽいクラスメイトのナナコ。 少女時代のピュアさと複雑な感情を抱きながら2人にある出来事が起きる… 一見タイプの違う小夜子と葵は、正反対のようで分かりあう事ができ、 そしてやはり「分かりあえない」… 途中、切なさや虚しさで涙が出た。 この物語の展開は実際に読んで知った方が幸せだと思う。 ミステリやサスペンスのようなどんでん返しではないが、それに匹敵する、或いはそれ以上の展開だと思う。 | ||||
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序盤は地味で読むペースが掴めなかった(注1)。しかし、小夜子が清掃業務の仕事に就職して、仕事現場で台所の清掃中に次の事を感じた。「油でベタベタしたステンレスの感触が、汚れの取れた部分は、手のひらの下でなめらかに滑った。汚れが落ちる瞬間がわかると、油まみれの台所の真ん中で、はいつくばって床や棚を磨き上げるのが楽しくなった。」そして「こびりついた油の層が薄くなるのに比例して、頭の中がどんどん真っ白になってく。」この文章を読んだとき、この本面白いと思った。 この本は、心理描写が主だが、現実に誰にでも覚えのある想いや感情そして過去等を使いうまく表現されている。また解説(森絵都)を読み気づいたのだが、この小説は、2つの物語が交互に同時進行しているが特筆すべきは、主人公本人の視点から描かれた話と、他者から見た主人公の様子が描かれていることだ。この初めてみる技法は、解説を読んで気づき驚かされた。 (注1:序盤は誰が主人公なのかとわかりにくかった) | ||||
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自分達の信じる道を進んでいるつもりだったが,どこにも行くことは出来ず,どこに向かっているのかもわからなかった二人の少女. 現実と理想との間にゆれながらも何とか道を切り開こうとする二人の女性. 年を重ね経験をつみ,知識を身につけてもぶつかる問題は何ら変っていない.いつの時代も自分のことを棚に上げ,他者の足を引っ張るという人は大勢いるのだから. 本質的なことは何も解決などしていない.ただし全てが無駄だたわけではない.かつて友人によって生き方を変えた少女が,大人になって他者に強い影響を与えるように. 学び続ける姿勢を崩さなければ,年を重ねることはそれほど苦痛ではない.誰にも理解されず,幸福とはいえなかったが,強い輝きを放った儚い過去.それがあるから今の彼女がいてそれに魅せられる人もいる. 対岸にいた二人が時に近づき,時に離れやがて一つに重なったとき,新しい世界が見えてくる.そこに必ずしも幸福があるとはいえないが,少なくとも希望はある. | ||||
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ほぼ主人公と同年代の私。子育てしながら働いて、と立場上は小夜子側なのだけれど、性格的にはどちらかと言えば葵と共通項が多いかな、と読み始めた途端、葵の過去に驚愕!!しかし、あの時のナナコとの出会いや共有した時間、ナナコからもらった友情に胸キュンとなった。切ない切ない。。。「もし私がみんなから無視されても葵もみんなと無視してて欲しいくらい。その方が安全だから。イジメなんて全然怖くない。そんなとこに私の大切なものはないし。」「いやならいやだと思うことに関わり持たなきゃいいんだよ。簡単だって、そんなの。」しかし、明るく言い放つナナコは想像絶するつらい環境で暮らしていた。 今度は大人になった葵が小夜子に「ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、一人でいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことの方が、うんと大事な気が、今になってする」と話す。旅行先の悲惨な事件を経て、人が親切にしてくれるのは当然ではなく、最低の人間もこの世に存在する。しかし、悪い方向ばかりを考えてしまえばこの状況は変えられない。自分は良い方に向かっていくと信じる。人ではない。自分が望む道ならば障害が発生する可能性もゼロではないと認識する強さ、あるいは割り切り。葵はそんな風に日々を刻んできていたのかな・・・。 最後に小夜子は気付く。「なぜ私達は年齢を重ねるのか。生活に逃げこんでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ」つらい経験はできればしたくないし、傷つきたくもない。だって、年いくほど立ち直りにかなりの時間を要するし、性格歪むし、人間不信になるし、自分を卑下しまくるし。 実際、私自身がその状況下で苦しんでいる。でも信じようと思った。出会いを。自分の脆さがいつか必ず強さに変わる日を。 | ||||
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みんな違うってことに気づかないと、出会えない。マニュアルってのは あれしないさいとか、これが常識だって説明するだけで、違うって 感覚的にわかることを邪魔するんだと思う。 葵の中では、親しくなることは加算ではなく、喪失だった。 何故私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げ込んでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。 なるほどなあ〜〜と思った作中の文章であります。 | ||||
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「どうしてこんなに人間関係に臆病になってしまったんだろう」と思うことがある。30歳を過ぎてからだ。似た気持ちを抱いた経験のあるかたならこの本は響くと思う。痛快でスカッとして元気がわくという本じゃない。静かに背中を押してくれるような・・・ 単行本刊行時、「専業主婦(小夜子)と独身女社長(葵)、正反対の二人に友情は成り立つのか」みたいな本として紹介されたと記憶する。「30歳以上、独身、子どもなし」(葵がそう)といったことが注目されていた頃だから尚更、そうした印象が強く刻まれている。けれどこれは物語の基本設定に過ぎない。 「現在の小夜子の物語」「高校生の葵の物語」が交互に語られる。正反対に見える二人が実はそうではないと次第にわかってくる。いじめの経験を引きずる高校生の葵に、現在の陽気な女社長の面影はない。一体今の彼女とどうつながるのだ?という興味で高校生部分を読む。それが徐々に悲しく、切実で痛いほど胸に染みる展開を見せていく・・ここに登場するナナコという友達が実に印象的だ。 本書の中に胸を刺されるような、胃が重たくなるような箇所を見つける女性は少なくないだろう。だがどちらか一方でなく、小夜子、葵それぞれに自分と重なる部分を見るのではないか。つまり、専業主婦/独身キャリア女性といったわかりやすい対立構造を借りつつ、二人の女性を通して、この年代に共通する心理−迷いや不安、停滞感や孤立感−をより深く描いているのではと思う。だからこそ、本書の中に見出せる希望も二倍、いやそれ以上になるのじゃなかろうか。 『対岸の彼女』というタイトル。当然対極にある二人を意味するものだと思っていた。でもそれだけではなかった。読了後、このタイトルがしみじみとした感慨と共に胸に迫るはずだ。 | ||||
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