■スポンサードリンク
血の収穫(赤い収穫)
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
血の収穫(赤い収穫)の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.14pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全35件 1~20 1/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
今、英文学翻訳家として一番優れているのはこの田口俊樹氏だと思う。 ローレンス・ブロック作品の翻訳などを主に手掛けているが、会話に独特の田口節というかテンポがあって楽しめる。 血の収穫は多くの翻訳が存在するが、原作も古く翻訳も古く、文体が文体なのでストーリーを追うのが困難だったりするが、今回の田口俊樹訳に関してはそういうことが全くない。 とても小気味いい探偵小説として、ハメット初心者にもオススメできます。 長らく絶版の創元版マルタの鷹やガラスの鍵も田口俊樹訳になるといいなと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作品は古典と思えぬ新鮮さがある | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最近、ハードボイルドに凝っており、昔の作品に遡って読み始めました。 ハードボイルドは、ハメット派とチャンドラー派に分かれるそうです。 日本人の作家で言えば、大藪春彦、船戸与一、馳星周あたりがハメット派らしいです。 本書を読むと、それがよく分かります。 まず、作中で死ぬ人間の数が違います。20人くらい死にます。主人公も殺します。 マーロウに代表される私立探偵たちは、基本的には依頼者のために行動します。 しかし、本書の探偵は違います。どこまでも自分のために行動します。 思うに、主人公が人を殺す小説を、最近の日本ではハードボイルドとは呼ばないと思います。それはノワールとか、ピカレスクでしょうね。 したがって、現代の日本におけるハードボイルドの主流派は、チャンドラー派と言えそうです。 私も、どちらかと言えばチャンドラー派になると思います。 読む人を選ぶ作風と言えそうです。上に挙げた日本人作家の作品が好きな人にはおすすめです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
アメリカン・ハードボイルド小説の起源といわれる作品である。 主人公の私立探偵が調査依頼を受けて客先を訪問したところ、依頼者が何者かに殺されてしまうところから物語が始まる。 この作品の主だった要素として、下記があげられる。 1.具体的な事象を羅列して、各々の感情をあまり入れない。 2.話の展開がスピーディーで分かりやすい。 3.バイオレンス描写を生々しく描く。 話の流れとしては、主人公が私立探偵であるにもかかわらず、調査の成り行きからか、いつの間にか町の悪党らの仲間入りをしてしまうなど、少しハチャメチャではないのかという部分もあるが、全編通じて読み進めやすく、面白かった。ただし、本格謎解きの部分はイマイチと言わざるを得ない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ダシール・ハメットの『血の収穫』を表者が読んだのは何十年前だろうか。 当然本棚を探してもあるはずがない。 数年前にレイモンド・チャンドラーの作品を殆ど読み終え、ハメットの『マルタの鷹』など数作品を再読した記憶であるが、ハメットの処女長編である『血の収穫』を読むことを忘れていた。 ハード・ボイルドという英語を直訳すれば「茹ですぎ卵」である。 評者が若かりし頃英国ミステリの古典などを乱読した次期があったが、アメリカのハメツトやチャンドラー、ガードナーなどを読んでも知的な謎解き小説には程遠くその良さを理解することができなかった。 ハード・ボイルド(茹ですぎ卵)が、乱暴すぎて好きになれなかったのだろう。 今にして思えば若気の至りと反省しきりである。 数十年ぶりにハメットを読みなおし、プロット構成も流れるように展開するストーリーも良く出来た小説だと感じ入ってしまった。 田中西二郎氏の翻訳が少し今時に対応する単語を使っていないが、評者のような歳になると違和感なく読み進むことができた。 ハメットは、アメリカ屈指の探偵会社であるピンカートン探偵社で1915年から1922年まで探偵として働いた経験をもとにしてこの『血の収穫』を書いた。 主人公は「おれ」として名を秘したままで登場する。 他人からは「オプ」として呼ばれるニヒルな40男だ。 この物語は、ある鉱山街の悪徳一味と対峙する壮絶なバイオレンスドラマである。 一見雑のようなストーリー展開と伺えるが、登場人物などの服装や顔形、そして性格まで微に入り細にわたって描写すりる手法はハメットの探偵時代の職業的習性を表しているなのだろう。 なによりも登場人物どうしの会話が目の前にするように思えたのは評者だけではないだろう。 屍累々の血なまぐさいストーリーながら、読み進むのが面白く昨夜遅く(正確には今朝早く)に読み終えた。 アンドレ・ジードがヘミングウェイ、フォークナー、スタインベックらを称揚した時、ハメットも並べ本書『血の収穫』を称賛したことはよく知られていると、本書のあとがきで解説の中島河太郎氏が延べていた。(P309) アメリカ文学史に欠かせない作品として後世に伝える作品であることは間違いないだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
未読のような状態です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
用心棒の映画に影響を与えた。悪い者同士を戦わせて全滅させるが、大勢死んであとあじがわるかった。この人が務めていたピンカートン探偵社は結構きたないこともやっていたのでしょう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この訳にするんじゃなかった。洞ヶ峠。ねえちゃん、姐ちゃんの不統一。たまころがし、って何やねん。その後、撞球の杖とか、訳わからん。能島一人で訳したん? 時代が変わったから、とか、そんなんとは違う。ひどい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
旧訳版は読了したが、今回は半分くらいで挫折してしまった。 それは翻訳の問題ではなく、読む側の年齢と心境の変化なども関係しているが、「名無しのオプ」にチャンドラーのマーロウやロスマクのアーチャーのような存在感が感じられず(それが作者の意図だとしても…)、感情移入しにくいというのが一因だと思う。 あと時代が時代なので仕方ないが、個人情報を容易に漏らしたり、警察署長が探偵と行動を共にしてドンパチやるという展開についていけなかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
当方、ハードボイルドものはあまり好きません(一応、人並みには読んだ)。というのも、主人公は皆大概揃いも揃ってタフガイ、悪く言えば外も中身もマチズモの化身。そして、実際に言おうならば…というか読んでいてもこっちまで赤面してくるような臭い言動等が苦手です。 しかし、こんな私でもこのハードボイルドの元祖である本書、もといハメット作品(と他ごく一部)はなぜか何の気兼ねなくスラスラと読めます。 ハメット自身がピンカートン探偵社で働いていた経験が作品に生かされていることは、読んでいて素人の私にも分かります。 本書はハードボイルドものの元祖といわれながら、以降のハードボイルドものとは一線を画するリアルさがあるのです。 主人公はハメットのピンカートン時代にいろはを叩き込んだ上司がモデルだそうで。 低身長にメタボ体型の中年。基本冷めているが、たまに隙あり。というのが非常に人間臭い。 読んでいて、私がハードボイルドものに求めるのはこういった人間臭さなんだなと実感しました。 その他、個性豊かなキャラクター達も良し。 古くはありません。こんなハードボイルドが苦手な私でもすんなり入り込めました。 さすが名著です。 有名な話ですが、本書は、かの黒澤明監督の映画『用心棒』の原案でもあります。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
新潮文庫で1960年に訳された翻訳のものです。 主人公は自分のことを「わたし」というのですが、態度も雰囲気も、まさに慇懃無礼そのもので、むしろ「おれ」よりもクールに感じられるかもしれません。 それにしても、大変な名作でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
いくつも翻訳がある中でも今年新たに出版されたバージョンですが、認証が「私」になっているのが印象的です。「私」という一人称だとなんだか理知的な面が勝ちすぎて最初は違和感がありましたが、全体的に読みやすいからか、すぐに気にならなくなりました。 「血の収穫」を読むのはもう何度目かですが、ハメットの長編の中では、「マルタの鷹」と並んでストーリーにぶれがなく、文句なく楽しめる名作だと思います。 3つの殺人事件とギャング間の抗争に、町の浄化に暗躍する非情な探偵、金に執着する女と侮辱されながら同居するアヘン中毒の男、町の腐敗に手を貸す悪徳警察署長などなど、個性的なキャラクターが絡む物語は名作中の名作といっても言い過ぎではないと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
翻訳が丁寧で読みやすく、海外文学にありがちな「直訳すぎて何と書いているのかわからない」ということがほとんどありませんでした。読んでいて世界観に没入できる作品でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
初期ハードボイルドの私立探偵と言われたら、どんな人物像を想像するだろう? 代表格のフィリップ・マーロウ186cm86kg、リュー・アーチャー188cm86kg、同じハメット作のサム・スペードに至っては183cm以上84kgで肩幅と同じぐらいの分厚い胸板の”金髪の悪魔”・・・。 長身で男性美のタフガイ、と相場が決まっているようなものではないだろうか。 本作の主人公の名無しの探偵、通称コンチネンタル・オプはまるで違う。 5フィート6インチ190ポンドというから167cmちょっとで86kg超、適正体重より10キロ重いメタボ体型である。なにしろヒロイン役のダイナより1,2インチ背が低いのだ。 戦う相手からは「このクソでぶ」と罵られ、ヒロインからは「非情で頑固なでぶ中年探偵」と評され、本人も「190ポンドの身体も全部が全部脂肪というわけではない」などと言っているからけっこう気にしている(笑)。 中身の方も「汚れた街をさすらう現代の騎士」にはほど遠い。 街の悪党にけっこうシンパシーを寄せる割には平気で裏切るし、殴り合いを前に「コイツ俺より6つか7つ若いな、体重も・・・」と心配してしまう。物語中盤では自分で街の悪党どもに殺し合いをするよう仕組んでおきながら、「こんなはずじゃなかった」と女相手にクダを巻き、アヘンチンキ入りのジンをかっくらって前後不覚になって罠にはまる始末。そのあげく、倒そうとしている当の相手の一人に「アリバイ作って」とお願いに行く。情けないことおびただしい。 ハードボイルド探偵の看板と言うべき「自分だけの信条」に殉ずるストイシズムなど感じられない男なのだ。 彼と「カネが全ての女」ダイナの、人の命のかかるネタのニッケル貨1枚(10セント)の値切り合戦など、何度読んでも笑える。 そんな彼が引っ掻きまわすのが通称「毒の市」ポイズンヴィル。 禁酒法時代の無法の街(作品発表がセントヴァレンタインの虐殺と同年)で、いわゆる「名持ちキャラ」もモブもおかまいなしの殺人大パーティーが繰り広げられます。 他の方のレビューにもあるように黒澤明の「用心棒」、筒井康隆「おれの血は他人の血」、最近ではウィンズロウ「犬の力」シリーズ等々、ひとつのジャンルを形成するぐらい映画・小説を問わずオマージュ・パスティーシュされまくった名作ですが、そんなことは忘れて素直に読んでいただくのがいちばんだと思います。私はスプラッタ風味のサスペンスコメディ的に捉えているところがあるのですが、読む人によって色々な楽しみ方のできる作品です。 「不世出の名作」などという世評に惑わされるのは損だと思うのです。 大好きな作品なので旧い創元推理文庫版(田中西二郎訳)をずっと持っているのですが、なにしろ初版が1959年の旧訳(私のは1987年の第33版)なので用語が古い(Wisper がホィスパー、soup がスウプ等)上、悪役が股旅物のやくざみたいなしゃべり方をするのが90年代当時ですら気になって仕方がなかったので、今回新訳が出てうれしい限りです。 旧訳との最大の違いは、地の文の主人公の一人称が「おれ」ではなく「私」になってることでしょう。 私としてはここはハードボイルドの気取りのない主人公の性格を活かして、旧訳同様「おれ」で統一して欲しかったところなのですが、皆さんはどうでしょうか? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
何度読んでも、やはり凄い小説。 解説でも触れられているように黒澤明の『用心棒』を筆頭に数多の映画や小説の下敷きになったストーリーのダイナミズムとハメットによる発明といっても過言では無い、一人称による徹底した外見描写の冷徹さ、更に混沌と暴力の果てに訪れるミステリとしての明快な面白さ。20世紀に書かれたアメリカ文学の中でも最重要作品の一つ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
昔からハードボイルド小説は苦手だ。しかしときどき思い出したようにハードボイルドも読んできたし、中には面白い本もあった。だから、さすがに食わず嫌いは克服できたと思っていた。そんなわけで、満を持してダシール・ハメットの『血の収穫』を読んでみたのである。 ダメだった。楽しめなかった。本書は嶋中書店という今はない版元から出ているグレート・ミステリーズというシリーズの1冊で、10年ぐらい前に買ったものだ。いつか読む日を信じて、本棚で寝かせていたのである(嘘です。ただ読む気がしなかっただけ)。 ただ、僕はこの『血の収穫』を読んで、「これハードボイルド?」というモヤッとした感覚も抱いた。むしろアクション小説なのでは? と思ったのだ。本書には3編の短編も併録されており、このうち『クッフィニャル島の夜襲』も僕から見ればアクション小説。でも残りの『十番目の手がかり』と『スペイドという男』はちゃんとミステリだと感じた。そしてこの2編はそれなりに楽しめた。 と、ここまで書いてきて、結局ハードボイルドって何? という気もするのだが、ハードボイルドにもいろんな型があるのだろう。ギャングが入り乱れてのドンパチ系もあれば(『血の収穫』がそう)、邸宅での殺人事件ものもあり(『スペイドという男』のような)、要するに僕にも食べられるピーマンはあるし、好んでは食べたくないピーマンもある、というだけのことかも。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
まさにハードボイルド探偵小説の始祖であり、不朽の名作です。スパイものを含むその後のハードボイルド探偵像は、この作品のコンチネンタル・オプと「マルタの鷹」のサム・スペードが原点といえます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
黒澤明がこの小説をもとに「用心棒」のシナリオを練り上げ、のちに「用心棒」をもとに「荒野の用心棒」を作ったイタリア映画人が、 黒澤もハメットを真似ているのだから盗作にあたらないと言い訳したのは有名な話です。 ただし、「荒野の用心棒」は誰がどう見ても「用心棒」のリメイクですが、この小説は読む人によってさまざまな解釈がありうる内容であり、 黒澤の解釈は一読書人としてのそれであって、インスピレーションを得たというのがピッタリに思えます。 コンチネンタル・オプはサム・スペード以上に非情に思え、乾いた荒っぽいリアリズムに徹しており、暴力も過激です。 「マルタの鷹」と並ぶハードボイルド黎明期の傑作であることに疑いの余地はありません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
チャンドラーに惹かれて、ついでに読むことにしたが内容も文章も稚拙なので途中で打ち切り | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
複数のギャング 悪辣な警察署長が極めて微妙なバランスの上ではあるが共存できていた町。 そこに殺人事件が発生 かっては町を支配していたこれまた一筋縄ではいかない老人からの依頼を うけた私立探偵が登場。ポイゾンヴィル(町の名前)というごった煮の鍋は静かに煮立ちはじめる。 ずいぶん前の作品ですがいま読んでも古臭さを感じることはありません。馴れ合いを 拒絶 他者を冷徹に評価して おのれの目的達成のために利用 いざとなれば 平気で裏切る これを なんの躊躇葛藤もなしにおこなう主人公 日本人作家がなかなか造形し得ないタイプの人物像だと思います。否応なしに 世界の海千山千の人々と伍して生きていかなくてはならなくなった私たち日本人。 こういう風に生きなさいとかじゃなく こういう他者との関わり方がもしかしたら世界標準なんじゃないか?そいいうアプローチの視点からも ぜひぜひのご一読をお勧めします。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!