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チューリップ
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ダシール・ハメットの遺作でありながら未完成のため単行本未収録だった「チューリップ」を始めとする、11篇の中短編作品が収められている。 | ||||
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本書巻頭収録の『チューリップ』は、ある時期からほとんど作品を発表することのなかった作者ダシール・ハメットが長く呻吟しながらだろうか、結局完成させることのなかった中編小説である。巻末の作品リストによれば、1934年を最後に61年の死没まで、もう一作(「不調和のイメージ」)と本作以外に作品はない。読後感は整理しにくい。長年、彼の小説や伝記を訳し続けた訳者による《「作家ハメットのハードなコアを堪能した」のひとことに尽きる》という切実であるに違いない言葉にもっと寄り添って考えるべきか、それともこの小説のなかの一人物による《「あなたの友だちのチューリップは変わった人だね?」》にならって、その「変わった」作品性にポイントを置くべきか迷う。 逝去するまでの長い期間のなかでハメットがどのくらい文章を練り、作品に集中したのか定かではないが、いくつかの点において作者が可能なかぎり作品の「彫琢」を目指したとは思えない。 たとえば専門家である訳者にさえ特定できない固有名がいくつか登場するが、あたかもそれは公表を考えない私的なエクリチュールの残滓のようである。初めのほうに一人称で進行しながら急にチューリップの物語(三人称)に入る箇所があるが、かなり不思議な文章運びである(閉じる部分では《こんな具合にチューリップが自分の脚色した話を語っているあいだに、》とあるが)。「私」が書いたというある書評をチューリップが「私」に読ませるかたちで「引用」しているところも唐突感は否めない。 ところでハメットの短篇に長い会話体で事件を明かして結末をつけるものが複数ある。この『チューリップ』では後半に長いセリフで「私」が自分のことを語るものの、それはまったく結末感をかもしていない。そのことも含め本作が面白いのはハメットがそれまでのハードボイルドから脱しようとしているところだ。上記の指摘箇所なども、瑕疵〔かし〕というより、この小説の奇妙な味わいを増幅させる要素になっているようにさえ思う。書けなさというそのことが書きこめられている感じだ。 『チューリップ』の最後にはリリアン・ヘルマンによる「結文」が付されているが、訳註で《訳文十行の》とあるのは雑誌における訳を踏襲したミスであろう。ここでは七行しかない。それにしても本書において、この作品にだけ7ページもの訳註があることが、本作の性質を現わしている。オリジナルを読もうとする人も、これは必要であろう。 | ||||
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