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共喰い
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共喰いの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.19pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全192件 101~120 6/10ページ
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あの会見の物言いにつられ買った口ですが、 わざとだとしてもあれは良い宣伝になったと思います。 賞賛の意味をこめて☆4で。 いろいろたたかれることもあるかと思いますが、頑張ってください。 | ||||
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方言が随所に出てくる時点で個人的にはうわ…と思ってしまいました。 寝る前にちょっと…という風に読むための本ではありません。 それなりの姿勢で以て、それなりに根を詰めなければ、少なくとも現代の若者にはなかなか読めないでしょう。 自分もその「現代の若者」に含まれるわけですが。 | ||||
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息が詰まるような濃厚な空気。 本書に収められているどちらの作品も、地方の小さな集団の閉塞感、少年 特有の不安な心持、コンクリートとビルの都会では感じられない土の香りが 巧みに描かれ、濃密でねっとりした雰囲気が伝わり、読み応えがある。 | ||||
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好き嫌いは分かれるようですが、私は好きです。 全体的におどろおどろしく、暗く重い。 フィクションですが、読みながら「私には見えないところで現実にもきっとこんな事実があるんだろうな」と思いました。 人間の裏を見た感じです。 だんだんと、でも確実に父親と同じ性癖が芽生える主人公。 負の連鎖と言うんでしょうか。 きっと父親が死んでも、その『負の連鎖』によって新たな苦しみがまた生まれるんじゃないかと身震いしました。 | ||||
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少し読んだだけで失望しました。これが純文学でしょうか。似たような作品に野坂昭如氏のエロ事師があります。大阪弁で独特の世界を表現していますが、どちらも純文学ではないと思います。どちらもウンザリする内容ですが、比較すればエロ事師のほうが上だと思います。大阪弁と異なり山口弁は馴染みがうすく分かりにくい、という面の配慮が足りません。十分な推敲が必要です。例えば始めのほうですが、「あんたは自分の股間、触りたそうに、危ない感じで右手動かして、別れる権利はお前に預けちょくけえつき合おうや、って言うたんよ。」分かりにくいけど、よく読めば分かる、それでいいのでしょうか。あんたは自分の股間、より、あんたはあたしの股間のほうが分かりやすい。危ない感じで右手動かして、とあるけど、なにこれ?意味がいまひとつです。推敲してほしかった、純文学は文章が命のはずですので。 | ||||
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これまで田中慎弥は二つとして同じ調子のお話を書いてこなかったが、このお話の前後でスタイルが固まってきたように思える。簡単に言えばドラマ性が高まってきていて、その分、私小説性が薄くなった。そういった意味ではこの作品が芥川賞を受賞できる最後の作品だったかもしれない。相変わらず悲惨な話だが、殺人事件が起こっても暗くはならず、いっそさわやかな感じがするから面白い。次回作からどう動くか注目だ。 第三紀層の魚(『すばる』2010年12月号) 釣りをキーワードに展開される、もはや自己薬籠中のお話。お爺さんの勲章話が泣かせる。 | ||||
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率直な感想は、駄作じゃないけど新鮮味なし。 昭和三十年代でも違和感のない場面設定に、純文学の定石通りの古めかしい文体が彩を添える。 玄人も唸らせる(?)秀逸な描写と、郷愁をそそる方言の会話が上手くかみ合い絶妙の味を出している。 過剰な性描写が批判の的になっているが、この物語を進行させるには不可欠だし、多過ぎるきらいはあるが仕方ないと思う。 むしろストーリーもテーマも釈然としない小説よりは好感が持てた。 残念なのは、目新しさが何も無かったこと。 読書中にかつての有名作家の顔が幾つかチラつき、思わず薄笑いを浮かべてしまったことも度々。 上記の長所を含めすべてが過去の名作の焼き直しになっており、斬新な点や度肝を抜かれるような箇所が見出せなかった。 細かい情景描写はもう時代遅れで今時うけないし、過激な性描写も大半の読者には免疫が出来ており驚くには当たらない。 娯楽小説ではないので奇抜なストーリーは却って不相応かもしれないが、もう少し意外性があっても良かったと思う。 まぁ芥川賞は基本的に、純文学作品に与えられるのだから新鮮味や緊迫感が無くてもいいのかも知れないが・・・ | ||||
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「共喰い」、「第三紀層の魚」を収録。以下感想、 共喰い 良くできた恋愛物語以上の何物以外でもない、とか言ってしまうとそれまでだが簡潔に言うとそこら辺で、読後の印象も薄かった。反吐が出る性癖とか、同じ血とか、その手は古いとも思えるが、読み物は流行ではないのであくまで主観ということで。描写も、心理、風景等にわたり緻密かつ丁寧だし、方言を使って人物に会話をさせるとか、結構読ませるが、物語も良くできてるが、やはり、図抜けた感じがするでもない。うなぎの描写の使い方は賛否両論あるのは良くわかり、生理的に受け付けない人も多々居るだろうが、仕方ないとは言えどもやはり大衆向け読み物を書くからには、プロとして読み手の期待に沿う方向で応えていただきたい、だけじゃないなあ、なんちゃらの話でうなぎが絡んでくると、表現として古くて安っぽいなあ。一番良くできてると思ったのは、主人公の少年の心理描写である。ここが受賞のポイントか? 第三紀層の魚 少年と曽祖父の交流を描きながら、少年が周りの人物のことを考えながら成長していく、そんな物語。共喰いより、前の作品のようだが、やはり描写は完成されていて丁寧かつ緻密である。疲れているとなかなか読むのに堪えるかもしれないが、淡々とした日常と魚釣りの描写の中に、想像力を掻き立てる物、想像逞しく想像する余地も準備されていて、なかなか上質な物語に仕上がっている。第三紀層の魚のテーマのつながりは、どうもいろいろとわけがわからないとか、テーマがこれなら、テーマはどうあるべきだと言いたいのか、或いはテーマはどうだと考えているのか、等は思いそうだが、テーマが見えない人は勉強が足らない、そしてテーマが分かったら答えはどうでもいいのではないだろうか?読後の印象も濃いものになるだろう。感受性が強い人なら何か分かりそうだし、そんな人も読んで損はないようには出来てるのではないか? と言うわけで、中々良い読み物でした。 | ||||
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昭和のなんともいえぬ雰囲気が漂っていて、自分の生まれ育った時代と地元をしみじみ思い出しました。 作品自体は読みやすく一気に読めました。ただ、主人公が父親と同じ性癖を持っていると分かったあたりの描写に衝撃度がなさ過ぎというか、あまりに淡々と物語が進み もう少し深かったら・・と思うとこともあります。とは言え、読み終わったあとは読んでよかった、作者の過去の作品ももっと読んでみたいと思いました。 個人的には「共喰い」より「第三紀層の魚」の方が好みです。 | ||||
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過去の作品をいくつか読んでいたが、力量のある作家であるのになぜ今まで芥川賞を取れなかったのか疑問であった。 しかし「共喰い」によって、純文学と芥川賞と田中氏の作品に対して失望した。自分も性的な描写はきつかった。この筆力で清涼感あふれる作風の小説があったら読みたいものだ。 作者のキャラは100%買える。 | ||||
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このような「いかれた人間」が社会を牽引することもある。ひょっとすると、いまだに普遍的な根源悪、人間の「ぽんこつさの」原型かもしれない。しかし、 現在実際に起きている現象にまったく及ばないし、主人公の、即ちそれは、著者の心情の投影なのだろうが、ただの性欲の塊の思春期少年と知性の足りない親子の物語に過ぎない。 なんら普遍的なテーマもなく、かつ、一人間存在を描いているとしても想像力も乏しい。くだらない冗長な比喩表現だけはテクニカルである。こんなものを一押しする文学界を、厳しい現実を生きるわれわれは必要としない。言葉で飯をくおうと計算した人間の薄汚さ満載である。書かないでおれないものがない小説家はジャーナリストにまったく及ばない。 悲しい穢れた血の物語に帰結しないで、もっと冷酷で緻密な物語(現実)を描くべきである。 | ||||
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「泥の河」を思わせる様な昭和期の川べりの風景ですが、そこに展開されるのは陰鬱で行き場のない閉塞感に満ちた世界です。 私たちが子供の頃には、こんなどうしようもない父親たちが時にいたものです。 そんな自己中心の暴力的な男性に対し、恐れおののき避けて通ったものです。 そんな世界を書くとしたら、やはりこんな結末にならざるを得ないのでしょう。 もし、この作品が芥川賞を受賞しなかったとしたら、決して手に取ることのなかった作品でしょう。 それほど私自身の好みとは対極にある作品です。 むしろ、一緒に収録されている「第三紀層の魚」の方が、個人的には気に入りました。 「死」と「生」、「死に行くもの」と「育って行くもの」の対比が見事で、「死」を通して人が育って行くと言う事が良く伝わってきます。 旧姓に戻しての母子の新たな生活に薄日が見える様です。 | ||||
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石原慎太郎が芥川賞選考委員をやめるきっかけをつくった(?)問題作。就職もせずに文学を追求し続けた筆者らしく、力に満ちそして研ぎ澄まされた文章力はすごく、惹きこまれた。しかし、書かれていることに共感できるかというと・・・。 父から子へ受け継がれる性と暴力。これは文学なのか、と読みながら何度も自問した。バタイユのように陰鬱に描けば文学的なエロチシズムで、田中慎弥のように苛立たしく剥き出しに描けば文学とは呼べないのか。いや、たぶんそれが問題なのではない。 石原慎太郎は「自分の人生を反映したリアリティーがない」と批判したらしい。別のところでも最近の受賞作家に「自我が薄っぺらい」と苦言を呈している。ならば醜いドロドロした自我を文章にして世に問うのが文学なのか。そういえば昭和の戦後文学にはそういうのが多い。 思えば石原の芥川賞受賞作「太陽の季節」も、その反倫理性たるや相当なものだ。ただ数年前TVドラマ化された時には、原作よりも相当薄まったストーリーになっていて、そういう薄味の時代を我々は生きている。そんな時に田中慎弥はドロドロした貧困が残る昭和を思い出させようとした。陰惨さに現代人から目を背けられても、一方で旧時代人から「それはオマエの自我じゃないだろ」と批判されても、彼にはまた次の小説を書いてほしい。書斎で原稿用紙に向き合うだけで次の小説も紡いでいくとしたら、それはそれで田中慎弥の自我になるんだろう。 | ||||
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話題の本、ということで読んでみた。 閉塞感があり、陰鬱な気分になる。 それは、やはり文章に力があるからに違いない。 そう意味では読みごたえはあるかもしれない。 しかし、自分にはこのような性的描写は読むのがきつかった。 息子は何故、突然殴るようになったのか? 何故母は最後にあのような行動に出たのか? 肝心の部分に読み手の感情が付いていけず、 ???となってしまい、その都度、素に戻ってしまう。 いずれにせよ、読み切るのがここまできつかったのは久々な小説でした。 | ||||
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予想以上には、楽しめた作品だ。 まず、描写力がある。人々の描写、川辺にある町の描写、 細やかな表現力がある。 構成力もある。義手、太刀魚といった言葉が、「ここで もう一度、出てくるのか」と唸らせる伏線の作り方などは、 手馴れた感さえある。悪く言えば、鼻につく。 宮本輝氏が選評でこう述べている。 「何者かへの鬱屈した怒りのマグマの依って来たる根を もっと具体的にしなければ」 確かに、主人公の高校生の行動の根っこの部分がわからない のである。父親の性癖に呪縛されている、という心理はわかるが、 すべての行動に理由は示されず、「こうせざるをえないんだな」 とはならない。 しかし、ここが逆に、この小説の広がりであり、深みであり、 人間の奥深さを描くことに成功している、という見方もあるだろう。 中上健次の世界を彷彿とさせながらも、中上健次の小説から 放射される人が抱え持つ「重力」というものが感じられない。 すでに、三島賞も獲っているだけはある、筆力の優れた作家である ことは確かだ。 | ||||
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本屋で何気なく本を開いた。 芥川賞と書かれていたからでもあるが、『共喰い』の名前に惹きつけられた。 どんな内容なのか・・立ち読みしながら、ページを捲るたび泥臭い陰鬱な性の世界。でもそれだけじゃない。好感とはよほど遠い感覚の中で、それでも本を放せず最後まで読んでしまった。本を置いたあと強烈な印象がいつまでも脳裏に焼き付いて離れない。 | ||||
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ちょっと文章が読みづらくて、最初は なじめなかった。正直なイメージ。 しかし読み進むうちに仔細な描写に引っ張られて グイグイ読めた。 高校生の男女の純粋なだけに妙な動物的恋愛の匂い感と その変な父親の色け、性欲の話が 寂れた日本のとある、よくある田舎町で展開されていくのが なんだか、懐かしい。 三島由紀夫や、花村萬月のエッセンスのパーツがちらちら 見え隠れして、嫌いではない小説だなと思いながら読んだ。 しかし共喰いの主人公の父の人生の劇的な収束の仕方には参った。 あのような現実のドラマはあるのだろうか? あったとしたら人間とはなんとも滑稽な物か? そんな風に思えた。 自分はあんなふうな生き方はしたくない。 一緒に入ってる2作目の「第三紀層の魚」のほうが 面白いと思うところもあった。読者にやさしいし。 でも読んだあとに印象が残らないのはどうゆうことだ。 読んでるときは面白かったのに。 「共喰い」があまりにも印象深いのか?? | ||||
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田中はこの作品で芥川賞を受賞した。五回目の挑戦だった。しかし彼は過去に新潮文学新人賞、川端康成文学賞、三島由紀夫賞と主要な賞を取っているので、実力は有るのだ。 何と云っても受賞後のインタビューで「都知事閣下と、東京都民のためにもらっといてやる」の発言は、半ば面白く、半ば傲慢で、いったいどんな小説を書く奴なんだと興味を持ったのは確かだ。 読了して、作品と作家のパフォーマンスは別物だと認識した。 時代は昭和六十三年七月。十七歳の篠垣遠馬は近所の一歳年上の可愛いとはいえない会田千種と、衝動のおもむくまま性交に耽った日々を送っている。この辺り、ブンガクとセックスは相変わらず切り離せないのだなと苦笑する。 六十歳近い生母で義手の仁子は川向こうで魚屋を一人で営んでいた。十歳年下の父の円は仁子と別れて胸と尻の大きい義母の琴子と住んでおり、遠馬も一緒だ。円は性交の時、相手を殴りつける癖があり、仁子は遠馬を生んだあと、それで別れた。お腹の大きくなった琴子も、円の子供が出来るというのに別れようと考えていた。これらの登場人物の他に、アパートの女(娼婦)も出てくる。 猥雑なストーリーなのだが、文章そのものは悪くない。―--アスファルトの路面が夕闇の底から一歩毎に現れてはうしろに退いてゆくのを見ていると、今年の夏ばかりか、川辺の風景や人や時間までもが運び去られてしまうかのようだ・・・。アトランダムに選んだが、この辺りの文章はやはりブンガクのにおいがする。 只、選考委員の宮本輝は、筆力は認めるものの、性交の描写で何を云いたかったのかと疑問を呈し、私も何故ブンガクは性懲りもなく性交と、本書では暴力を持ってくるのか首を傾げる。 後半の流れをみると、この二つが伏線になっているのは認めるものの、だからどうなんだと云う感想は残る。結局、遠馬の立ち位置が判然としないので、狂言回しですらなっていないプロットの甘さが拭いきれない。 とはいえ、あっけない幕切れだが、ここまで読ませる力量は認めよう。 | ||||
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小説としての新しさは全く無いのだが、田中慎弥氏の文体は非常に書き込まれていて、たぶんこの点が読者を魅了する「唯一のこと」なのかなと思える。 最近の芥川賞受賞作品に共通する「性的描写」と「暴力描写」が中心なので、私自身としてはかなり「うんざり気味」で、審査員の石原慎太郎氏に共感してしまうのが正直な感想だ。 しかしこれは逆に言うと、そういう作品以外に目に止まる作品が無いという現実もあるのだと思う。 小説は作り手にとって自由なものだし、それを読者がどう読むのかも自由だ。 年代的に若い読者で、あまり昔の作家の作品を読んでいないような人にとっては、非常に新しい発見があるのかもしれないが、私のような色々と読んできている読者には非常にキツイし、模倣の連鎖の中で派生的に出てきた作品という評価しか出来ないことが哀しい。 田中慎弥氏には、もちろん今後も期待したいし、力はあると思えるので、今後の作品に期待したいと思います・・・。 | ||||
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もし今村昌平が生きていたら、シナリオにしてモノクロで撮るであろう 小説。彼一流の演出で「重喜劇」と成り得たかもしれません。 (反対に、小津さんなら唾棄する作品でしょうね。) 過去の日本的私小説に馴染みがない若い読者には この作品は新鮮に感じられたかもしれませんが、 個人的には、この手の類は「もういいでしょ」って感じですね。 スケールの大きい、世界の誰にでも訴えることができる日本人の 作家の出現を期待しています。 | ||||
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