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共喰い
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共喰いの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.19pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全192件 1~20 1/10ページ
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この本に収録されている『第三紀層の魚』がとても好きで、何度も読んで、何度も思い出し泣きしています。文庫本は安価なので、この第三紀層の魚だけを目当てに購入しても後悔しないと思います。共喰いみたいな小説も書くことができて、また受賞インタビューでも見せたあのような振る舞いをしながら、このようなお話も書けるなんてやはり芥川賞作家はすごいなと思いました。 | ||||
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最近の芥川賞作品は訳のわからない変な内容が多いが、この作品は文学の王道といった感じである。 作中に義手が出てくるが、私は元理学療法士なので文学作品に義手が出てくるのは親しみが持てる。また、主人公の父親のような男は、昔の田舎には割と良くいたのではないか。ただ一点残念なのは、書き出しがまるで歴史小説のようで、凡庸な書き出しでもう少し工夫して欲しかった。 一緒に収められている「第三紀層の魚」であるが、曾祖父の介護や次第に呆けていく様子などがリアルであった。ただし、題名と内容はそれほどリンクしていないので、何か別の題名でも良かったのではないか、とも思う。 この作家の小説を読むのは初めてだが、伝統的な純文学という感じで面白かった。別の作品も読んでみたいと思った。 | ||||
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着想種とでも言ったらいいのか、この小説で小説を書こうとする人の何らかのヒントになるという確率は、他の人の小説よりも高いのではないかと、ふと妙な事を思った。尚評価ポイントは3.6といった所で、四捨五入して4とさせてもらいました。 | ||||
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この尋常ならぬ粘り気。 ストーリーはありきたりなのに、芥川賞審査員の首を縦に降らせたのは空気感か。 また、方言が強く昭和生まれの私にはそこも良かったのか。 一度も生業にも就かず、ただひたすら小説だけに向き合う、ある意味社会不適合者である著者の並々ならぬ思念を感じる作品でした。 これを2度3度読む人ってどのくらいいるのでしょうか。 | ||||
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本自体が思っていたものと少し違っていましたが、不満ではありません。機会がありましたらまた宜しくお願いします。 | ||||
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息子(男子高校生)の恋人(女子高校生)を、土砂降りの雨のため行われなかった祭りの社で、犯したため実父を殺した実母や、 女との交わりのとき、暴力をふるい、それが、性の交わりの放出欲を冪乗するという実父、 同性愛的に息子には弱々しいようにやさしい、息子が男なら女のように、息子に対するときは、なまめかしいように描かれている実父、 性の交わりのときは暴力をふるわれたのだが、実母の腕がないことを気持ち悪がる訳でもなく、頓着しなかった実父、 しかし、実母に殺され死んだからか、暴力的で俗物的というか即物的な男として描かれているのに影の薄い──ように感じてしまうのだが──実父、 そんな周りの実母や実父の大人に囲まれて、硬い殻に囲まれた、まだ柔らかい果実のような、未熟な初々しさをもって、男子高校生の心の弱さとか孤独の不安とかが(特に後半)描かれてる感じがする。 また、男子高校生の、この実父に犯されることになる女子高校生の恋人も、犯されながらも、犯した者への焼きごてのように凝固した憎しみを体の中に透明に流しながらも、その他の点では犯される前と変わらぬふるまいが感じられ、そこが男子高校生との対比で、強さというか、振れなさというか、日常という中性性というか、が描かれており、それが、細々の辛苦を細胞のなかに溶かし込んで、皮膚が厚くなった大人たちのなかの、初々しい果実のように、男子高校生のひ弱さと対比しながら、描かれているように思える。 もちろん、男子高校生には、猫の比喩やその観察の実感によって、時間だけが存在し、空間が存在しない、実母による実父の殺害前の感覚から、時間が空間に溶け込んで、位置づけられて時間が過ぎていくようになる感覚への変化や、赤犬や鰻や蝸牛やの動物の観察を通した、また恋人とのセックス(をしたいこと)や自慰や実父の妾への欲情などを通した心模様の変化や機微や凹凸が描かれるのだが、その印象は変わらない。 他の方のレビューをぱらぱらといくつか読んだが、この印象の差を感じざるを得なかった。爽やかな青春小説と言っても言い過ぎではないと思う。 因みに、このタイトルの感想は違うかも知れない。 | ||||
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性行為中に暴力衝動にとらわれる父。「共喰い」は、そんな父の血をひく高校生が主役の、陰々滅々とした作品である。 父と愛人、父に愛想を尽かし家を出た母、主人公の彼女と、登場人物たちの間に、取り返しのつかない暴力への引火装置が見え隠れする。はっとするような残酷さが潜んでいるのだ。クライマックスからラストにかけての出来事には不快な気分にさせるが、小説として読ませる力強さがある。 「共喰い」より、関門海峡のとある町が舞台の家族ドラマ「第三紀層の魚」の方が好み。本作品の細やかな描写から、著者は意外(?)に心優しい方なのかも、思ったりして。 【芥川賞】 | ||||
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芥川賞受賞作と知り、遅ればせながら購入し読了。 …何とも言えず。 併録の作品の方が、私にはハマった(ちょっと背伸びした児童文学みたいで良かった)。 | ||||
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主人公や周りの人が、 釣りをする描写がおおいです。 表題作にも、もう一本にも、 ストーリーに深く、 釣りが関わってきます。 でも釣りをしないひとには、 あまりピンときません。 そこが、まぁ、 知らないのがわるいのか、 知っていろとするのがわるいのか、 どちらとも言えませんが、 個人的にはマイナスポイントでした。 物語はとても入り込みやすく、 ミクロな視点ですが、 そこに確かにあるはずの、 時間を描いています。 時間に翻弄され、 時間を持て余し、 時間に置いていかれる。 そこがとても現実的で、 ずっと柱時計の音が、 読んでいる間中、 聴こえてきました。 それは不穏で、不快で、 辛く、直視に耐えない。 でも、だからこそ、 そこにストーリーを置く、 必然性があるわけで。 表題作は、 性をテーマにもしていますが、 これも人によっては、 不快に感じるかもしれません。 でも、 性は人に共通のテーマでもあります。 暴力が、強きから弱きへ流れるのも、 自然なことです。 暴力描写はほぼありませんが、 その点で暴力を、 キチンと描いているとも言えます。 カッコつけないで描けば、 抉るように描けば、 追い込んで追い込んで、 とことんまで人を描けば、 不快はカタルシスになります。 悲劇を楽しむには、 文字表現が最適です。 絵や映像があると、 楽しめない可能性もあります。 『共食い』は、 映画化もされているのかな? アマゾンのオススメに、 さっき表示されました。 そちらは観るかわかりませんが、 この作品は、 ストーリーを忘れたとしても、 読んだ経験により、 何かがのこると思います。 何かをのこせる人を、 文豪と呼ぶのだと思います。 好き嫌いはあるでしょうが、 そしてぼくは、 決してこの作品も、 作風も好きではないですが、 この著者様は文豪だと思いました。 剥がれやすい、 文豪の皮を被った、 仕事で文を書く人ではなく、 ちゃんとした文豪だと思います。 あとがきの、 瀬戸内寂聴さんとの対談が、 とても穏やかで、 敬意と温和と知性に満ちていて、 相手を認める会話をされていて、 とても素敵なお二人だなと、 人間的にファンになれました。 いいおまけですね。これ。 | ||||
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中上健次を思わせる展開であるが、全く違う。 設定や展開が安易、表現がぎこちなく迫って来ない。 リタイア寸前の某女流賞選考委員の「都会で浮遊する若者に較べて、地方の若者は質量が大きい。・・」には寒々として苦笑してしまった。この程度にしか読んでいないのか。 | ||||
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海辺の街で男と女が暴力的なセックスをすると、それはもう文学になる。 私も海辺の街を見て育ってきたのでわかる。 人は海辺の話を書きたくなってしまうし、海はあまりにも巨大なので暴力を助長させるし、粗野な水の香りはセックスと相性が良い。 まあこの作品の場合は海というよりも川だが、水辺には違いない。 恐らく人間の思考回路、共感回路というのは大体似通っていて、{海,暴力,性}というイメージの集合はひとつの定型になっている。 本作の場合はそれに加えて、プロレタリア文学的な「下賤の者の美」に溢れ、そこに父と子、血縁が絡む。 むしろそちらが本作の芯ではないかとも考えられるが、私にとってはやはり{海,暴力,性}が先にあり、それ以外は全部後から付け加えられた副次的なものに見える。 祭と神社という要素が物語を彩り、中国地方の強い訛が何とも言えない汚らしさと力強さを作品に与える。と言っては怒られるかな。もちろん褒めている。 短いながらも力強い作品になっていて、芥川賞を取ったのも納得した。 私が田中慎弥の作品を手に取ったのはこれが初めてで、たまたまだった。 読み終わったあと初めて、「例の」会見の人だと知った。 もう十年前にニュースでちらりと見ただけだったはずなのに、ウィキペディアの顔写真をひと目見ただけではっきりと「あの人だ」と思い出したのですごい。 当時の都知事は石原慎太郎で、石原慎太郎といえば歯に衣着せぬ辛口批評で有名だが、芥川賞選考委員辞任の際に「最近の候補作は自分の人生を反映したリアリティーに欠ける。心身性、心と身体といったものが感じられない」というようなことを述べていた。 一方で田中の作品(本作)については「俺はむしろ彼の作品を評価した」とのこと。 石原が言う「心身性」というのがどういうことなのか、本作を読むとわかるような気がする。 以上、文学評論っぽくちょっと気取って感想を書いてみました。 田中さんの他の作品も読んでみようと思います。 | ||||
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「共喰い」では異常性の中の親子のつながりや葛藤を描き、「第三紀層〜」では心の拠り所となっていた曽祖父の死を通じて主人公が悩み成長する姿を感じた。芥川賞ではあるが、機微や心情の変化・描写含め非常に読みやすかった | ||||
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芥川賞受賞作会見の印象が残っており、期待して読みました。始めから最後まで「性と暴力」について書かれており、ときおり不快な気分になりました。しかし、最後のシーンだけ共感でき、やはしこうした物語はこういう終わり方が一番良いのかと感じました。 | ||||
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今でいうところのdomestic violenceをテーマにした物語でしょうか。 まあ,酔っ払って手を挙げる人はいるでしょうが,セックスをやっている最中に手を挙げるのはサディストでしょう。どれくらいいるのでしょう。そういう人が。いや,そういうふうにこの作品を読んではいけないのかもしれませんね。読者に読んでほしいことは,共感でもないし,反発でもないし,世の中にはいろんな人がいるんだなあということか。ますます分かりません。分からないことが文芸なのか。いや,簡単に分かっちゃまずいのでしょう。芥川賞だから。やすやすと分かってしまっては,芥川賞の権威が落ちてしまいます。純文学とやらをもっと勉強しなさいと・・・。もうたくさんです。 田中慎弥さんは一見eccentricな人ですが,そういうことはどうでもよくわたしたちには作品が全てです。 | ||||
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もっちじっくり読めば味が出てきたのかもしれないが、表面的に読みすぎたかも | ||||
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芥川賞受賞時に「もらっといてやる」、と何か逆切れ気味だった会見ばかりが印象にあった作家さん。当時私は文学とか読書とは縁遠い生活で、仕事と家庭で精一杯の時期でした。 さて、先日図書館に出向いたところ、在庫処分?なのか無人販売所で30円で本作が販売されておりました。手に取って作者名をみて会見のシーンを思い出し、手に取りました。 本作は表題作の「共喰い」と「第三世紀の魚」の二本立て。以下に簡単なあらすじと感想を。 『共喰い』 エッチを覚えてしまった高校生の遠馬、その彼女の千種、女性に対してはだらしない父親(しかも最中に暴力を振るうことで興奮するらしい)、父と遠馬と共に暮らす琴子さん、遠馬の実の母で隻腕の仁子さん。こうした面々が田舎の狭い共同体で生活するさまを描いています。 若い性の横溢。そしてその親にも未だに漲る性。繰り返される暴力。これがテーマでしょうかい。 個人的には暴力よりも、性へのオープンな様子に関心を引いてしまいました。 性の目覚めを経た後に、父親と継母の性生活を知ってしまうというのは、複雑な心境になります。また少年自らの性の営みを父親や母親に悟られるのも、これまた恥ずかしい。性の話は最も根源的なトピックですが、なかなか正視しづらいものです。我が家も長男がもうじき高校生になろうとしていますが、その手の話をなかなかできずにいます(教育的な観点ですよ)。 その点で本作は、なんというか下衆、醜悪な部分があるかもしれません。性という人間の本質、見たいけど正視したくないものを、あからさまに見せてくる。 笑いにおいて下ネタは反則、などと言ったりもしますが、小説でも同じような気がします。良くも悪くも性への印象しか残らない。 そういえば、若者の溢れんばかりの性、という点でいうと、かつて読んだ『青春の門』を思い出しました。 『第三紀層の魚』 はじめに『共喰い』を読んだので、こっちの作品は非常に静的に感じました。戦争を経験し今は死ぬ間際である曾祖父、警察官だった自殺した祖父、そして急な病気で亡くなった父。このような過程で母と二人で暮らす小学生の主人公。 バックグラウンドが暗い感じの家ですが、描写には暗さはあまりありません。調子の悪い曾祖父と主人公が共通の話題である「釣り」や「魚」を通じてコミュニケーションをとる様子など、題名にもある通り「魚」がテーマとなっています。 これと言って印象は強くないのですが、内容に起伏があるわけでもないのに、文章が丁寧でとても読みやすく感じました。 ・・・ とてもしっかりとした堅実な、でも読者にやさしい読みやすい文章を書く作家さんだと感じました。ただ一般的な娯楽小説とは趣を異にするので、大売れしなさそうに感じました。機会があたら他の作品も読んでみたいです。 | ||||
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人の内面にあるどす黒いものを、美しい文体にのせて浮かび上がらせていると感じました。読んでて楽しくなるようなことはないのですが、読むのが病みつきになり止まらない。 主人公の母親の振る舞いは、最初から最後まで切ないものがあった。 | ||||
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『共喰い』(田中慎弥著、集英社文庫)」の主人公、17歳の高校生・遠馬の50歳近い父親・円は、10歳年上の妻で遠馬の母親である仁子とは別居し、35歳の琴子と遠馬と暮らしています。近くのアパートの角の所で地面に腰を下ろし、声をかける男を待ち続けている40歳くらいの女とも関係を持っています。さらに、欲情を抑えられずに、遠馬の1つ年上の恋人・千種をも犯してしまうという大変な男です。その上、セックス時には、相手を殴りつけたり首を絞めたりすることで自らの快感を高めるという尋常ならざる性癖を有しています。そして、遠馬にも同じ性癖が受け継がれているのです。 「(朝の五時)階段の上から目だけで、豆電球のともっている座敷を覗く。見るのは初めてではない。大きくて厚みのある琴子さんに小柄な父が埋め込まれ、その肉の塊が、不自由を味わっているように、苛立たしげに、止まることなく動いている。・・・父が腰を振動させながら上半身を反らせると、琴子さんの髪を掴み、反対の手で頬を張った。肉の音から少し遅れて琴子さんの吐息が出、それに反応したように父の動きが速くなり、両手を首にかけて絞め上げる」。 彼らには、劇的な結末が待ち構えています。 小説を読むのは、別の人生を経験することだと誰かが言っていたが、その意味で、臨場感溢れる本作品はその役割を律儀に果たしています。ところが、私は決して聖人君子ではないが、登場人物たちのようにセックスだけが生きがいという人生は楽しいのだろうかと考え込んでしまいました。 | ||||
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日頃、あまり小説は読まない者ですが、数年前、あの記者会見に影響を受け、本書を購入し全て読みました。 さすがに著名な賞を受賞するだけあって、まぁ、面白くはありましたが、ちょっと何とも言えない暗さというのか、不衛生さというのか、それはある意味、人間的というのかも知れませんが、どうも私には心地よくはありませんでした。 本書を読む直前期に読んでいた小説が、村上春樹の1984であったため、なおさらそう感じました。村上春樹の小説の世界は、おしゃれな非現実的な綺麗な世界というのか、都市的というのか、「そんな人間いないよ」というような人間が登場するというのか、ある意味前向きというのか、そういう印象を受けますが、本書はその真逆な印象を受けました。 | ||||
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