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共喰い
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共喰いの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.19pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全192件 21~40 2/10ページ
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文章は文句なしにうまく、ぐいぐい引き込まれます。個人的に一番好きなのは、貧困や汚さの表現。 あまりに巧みで、文章をそのまま想像してしまうと不潔さで気持ち悪くなってしまうので、 途中から背景描写を読むときは意識的に連想をやめていたほどでした。 ラストがやや王道すぎはしますが、ああしないと終わらなかった話なのはわかります。 ただ、後半収録の対談…ほとんど瀬戸内寂聴が自分の経験についてしゃべっているだけでした。 田中慎弥が瀬戸内さんの接待をしてあげているようにも思えるくらい、田中慎弥の話が少ない笑。 せっかく『共喰い』についてる対談なのだから、もうちょっと作品内容について話してくれればよかったな。 | ||||
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田中慎弥さんの、かつて「都知事閣下のために」発言でも話題となった芥川賞作品。とてもおもしろい小説です。 私的に、歴代芥川賞受賞作の中でも特に好きな小説なので、ときどき読み返していています。 (計3回ほど読みました) ストーリーの方は今さらなのであえて触れませんが、石原慎太郎さんのいう「えげつない」物語以上に注目すべきは、簡潔かつ詩的な、深く澄み渡るような田中さんの紡ぎだす美しい文体だと思います。 また、ストーリーの方もドラマティックで、この〈父と子の血の物語〉作品を比較できるものといえばやはり同様のテーマと世界観を描いた中上健次の紀州サーガ(その第1弾の『岬』は芥川賞)ですが、 もし中上さんの『岬』と、田中さんの『共食い』だけを比べるなら、個人的にはこの『共食い』のほうが高い完成度を誇っているのではないでしょうか。 (シンプルな人間関係がわかりやすいし、たった80ページほどでこの密度とドラマは凄い!) やはりプロの作家は、たとえ引きこもっていても、壮大な人間の物語が描けるんですね。そこにプロの才能というか、すごさを感じました。 ストーリは生き地獄のようでもありますが、ラストは登場人物たちの生きる強さにも充ちているので、希望もあり、はじめて読む純文学としてもいいのではないかと思います。 あと、青山真治監督(映画監督・三島由紀夫賞作家)の映画版は、原作のあともオリジナルのストーリーが展開されていて、そっちのほうがいかにも中上健次っぽくなってます。 友人で作家の阿部和重さんの代表作『シンセミア』に対抗したのかもしれませんね。 都会の日常ものではない、フィクションならではの迫力ある純文学が好きな方にオススメです。 (ちなみにこの10年の芥川賞作品だと、高橋弘希『送り火』と石川遊佳『百年泥』も詩的&非日常的でおもしろいですよ) | ||||
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前半部分はとても良いです。暴力癖のある父を軽蔑しながら、日に日に自分にもその争えぬ血が流れていることを自覚していく主人公。閉鎖された街の独特の空気感と、切迫感と生々しさのある情景描写は、大江作品を彷彿とさせるものもあり、 非常に読み応えがありました。 ただ、物語の中部からの展開に物足りなさを感じずには要られませんでした。前半部分に見られた丁寧かつ迫ってくるような描写は鳴りを潜め、雑にストーリーだけが展開してしまっている印象を受けました。 どうかあの切迫感を保ったまま、登場人物個々の心理描写をもっと丁寧に仕上げて行ってくれたならと思わずには要られません。 僕としては少し惜しい作品でした。 | ||||
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さっぱりとした小説じゃないです、といって極端に読後が悪くもない 町の描写がなぜか人物のようだ 洪水や海、川、人間が液体になって流れていくような感覚になった 血と性というより川と海の話に見えた 文章や表現よりも構成に重きを置いているのかなと思った 本格的な純文学が好きな人にはいい 面白い小説を読みたいという人にはイマイチかも | ||||
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受賞時の記者会見等、人間的に曲がったおもしろい著者を期待して読んでみたが・・・ まあ・・・がっかり・・・ 読んでる途中で・・・「ああこれレイプされんじゃね?」って思ったら、やっぱり・・・ 何ですかね? 日本の文学賞って、レイプとか近親相姦・ゲイ・レズ・自殺・自傷・殺人なんかを ちりばめないといかんの? こんなんばっかりやん・・・ もっと重くて、深いモノガ読みたいなあ・・・ | ||||
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学生で空き時間などに読んでいます。普段本はあまり読まないが面白い。 | ||||
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基本純文学はわからない。だが、時として芥川賞には凄味のある作品がある。 これがそうだ。 女を殴りながらセックスする癖を持つ父親。母は自分を捨ててから家を出たが、近くに住んでいる。あの男の遺伝子を持つ男はひとりだけでいいという。自宅にはスナック勤めの愛人が住んでいる。この女は殴られながらセックスするのがいいという。 『うちの身体がすごいええんで、殴ったらもっとようなると笑っていた』-このセリフが一番気に入った。凄いな。 その愛人が子を宿した。また同じ遺伝子が生まれることになる。 川辺の汚臭が臭い立つ背景描写も凄い。 圧巻はラストだ。本当に共食い。 なんとも荒涼とした物語だが、胸に迫るものはある。 | ||||
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気持ち悪いの一言。読むに値しないし時間を返してもらいたい。 芥川賞とはダメで賞なのかと毎回思う。 | ||||
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第146回(2011年下半期)芥川賞受賞作。受賞会見時の「もらっといてやる」発言で一躍有名になった作品かと思う(候補4回、5回目で受賞)。だが読み始めると、作者のパフォーマンスはどこかへ消えてしまっていた。 人間の情念を根こそぎ絡めとるような文体と、作品の随所にあふれる詩的なイメージ等、そこには正統な文学世界が広がっていた。テーマは「性と暴力」、そして逃れようのない「血」の問題である。中上健次や村上龍を引合いに出すまでもなく、それ自体は今までさんざん純文学で取り上げられてきたテーマだ。とりわけ新しさが求められる芥川賞においては、十分マイナスになり得る主題だが、田中氏は見事にそのハードルを越えてみせた。 作品の舞台は、昭和63年の山口県下関市。昭和の終わりそうなこの時期、地方の田舎町はまだまだ寂れていたことがよく分かる。下水処理もままならない川辺での庶民の暮らしが、執拗なほど粘り気のある文体で描かれている。 主人公の遠馬は17歳の高校生。父母はもう離婚しており、現在は父と、その後妻である琴子と3人で暮らしている。遠馬の実の母親である仁子は、実家近くで魚屋を営んでいる。どちらも、わずかばかりの稼ぎで糊口を凌ぐような、つましい暮らしだ。 父親には、ある性癖があった。セックスのときになると、女を殴り、首を絞めるのだ。遠馬はそんな父親が嫌いだった。ある時、遠馬が琴子に、なぜ別れないのか訊ねたことがある。「うちの体がすごいええんて、殴ったら、もっとようなるんて」。女は笑って答えた。頭の悪そうな女。男の歪んだ愛情がなければ、生きられないような女。 遠馬には同い年の恋人、千種がいる。会うたびにセックスをする間柄だが、次第に遠馬の欲望がエスカレートしてゆく。気がつけば、愛する千種に父親と同じことをしている自分がいた。 嫌いな人に、だんだん似てきてしまう。 それが実の父親で、人が人を愛するという根源的な営みの中に、図らずも父親の影を見てしまう。残酷である。少年の無垢な心が映し出す世界の惨たらしさに、読後感はあまり良くないが、作者の書かざるを得ない切迫感はひしひしと感じられた。名作だと思う。 | ||||
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併録されています、淡々とした日常の中に、極力作為的な演出が抑えられた中で濃厚なもののあわれを描かれています第三紀層の魚こそ、芥川賞にふさわしいかと。 第三紀層の魚と表題作でプラスマイナス星4つでございます。 | ||||
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あの性格ならこの作品が生まれてもおかしくはないと感じました。 話題性で売れたと思います。 | ||||
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直接的な性表現に戸惑い、読み終えるのに時間を要してしまいました。 | ||||
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だいぶ苦労してこの作品に至ったのだろうと、ただただその積み重ねてきた努力に脱帽です。 またそれを理解してくれるご家族(お母さんだっけ?)の存在も、きっと小さくないはず。 源氏物語ですか。なるほどですね。 原理原則は古典に求めるべきなのかもしれない。 二作目は不要でしたが。 | ||||
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近年のエンターテインメント重視の小説とは根本から異なる。 純文学ということでとっつきにくいが、それは作家の読みやすい文体と、想像力を喚起させる内容であまりある。 純文学の入門書としてもオススメである! | ||||
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とても読みづらい。文章がつぎはぎみたい。みなさん読めますか。 | ||||
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この作家については「蛹」という作品が非常に好きだった。それに比べると、「共食い」は、特に後半のドラマチックな展開において、少しばかり「読み物」として意識して書かれたのだろうかという失望を感じる。確かに、あの展開にはそれなりの理由もあるのだが、ああすることしか物語の展開が紡げなかったのかという思いもある。 それでも、この作品には読んだ後、長くたってからも思い出す下りがいくつもある。 その一つは、生まれつき腕の障害を抱えた主人公の母が、主人公の父(元夫)に対して、なぜ結婚したのかという理由。彼女はもっと条件のよい男から求婚されるが、家柄のよいその男の母親に、障害を理由で結婚を拒まれ、男も母親に同調してしまう。自分の障害をそのように見る人間に対し、母は、当然のごとく自分から関係を絶つ。彼女にとって障害は恥じるべきものではない。 しかし主人公の父は、母に対して一度としてその障害を問題にしたことはない。それどころか気にしたこともない。主人公の父のメンタルとは、人間をそのように差別しない。主人公の父は、暴力を振るうが、その対象は自分の妻(恋人)だけである。息子に対しては手を上げてこなかった。父は決してよき父ではないが、暴力を振るう方向と理由において、一つの人格を持っている。 小説の干渉とは、倫理を重んじることではない。(当然だけど)この小説におけるこの父親の人物像は、とても興味深い。そしてその父親を男として嫌ったわけではないという母の存在も興味深い。彼女は暴力には耐えきれなかったが、大切な息子については、「父の子供だから」という理由で父の元に残し、そして自分は子供の世話をするために近所に住み続ける。父は離婚後は母とは友好的で暴力はない。 物語の大半に渡るこの微妙なバランス感覚は、この小説の本質のいろいろな部分に影響する。 もちろん最後にはこのバランスがどう変化するかがこの物語の本質であるわけだが、ただ耐えるとか、抜けられないとか、我慢とかそうしたネガティブな部分だけを描くのではなく、こうした人間関係を多側面からアプローチしている点が面白い。 | ||||
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価格1円は満足するコストパーフォーマンスです。配送費を削減をして頂けるとさらに嬉しいです。 | ||||
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感性や国語力がないのかこの作品がなぜ受賞できるのか全く理解できませんでした。 | ||||
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最低な作品です。ただの強姦変態エロ作品。これは見る者を不愉快にする最低な作品。重いテーマを重く書くのは誰でも出来る。 | ||||
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表題作の「共喰い」は第146回(平成23年度下半期)芥川賞を受賞している。壮絶な男女関係、親子関係の物語。もうひとつの「第三紀層」は少年の心の動きが懐かしさを感じる物語。個人的には「第三紀層」の方が良かった。 ◎共喰い 壮絶な男女の物語であり、壮絶な親子の物語。このような愛の物語もあるのかなと頭の中で考えることはできるが、なかなか容認できない。主人公(遠馬)の父親は女性関係では鬼畜の部類に入る。息子の遠馬はそんな父親に対して憎悪に近い感情を持っているが、それ以上に自分にも鬼畜の血が流れていることに悩む。付き合っている彼女とのセックスを楽しんでいるものの、自分に流れる父親の血がいつ暴れだすのか不安になる。結局、鬼畜な行動をとってしまうのだが、父親はさらに鬼畜な行動をとってしまう。最終的には、遠馬の母親がけりをつける。その結末はある意味で読者を安堵させるものだ。非常に壮絶な物語。しかし、これを壮絶と感じるのは自分が幸せなのか運がいいのどちらかなのだろう。世の中には似たような鬼畜話はありそうだし、もしかすると鬼畜な方が人間の本性なのかもしれない。 ◎第三紀層 少年が見てきた生と死。微妙な時期に経験する微妙な経験。こうやって少年は大人になっていくのだと思いながら、自分の少年時代を振り返ってみた。少年は肉親の死をいくつか経験してきた。私は少年時代に肉親の死を経験したことがない。担任の先生が春休み明けの新学期に亡くなっていたことがあり、クラスを代表して葬儀に参列したことがあるが、その経験が、少年の経験に一番近いだろう。40年近くたった今でもよく覚えているくらいだから、この少年の場合、心に与えたインパクトは相当大きいに違いない。少年の意識にはなかっただろうが、チヌという魚を釣り上げることが、曾祖父に対する供養だったのだろう。願いは叶わなかったが、違う魚が釣れても、残されたものが喜んでいたのは少年にとっても読者にとっても救われるところだ。なんか泣けてきた。同じ経験なんかしてないのに。心にしみる作品だ。 | ||||
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