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アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
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【この小説が収録されている参考書籍】
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.17pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全309件 141~160 8/16ページ
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| あの有名な、リドリースコットのブレランの原作だけれども、 映画版は1回しかみてないので、確かなことは不明だが、 火星から地球に脱走したアンドロイドを捜して、抹殺する賞金稼ぎの設定はおなじだが、異なる内容みたい。 あまり、動物の話はなかった。 映画版は、アクションと、近未来のビジュアルがメインだった。 しかし、原作は、核戦争後の人間の生活がえがかれていて、これはこれで、十分たのしめる。 偽の記憶は、トータルリコールみたい。 | ||||
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| あらすじに惹かれて購入しました。 SF小説や海外の作品を読んだことがあまりないのですがとても読みやすかったです。 人間とは、と考えさせられるような作品でした。 | ||||
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| 本書のタイトルを完全に表するならば、本コメントのタイトルの通りだと思う。 本書に登場するアンドロイドは見た目は人間と区別がつかず、”個々の感情”を持っている。昨今のよくある話であれば、ネットワーク・AIといったキーワードと共に、アンドロイドや機械、コンピュータの精神は全体と統一したものか、それに対し特異に生まれたものの様に書かれ、「非有機精神の起源」や「その精神(権利)を人間が認めるか」が話の大筋になっていると思う。しかし、本書に登場するアンドロイドは人間と殆ど同じ様な個々の感情をそれぞれがすでに有していることが前提であり、人間とアンドロイドを識別する方法も、人間が誤認されるような問題を孕む、普通の精神鑑定方法と似たようなものとなっている。 その様な前提の下、本書の話の本質は「人間とアンドロイドの”精神的”違いとは何か?」であり、結果としてアンドロイドとは違う「人間固有の精神」を他者(生命・非生命)に対する感情、宗教を交え説いている。それが本書の話の妙であり、評価される所以でもある。 それゆえ、精巧なアンドロイドを賞金稼ぎが追う単純なSFサスペンス物語と思って読むと肩透かしを食らい、最後もしっくりこないかもしれない。また、アンドロイドが逃げる動機や、地球の人間が執拗に逃亡するアンドロイドを追う動機、アンドロイドの技術や登場する精神共有機・情調オルガンなどの説明も不足気味に思えるかもしれない。しかし、逆にそういった部分の話が単純であるがゆえに、上述の話の本質部分が鮮明になる。 アンドロイドと人間といったSF作品が好きな人であればお勧めできる(読むべき)書だと思う。 | ||||
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| タイトルが中二病界隈で有名な本書。私も、タイトルはよく聞くけれど実際はどんな本なのだろう、どれ手に取ってみようかという気持ちで読み始めたら、なんと映画『ブレードランナー』の原作だった。 中学生くらいの時に学校で観せられた思い出。その時の感想は、よくわからん映画だなあというものだった。確か教師が「最後アンドロイドが人間を助けたのはなんでか考えてみよう」とか言っていた。その時はよくわからなかった。原作たる本書を読んだ今ではもっとわからなくなった。だって原作にはそんなシーン、ないんだもの。 というか、原作の「アンドロイド」観と映画の「アンドロイド」観はまるで違うもののような気がする。原作のアンドロイドだったら絶対最後に人間助けないよ。なんかメリットない限りは。映画のアンドロイドはよくSFで描かれる被害者+敵対者アンドロイドって感じでチープ。この改変は原作レイプといっていいんじゃあ……。でもなんでか映画の評価高いらしいし、観たのは何年も前だから私が誤解している可能性もあるけれど。 さてさて小説の内容について。展開があっさりはやく進みすぎてついていけなかった部分もあった。特にレイチェルのくだり。騙し合いてたと思ったら愛し合ってやっぱり騙し合いする、あたりがあっさり書かれすぎて「え? 結局どれがほんと??」と混乱した。展開自体には文句はないのだけれど。 あと、舞台設定が素晴らしいですね! 個人的に好きなのはバスター・フレンドリーとマーサー教。どっちもこの物語内の人間に必須な狂気的アイテムで、前者がアンドロイドがもたらしたもの、後者が人間が生み出したもの。バスター・フレンドリーがマーサー教のペテンを暴いて勝利したと思いきや、それでも人間はマーサー教を信じ続ける。マーサーの勝利。 このあたりは科学と宗教の対立というか、人間の中での共存の仕方を表しているように思う。宗教の神話とか奇跡とか逸話が実際ペテンの嘘っぱちだったとしても、人間は神を信じ続ける。というか、実際どうだったかなんてそんなことは別にどうでもいい。人間が宗教に求めているのはもっと、精神的なものだから。例えば迷った時の道しるべとか。理不尽に対する心の持ちようとか。例えば、そう、感情移入と他者との一体感とかね。マーサーが作中で言っていた通り、アンドロイドには理解できないだろうけれど。あと自称無宗教が多い日本人にも理解しづらい感覚だと思うなー。私も御多分に漏れず、理屈ではわかっても感覚的には理解できないし。 最後に。この意味深なタイトルは何かの深い比喩なんだろうなあと思っていたら初っ端から電気羊なるものが登場して笑った。 この問いに対する、読了後の私の答え。 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」――「見ない」 でも、アンドロイドはアンドロイドの夢なら見るかもね。アンドロイドにも生命はあるから。たとえ、わずかな生命でも。 | ||||
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| SF小説として映画ブレード ランナー より先に読んでおけば世界観がイメージしやすかったと思うけど、どうも映画の世界に引っ張られて読むと取っ付きにくい気がしました。 | ||||
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| 数多のパロディタイトルを生みだしたSF小説の傑作。 まず挙げたいのは浅倉久志氏の訳の素晴らしさだ。若い人には少々難解に感じられるかもしれないが独特空気をまとった豊かな文章表現は一般的な翻訳と一線を画す。 ストーリーはアクションあり、刑事ドラマのようなスリルがあり魅力的だ。 主人公リック・デッカードは賞金稼ぎ。火星で過酷な労働を強いられ、主を殺して地球へ逃亡してきたアンドロイドを追う。 アンドロイドたちは人間と区別がつかないほど精巧だが、共感する能力を持たない。その欠落をテストであぶりだし、アンドロイドを破壊するのだが・・・。 タイトルが格好よければ話も格好いい。 華やかなストーリーに深みをもたらし、人々を惹きつけてやまないのは〈人間とは何か〉という普遍的な問いかけであろう。 感情を持つアンドロイドがいる一方、デッカードや妻が利用する機械にムードオルガンがある。気分を変える装置で、ダイヤルを回せばどんな気分も自由自在。果ては共感ボックスなる装置もあり、自分の価値観や感情がブレた時に他人と繋がり感情を共有する。 作られた感情で生活する人間とアンドロイドにはごく僅かな差しかない。脳が機械かタンパク質かの違い。デッカードはアンドロイドを追ううちに彼らに共感し、その境界が不確かなものへとなっていく。 その問いかけは読み手にも向けられる。存在が揺らぐ心許なさは今でも忘れがたい。 2017年現在、AIが星新一賞の1次審査を通過。GoogleのAIが絵画を発表するなど芸術面に進出を始めた。その間、経済活動は合理性ばかり優先し、会社員の当方は疲弊気味である。 人間らしさとはなにか。ふと考える。 アイザック・アシモフ『われはロボット』と併せて読むと味わい深い。 | ||||
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| 本書が生み出した悲惨の巨大さを鑑みれば星などという評価の値を付けるのも憚られるが後のSF作品に与えたその影響を考慮し星5をつけた。 本作はピンボケ(発達障害のようなもの)と卑下され、不遇な人生を送ってきたイジドアの悲劇の物語と捉えることができよう。 イジドアは人などいない廃墟に暮らしていたが、ある日その廃墟に住み着いた女性と誼を通じようと手土産を持ち女性のもとを訪れる。 その時のイジドアの胸中は今まで孤独に過ごしてきた反動もあり期待と希望にまた溢れたものであったろう。しかしその女性はイジドアを冷たくあしらう。イジドアはまたも孤独な家路につく。ぐにゃぐにゃになったマーガリンをその手に握り締めて。 | ||||
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| 読み終えた直後は、どう解釈してよいのか、戸惑いを感じた作品。「訳者あとがき」のテイラーの説明紹介を読んで、理解が深まったような気がした。人工知能が近年目覚ましく発達し、この作品のアンドロイドのような存在の出現が間近に迫ってきている現在、より身近な問題として、考えさせられる内容であった。 (ネタバレ) この作品では、人間が造りだし、見掛けは人間そっくりの「アンドロイド」が重要な役割を占めている。人間とアンドロイドを見分ける手段は感情移入の有無であり、それを判断する方法が「感情移入度検査法」。 地球が最終世界大戦の影響で放射能汚染したため、惑星植民計画が進められ、地球に残ったのは、能力が劣ると烙印を押された「特殊者」と、地球への未練を持って残った人など、わずかな人々だけ。 主人公は、火星から脱走したお尋ね者アンドロイドを追っかけるバウンティ・ハンターのリック。次に重要な登場人物は、人間でありながら、「特殊者」の烙印を押され、"ピンボケ"と呼ばれているイジドア。 本作品では、正常と見なされている人間、「特殊者」と烙印を押された人間、アンドロイドの三者の関係性に焦点が当てられている。 アンドロイドのハンターでありながら、徐々にアンドロイドに共感を感じるように変化していくリック。最初から、アンドロイドに対して、偏見を持たないイジドア。 テイラーの説明によるとおり、アンドロイドは「迫害された人間、人種的、経済的に差別された人間」のメタファーなのであろう。現代社会における、共感を持てない人間、感情移入をできない人間に対しての差別や迫害を、アンドロイドの排除になぞらえているのであろう。 さらに、ペットの扱いにも類似点が見られる。 リックたちは、戦争の影響で希少となった本当の生物を飼うことに強い憧れを持っている。一方で、本当の生物を模倣した電気生物が存在し、電気生物をペットとして飼っていることは隠したいと考えている。 ラストで、砂漠で見つけたヒキガエルの正体を知った時のリックの反応に、リックの気持ちの変化を見て取ることができる。 共感の象徴としてのマーサーの存在も、本作品では重要な意味を持っている。バスター・フレンドリーの放送の中で、マーサーの存在がイカサマであることが示される。これは、人間とアンドロイドを区別する考え方自体が誤りであることを意味しているものと考えられる。 | ||||
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| はっきり言おう、これは基地外小説である。 最初の1/5程度は絶妙なバランス感覚と孤独感が異世界を思わせ、高揚感もあったが。おそらく翻訳が良かったのだろう、内容は 普通に気持ち悪い。笑 作家の思索等は評価に値する(なにせまだソ連があった時代の話だ。)核戦争や火星移住を結びつけたのは面白い。ただ動物への感情移入を基準にした社会評価、マーサー教などの宗教、レイチェルとの不倫等、アンドロイドの殺し屋など人間社会に置き換えた時の観点から見ると、話をややこしくしている感やただの精神病患者の戯言感があり気持ち悪かった。全体的に鬱屈した感じが漂っており、読後暗くなった。 アメリカでよくありそうなドラマっぽくて萎えた。 | ||||
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| アンドロイドは電気羊の夢を見るか フィリップkディック この小説はアンドロイドと比較して人間の生を浮かび上がらせる作品だと考えた。 高度な知能を有するアンドロイドに唯一できないのが、感情移入だ。 作品中では人々は生命の不在による孤独を生き延びるため、共感ボックスを用いて皆の個性を感じることで生きている。 そう、みんなとつながる事で孤独を耐えているのだ。 しかし筆者は共感ボックスが不可欠な人間(イーラン)の事を自己価値を見失った感情鈍麻な人間としている。作中でイーランは日々憂鬱になっている。 また、筆者は共感ボックスのある孤独は真の孤独ではないと述べている。 イジドアが3人のアンドロイドを受容出来なくなりマーサーをイカサマだと認知した時と、リックがマーサーさながらに本当に一人で登坂したときが真に孤独と言える。 そして、作中に出てくるマーサーが繰り返し、「己の本質に悖る行為をイヤイヤさせられるのが人生の基本条件」と言う。マーサーは人間なら誰しもが持つもので、フィリップkディックの考える人生の道徳的規範でもあると思う。 マーサーはイジドアにいった、「これからも、きみが弱音を吐いてやめるというまでそれを続けていく。だが、きみはもうわしを探し求めるのを辞めなくてはいかんよ。わしの方では決してきみを探し求めるのを辞めはせんのだから。」、、、、① この意味は作中に出てきたムンクの絵の名前「思春期」とリックの変化を考える事ではっきりする。 リックはバウンティハンターとしての自己の本質に悖る行為をしたために、石ころで肌を傷つけられるように、心を痛み、自己を喪失した(不自然な自己)。それはマーサーが言うように、人生の運命なのだ。そうして、死ににいく先でリックは本当の孤独を経験し、人生を直観する。リックは人生を受け入れられる自己になった。痛みを伴いながら生きていく決意をしたのが、「もうやめられないんだ」。この一連のリックの変化は、「思春期」におけるアイデンティティの確立の問題ではないだろうか。僕もどん底に悲しんで結局一人なんだと思ったと感じたことがある、それで人生を直観したわけじゃないが、一つまた別の自分になれた気がした。マーサーの哲学はこういう僕を支えてくれるかもしれない。 こうして①に戻って考えると、イジドアはまだ子供を表しているんだと考えられる。マーサーの言葉は子供に対して、「自分一人のの力で大人になろうとするんだよ。誰かが貴方のことを見ているんだから、ゆっくり頑張りなさい。」という温かい筆者のメッセージが込められている。これは、アイデンティティを確立できていない、自己価値を確立できていない人間に対する啓発でもあると思った。 このように真の孤独を経験し、それを受容して自分の人生を自力で歩むという人間の普遍的な姿を描いたのがこの作品だと考えた。 | ||||
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| ありがとうございます。 題名が気になり購入。 生き物が住むのが難しくなった地球。 そんな中で動物を飼うことが一種のステータスに。 まだ、読み終わっていませんが(^^;; 読み終わったら、追記します。 面白かった。 バウンティハンターと一台のアンドロイドが 協力して、不法入国者(アンドロイド)を…。 | ||||
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| 題名はよく聞くと思います。 内容はそれなりにSFです。読みやすいかな。 | ||||
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| ここまでの情報から「実は主人公だからそれを選ぶ」を二次元業界が選ばない真相は何なのかが解明可能なのだ これは「実はアンドロイド」こそ「実は主人公の定義」を意味する図式であり 言い換えれば「アンドロイドを演じる存在」が「主人公の正体」を意味する図式なのである これは「アンドロイドが活躍する姿」及び「アンドロイドが周囲に認められる姿」が「本編の描写の定義」を意味する設定であり 言い換えれば「アンドロイドが世の中で認められる姿が見たい」が「通常の受け手の真意」を意味する設定なのである つまり「やはりアンドロイドでは人間には勝てませんでした」という内容になるから 「実は主人公だからそれを選ぶ」を二次元業界は選ばない事が判明するのである | ||||
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| かの有名な映画を数回鑑賞済み。小説の存在はかなり昔から知っていたが中々手を付けていなかった。読んでみたら映画よりもやはり細かく情景描写しているので分かりやすい。ロイ戦のシーンが若干あっけないな、という印象があったが全体的に好きな作品。何故もっと早くに読まなかったのか。 | ||||
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| 生命倫理がテーマの古典と聞き拝読。 私たちは、なんとなく”命”というものをわかったつもりで生きている。 でも実際には、どこからが命で、何をもってそれが失われる、つまり死ぬのかは、誰にもわからない。 万人が納得する答えのない、宗教的な哲学的な問いである。 アンドロイドが精妙化し、人間と区別する手段がなくなる瀬戸際には、 そんなテーマと向きあわざる負えなくなる。 どんな答えをだすのかを味わう作品として面白い。文章も読みやすい。 | ||||
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| 難解なのかと思いきや、すぐに物語の世界に引き込まれた。 独創的な世界観、シニカルでドライな視点。生物の存在意義、生命の意味を問う深いテーマ。 こう書くとひどく難解そうでしょう? ところが読みやすく、かつとても魅力的で、ぐいぐい引き込まれてしまった。 タイトルの持つ力(こんなタイトルよく思いついたなぁ)に何も負けていない、 タイトルの持つ卓越性そのままの世界を存分に味わえる一冊です。 さっそく注文したユービックも面白いといいな。読むのが楽しみ! | ||||
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| アンドロイドと人間の差とは?生命とは?という単なるアドベンチャーではなく、ある種の深い探究を行っているSF文庫です。 ですが、とても読みやすく面白い!! スラスラ読めてしまうのでとてもおすすめですね。 | ||||
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| AIの技術向上と未来予測の論争がますます白熱している今だからこそ、再読しました。 映画は映画で大変面白いですが、原作はかなり違います。 映画のかの有名な最後のセリフはありません。 いい意味でべたな人間ドラマはなく、もっとドライに、社会問題を掘り下げていると思います。 最近のIT専門用語などを駆使した、あるいは宇宙戦争系のSF作品よりも、 人間、そして社会問題を描いたこの時代のSF作品に惹かれます。 | ||||
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| アニメ「サイコパス」で本作の名前が出てきたので試しに買ってみました。 読んでみると意外と普通でした。もっと面白いのかと。 最後の対決も意外とあっさり終わってしまった印象でした。 ただ本作が発表された当初はすごく斬新だったと思います。今だとロボットとかが少しづつ普及してきていて、新鮮味に欠けると思いました。 読み終わって考えましたが、考えてみると今の私たちもアンドロイド化してきていますよね。電子デバイスが無いと生きていけない。 とくにスマートフォンなんて肌身離さず持っていないと不安になりますよね。私もその一人です。 | ||||
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| カルト的人気を誇る名作映画『ブレードランナー』の原作として名高いこの作品ですが、「本物と偽物の差は何か」「本物であることには果たして意味があるのか」というディック流の主題は映画よりずっと濃厚です。 数々の映像化がなされたディック作品の中で唯一、ディック存命時に制作開始された作品でもあります。 (残念ながら劇場公開は存命中には間に合いませんでした。) 環境汚染により野生動物は絶滅、人類も汚染の無い宇宙への移住が進んでおり、地球は過疎化しつつある未来。 本物の生きた動物をペットとして飼うのがステータス(しかも馬や牛など飼育が難しそうなものほどステータス)であり、そんな懐の余裕がない大多数の人々は、ちょっと見ただけでは本物と区別がつかない精巧な動物型ロボ(電気羊、電気犬、電気猫...etc)をペットとして飼うことでお茶を濁しています。 また、遺伝子操作された生身の生体組織と電子頭脳とを組み合わせた精巧なアンドロイドが不足する労働力の足しとして用いられているのですが、あまりに精巧になりすぎたアンドロイドが自由を求めて逃亡するという事件が相次いでいます。 アンドロイドか人間かを判別するのは、簡単な心理テストと、かなり仰々しい生体組織の検査があるのですが、心理テストでは精神疾患の人間がたまにミスでアンドロイドと判別されるくらいで短時間に簡単にできる割にかなり信頼性が高く、生体組織の検査は絶対誤診はない代わりに時間と費用がかかり被験者には激痛も伴うので、ほとんどの場合は心理テストのみで判別されます。 主人公デッカードは、警察の依頼のもとに逃亡アンドロイドをハントして生計を立てている腕利きの賞金稼ぎ。 自らもペットとして電気羊を飼っています。 元々は妻の親から遺産としてもらった本物の羊を飼っていたのですが、病気で死んでしまい、周囲への見栄の為に元の羊とそっくりな電気羊を特注して飼っているのです。 そのデッカードのもとにある日警察のお偉いさんから「最新型アンドロイドのグループが主人を殺して逃亡した。そいつらに返り討ちを食らい腕利きの賞金稼ぎがER送りになった。あいつらをハントできるような腕の持ち主はお前しかいない。報酬は弾むから是非協力してくれ。」との依頼が。 依頼に基づきデッカードはハントを開始するのですが、その過程で、しれっと警察の人間に成りすましたアンドロイドやら、劇団に紛れ込んでいる、オペラ歌手としての才能がもしかしたら人間以上にあるんじゃないかっていうアンドロイドやら、急病で苦しむ本物の猫を故障した電気猫と勘違いして死なせてしまった動物病院のスタッフやら、まあいろんなのと出くわすわけですね。 あげく、「お前に依頼を持ってきたブライアント警視なんて奴は市警察には存在せず、きっとアンドロイドの成りすましに違いない」とか、他の賞金稼ぎについて「あいつは自分では腕利きの賞金稼ぎだと思ってるが、実はそういう偽の記憶を埋め込まれたアンドロイドなんだ」なんて言う奴が現れたり。 段々、何が本当で何が嘘なのか、誰がアンドロイドで誰が人間なのか、デッカードも読者もわからなくなっていきます。 ついには、デッカード自身「実は俺も偽の記憶を埋め込まれたアンドロイドなんじゃないか」なんて悩み始めます。 この辺、かなり明瞭なストーリーになっている映画版とは大きく異なります。 映画版は、人工生命として生まれた者の悲哀や、人間同士の差別は撤廃しても今度は人工生命を差別している人間の勝手さ、生命を弄ぶことの罪深さという方向にテーマが向かっていたように感じます。 小説版は、「本物と偽物の決定的な違いは何か」「偽物である時点で価値はゼロなのか」という哲学的な問いが何度も繰り返されます。 是非とも、本書を一読して映画版との違いを見ていただきたいです。 | ||||
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