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アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
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【この小説が収録されている参考書籍】
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.18pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全306件 241~260 13/16ページ
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タイトルはこう訳した方が内容と合う気がする。 ただ中の訳はすばらしく、テーマも重厚で、どんどん読み進めたくなる。 | ||||
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フィリップ・ディックの代表作ですね。 偽者と本物・・・ この世界では本物(天然物)の動物を飼ってないと面子がたたない世界。 蜘蛛さえ相当な価値があります。 そして偽者であるものは、非難を受けます。 殺されます。それがアンドロイドです。(火星から逃げてきた責もあるけど) 主人公は賞金稼ぎのリックとピンボケのイジドア。 イジドアはひとりぼっちの寂しさよりもアンドロイドととの生活を試みます。 しかしイジドアに理解できないことをアンドロイドはします。それは蜘蛛殺し。 リックはアンドロイドと寝ようが、アンドロイドを殺します。 ここが自分が一番目に付いたブレードランナーと違うところです。 (他にもアンドロイドの設定や世界観、他多くで違うところあれども) 印象的なのが最後のシーン。断崖をふらふらと歩くリック。 そして貴重な種のヒキガエルの出会い。 マーサーやムードオルガン、共感装置、一種の宗教のようです。 多神教で生まれた私にはその重要度がよくわからない。 しかしニセモノと本物をこんなに区別するけど、 結局のところリックもイジドアも心の中では混沌、ジレンマ?としている。 限りなく本物に近ければ、それはもうニセモノではないのかもしれない。 でもやっぱりニセモノはニセモノなのか。 | ||||
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難しいことは全くわかりせん。 ただディックが言いたいのは、アンドロイド だろうが人間だろうが親切にされたら、その人に 対して親切に接するべきだという事です。 確かにこの作品のテーマである、偽物と本物 は世の中に存在します。 しかし私たち人間はそれらを見抜く力を生憎持っていません、、、 | ||||
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作中に出てくるエンパシーマシンというアイテムを見て 今や一人数台持っている「携帯電話」そのものに思えた コンピューターネットワークが発達して 電子的に他者と繋がる事に情愛を感じる現代そのままに思えた 「そうしなきゃならない」というライフスタイルを維持していないと不安になる エンパシーマシンを通して精神的に他者と繋がっていると「錯覚」している この二つには恐ろしい程の共通点があり それによる副産物であろう現代社会の犯罪傾向は この小説のレプリカント達の暴走に共通すると感じた 退廃的なんてレベルじゃない 現代社会の鏡像に等しい没個性と狂気の象徴なのかもしれない 故にむしろ現代人こそこの本は読むべきなのかもしれない | ||||
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おっさんが好きそうな内容ではあるなと思いますが、 当時と比べたら読み物として劣化しているでしょう。 自分はSFとしてこの本を買いました。 読んだ感想として、滑りとした不快感を覚えました。 ありきたりなテーマを素人がSFとして売り出したような、 古い、勘違いした馬鹿な犯罪者をアンドロイドにしただけのような、 当時の一般的な生活をそのままSFにしているんです。 そういう方向性でない限り、最低限の合理性というものはSF小説に 無くてはならないものだと思いますが、動物を持つことが ステータスになっているとか、人に勝るとも劣らない、人と比較して 大した優位性、能力の無いアンドロイドと言う、疑似科学失格の存在、 またそれを退治する警察官(だったかな)。こいつなんか模範的な、 昭和後期のおっさんどもが想像するかっこいい人(笑)そのままです。 こんなの古いアニメにもいましたよ。なんだったかなー。 生物と機械・人とアンドロイドの相違的な、中高生が書きそうな テーマを昭和の香りで包んでこんがり焼いた3流SF小説です。 はっきり言って、おっさんどもはこのレビューに強い反発を抱くと 思いますが、こんなものに高レビューしている屑どもに何言われようと 後世の評価は変わりませんし、低質な事実に変わりません。 愛読者というか、そのなかのおっさんどもに限定して言えば人として 程度が低い。 こんなゴミを個人的に評価するのは勝手だが、蛆虫みたいに沢山いる 団塊ジュニアどもが勝手に勘違いして祭りたてて低レビューを 気持ち悪い醜顔で低評価してびびって消えていくのは止めてくださいね。 やっぱりおっさんは思慮も浅いし使えないゴミばっかですね。 おっさんはネットでも隔離するべきなんですよ。人として屑ですから。 ともかく、話題性で手にとってしまうおっさんではなく、純粋に SF小説として評価した自分に憤りを感じてしまう屑は低評価を。 それ以外の人間は無視なりなんなりしてください。 自分はSFというシールを貼られた3流小説ではなく普通の SF小説を読んでますから。 | ||||
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テクストを読み進めて行くうちに、アンドロイドがどんどん人間化して行くのに気づく。アンドロイドは味覚器官、アルコール陶酔器官、果ては快楽器官(性器)まで所有する。アンドロイドとの性交渉は禁止されているという説明つきでである。細部描写がサンエンティフィック・フィクションというカテゴリーをここまで破壊する強引な手だては、ひとえに読者にアンドロイドに対する共感を巻き起こしたい。これが作者のこの小説での眼目である。 これがクローンであったら、カズオイシグロがNever let me go で描いたように“正統人間”からの共感は容易に得られやすく、不自然でもない。しかしアンドロイドは、チキン質の皮膚の下は、数万の機械と電子部品からなる無機質である。所詮は人間の作った「道具」である。 しかしこの道具は人間との関わり方において、ハンナ・アレントが『人間の条件』で描く、仕事人の「道具」や労働者の「機械」の範囲をはるかに凌駕している。一方多神教世界では、道具に物神を見立ててこれを尊ぶ伝統的思想がある。ここでは、アンドロイドを人間の仲間に加えられるかどうかと言う人間のアイデンティティーに関わる問題が提起されているのである。アンドロイドが問題であるのではない。 だが、その答え自身は物語中に提示されているといわなければならない。アンドロイドも人間も同じといった多神教的原始宗教解釈なら、そもそもこの小説を成り立たせる意味がないのである。リックもレッシュも実はアンドロイドであるといった超解釈は除外されなければならない。繰り返すが、ここはあくまで人間が主役であるのであって、精巧なロボットに対する人間のアイデンティティーの自明な強さが試されているのである。読者がここでアンドロイドに共感してしまえばリックは単なる殺し屋になってしまう。そういう読みは許されていないと悟るべきである。 バウンティハンターのリック・デッカードは、レイチェルよりはルーバとの出会いでアンドロイドに感情移入してしまったと思われる。ルーバは『魔笛』を歌い、ムンクに感動する。ディックは 短編 James P. Crow で、ヒトの知性はロボットに及ばないが、ロボットにはない豊かな感情を持つ、と書いている。レイチェルも含め、登場するアンドロイドたちにはみな「豊かな感情」がある。ここも作者の仕掛けた罠である。 リックがアンドロイドに対する「共感の危機」から離脱するためには、真正な動物を所有する必要がある。大型であればある程よい。大型動物の世話は手が掛かるが、狩猟人間のDNAが呼び覚ますものがある。動物を所有するための負債も、言及されていないが、アンドロイドには許されない極めて人間的なものであろう。多分ここには植民地人がアンドロイドを奴隷として一切の労働から解放され、時には「愛人」としている堕落への対抗心があるのだろう。 イジドアも同じ。人間からは「スペシアル」とされ、一時はアンドロイドに「のけもの」同士の共感を感じ、彼等をかくまおうとする。しかしプリスがクモの脚を切るのを見て、有史以前からこの地球上であらゆる動物たちと共棲してきた人間のDNAの呼び覚ましが、捜査に来たリックに、アンドロイドが彼のアパートにいることを告げさせる。 結局ヒトにあって、アンドロイドにないものは、あらゆる種との、それこそ百万年に及ぶ共存関係だと言うことになる。動物との相互共感関係は証明されないが、彼等にとっても人間は様々な様相を見せながらも未知の生物ではない。複雑な筋立てながら、小説は実はこんな簡単なことをいっているのである。 | ||||
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タイトルと表紙に惹かれて購入。 原作に書かれていないのか、翻訳しきれていないのか、 私が読み切れていないのか、 期待したほど、大きなスケール感、偉大なるメッセージ、を受け取ることが出来ませんでした。 | ||||
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「ブレードランナー」が劇場公開された年の学園祭で組んだバンドの名前が electric sheep、ディックとグールドが亡くなったのもこの年でした。 あれから約30年経った今読んでも、ディックの尖りっぷりは、ちっとも色褪せていません。映画でのヴァンゲリスの音楽とショーン・ヤングの美しさは際立ってますが、デッカードの情けなさとマーサー教のヨレヨレっぷりがたまらない小説にやや軍配が上がるかも。 | ||||
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ネットワークが大事です、と言われている時代に 興味深いのがレプリカント達がつくりあげた 偽者の警察分署ビルで何年も知らないで働き続けてきた 「本物の人間」の刑事とその虚構分署ビル。 この分署ビルディングは自律的通信ネットワークを 持っていて外部からは完全に自閉遮断状態で通信内容を グルグル回している。通信内容は全部「偽物」です。 「告白」のレビューを読んでいて私も似たような事を 感じましたが中二の一クラスしか描かれていないし 他のクラス他の学年他の教師や職員さらに授業や 部活のシーンもなく、例のクラスだけが 「虚構空間」にポッカリと点在しているようなイメージ。 これまで江戸川乱歩の様な日本の作家がモトネタと 思ってましたが、虚構性はフィリップ・ディックと 同じくらいの「オオウソセカイ」なのかも。 ハッキリ言って大江春泥どころではありません。 あのクラスって全員レプリカントの生徒と教師なんじゃ? ドコ中の話かと思ったら、キョコ中の「おはなし」だったのね。 | ||||
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アメリカを代表するカリスマSF作家【フィリップ・K・ディック】が、1968年に発表した傑作中の傑作が本作品です。本作品に関しては【最高級の傑作】としか言いようがありません。火星から脱走してきた不正アンドロイドを殺す、賞金稼ぎの仕事をしている主人公。生き残るために、あの手この手で主人公を狙うアンドロイド。放射能に犯された地球に残る、政府から落伍者の烙印を押された、アンドロイドに利用される青年。これらの登場人物達が繰り広げるドラマは【娯楽作品】としても最高に面白いですし、【純文学】としても深い哲学性を感じさせます。一見、陰鬱な物語のように見えながら、最後に救済が描かれている点も、非常に素晴らしいです。SF史上に残る、屈指の名作と言われるだけのことはあります。本当に素晴らしい作品です。SFマニアなら必読の名作ですし、SFマニアじゃなくても本好きの方には絶対のオススメ品です。物語としての娯楽性と純文学としての思索性を併せ持った稀有な傑作。感動しました。 | ||||
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核戦争の放射能によって多くの動物が死滅していく地球では,生きた動物を飼うことが人々のステータスとなり, 飼うことの出来ない人たちのために,電気仕掛けの巧妙な偽物が売られている。 主人公デッカードは,本物の動物を飼うことを夢見て働く毎日。愚痴ばかり言っている妻との間には倦怠感が漂う。 ここは一発大金を稼いで本物の動物を飼い,妻との関係も改善させたい! そこに逃亡したアンドロイドを処分することで巨額の賞金が手に入るというチャンスが巡ってくるが・・・。 本作品は,1964年に発表された短編「小さな黒い箱」を原型としたものです。 「小さな黒い箱」(短編集「ゴールデンマン」に収録)では,マーサー教というある宗教を取り扱うことで神の存在について考察が加えられており, 池澤夏樹編集の世界文学全集「短編集」にも収録されました。 本作品の中にも同じ宗教が登場しますが,短編にはなかったアンドロイド捜索という設定を加えることで, 文学的にもエンターテイメントとしても成功しており,ディック入門には最適の作品となっています。 本作品でディックに興味を持たれた方,次に読むなら「火星のタイムスリップ」「パーマーエルドリッチ」「ユービック」あたりがお奨めです。 ところで,カバーデザインがとてもいいですね。 すでに文庫を持っているのにまた買ってしまうほど目を引く黒をベースにしたブックカバーの新デザイン。 実にクールです。 「高い城の男」「流れよわが涙」となかなか渋いところも新デザインになったので買い換えました。 次は,上記のお奨め作品あたりのカバーデザインが黒で統一されると間違いなく買い換えます。 | ||||
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アンドロイドと人間の頭脳戦は面白かった。 人間であると信じ込むアンドロイドと、人間であることを疑い出す主人公。 それらを判断する検査法などとてもユニークだし作品世界にはすぐ慣れた。 好きなキャラは"ピンボケ"の彼です。 | ||||
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マーサー教や、ムードオルガン等、独特な世界観に酔いしれ、デッカードの葛藤に共感を覚えました。映画「ブレードランナー」は、この作品の持つテーマを、うまく抽出したと思います。 | ||||
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翻訳家の浅倉久志氏が2010年2月14日に亡くなられた(79歳)という新聞記事を見て、いろいろな本を思い出しましたが、中でもこの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を含めたディックの作品や「サイバーパンク」などと呼ばれたSFの紹介もされていました。 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の最大の衝撃は、そのタイトルです。原題は「Do Androids Dream of Electric Sheep?」。まさに直球ですよね。 人間の言葉としては、なんだかおかしい、この疑問文。そこにこの作品の主題がこめられています。人間なのか、機械なのか。機械は夢を見るのか。夢を見るとしても、機械はやっぱり機械か。 なんだかおかしい、と感じながら読むようにできています。SFにはいろいろな役割が見出せますが、読者にとっては、センス・オブ・ワンダー、つまり、「いまとはちがうなにか」に浸る楽しさがあります。 1970年代から80年代にかけて、SFがいまよりも独自のジャンルとして存在していた頃の掉尾といってもいい時代でしょう。 その後、SFというジャンルは縮小していきますが、むしろあらゆるエンターテイメントや芸術にSFが浸透してしまった結果だとも言えます。 ディックの作品も、SFと狭義にとらえる必要はまったくありません。センス・オブ・ワンダーはあらゆるジャンルの小説に浸透しています。いま再読すると、この作品も、「小説」として楽しめます。どっぷりと浸れます。 私たちの世界を拡張してくれる翻訳家の存在は、とてつもなく大きいと思います。浅倉久志氏のご冥福をお祈りしつつ、翻訳に取り組まれている方々に、あらためて感謝したい気持ちです。 | ||||
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自分はその昔、リドリー・スコットが監督をした「ブレードランナー」を観てクダラナイと思い、 原作も読まないままでした。 しかし最近になってたまたま読んでみたところ、映画とはまったく違う知的密度の濃さに驚きました。 間違いなく傑作だといえます。 浅倉氏の翻訳もこなれた日本語で読みやすいばかりか格調すら感じさせます。 小説が映画化されると大衆向けに内容がスッカラカンにされてしまうのはいつものことですが、 この作品についても例外ではありません。 自分のように映画を観て駄目だと思った人にこそ読んでほしいものです。 | ||||
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私はディックがたまらなく好きだ! とはじめに宣言させていただきます。 そして、鉄腕アトムやドラえもん大好きな 日本的土壌では、この作品は基本的には 受け入れられないのだろうなと思います。 基本、欧米の伝統では人造人間は邪悪なものです。 そこには宗教的な禁忌、堕落の臭いがあります。 にも関わらず、『ブレードランナー』のような 原作と真反対な内容の映画が世界的に大ヒットしたということは、 その禁忌も緩みきっているのだと思います。 つまり世界はとっくにフェテシズムに侵食されきってしまっている。 というわけで、ディックとしては、当然、『ヴァリス』のような 方向に向かうしかなかったのでしょう。 | ||||
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SF映画の名作「ブレードランナー」の原作。デッカードやレイチェル、プリスなど登場人物は一致する物もあるが、内容は全く別物。映画と無関係によむと機械、アンドロイド、人間、動物その違いと差別に意味があるのかというかなり形而上学的な哲学的な内容、宗教的な内容になっている。SFでこのような文学的な作品ができるのはさすがアメリカだと思う。 | ||||
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なぜ羊なのか?レプリカントというものが、アンドロイドとして存在するが、人間としての感情を抑えようとする。主人公も悩む。当たり前と思っている世界が我々にとっては特殊な世界という設定を読者にさせ、主人公に対してそれは違うぞ、という風に叫び、レプリカントにはもっと感情を持てと応援する。そして、不思議な空間が来て、最後に悲しい状況を迎える。それは劇的に悲しいのではなく、おそらく悲しいことなのだろうということを思わせる。自分が主人公になり、また傍観者となる、気分的に忙しい小説でした。不思議な感覚になりました。 | ||||
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サイバーパンクの代表的映画「Blade Runner」の原作ではあるが、空気感が違うので別物として捉えると読み込みやすいのではないだろうか。映画は映画ですばらしいモノなので,どちらも好きになると「やめられない、止まらない系」であることは確かである。当時はまだまだ認知度の低かったディックだが、今読み返してみてもこれを越えるSFは無いのではないだろうかと思う。人間の存在について悩みたい人、あるいは攻殻機動隊が好きな人は必読。カレル・チャペックの「ロボット」と合わせて読みたい。 身体論や存在論と言った学問的アプローチもできる、あるいは教育学的な観点から読むこともできる。 「我思う故に我有り」デカルトがいった言葉だが、私が存在することと他者がどのように私を認識し、扱うかは別物である。アンドロイドが人間社会に入り込み、人として存在したいと思ってみても人間の方がそれを受け入れることができない。アンドロイドはより人間的に、人間の方では時にはアンドロイドのようにその境界が曖昧にわからなくなってゆく。その差異を変化させながら生きている、核によって荒廃した社会。ディックは人かアンドロイドかの差異を感情移入、つまり優しさだとした。その差異を見つけ逃げ出したアンドロイドを回収するバウンティー・ハンター(賞金稼ぎ)の男、デッカードの心の葛藤を描ききる。動物を飼うことがステータスになる、世界観の特殊性も社会学的に分析するのも面白いかもしれない。 ラストではデッカードの妻、イーランの優しさに混沌とした社会の中にあっても、人間の豊かさを感じることができる。 人間の根源的な諸問題や存在論を、SFという世界を通して考えられる完成度の高い作品。 | ||||
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もし今まで読んだSF小説の中で一番好きな作品は?と聞かれたらこの小説の名前を挙げます 作品の世界観に吸い込まれ夢中になって読んでたら2時間くらいたってました。 | ||||
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