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異邦人
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異邦人の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.42pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全227件 101~120 6/12ページ
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| カミュの処女作である。「きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない」という有名な書き出しで始まる。そして、殺人を犯してしまった主人公は、動機を「太陽のせい」と答え、処刑を待つ身となる。 現代的なテーマを先取りした小説だと思う。同時に、いろんな意味で極度に個人が大きく尊重されるようになった現代において、この主人公の感覚を「不条理」の一言で片づけることには、少し抵抗を覚えた。論理的な一貫性がないという説に至っては、本当にそうだろうかとさえ思った。考えさせる作品なのだが、いくら考えても、万人を納得させる完璧な答えがあるわけではない。それもまた名作の条件のひとつなのだろう。 | ||||
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| 暇潰しに購入しました。 どんな話か忘れましたが普通に面白いです。 | ||||
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| 感動はありません。 作者が異邦人をどのように社会が断罪していくのかの描写にもたけています。 ムルソーの性格は愛がわからない。死の悲しみがわからない。 建前はわかっていても、心に染み渡る何かがないと、響かない。響かない物に対しては嘘は言えない。何よりも彼は自分の心に忠実であった。 また自分の事を知って欲しいという感情を誰しも持っているとは思いますが、彼に対しては半ば話しても無駄だの諦め感を感じます。 不運は1つ、あまり賢くない友達に手を貸してしまったことでしょうか? 普通なら手を貸さないのですが、なぜ(?_?) そしてなぜ殺人をおかしたのか(?_?) 感情に薄い人間ですが、善悪の区別にも知識がなかったのか(・・? 感情には薄いのですが、自然を読み取る力はものすごいものがあります。 不条理、頭は悪くないのに、どこか人と違う、不条理は解き明かせないから不条理なのですが解き明かしたい私としては、なんとも歯がゆい。 裁判のシーンはかなり不平等さを感じました。検事の方が弁護士より話術に長けている。また人の共感を呼ぶのが上手。 これでは平等な裁判ともいえず、まあ世の中こんなものか、人の生死なんて弁護士や検事の手腕で決まるのか、ムルソーの性格より私はここにより一層の不条理を感じました。 真理は誰にもわかりません。 わからないものを人は裁こうとするのです。 読んだ後、もやもやしたい人におすすめの本。 よくわからないが正直な感想でした。。 | ||||
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| すごい正直な文章で突拍子のない話なのだが、素直に読めるのが不思議。 仕掛けの細かいカフカと、ここも対照的。 「太陽がまぶしかったから」という動機は現代において体現されている。 理由なき殺人、がそれである。 (そこらへんは秋山駿の「内部の人間の犯罪」に詳しい。 ) 「正直な文章」という意味では志賀直哉が浮かぶ文章。 でも志賀直哉のように自分が絶対的正義であるとは考えない主人公なのでそこでワンステップ志賀直哉より抜きん出ている。 この二人を比べるのもへんだが。 | ||||
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| 少し使用感がありますが価格が安いこともあり、不満はありません。 | ||||
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| 第一部、ムルソーが自宅の露台でチョコレートを食べながら空を、人々を眺める場面が彼らしく、愛や安らぎを感じました。 裁判では誰も認めようとはしない一面かもしれない。 第二部、御用司祭とのやり取りには本当にムルソーに共感。 御用司祭にはイライラします。 どういう理解をされようが、自己の静かな情熱を貫き生きるムルソー、とても魅力的で、私のお気に入りの一冊です。 | ||||
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| 皆さんのレビューを見ていると主人公に対する愛情を感じます。 私にはムルソーは今で言う発達障害だったのかなという感想が最も大きくて自分がこんな感想しか抱けないことを残念に思います。 発達障害の人が殺人を犯し、糾弾され、しかしなぜ糾弾されているのか理解できない。 理解できないまま、あさっての方向を向いた理解を示したような風で物語は終わる。 読み終わって1週間くらいは落ち込みます。 これがこの作品の偉大なる由縁かなと思いました。 ショックを与える。 という意味で。 あとがきに、サルトルの嘔吐と並ぶ名作とあり、次は嘔吐を読んでみます。 | ||||
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| 太陽がまぶしくて人を殺してしまった一青年の物語。 第一部のあっけらかんとした青年の心象風景は今でも好きですが、第二部の裁判の場はいただけません。 “北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ”つまらないからやめろと私も思うのです。 | ||||
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| 不条理をテーマにしたカミュの代表作。短編だが二部構成になっている。 第一部は、母親の葬儀以降の数日間、主人公の日常生活と、犯罪に至るまでの経緯を描いた。 一つ一つの文が短かく、淡々と状況報告されているような感じだ。 だがその表現が主人公を、淡白で、物事に固執・頓着しない性格のように表わしている。 ここまで事実を事実と割り切る性格の人間は、自分は出会ったことが無い。 読んでいて奇妙であると同時に新鮮な感じがした。 しかし見方を変えると、主人公はとても直感的で欲求に自然で忠実だとも言える。 第一部の眩しいくらいギラギラした太陽の描写や、恋人とのやり取り (主人公自身は相手を愛していないと言っているが)から窺い知れる。 第二部は、罪を犯した主人公が拘留され、裁判を受け、刑が確定するまでの様子を描いた。 裁判では主人公を差し置いて勝手に進んでいく。 殺人の動機が「太陽のせい」だったのは、彼にとってはまぎれもない事実だが、 読み手の自分と同じく、登場する検事・陪審員・裁判官には全く理解されない。 それどころか、母親の葬儀で涙を見せず、喪に服すこともしないで友人と遊んでいたことをあげつられ、 その非人間性を理由に死刑にされてしまう。 第二部では暗く沈んだ闇の描写が多くなり、主人公の心を反映しているようだ。 相変わらず「どうでも良い」と他人事で、淡々としている。 それでいながら、一方で死にたくない、という感情があって、 死ぬまでの間の生きがいが、こういう境遇に自分を追いやった他人への憎悪と言う。 この矛盾が何ともやりきれない印象をもつとともに、人生とはなんなのだろう、と深く考えさせられた。 お勧めの一冊。 | ||||
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| 久しぶりに読んだ。太陽の眩い暑さが人生の全てを決めてしまうこともある。人間はそれだけ不確定な生き物でしょう。人間が造った社会より自然に身を委ねるムルソーが異邦人とは… | ||||
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| 主人公は、徹底した悪党である。友人が女性を売女扱いし彼女を虐待するのに大いに手を貸し、人を殺したのを何とも思わず(被害者が有色人だからか)、殺人したくせに自分の命は助かるべきだと思っており、自分を必死に救出しようとする人々を軽蔑し嘲弄する。こいつは人間か。「異邦人」じゃなく、「人非人」の題が似合う。この本を読んで、主人公の倫理の完全欠如に気がつかない人々は、変。 | ||||
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| 滑稽かつ酷い裁判の後の、最後の司祭とのやり取りが、あまりにも感動的。 あの司祭を、キリスト教的俗世間のくだらない価値観の象徴と見るか、裁判で殆ど喋らせてもらえなかったムルソーの、心のほとばしりをやっと受け止めてくれた存在と見るかで、あの場面の印象は変わってくるのではないかと思います。 私は後者でして、あの司祭はもしかすると、読者である私達の(「社会的常識」の中で生きる私達の)心の代弁者なのではないかと感じています。 ムルソーの切な過ぎる叫びの後に訪れる、夜の静寂の美しさ。カミュ作品の特徴である、自然界や人間界の営みの描写の素晴らしさが、この作品でも随所に生かされていて、心が洗われます。 この作品が書かれた時代の西欧社会の状況は、日本人である私には、本当の意味では理解出来ないのかも知れませんが、それでもムルソーの、この世界の美しさを享受する幸福感、そしてそれを他者と共有出来ない孤独感は、私にも少しは分かるつもりです。 | ||||
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| 非常に好きな本作品。幾度となく読み返しました。何度読んでも面白い、元気になる。 最初にこの作品を読んだ後、シシュポスの神話も読んだのですがこちらは思想の深さとしては「あれ?」という感じでした。 この作品の主人公には現実にモデルがいたらしいのですが、もしかしたらその人は著者よりも真理に近かったのではないかと思いました。 | ||||
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| このタイトルに惹かれて購入しました当たりでした。そんな買い物もたまには◎参考までに。 | ||||
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| 昭和の小説が読みたかったので購入した。とても良かった。気に入って居る。 | ||||
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| 昔の作品ですが今の自分も共感する作品でした。 この主人公は作中では一般大衆とは違う人間と捉えられています。 主人公自身は何度も私は一般的な普通の人間だと唱えます。 その証明が作中ではなく世界的な名著となったことで出来たのかと思います。 この本が共感を得る理由の一つは主人公が非常に正直な人間であること、その正直さが社会性や大衆論を排除したとても個人的で人間的な正直さなことだと思います。 社会において人は善悪や自分の言動を本心ではなく通俗的な物差しで判断して行いがちですが、その度にとても小さな石のような違和感を心の隅に抱きます。 この作品はそれを主人公の正直さを以てあらわにしてくれます。 | ||||
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| 本作を読み終わった後、何だか肩の力が一気に抜けました。 人生が無意義。 なんてネガティブな思考を持った主人公なんだ、と思う方もいらっしゃると思います。 しかし、自分にとってそれは真逆な考え方でした。 自分にはどうでもいいこと、と思えるムルソーの思考はむしろ人生を生きやすくしているんじゃないでしょうか。 生きる事なんて意味がないなんだから、もっと気楽にいきましょう、という風にも感じられました。 まあ、でも実際にムルソーみたいな考え方で世の中を生きてたら、周囲からは異端者か何かに見られるでしょうね……。 本書自体は最後まで滞ることなく、読み終えられました。 不条理をテーマにした傑作品だと思います。 | ||||
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| ストーリィにさほどの意外な展開もなく面白みに欠けるという評も見られますが、その単純なストーリィにこそ人間存在の深遠な意味も込められているのでしょう。ですから、一見さりげないが高度に洗練された文体によって人間に対する深い洞察が随所に鏤められ、読者を魅きこんでいきます。二十世紀文学の金字塔とまで言われる所以は、新たな人間造形とその描写力(文体)にあるのでしょう。自分を他人事のように突き放して表現する乾いた文体の魅力は非常なインパクトがあったようで、後の作家たちに強烈な影響を与えました。未だにその魅力は色褪せてはいません。(彼の『幸福な死』という試作品も併せて読まれるといいです。文体創出の彼の苦心と飛躍的成長が見えてくるかも知れません。)後半とりわけ結末には少々難を感じるのですが。 | ||||
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| ページを捲るのがひたすら苦痛でした。 ですが機会あれば著者の他の作品も読んでみようと思います。 | ||||
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| この文学作品を読み、少なからず自分という存在を問うた者として、これからこの本を手に取る人に向けて、僭越ながら一言。 具体的に内容を言及致しませんが、ムルソー(主人公)を取り巻く環境や状況は、彼の存在とは関係なしに、そこにあるものです。そうした要素は、決定的に彼のみならず人間では誰もが変えられない存在であり、そこに存在する人間を限定的に制約(実存的制約)します。 その制約下においては、制約された存在(人間)はそこで制約的行動(そこでのマナー、規律、思考等)を求められます。そして、その行動に従わざる者は、そこでは自動的に「異邦人」にならざるおえません。ここに人間の悲しい宿命があります。誰もが「こうなりたい」、「ああなりたい」少なくとも「こうでなければ....」という叶えられない虚無を抱えながら生きている。 しかし、作中の主人公はそうした一切の願望を排除したかのような人物です。彼は一つの理想的でないにしても生き方の方法を読者に提示したとも解釈できます。ただそうした生き方をする者は「異邦人」になるのは必定(その生き方が主流でない社会においては)。 見よう考えようによっては、「異邦人」にならないためには大衆の中にあって、埋没した存在になるのか、はたまた、大衆の中にあっても、「異邦人」であるのを望むか、人間、私たちは、後者を望みながら前者として生きるのを無意識に選択しているのではないのでしょうか。 この作品は、読者に対して、そうした無意識を照射する「気づき」をもたらす、人種、時空を超えられる名著と言って、決して過言ではないでしょう。そして、これを否定する者は「異邦人」でしょう。(笑) | ||||
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