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異邦人
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異邦人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.43pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全16件 1~16 1/1ページ
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本作は約25年前の高校時代に一度読んでいて、パッとしなかった思い出があるので、歳を取ったら面白く感じるかと思い購入。裏表紙の短評を見るに、主人公の異常な精神性が物語の売りの様子に思えたが、特に異常だとは感じなかった。飄々としていて、あまり自分の命に執着がない人なら、多分こんな精神性だよね、という感じ。本作がノーベル賞作家の作品でなければ、果たしてこれほどの高評価を得られるのか疑問に思うし、そもそも、素人意見ではあるが、健常者が異常者の一人称作品を書くこと自体が厳しいのではないかと思った。リアリティのある人格ではあったが、「筆に呑まれる」ような文章の熱は感じなかった。まあ、自分自身精神を病んでいる人間なので、健康な人が読んだのなら、また違った感想を持つのかも知れませんが。 | ||||
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前半は「これが名作?」というくらいピンとこなかったのですが、後半はさすがにすごい。重かった。読む側の精神状態にもよる作品かと思う。今の私には合わなかった。アルジェリアの暑さと不快感が残った。読後感が非常に悪い。再読は無い。 | ||||
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名作に☆3つを付けるのは、なかなか勇気があることではないかと、我ながら思うのですが、実際に面白いと感じなかったのだから仕方がない・・・。 どうして海外の名作は、主人公が不幸な死を遂げるのだろうか? というわけで、本作を読むきっかけは、作者のカミュが、芸能人のセイン・カミュの先祖と知ったからであり、名作を読むきっかけもなかなか不純であったりします。 読んだのは10年以上前だったと記憶しています。 今回、レヴューしたのは「異邦人」という曲が友達との会話に出たからです。 ただ、それだけのこと・・・ 2011年06月22日 22:49 | ||||
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一般的な感覚では主人公に同情をするのは難しい。殺人は殺人であり、主人公の行動にはややサイコパス的な衝動をすら感じるからだ。人の命は重い。が、しかし、主人公は、殺人の言い訳など一切せず、理由は”太陽がまぶしかったから”だと言う。もちろん、読み人それぞれに見解がされるべきだが、不気味で残虐な印象がどうしても拭えない。 がしかし、登場人物への好き嫌いは置いておけば、繊細な風景描写、不可解しかし大胆な主人公の行動描写に引き込まれた。読み終えると普通に生きているこの世界が、清浄で静かに感じる。ほっとする。過激さや衝動で人を苦しめたりしない普通の人間側で良かったと思う。多くの人はこちら側だ。本を置くと、コトンと音をたてて平凡な日常が静かに動き始める。異邦人のように遠い世界に連れ出されていたのだなと思う。本一冊だ。僭越ながら、ふとノーベル賞を受賞された理由の一つなのかもしれないと思った。 | ||||
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ムルソーは今の時代にいたらサイコパスと呼ばれるだろう。 特に、敵に銃を4発撃ち込む件は全く意味が分からない。この人何しているんだ状態。 とても正常な人間には思えないが、嘘のない人間であるということは伝わってきた。 法廷や刑務所の中で、状況や自分の感情を観察しながら、気づいていくシーンははっとする。 そうすると、もしや正常な人間というのは嘘に塗り固められた人間ということになるのか? とか考えた。 それにしてもこの小説がヒットしたということは、当時の人は色々悩んでたんだな~。 | ||||
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「わがことすべて終わりぬ」なんて言葉どこにも書いてなくね?解説どうした?それとも翻訳?なに?え、これも“太陽のせい”? | ||||
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息子の学校の課題図書として購入しましたが、結果読まずじまいだったようです。残念です。 | ||||
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この作品が発表された時、日本の文壇で論争が起こった。 当事者は、松川裁判批判でも知られる作家の広津和郎と、犀利な文章で名高い批評家中村光夫。 この本を読んで衝撃を受けた人には、知っていて損はないと思うし、この作品に対する読みも深まると思う。 以下は、1998年に神奈川近代文学館で開かれた、「広津柳浪・和郎・桃子展」からの「異邦人論争」についての引用。 「1951年、カミュの「異邦人」が和訳され、文壇の多くはこれを絶賛した。しかし和郎は、主人公の冷酷で無反省な行為を執拗に印象付けようとする作者の手法を、実験室の遊戯に過ぎないと批判した。 これに対し中村光夫は、カミュこそわれわれが今まで見逃していた心理の暗所に照明を与えたとし、この実験小説の真価を解し得ない常識道徳の代弁者と和郎を評した。その後作者の不条理観をめぐっての応酬があり、ついにはカミュ本人からの見解も寄せられた。 この論争を通じて注目されるのは、主人公の生き方に対する和郎のこだわりである。和郎はこの作品の手法や哲学的解釈には理解を示しながらも、自己の責任を不条理に委ねる主人公の無責任な人生態度を否定し続けた。それは〈散文精神〉を貫く和郎にとって、最も認めがたい生き方だからである。」 つまりこの論争は、広津和郎という作家の人生観や人間性が色濃く反映された性質のもので、論争と言えるのかどうかも微妙なところだ。しかしカミュ本人からの見解も寄せられた、というのはとても面白い。 また、広津は死去する約10日前の読売新聞の取材に、この論争について次のように言っている。 「あれは僕の生き方にてらして、主人公ムルソーの考えがきらいだと言ったまでだ。だから、論争に勝ったって、負けたって、向こうの言い分を聞けますか。自分の今までの生き方が間違っていましたなんて、とても言えるものじゃないですよ」 この論争の全貌を知りたい、と思ったら、広津・中村それぞれの全集に当たるしかないと思う。 このレビューでは中村の意見については言及しなかったが、それはレビュー筆者自身知らないからだ。(ただ広津に対して「年はとりたくないものだ」と言ったのは有名な話) 多分中村の考えの方が、作品の性質やそれを通したカミュの思想を的確に見抜いているのだろうが、私としては広津の考えも捨てがたい。 広津和郎の「異邦人」観に賛成するかどうかは、無論人それぞれだ。私自身は、あまりこの作品は面白いとは思わなかった。古いと思った。 しかしムルソーの在り方を前にして何を感じ、思うかによって、読者の人格が露出してしまう、恐ろしい作品だと思う。 | ||||
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感動はありません。 作者が異邦人をどのように社会が断罪していくのかの描写にもたけています。 ムルソーの性格は愛がわからない。死の悲しみがわからない。 建前はわかっていても、心に染み渡る何かがないと、響かない。響かない物に対しては嘘は言えない。何よりも彼は自分の心に忠実であった。 また自分の事を知って欲しいという感情を誰しも持っているとは思いますが、彼に対しては半ば話しても無駄だの諦め感を感じます。 不運は1つ、あまり賢くない友達に手を貸してしまったことでしょうか? 普通なら手を貸さないのですが、なぜ(?_?) そしてなぜ殺人をおかしたのか(?_?) 感情に薄い人間ですが、善悪の区別にも知識がなかったのか(・・? 感情には薄いのですが、自然を読み取る力はものすごいものがあります。 不条理、頭は悪くないのに、どこか人と違う、不条理は解き明かせないから不条理なのですが解き明かしたい私としては、なんとも歯がゆい。 裁判のシーンはかなり不平等さを感じました。検事の方が弁護士より話術に長けている。また人の共感を呼ぶのが上手。 これでは平等な裁判ともいえず、まあ世の中こんなものか、人の生死なんて弁護士や検事の手腕で決まるのか、ムルソーの性格より私はここにより一層の不条理を感じました。 真理は誰にもわかりません。 わからないものを人は裁こうとするのです。 読んだ後、もやもやしたい人におすすめの本。 よくわからないが正直な感想でした。。 | ||||
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太陽がまぶしくて人を殺してしまった一青年の物語。 第一部のあっけらかんとした青年の心象風景は今でも好きですが、第二部の裁判の場はいただけません。 “北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ”つまらないからやめろと私も思うのです。 | ||||
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皆さんのレビューを見ていると主人公に対する愛情を感じます。 私にはムルソーは今で言う発達障害だったのかなという感想が最も大きくて自分がこんな感想しか抱けないことを残念に思います。 発達障害の人が殺人を犯し、糾弾され、しかしなぜ糾弾されているのか理解できない。 理解できないまま、あさっての方向を向いた理解を示したような風で物語は終わる。 読み終わって1週間くらいは落ち込みます。 これがこの作品の偉大なる由縁かなと思いました。 ショックを与える。 という意味で。 あとがきに、サルトルの嘔吐と並ぶ名作とあり、次は嘔吐を読んでみます。 | ||||
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カミュの代表作(1942年)。信仰などの「確たるもの」をもたない主人公ムルソー。ある日、養老院に入れていた母が死ぬ。休みをとって養老院へ向かい、いろいろと片付けた翌日、元タイピストのマリイと再会する。お互い憎くからず思っていたところなのでなんとなくいい雰囲気になり、そのまま同衾。これが伏線。同じアパルトマンの隣人であるレエモンが情婦ともめている。これも伏線。 マリイは、ムルソーに「自分と結婚したいか」と聞く。ムルソーは、結婚してもいい、というが、それには何の意味もないしたぶん君を愛していない、という。マリイは、あなたは変わっている、自分はそのためにあなたを愛しているのだろうが、その同じ理由からきらいになるかもしれない、という。ムルソーはあくまでも虚無的。ムルソーは、マリイの体への欲情は確かに感じるが、「愛」というものにも思えない。 ある日、レエモンが手切れした元・情婦の兄とその取り巻きのアラブ人に、レエモンとムルソーは襲撃されるがこれを撃退。そのあと、ムルソーはその一味の一人と出会う。なにもしなければなにもおこらない状況だったが、太陽が照りつけるなか、ムルソーはこのアラブ人をピストルで撃つ。更に4発のトドメ。逮捕。 弁護士は、母を埋葬した日にムルソーが感動を示さなかったことをいぶかしむ。深く母を愛していたが、健康な人は誰でも愛する人の死を多少とも期待するものだ、と答えて弁護士は動揺する。また、敬虔な予審判事も、ムルソーを助けたいと思っているが、信心とは程遠いムルソーにはピンと来ない。裁判が始まり、ムルソーは非人間的であること、特に、母の死の翌日にマリイと楽しんでいたこと、しかも、裁判で動機を尋ねられたとき、自分の滑稽さを承知しつつ、それは太陽のせいだ、と陳述したことなどが決定打となり、ムルソーは非人間的なキャラクターとしてのイメージが確定し、死刑判決。 そんな死刑確定のムルソーのもとに、司祭がやってきて説教すると、ムルソー爆発。司祭の信念は女の髪の毛一本の重さにも値しない、死人のような生き方をしている、私は両手は空っぽだが自信をもっている、と言い放つ。 カミュは、自分はサルトルのような実存主義者ではない、といっている。また、カミュは本書について「母親の葬儀で涙を流さない人間はこの社会で死刑を宣告されるおそれがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮らす社会では、異邦人として扱われるよりほかはない、ということである。ムルソーはなぜ演技をしなかったか、それは彼が嘘をつくことを拒否したからだ。・・・中略・・・生活を混乱させないためにわれわれは毎日嘘をつく・・・中略・・・ムルソーは絶対と真理に対する情熱に燃え、影を残さぬ太陽を愛する人間である」とわりと丁寧に解説してくれている。巻末の白井浩司さんの解説によれば、つまりムルソーは否定的で虚無的な人間に見えるが、真理のために死ぬことを承諾した、ある積極性を内に秘めた人間として造形されているらしい。 | ||||
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1940年に著された古典。 全てのものには意味がないとし、瞬間に感じる欲望や感情を真理とする若者(ムルソー)のお話。 「人間の不条理」を描き、当時はセンセーショナルな内容であった。 キリスト教と不条理ムルソーとの対決が中心となり物語は進む。 19世紀末にニーチェにより神が殺されたが、その影響を色濃く残している。 ムルソーの言葉で引っかかったのが、 「健康なひとは誰でも、多少とも、愛する者の死を期待するものだ。」P68 愛するが故にその死までを想像してしまう、 想像し、意識に上がった瞬間に願望してることと等しい。 と解釈したのだが、どうだろうか? | ||||
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誰でも知っている世界的名作。 主人公の動機は誰でも知っているが、実際に読んだ人は実はあんまりいないんじゃいか、と。 奥が深いので読んでおいたほうがいいかも。 | ||||
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異邦人は不条理の文学である。屁理屈に理屈をつけても意味はない。みんな「異邦人」に理屈をつけたがる。読んでみると最近どこかでよく聞く話である。そう動機なき殺人だ。宮崎勤、少年A、切れる17歳・・・。ムルソーとは、現代風に言えば、衝動的に殺人をする理解できない犯罪者と変わりはないのである。周りは、なぜ不条理にこう論理的で答えようとするのか理解できない。シンプルに言えば、プッツンである。これ以上のムルソーの捕らえ方はないはずである。 | ||||
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この本を初めて読んだのは高校生の頃でした。その時はつまらなくて意味の分からない本だと思うばかりでした。しかし、最近になって、再び読んでみてすごい感動しました。 死刑を目前にしたムルソーは、死の前でやっと人の愛に気づきます。そして、死によって自由になります。 主人公ムルソーに対する解釈は様々です。「純粋な人」「無責任な人間の典型」などなど。。。皆さんも是非読んでみてムルソーを評価してください。 | ||||
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