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異邦人
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異邦人の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.42pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全227件 21~40 2/12ページ
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| 太陽が眩しかったから、という有名な一説に引きずられがちだけど、 そんなのは実はあまり重要ではない。 私は、仏教について学んでいながは悟りとはどういう境地かいまいち分からないでいる。 その勉強の隙間に本作を読んでいたのだが、 ムルソーの変化に、悟りに近いものをどうしても感じてしまう。 仏教関係者各位からお叱りを受けそうですけどね。 彼はいっさいの社会のよしなしごと、規範、センチメンタリズムから自由なのは確かで、 それを幸福と見るかどうかは各々が決めればよい。 少なくとも私は、クライマックスで完全に針が振り切れてからの彼を支持したいと思う。 | ||||
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| 我々が皆、 今よりちょっと、いきやすさを求める心に正直になったらきっと 人類皆ムルソー | ||||
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| 本作は、生きることに何の意味も見出していない主人公ムルソーが殺人を犯すに至るまでの第1部と、その事件の裁判により死刑宣告を受け1つの観念に到着するに至るまでの第2部からなっている。 そして本作は、ドイツのカフカの作品や、フランスの同時代人サルトルの作品と並んで、「不条理性」を描いた作品として高い評価を得ている。 ただ一言に「不条理」と言っても、カフカ、サルトル、カミュではそれぞれ「不条理」の捉えた側面、描いた側面が別物だ。 カフカは、全く説明のつかない事象が突然主人公を襲う世界を描いた。 サルトルは『嘔吐』で、事物の存在形式に対する説明のつかなさとそれへの嫌悪感を描いた。 それではカミュの描いた「不条理」とは。 『異邦人』の主人公ムルソーの価値観には、「人間は誰しも死にゆく存在であり、死が遠かろうが近かろうが、死を控えた人生には何の意味もない」という認識がある。 このようにカミュはムルソーを「意味のない人生」という認識のもと一切に興味関心を失った人物として描いたが、実はムルソーは人生の否定者ではない。 「無関心」と「否定」は概念としても別物であり、何よりムルソーの振る舞いは決して否定的なものではない。 ムルソーには他愛もない快楽があり、肉欲があり、人との交わりがある。 たとえそこに理由がなくとも、生のエネルギーは確かに存在する。 そして物語の終盤において、ムルソーは死(死刑執行)を現実のものとして捉え恐怖することで、「無意味な(無意味だった自分の)人生を愛する」境地に至ったものとして描かれる。 本編の最後に、「このしるしと星々とに満ちた夜を前にして、私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた」という不思議な一節がある。 私にはこれは、「この意味のない人生、この意味のない世界を愛する」境地を表現したものだと映った。 カミュは本質的に生の肯定者なのだろうと思う。 そしてそれ以上に、「無意味・無価値の肯定を伴わない人生観など虚飾に過ぎない」というメッセージがあるように思う。 『異邦人』は物語としては悲劇な展開を迎えるが、そこには人生に対する強い肯定意識が伺える作品であるように思えてならない。 | ||||
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| 名作に☆3つを付けるのは、なかなか勇気があることではないかと、我ながら思うのですが、実際に面白いと感じなかったのだから仕方がない・・・。 どうして海外の名作は、主人公が不幸な死を遂げるのだろうか? というわけで、本作を読むきっかけは、作者のカミュが、芸能人のセイン・カミュの先祖と知ったからであり、名作を読むきっかけもなかなか不純であったりします。 読んだのは10年以上前だったと記憶しています。 今回、レヴューしたのは「異邦人」という曲が友達との会話に出たからです。 ただ、それだけのこと・・・ 2011年06月22日 22:49 | ||||
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| 再読のために購入しました。不条理と不合理。 | ||||
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| 「寝ながら学べる構造主義/内田樹」にて紹介された名著。 この小説において、作者は主人公の行動や発言を高みから「説明」したり、「内面」に潜り込んだりすることをきびしく自制し、その結果、そこには事実だけを淡々とかつ的確に記述する、乾いた、響きのよい文体が奇跡的に成立しました。 読み始めて最初の頃、ムルソー(主人公)は女だと思っていた。それくらいフラットな文体だった。 態度も言動も行動も全て一貫していて、その場の気分だけで生活すると、他人によからぬ誤解を与え、主観的にはすごく不条理にことが進んでいくことを感じた。 主人公はその場その場を深く考えていない。 だからといって馬鹿ではない。正直にものごとを率直に捉え、率直に返しているだけだった。この作品は、あらすじを読むだけでストーリーは把握できる。 しかし、あらすじの内容に至るまでのプロセスがこの小説の醍醐味になっている。 なぜ死刑判決となったのか、ムルソーは死刑を待ち望むに至るか、端的で明快な描写がこの本の評価に反映されている。 己を信じ、社会の通説や風潮を無視した主人公の「思考」、それを最後に司祭に言語化したことで思考を消化し、世界と一体化した。 俺は俺、それを認めない社会を認める。だから俺が処刑されるときは憎悪を上げて迎えてきてよい。と境地に達した主人公を感じた。 | ||||
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| ムルソーは世の中の慣例的な行為と乖離した人物だ。現象のみを抽出する特異な目を持っている。 太陽は輝き、波は打ち寄せ、砂浜はきらめき、殺人を犯す。それらはみなムルソーにとって同列である。外部に対するスタンスは「どちらでも同じことだが…」なのだが、これはポーズではない。ムルソーは嘘をつかないのだ。 しかし、ムルソーは生きている。慣例的で紋切り型の人生を生きている者たちよりも確実に生きている。そうムルソーは自信を持って言い切ることができる。 なぜなら、「まだやってこない未来の底から来たるべき『死』」その真理から目を逸らさず、『死』が自分を捕らえているのと同じように自分も『死』を捕らえる、それがムルソーにとって生きているということだからだ。 ムルソーの目を通してみた世間はその『死』から意識を逸らして、『死』の存在を誤魔化して、虚妄の生活を送っている、欺瞞に満ちた罪人なのである。 そう初めて他者を断罪して憤怒したとき、断罪される自己と断罪した他者は、無関心な世界の下では互いに同じものとして融和し、ムルソーはさらなる一体感を求めるゆえ、人々が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることを望む。 | ||||
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| アルベール・カミュ(1913~1960年)は、仏領アルジェリアに生まれ、第二次世界大戦中に発表した本作品(1942年)、エッセイ『シューシュポスの神話』などで「不条理」の哲学を唱えて注目され、戦後発表した小説『ペスト』はベストセラーとなった。1957年には史上二番目の若さでノーベル文学賞を受賞したが、1960年に自動車事故で46歳の若さで死去。 上記の通り、カミュの作品は「不条理」という概念で特徴付けられるが、日本大百科全書では、「不条理」とは「人間と人間、人間と世界との関係が条理・道理にあわないこと。つまり、必然的な根拠が不在であり、すべては偶然に基づくということである。フランス語のアプシュルディテabsurditéの訳で、この語の現代的な用法はカミュに端を発する。彼は『異邦人』において、現代の不条理の状況、現代的な不条理の人間を小説の形で提示し、さらに『シジフォスの神話』においてそれに哲学的、論理的な解明を与えた。」と説明されている。 本作品は、二部構成となっており、第一部は、主人公ムルソーが、ママンの死を告げる電報を受け取ってから、アラブ人を殺害するまでの18日間の経緯、また、第二部は、ほぼ1年に亘る獄中生活と裁判の様子が、記されており、各所に「不条理」(≒偶然)が散りばめられている。 例えば、母の葬儀の数日後、隣人レイモンに“偶々”会って、殺人事件の発端となる手紙を書くことになる件や、レイモンと共に友人の別荘へ行き、三度目に一人で散歩をしていたときにアラブ人に“思いがけずに”会い、ピストルで撃ってしまう件(ムルソーが、それを「太陽のせいだ」と答えたのは、我々人間はその偶然に抗えないのだということを意味している)、更に、裁判の審理が、ムルソーが起こした犯罪そのものではなく、ママンの葬儀やその後数日間のムルソーの様子や行為に関して為されているかのような“不条理”、等々である。 そして、死刑が確定した後、司祭がやってきて神による魂の救済を説くが、無神論者のムルソーは、「君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ、自信がない。私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来るべきあの死について。そうだ、私にはこれだけしかない。しかし、少なくとも、この真理が私を捕らえているのと同じだけ、私はこの真理をしっかり捕らえている。・・・私はこのように生きたが、また別な風にも生きられるだろう。私はこれをして、あれをしなかった。こんなことはしなかったが、別なことはした。」と叫び、不条理な世界の中で神に反抗し、地上の生を肯定して、物語は終わるのだ。 (尚、本書は昭和29年の窪田啓作訳であるが、さすがに読み難く、新訳が出ることを期待したい) | ||||
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| 主人公ムルソーは、まるでサイコパスのような人だと思っていたけど、そんなに変な人じゃなかった。 普通の人。そういう人がえらいことになってしまうところが、現代の怖さ、ということなのかな? | ||||
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| 数年前に読んだ本なのですが、今日たまたま「こういうことだったのか!」と感じる瞬間がありました。 先日、私は誕生日を迎えました。ただその日が来たからといって、正直心が特別に躍るわけでもなく、「年齢がひとつ重なる日が来ただけで、普通の一日と何ら変わらない」と感じていました。 そんな中。家族や友人らと頻繁に連絡を取り合うタイプのフラットメイトがいて、「今日の夜はやっぱり飲みに行くの?友だちと過ごす?」と聞かれました。 正直、ちょっと気後れする思いを感じ。「いや、特に。ただ部屋で過ごすのが好きだから」と答えると、やや訝しそうに「せっかくの誕生日なのに、友達と集まったりもしないなんて変」というような素振りをしてるように感じました。 いわゆる「普通」の価値観からしたら、誕生日という特別なお祝い日は、家族や友人たちと楽しんで過ごすべきなのだろうと。 ただわたしにとっては、自分の誕生日だからって特別外出したいわけでもなかったし、それよりも今ハマっている好きな本を部屋でじっくり読み一人で過ごしたかった。なのに、周りからはそれを変な目で見られる。 この瞬間、まさしくムルソーのことを思い出しました。母親の亡くなった翌日にビーチで遊んでいたということで「異端者」の烙印を押されるかのような彼を。 誕生日という"特別な日"に、家族や友達といるのではなく、引きこもり型の一日(自分にとっては普段と同じでしかない)を送ろうとするだけで、奇妙に思われる。そのフラットメイトの訝しげな視線を受けたせいもあり、少し気後を感じていました。 しかしここで思うのは、本当に私は負い目を感じないといけなかったのか?それぞれが自分流の経験に従って、"特別な日"をどう過ごすかを決めたっていいじゃないかと。「誕生日」でも「母親の葬式」でも、均一なやり方で過ごすことが周囲から期待されてしまうことが、逆に息苦しいと感じる。そんな中で異邦人は、「周囲から勝手に期待される姿と違っていてもいい」と励ましてくれるようなメッセージを与えてくれるように感じました。 | ||||
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| ようやくKindle化されたので、紙の本も持っていますが即購入。 しかし、同じ著者の「ペスト」が売れたから電子化したのでしょうか? 何百年後も読み継がれることの間違いない名作に対して、ブームに便乗したような売り方しかできないのは情けない話です。 | ||||
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| 何でもない日常の風景を淡々と読ませるカミユの文章力に引き込まれる。素晴らしい | ||||
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| 和訳しているだけで、小説になっていない。 | ||||
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| 『異邦人』はすでに半世紀にわたって「フランス語で書かれた小説」のベストセラー・ランキングの一位を続けている。この記録を更新する作品がフランス語で書かれる可能性はこれから先もおそらくないだろう。と、内田樹さんが名著『昭和のエートスの中の『アルジェリアの影』』で述懐されていたので読んでみました。 本著はフランスがドイツ占領下にあった1942年、アルベール・カミュが28歳の時に上梓されました。 ドイツ占領下のレジスタンスの英雄だったカミュ(当時匿名)ですが、『異邦人』はカミュが敬愛していたドストエフスキー文学に連なる文学の深遠さを垣間見ることが出来ました。 また巻末の詳細な年譜により、24歳のカミュが創設した『仲間座』が上演した『カラマーゾフの兄弟』でイワンを演じ、39歳でドストエフスキーの『悪霊』の脚色を構想し始め、交通事故死する前年、45歳でアントワーヌ座で『悪霊』を上演したことを知れたのはとても有難いことでした。 以下に文中から印象に残る文章をご紹介します。 ・彼女はその顔付きにつり合わぬふしぎな声をしていた。音楽的な震えるような声だ。「ゆっくり行くと、日射病にかかる恐れがあります。けれども急ぎ過ぎると、汗をかいて、教会で寒けがします」と彼女はいった。彼女は正しい。逃げ道はないのだ。 ・あなたは変わっている。きっと自分はそのためにあなたを愛しているのだろうが、いつかはまた、その同じ理由からあなたがきらいになるかも知れない。 ・この数年来はじめてのことだったが、私は泣きたいというばかげた気持ちになった。それはこれらのひとたちに自分がどれほど憎まれているかを感じたからだった。 ・真実何かを悔いるということが私にはかつてなかった。私はいつでもこれから来るべきものに、たとえば今日とか明日とかに、心を奪われていたのだ。 ・死刑執行より重大なものはない、ある意味では、それは人間にとって真に興味ある唯一のことなのだ。 ・ところが、やはり、メカニックなものが一切を粉砕するのだ。ひとは、わずかばかりの羞恥と、非常な正確さをもって、つつましく殺されるのだ。 ・人間は全く不幸になることはない。と(死んだ)ママンはよくいっていた。空が色づいて来るときや、暁のひかりが私の独房にしのび込んで来るとき、ママンの言葉はほんとうだと思った。 ・しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来るべきあの死について。 ・あの大きな憤怒が、私の罪を洗い清め、希望をすべて空にしてしまったかのように、このしるしと星々とに満ちた夜を前にして、私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。すべてが終わって、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。 ~以下、解説より ・多くの場合貧困は、人々に羨望と不満を植えつける。だがカミュ一家は慎み深く控え目で、なにも羨んだりはしなかった。そして地中海のきらめく風土が彼の救いとなった。「私の少年期を支配していた美しい太陽は、私からいっさいの怨恨を奪いとった。私は窮乏生活を送っていたが、また同時に一種の享楽生活を送っていたのである。私は自ら無限の力を感じていた。・・・・この力の障害となるのは貧困ではなかった。アフリカでは海と太陽とはただである。さまたげになるのは、むしろ偏見とか愚行とかにあった」と彼は1958年『裏と表』に新たに追加した序文のなかで述べている。 ・私の源泉が『裏と表』、貧困と光のこの世界のなかにあるかことを知っている。私はそこで長い間暮らしたが、その思い出はいまなお、あらゆる芸術家を脅かす二つの相矛盾する危険、すなわち怨恨と満足から私を守ってくれるのだ。 | ||||
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| この作品を理解するためには、シューシポスの神話と太陽の賛歌を読まなければならないと思いました。 | ||||
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| 『太陽のせい』で人を殺したというムルソー。感情が乏しく(と周囲にとらえられる)、母の死に悲しんでいないという理由が印象を悪くして死刑を宣告される。 今から70年も前の戦前の作品だが、こういった人間は、現代に増えているのではないだろうか。今なら決して【異邦人】ではないだろう。ニュースでも見かける。 『こうあるべき』『普通はこうだ』というが主流だった時代にはセンセーショナルな内容だとは思うが、今読み返すと、『こういう人もいる』って言う話に見えなくもない。神を信じない。太陽や海や空に流されて生きている。気分、だ。 | ||||
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| カミュの代表作であり、一気に読んでしまいました。 | ||||
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| サルトルをはじめとして、多くの書評は「シーシュポスの神話」を「異邦人」の哲学的解説書としているようですが、確かに、「シーシュポスの神話」は「異邦人」の理解の助けにはなりますが、同本で書かれていることを、よりはっきり体現しているのは、後年の「ペスト」の主人公の医師であると思われます。 本作の好きな人には、「ペスト」「シーシュポスの神話」の順番で読まれることをすすめます。 | ||||
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| 新しくなったカバーが素敵です。プレゼント用で買いました。 | ||||
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| 読んだあと、世界観に一撃を与えるような小説。思考が凍り存在が宙吊りにされ、不安を解消したくなぜなのか必死に解答を考える。しかし答えは見つからない。これぞまさしく小説の快楽。 | ||||
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