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異邦人



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【この小説が収録されている参考書籍】
異邦人 (新潮文庫)
異邦人THE STRANGER (金原瑞人MY FAVORITES)

異邦人の評価: 4.43/5点 レビュー 223件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.43pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全223件 41~60 3/12ページ
No.183:
(4pt)

何となく人を殺めてしまった男

薄い本にも関わらず冒頭から読みづらいと感じ、しばらく放置。
数年越しで最後まで読んでみると面白かった。
主人公本人からしたら「ただ何となく」犯罪を犯したのだが、母親の葬儀での態度が冷たかったこと、その翌日には女を連れてデートへ出掛けたことなど、直近の過去を暴かれると世間から冷酷非道な人間として糾弾される。
当時のほとんどの人の精神の拠り所には宗教が大きく関わっていただろうが、実際彼は無神論者であり、リアリストに見える。
死を直前にしては、もはや自分が世間とは違う存在と認識された上で処刑されることを望むその姿は、
つい昨年、日本の裁判で更生するつもりはありませんと宣言し無期懲役判決で万歳!と叫んだ加害者を彷彿させる。
この主人公は当時からしたらそれこそ不可解な人間だろうが、現代人からしたらより身近で理解しやすい人間性ではあると思う。
ただ同じような犯罪が現代に起これば、やはり世間は同じように加害者を糾弾するだろう。
近年SNSでもちょっとした事でのバッシングが非常に過激となっているが、そのような「抗えない集団エネルギー」はいつの時代も変わらないものなのだと思う。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.182:
(5pt)

現実的かつ内省的になれる作品。

不条理小説の代表作といわれているそうです。
不条理の意味とはなんでしょうか?
事柄の筋道が立たないこと。であるそうです。

なぜこの小説がその事柄の代表格なのでしょうか?3年ごとに計3回読んでみました。
1回目→意味不明、罪を犯してなぜ苦悩しているんだ。
2回目→罪を犯すことは万人に機会があることなのかも...
3回目→自分の信念。多数派の信念が正しいって本当なのだろうか?

特に3回目に不条理を感じました。
今まで何も関与しなかった人間が、自分の何を知っているんだろう?
なぜその人たちの大意が、自分の行動や運命を左右するのだろう?

上記の疑問に対して、2つの教訓を結論づけました。
・大切な人には、多く関与して時間を共にすること。
・自分の行動については、自分の責任で一瞬を大切に集中して取り組むこと。

私たちの大半は無神論者の印象があります。皆さんの結論をぜひレビューで共有して、不条理と向き合う糧としませんか?
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.181:
(5pt)

『異邦人』をKindle化してください!

『ペスト』のKindle版があるのに、それよりも有名な『異邦人』がなぜKindle化されないんでしょうか?新型ウイルスや「100分de名著」の影響で『ペスト』は現在もっともリアリティのある作品ですが、サルトルはかつて『異邦人』のほうを絶賛していました。今は『異邦人』のほうがリアルなのです。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.180:
(5pt)

<神は何処へいった こんな真昼間>ーー吉本隆明

<神は何処へいった こんな真昼間>
 
 生存の与件がすべて消え失せた後ににんげんは何によって自らの理由をみたすのか わたしは知りたかった わたしにとって理由がなくなったとき新しい再生の意味がはじめられねばならなかったから わたしの行為は習慣に従いわたしの思考は主題をあたえられなかった 如何なるものも自らの理由によって存在することはない しかもわたしはわたし自らの理由によって存在しなければならない 生存がまたとない機会であると告げるべき理由をわたしはもっていなかった しかも既に生存していることを訂正するためにわたしの存在は余りにも重くかんじられた わたしの魂はすべての物象のなかに風のように滲みとおってしまい わたしの影もまた風の影のうちに一致した わたしはただありふれた真昼と夜とを幾何学の曲線のように過ぎてゆくだけであった ひとびとが実証と仮証とをうまく取りちがえているその地点を!(吉本隆明「固有時との対話」)

 「不条理」に西欧哲学的意味を探る必要は全くない。不条理のネタは、そのへんにごろごろ転がっている。日々のニュースは不条理で埋まっている。いじめられて自殺、パワハラで自殺、死ぬまで働くサラリーマン(過労死)、ストーカー殺人、通り魔殺人、義父に虐待されて殺される子供、暴力(体罰)を指導と言い張る教師、466億円もかかるアベノマスク、世界中がウイルス対策に苦慮している最中にミサイルをばんばん飛ばす半島国……まったく冗談ではない、悲惨だ無残だ、あまりに常軌を逸しすぎて絶句、世の中狂ってると思う、この狂った世の中に存在する価値なんてあるのかーーこれが不条理である。

そして、「不条理」はーー英語でabsurd、フランス語でabsurde、ドイツ語で Absurditätーー原義は「馬鹿げている、理に合わない、滑稽である、笑っちゃう、アホか」である。首相夫人の自粛中のお花見、大分の神社参り、呆れちゃう、笑っちゃう、アホか、である。生徒の骨折が頻発しても続けたがる組み体操、何考えてんのお~ばかじゃいない~?世の中、そういうもんである。( ̄Д ̄)ノ

 アラブ人を射殺して裁判にかけられ、母の葬儀で涙を流さなかったこと、葬式の翌日、マリーと情事にふけったことを理由に冷酷な犯罪者にされる。「太陽が眩しかったから」撃ったと、その時の状況をありのままに言えば、笑われるーーイマドキの言葉でいうと、「カンケーねぇだろ!」という理由で死刑判決。不条理である。

 そして、ラストで、ムルソーという人間像の真の意味がわかる。
 <生存の与件がすべて消え失せた後ににんげんは何によって自らの理由をみたすのか>
 「私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来たるべきあの死について。そうだ、私にはこれだけしかない。しかし、少なくとも、この真理が私を捕えていると同じだけ、私はこの真理をしっかり捕えている。私はかつて正しかったし、今もなお正しい。いつも、私は正しいのだ。私はこのように生きたが、また別な風にも生きられるだろう。私はこれをして、あれをしなかった。こんなことはしなかったが、別なことはした。そして、その後は? 私はまるで、あの瞬間、自分の正当さを証明されるあの夜明けを、ずうっと待ち続けていたようだった。」(窪田啓作訳)

 <如何なるものも自らの理由によって存在することはない しかもわたしはわたし自らの理由によって存在しなければならない> 
 「私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来たるべきあの死について。そうだ、私にはこれだけしかない」ーーここで、初めて、不条理の哲学的意味を追求してもよいであろう。ムルソーという存在を無神論で片が付けられるなら、ニーチェ先生も狂わずにすんだ。無神論が真に無神論であったためしがない。単にキリスト教に疑義を抱き、アナーキズム(教)なり、共産主義(教)なりに宗旨替えしただけのことである。ユバル先生にいわせれば、〇〇教というフィクションから××教のフィクションに鞍替えしだけのこと。存在の不条理(実存)から眼をそらし続けるために、至上の価値、空中楼閣にすがりつく。

 カミュの同時代人であるサルトルは実存哲学と政治の間をウロウロで、最後の最後までロシア版マルクス主義(スターリニズム)の幻想(呪縛)から自由になれなかった。カミュはどうであったか。サルトルのずっしり重そうな実存哲学に対して、反抗的人間という見かけはさえない「抵抗する人間」、あらゆる暴力を拒否するという立場だけで抵抗しようとしたカミュは。
 カミュ的人間(=最初の人間)はシジフォスの苦行に耐えるのである、なにものにも頼らずに、「存在そのものの不条理性」を単身我が身に引き受ける人間である。「私の人生について、来たるべきあの死について。そうだ、私にはこれだけしかない」ことに耐える人間である。不条理に生きるではない。不条理に抗して(不条理に加担することを拒否して)生きる人間である。ムルソーが不条理を体現しているのではない(よく誤解される)。世界が不条理なんである。世界の不条理生に抗するのがカミュの文学的営為である。世界の不条理、それはペストのように見えない力で存在を脅かすもの。さて、「ペスト」を再読しよう。

<わたしはただありふれた真昼と夜とを幾何学の曲線のように過ぎてゆくだけであった ひとびとが実証と仮証とをうまく取りちがえているその地点を!>
  ( ̄Д ̄)ノ
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.179:
(4pt)

コロナ騒動下の異邦人

自分の母親の死に何の感情の変化もない主人公にのっけからもの凄い違和感を抱かせられた。ただその母親の死を悲しまなかったということが、面識も何もないアラビア人を、”太陽のせいで”殺したことによる死刑の主たる理由になっているらしいことには大きな不条理を感じる。まあ人間社会とはとかく不条理なものだということをカミュは言いたかったんだろう(浅はかな理解でスマン)が、自分と自分の嫁さんのせいで人の命が一人失われたのにまったく罪悪感のかけらもない首相、そして、多くの人がコロナウイルス騒動で苦しんでいるのに能天気にミュージシャンとコラボしている首相、の姿を見る時、まさに異邦人とはこの方のことではないかと思ったりする。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.178:
(2pt)

新品本の表紙に折れ

予定通りの配送でした。が新品を購入したのに表紙に「折れ」がありガッカリしました。これなら中古品の方がましかと思いました。
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4102114017
No.177:
(5pt)

主人公は独立独歩の人間である

いつの間にか筆者は、この小説の大まかな要約を、もう何十年も次のように理解していた。殺人を犯した主人公が「俺がそうしたのは、ただ太陽が眩しかったからだ」と主張し、それ以上は何も語らず、その結果死刑に処される物語かな、と。しかし、その要約は違っていた。内容は、予想していたよりもずっと複雑で、かつ難解であった。そして小説のテーマを具体化した箇所がいろいろなところに見られた。ゆえに明確にまとめるには私の手に余りそうなので、①今まで考えていた内容との食い違い ②新たに感じたこと を中心に書いてみたい。
1 「それは太陽のせいだ(=自分が殺人を犯したのは太陽が眩しかったせいだ)」という動機は、ムルソー自身があまりにまとめ過ぎた結論であり、理性的にそう考えたのではない。ムルソーにはムルソーなりの思いが重なっており(さまざまな伏線が書かれているように感じた)、自分の複雑な(言葉にまとめにくい)思いをいちいち分析するのも厄介で(私見では、誰だって自分の複雑な思いをまとめて、それらから明快な結論を引き出すことはできないだろう)、投げ出すように発した言葉であった。
 いったい人が何か重い行動をした場合、その動機を短く正しく説明できるだろうか。たとえば、なぜあなたは今の職業を選びましたか、と聞かれて、正確に答えようと思ったら、それまでの全人生を語らなければならないような気がする。
2 第二部の裁判において登場する、弁護士、検事、司祭いずれもムルソーの心中を正確に理解していない、それどころか、理解しようともしていない。これではムルソーがあまりに気の毒だ。ムルソーが、一応は社会の代表者である彼ら(弁護士・検事・司祭)に不信感を持つのも当然である。筆者には、彼らはその名に値しないとさえ思う。著者カミユの怒りももっともである――カミユがムルソーの怒りを代弁しようとう意図があるのなら。
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4102114017
No.176:
(5pt)

本来人間が最も注視すべきは人間か?

社会が複雑化するほど人間は形式化され、また感受性も乏しくなる。オルテガを読んでざっくりした感想だけど。
人間の関心が社会ばかりにいき人間に向かわなければ、自然そがい感を覚える人間もいるだろう。だから、ペシミスティックに社会を捉える主人公に、一現代人の僕は共感する。本作の主人公はカミュの生い立ちとも密接なカミュの消極的な主張を表現していると僕は解釈する。やはりカミュの真意は本作でも垣間見える、次作ペストの「連帯」なのだろう。
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4102114017
No.175:
(5pt)

ムルソーが放った「6発目の銃弾」

彼が撃った5発の銃弾。一発目はあるいは理由のあることかもしれない。しかし間を置いた後の4発はなぜ発射されたか。一発目から2発目の「間」は、何が君にそうさせたのか。判事・弁護士・陪審員などは、彼らにとっての正当な「罪の動機」を推測し、作りだし、聞き出そうとうとし、そして押し付けようとする。

母を養老院に預け、その死にあって悲しむ様子もなく涙も流さなかった。死んだ日に女と戯れていた。何よりも彼は神を信じていない。それが4発の銃弾の「間」の原因であり「罪の動機」である。

社会は何かの事件が起こると、当事者の写真、国籍、生い立ち、学歴、生活、家族・友人・同僚・隣人の評判など、人物像とともに「罪の動機」を形作る。
結婚には愛がなければならいのか。そんなのものは誰かがこしらえたものだ。死に囲われた中で、なぜママンは「許嫁」を持ったのか。死が近づく中で、ママンは解放を感じ生き返ったのだ。なん人もママンの事を泣く権利はない。

本人とは関係なく「罪の動機」はそのなかで自己増殖し、原因→結果の連鎖が形作られる。貧困であれば貧困が、富めるものは富が、地位あるものは地位が「罪の動機」となる。どうあろうとそのこと自体が既に「罪」である。この作られた「罪の動機」は同時に「善の動機」ともなってヒーローも造り出すが、人はこの矛盾に眼を向けようとしない。

正義は罪を造り裁こうとするが、正義自身は「神の名」を振りかざして、自己を裁くことをしない。正義が「納得」したものが、罪であり、裁きであり、罰である。正義はその背に罪と罰を背負っているが、振り返ることはしない。正義とは一つの共同幻想であり捏造なのだ。

カミュが、ムルソーに「太陽」だと言わせたのは、自己の存在根拠はどこまでも自己であり、その故の自己に介入しようとする捏造された正義の「悔い改め」に対する拒絶であったからだが、これはムルソーが司祭に投げつけた叫びとして描かれる。
お前は俺に悔い改めよというのか、何に対して悔いるのか。自分の宿命である一回限りの人生に、懺悔を強いることなどできはしない。誰もが特権を持っているのだ。俺の人生をお前の正義で塗りつぶすことなどできはしない。お前の正義など女の髪の毛一本の値打ちもない。それは張り付けられたものに過ぎない。お前の正義もいずれ悪として裁かれる日が来るだろう。

「こうであった」かも知れないが、「ああであった」かも知れない。「これか」「あれか」の分かれ目が「太陽」であれ何であれ、その結果が「俺の今の存在」なのだ。それは俺のものであって、お前たちのものではない。なぜ悔い改める必要があるか。俺に別の人生があるとすれば、今の人生を思い出す人生を希望するだろう。
自分の処刑を見るために集まった観衆が、自分に向けた憎悪の叫びこそが自分への賛歌なのだ。それによって世界は俺を受け入れるのだ。

この最後の叫びがこの小説のテーマだが、「作られた自己」に対する「本来の自己」の叫びは確かに強烈である。それはムルソーが僕たちに放った「6発目の銃弾」でもあるのだが、その銃弾は新たな問題を突き付けることになる。

「太陽」を認めるなら、人は何を基準として自己を選択するのか。人が「各自の太陽」を持てば「万人に対する戦い」となるだろう。人はサイコロを振って生きていく訳にはいかないのだ。
人はその困難を避けるために神にサイコロを振らせたのだが、神のサイコロを信じないとすれば何に頼ればよいのか? 放たれた「六発目の銃弾」はブーメランとなって射手のもとに返ってくることになる。

ここでの「太陽」は「罪の動機」として描かれるが、ではその「太陽」が、危険を省みず人命を救助した人の動機であった場合はどうなのであろうか。
この後に書かれた「ペスト」は、カミュがこの問いに答えようとしたものだと思うのだが、それは「ペスト」のところで書いてみることにします。
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4102114017
No.174:
(4pt)

クィーンの名曲ボヘミアンラプソディ

イギリスのロックバンドクィーンの名曲ボヘミアンラプソディ、その歌詞の冒頭部分に「母さん、いまさっき人を殺してしまったよ…」という一節があり、この小説の一場面に由来しているそうだ。今回の読書でこれを再確認することができた。
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4102114017
No.173:
(4pt)

主人公と言うより周りの人間がおかしい印象を持った

友人に勧められて読んだ。

本の裏側によくできた要約があり、それを読んだ感じではサイコパスがただ異常行動をとって死刑になる話かと思っていたが、実際に読んだ感じはむしろその逆で周りの人間が異常なのではないかという印象を受けた。

主人公は確かに感受性に乏しく、母の死に対して無関心さがあったりするものの、その後の事件においては受動的に運命に翻弄されているといった印象で、不条理さはむしろその運命にこそあると思った。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.172:
(5pt)

本当にその考えは正しいのか?

「共感できない」というキラーワードで「つまらない」と決めつけると、読書本来のおもしろさが半減する、とピースの又吉直樹は著書『夜を乗り越える』に書いている。
また、小説『火花』では「共感至上主義ってどうなの?」と疑問を投げかける。

「異邦人」を読了して、「共感」をテーマに書こうと思った時、又吉のこの言葉を思い出して『夜を乗り越える』を久しぶりに本棚から引っ張り出してきて読んで驚いた。上記共感の件の隣のページに、まさに『異邦人』についての記述があるではないか。

殺人に共感する必要はないが、「どういうことなんだろう?」と考える、それが醍醐味なのだと。

共感というテーマと『異邦人』は切っても切れない関係ということか。確かに、この異邦人の主人公は実社会において凡そ共感する事のできない、むしろ共感する事を忌避されるとも云うべき思想を持つ人物として描かれる。

ママンが死んだ翌日に海水浴に行って女と遊び、喜劇映画を観て笑いころげ、もちろん夜は部屋に連れ込んでお楽しみ。「太陽が眩しかったから」殺人を犯し、「健康な人は誰でも、愛する者の死を期待する」と言って弁護士を仰天させる。

共感できます、と言ったら自分まで人格を疑われかねない。それはわかる。
でも、
共感なのかまだよくわからないのだが、

「人を殺した理由が太陽が眩しかったっておかしいでしょ(笑)」
「母親が死んだ翌日に海水浴に行ったらダメでしょ」
「母親が死んだら泣くのが普通でしょ?」
「神を信じない⁈はぁ?あり得ない!」
極め付けは、

「あんたさ、私らと考え方違うんだよね、はい、今日からあんた異邦人ね」

という多くの登場人物に、

何これ?
イジメの原理じゃない?はぁ?何様?

って思った事実。
こいうい考えに真っ向から立ち向かい、否定する主人公にエールを送ったという事実。
最後の神父に対する叫びに、私も一緒に興奮し、拳を握りしめたという事実。

「自分の正義はあの人にとっても正義か?」
「本当にその考えは正しいのか?」

そう、問いかけられている気がした。

人は、自分のものさしでしか世界を測れないが、想像力というものを与えられた動物だ。
自分とは異なる選択をした他者の、その心境を想像する努力を、理解不能の他者を「異邦人」として切り捨てず、自分の中にその他者を見出せるのか思い巡らす勇気を、常に持っていたいと強く思う。

最後に。
小説の文脈に於いて「母さん」でもなく「おふくろ」でもなく「ママン」と訳す事にした窪田啓作氏。
そこに訳者の主人公ムルソーに対する愛情、そしてムルソーの母親に対する愛情が込められていると、私は信じている。
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4102114017
No.171:
(4pt)

内容は難しいかったが楽しく読ませてもらった。

今回は大学の課題のためカミュの代表作品である異邦人を読ませてもらいました。
初めて読む文章ともあって内容は中々難しく理解が難しかったが代表的作品をこの機会に読めたことが嬉しかった。
もう一度理解できるまで読みたいと思う。
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4102114017
No.170:
(3pt)

難しいが、がんばって読んでみた

一般的な感覚では主人公に同情をするのは難しい。殺人は殺人であり、主人公の行動にはややサイコパス的な衝動をすら感じるからだ。人の命は重い。が、しかし、主人公は、殺人の言い訳など一切せず、理由は”太陽がまぶしかったから”だと言う。もちろん、読み人それぞれに見解がされるべきだが、不気味で残虐な印象がどうしても拭えない。

がしかし、登場人物への好き嫌いは置いておけば、繊細な風景描写、不可解しかし大胆な主人公の行動描写に引き込まれた。読み終えると普通に生きているこの世界が、清浄で静かに感じる。ほっとする。過激さや衝動で人を苦しめたりしない普通の人間側で良かったと思う。多くの人はこちら側だ。本を置くと、コトンと音をたてて平凡な日常が静かに動き始める。異邦人のように遠い世界に連れ出されていたのだなと思う。本一冊だ。僭越ながら、ふとノーベル賞を受賞された理由の一つなのかもしれないと思った。
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4102114017
No.169:
(4pt)

アルベール・カミュの代表作

ニヒリスティック(虚無的)でどこまでも冷めた主人公ムルソーの、ある意味この世の真理を突いた生き方を描写した作品。
「人生は生きるに値しない」と平気で殺人まで犯してしまうわけですが、そこが逆に現実を生きる世の中の人々に対する問題提起を表しているのでしょう。
とはいえ、(小説の最後にあるように)人生の不条理さを直視したとしても、そう簡単に人間はカミュのようには開き直れないかなぁと思いました、これがこの小説を読んだ私の第一印象です。
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4102114017
No.168:
(4pt)

44歳でノーベル文学賞を受賞し、46歳で交通事故のために死亡した作家

フランス領だったアルジェリアに、フランスからの移民の子孫として生まれたCamus。父は戦死し、母は聴力がほとんどなく、父の死後、一緒に住むことになった祖母も、障碍者だった叔父も、母を含めて3人の文盲に囲まれて育った。大学時代に最初の結婚をするが、2年ほどして離婚した。その後、25歳で再婚し、26歳で離婚するのだが、同じ年に同じ女性と再婚し、やがて双子をもうけた。この「異邦人」は、Camusの分身のようなムルソーなる人物が主人公である。

『きょう、ママンが死んだ。……』を知らない人は、この本の題名を知る人だったら、それほど多くないだろう。ママンの葬儀の翌日、マリイと海で泳ぎ、交渉を持つ。確かに当時の常識では、なかなか理解ができないかもしれない。やがてマリイは、ムルソーに結婚を申し込む。そして友人の友人を訪れ、太陽がギラギラと照る場所で、匕首を持ったアラビア人をピストルで複数回撃ち、殺してしまう。これも、有名なところだろう。結局、ムルソーには死刑が言い渡されるのだが、大勢の人が集まって、憎悪の叫ぶことを望む、と言うところで本編は終わる。

たった100ページほどの小説なのだが、多くのことが語られて、一口では言い表わせないような幅広さがある。
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4102114017
No.167:
(5pt)

ラストの心の悲鳴を聞いて欲しい

はっきり言って自分はカミュは苦手ですが、この小説だけは大好きです。
人付き合いが苦手で、うまく他人と対話出来ないキャラクターはいくらでもいるでしょうが、人を殺したのは「太陽のせい」と言ってしまうこの主人公を理解するのは一見難しそうですが、意外と理解できてしまう。それまでは口数が少なかったのに、ラストでせきを切ったかのように喋りまくるが、心の悲鳴のようで泣けました。
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4102114017
No.166:
(4pt)

なんでそんなことしたの?ちゃんと説明できる?

「なんでそんなことしたの?/考えたの?」という問いに対し、「なんとなく」としか答えられないことは珍しくない。というか、実は全部そうとしか答えられないのではないか?何か強い動機に基づいて発した言動があっても、「じゃあなぜそんな強い動機を抱くに至ったの?」と根掘り葉掘り問いを重ねれば、行き着く先は「なんとなく」でしかないのかもしれない。

私たちはみ~んな実は得体の知れない何かによって「なんとなく」の意志決定を下しているのではないかという気がしてくる。そうすると、ムッシュムルソー以外の登場人物も、ひいては私たちも、本質的には何も変らないんじゃないかと疑われた。

本作の読後、「なんでそんなことしたの?」の問いに対して「なんとなく」と答えるくらいなら、ぜひ「太陽のせい」と答えましょう。
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4102114017
No.165:
(5pt)

もっとムカつく作品と思っていたが、想像していたのとは真逆。全然不条理じゃない

不条理小説の代表的な作品の一つと学校で習っていたので読んでみた。

もっとムカつく作品と思っていたが、想像していたのとは真逆。全然不条理じゃない。虚無あるいは冷めた目で現実を見ている主人公には意外と好感が持てる。

短いがなかなか悪くない小説だった。
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4102114017
No.164:
(3pt)

サイコパス小説

ムルソーは今の時代にいたらサイコパスと呼ばれるだろう。
特に、敵に銃を4発撃ち込む件は全く意味が分からない。この人何しているんだ状態。

とても正常な人間には思えないが、嘘のない人間であるということは伝わってきた。
法廷や刑務所の中で、状況や自分の感情を観察しながら、気づいていくシーンははっとする。
そうすると、もしや正常な人間というのは嘘に塗り固められた人間ということになるのか?
とか考えた。

それにしてもこの小説がヒットしたということは、当時の人は色々悩んでたんだな~。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017

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