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異邦人



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【この小説が収録されている参考書籍】
異邦人 (新潮文庫)
異邦人THE STRANGER (金原瑞人MY FAVORITES)

異邦人の評価: 4.42/5点 レビュー 227件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.42pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全227件 81~100 5/12ページ
No.147:
(5pt)

英語学習者の必読の書

語注も丁寧で、核心をついている。

また原文も比較的読みやすく、ペーパーバック式で、取り扱いも容易。

高校三年生であれば十分に読める。これ日本語訳も読めば、長文読解にはもってこいの本。
異邦人THE STRANGER (金原瑞人MY FAVORITES)Amazon書評・レビュー:異邦人THE STRANGER (金原瑞人MY FAVORITES)より
4862280633
No.146:
(5pt)

現在にも通ずる名作

この小説は自身にとってトップを争うほどの名作である

主人公ムルソーの特徴として虚無的な点が挙げられる
ママが亡くなっても、喪に服すことはしない
恋人にプロポーズされても、何の意味もなさない
人を殺しても、何も思わない
このように彼は一般的(宗教的)に正しいとされる考え方ができない、行動を取れないのだ

裁判所で彼が問われる内容は殺人についてではなく、ママの喪に服すことをせず、葬式の次の日に女と遊びコメディ映画を見たといった道徳的問題である
そして彼は理解不能の狂人と見なされ、アラビア人殺害の罪で本来よりも重い死刑を宣告される
殺人とはなんら関係のないところで彼は評価されたのだ

これは現在の世の中でも似たことが見受けられる
芸能人や政治家の不倫問題は実際は彼らの仕事にさほど関係がない
我々は誰が決めたかも知れない礼儀やマナーといった社会のルールに準じなければならない
そしてそれに従わなければ欠落した人間と見なされ社会の中では生きていけないのだ

世界はこの小説が書かれた1942年も2017年も一様な社会ままだ
一様であることも認めなければならないがいつになったら多様な社会になるのだろうか と思った次第である
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.145:
(2pt)

つ、つまらん・・・

主人公の性格は少々私に似ている。
と思ったのは途中までで、中盤からは自分の命がかかっているのに、自分の行動や態度が投げやりすぎじゃあないか?

一挙手一投足に気をつけなければ絞首台は免れない局面だってのに、そこすらもだるそうに、他人事のように捉えている。

異邦人というよりも痴呆人というタイトルのほうがしっくり来る。

文学作品特有の臭いを文体から感じたが、あまり薫陶にはならなかった。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.144:
(5pt)

kindle でも出ないかな

夏になると読みたくなる本の中の1冊。
古くなると買い替えたり…表紙も何度か変わりましたね。
できたら今度は kindle で出してほしい作品です。お願いします。
版権とか著作権だとか問題や障害もあるんですかね?
兄弟本のような「幸福な死」も好きです。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.143:
(5pt)

絶望の中の幸福論

私達の社会はルールに溢れている。社会人にふさわしい身だしなみ、といった外見だけにこれは留まらない。肉親の死にふさわしい喪への服し方、結婚をせまってくる恋人への接し方、上司のお言葉への感謝の仕方、などなど時と場所に応じた気配りまでもが一定のルールに沿って決められている。内心では他の対応をしたいと思っていても、社会から爪弾きにされる方が怖いものだから、社会のルールに自分を合わせる。社会人生活は、正直の美徳とはほど遠いのだ。

本作品の主人公・ムルソーは、正直の美徳を選びすぎて、社会人生活が危うい人物である。木曜日に母が死んだにも関わらず、土曜日には新しい恋人をつくってしまう。葬儀と恋で慌ただしい週末を振り返って、「日曜日もやれやれ終わった。ママンはもう埋められてしまった。また私は勤めにかえるだろう。結局、何も変わらなかった」とひとりごちる。せっかくつくった恋人から結婚を申し込まれても、「それはどっちもいいことだが、マリイの方で望むなら、結婚してもいい」とありのままの心境を述べてしまう。上司が「こうした生活が気に入るはずだ」と出張の多いパリ栄転をすすめると、「どんな場合だって、生活というものは似たりよったりだ」と身も蓋もない答えをする。大人が絶えず気にかけてやまないような人情味あるいは気配りといったものが、どうもこの男は苦手らしい。挙句の果てに、友人の女出入りに関係して殺人までも犯してしまう。

「生きている」とか「社会の一員である」といった現実感覚に乏しいことが、ムルソーの最大の欠点だ。殺人容疑で逮捕され、予審判事の取り調べを受けていても、「以前こうした描写を書物のなかで読んだことがあったが、すべてゲームのように見えた」と述べる。母の埋葬の日は心苦しくなかったかと聞かれれば、「私は自問するという習慣がうすれてしまっているから、ほんとのところを説明するのが難しい」と返している。自分が自分であると感じられるような「ほんとのところ」、感情の内奥といったものをムルソーは掴みきれていない。

自分で自分のことがよく解らず、胸にぽっかりと穴が開いているようなものなのだから、裁判の席でもムルソーに当事者意識は生まれない。まるで他人の裁判を傍聴するかのような気分である。むしろ「自分が何か闖入者みたいに、余計なものだという印象」さえ感じてしまう。加えて、検事や陪審員たちも、ムルソーの心の「ほんとうのところ」には触れようとしない。むしろ、母の死の翌日に女と一緒におり、自己の犯罪に「太陽のせいで」という無意味な言い訳をしてしまうような、「心の空洞」を人々は糾弾する。ムルソーの殺人罪を裁いているのではなく、ムルソーが抱えている虚無的で世間一般とは異なる感覚を裁いている。社会が期待するような良心の呵責を述べず、自己の心中の空洞をあまりにも正直に告白するムルソーが理解できないがゆえに、彼を死刑に処す。ムルソーは心が空っぽなだけでなく、今や死までも宣告された。ここにあるものは絶望である。
それでも、たった一つだけ、この物語には希望がある。それはムルソー自身の死である。死という「ただ一つの宿命がこの私自身を選」んだということである。人はいつか必ず死ぬがゆえにその生が一度きりの貴重なものとなる。そして、いつかは必ず死ぬだろうという確信は、世間が何と言おうと揺るがない。一度きりの自分だけの人生、という確信が空っぽのムルソーの心中にようやく芽生えるのである。だからこそ、ムルソーには「全く生きかえったような思い」が生まれてくる。死までの日々に希望が溢れてくる。個人の感情が踏みにじられる社会の中で、自分だけの「幸福」を見出して、ムルソーの物語は終えられるのだ。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.142:
(5pt)

「結局、何も変わったことはなかったのだ」

母の葬儀から戻ったムルソーが、自分のアパートで気怠い日曜日を過ごし、その一日の終わりにつぶやく一言、「相も変わらぬ日曜日もやっと終わった。ママンはもう埋められてしまった。また私は勤めにかえるだろう、結局、何も変わったことはなかったのだ」。「異邦人」の中で最も衝撃的な一文で、かつてサルトルもこの「不条理性の感覚」に出会った時の衝撃を何かの文章に書いていたのを私は記憶している。この「無感動」と「現実感の喪失」は一体どこから来るのか?この精神状態を離人症や解離性障害の範疇に入れる事は可能だろうが、離人症患者の方が、より人生に覚醒しているという事はあり得ることだ。だからこの精神状態を分析する事は、価値ある事だと思う。

カミュは「不条理性の感覚」について次のような表現をしている。
「ふと、舞台装置が崩壊することがある。起床、電車、会社や工場での四時間、食事、電車、四時間の仕事、食事、睡眠、同じリズムで流れていく月火水木金土、・・・こういう道をたいていのときはすらすらと辿っている。ところがある日、<なぜ>という問いが頭をもたげる、すると、驚きの色に染められたこの倦怠のなかですべてがはじまる。<はじまる>これが重大なのだ。」(シーシュポスの神話)

私にとってムルソーは「死の意識」に憑りつかれた人間だ。彼の「無感動」と「現実感の喪失」とは、「死の意識」をその源流として持っている。では絶えず「死の意識」をその精神に宿している人間はいかにして生まれ出づるのか?ひとつ考えられるのは、極限状態におけるリアルな「死」との対峙である。ドストエフスキーは銃殺刑の直前から帰還した体験を持つ。たとえばあなたが今、銃殺台の上に立たされ、目の前では銃口があなたの額に狙いを定め、今まさに引き金が引かれようとしている。生と死との極限の緊張状態からもしあなたが生の方へと帰還を果たし得たとしたら、「同じリズムで流れていく月火水木金土、・・・」に果たして何の価値を感じ得るであろうか?「日常生活世界」などはもはや遠い過去の産物になってしまったのである。(私はムルソーに類似した人物として、松田優作主演の映画「野獣死すべし」の主人公を挙げたい)

しかし極限状態だけが「死の意識」に支配された精神状態を生み出すわけではないようだ。カミュは書いている。
「不条理性の感情<感覚>は、どこの街の曲がり角でも、どんな人間にでも真っ向から襲いかかってくることがありうる。」(シーシュポスの神話)
「どんな偉大な行動、どんな偉大な思想も、その始まりはささやかなものだ。偉大な作品が、とある街の曲がり角で、とあるレストランの回転ドアのなかで生まれることがよくある。不条理性についても同様である。」(シーシュポスの神話)

ムルソーの「死に意識に憑りつかれた精神状態」=「不条理性の感覚」は、他の様々な思想、哲学作品の中にも発見できる。17世紀にパスカルがツイートした、「この無限の空間の永遠の沈黙は私を恐怖させる」。この感受性は紛れもなくムルソーに通底するものだ。またハイデガーによる「非本来的生き方」から「本来的生き方」への超越において、ムルソーは明らかに「本来的生き方」を生きている。

小説のラスト近くにこのような文章がある。
「これまでのあの虚妄の人生の営みの間じゅう、私の未来の底から、まだやって来ない年月を通じて、一つの暗い息吹が私の方へ立ち上ってくる。」
ここで言う「一つの暗い息吹」とは「死」の事だ。ムルソーは遠い過去から、遠い未来にわたってただ一つ来たるべき「死」と「無」のみに生命の照準を定めて生きてきた。

だがしかしムルソーは決してペシミストではない。たとえ「死の意識」に支配された人間であっても、海と太陽と女の肉体を楽しむ事はできるのだ。いやむしろムルソーはそのような即物的な快楽のみを求めるエピキュリアンなのだ。ニーチェがこよなく愛する「積極的ニヒリスト」かもしれない。

ムルソーは人殺しだ。殺されたアラビア人には気の毒だが、ムルソーにとってはあれは偶発的な事故のようなものだろう。先にナイフを抜いたのはアラビア人である。ムルソーの過剰防衛かもしれない。しかし人間社会では殺人は許されない。よってムルソーはストーリーの定石に従い、”信賞必罰”、罰を受け(罪を償ってではない)、死刑になるのだ。”物語の中では、殺人を犯した者は、必ず自らも死なねばならない”・・・それだけの事だ。もちろんムルソーは、死を意識しつつ死を拒否し続け、まだまだ生を享楽したかっただろう・・・

「異邦人」は青春の書であろう。私も20代はじめにこの本を読み、世界の「非現実感」に悩まされていた心の、大きな慰めになったものだ。しかし50代に入って、「観念としての死」ではなく、いよいよリアルな「死」が刻々と近づく年齢になって、それまで悩まされていた「非現実感」こそが、実はかけがえのない唯一の「現実」なのだと、徐々に人生に「リアル感」が戻りつつあるように思う。

「いまや、問題は論証ではなく、生きることだ」(シーシュポスの神話)
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.141:
(5pt)

強烈な本です。

読み終えたら「えっ?」と呆然となりました。この作品は60年以上前の物ですが、先日読んだコンビニ人間の裏話のようでした。
主人公の感情の欠落、ママンと死別した影響、友人との絡み以外にも宗教、人種、社会の情況などいろんなことが重なってこの結末になったのではないかと思います。
人間らしく生きることの難しさを考えさせられました。深い深い本です。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.140:
(4pt)

買いです。

三十数年振りの再読です。高校の頃、読み始めた大江健三郎さんからサルトルを経由してカミュにたどり着いた記憶があります。今回は、大学入試の文学史の選択肢に名前があったのを説明するのに、「今日、ママンが死んだ。」「太陽がまぶしかったから。」という有名なフレーズを紹介したあと、それで事足りたような気持ちになっているけれど、実は自己満足なだで、よくよく考えたら、あらすじすら曖昧であることに気づいて、再び手に取りました。
前回読んだ感想などはもちろん覚えていませんが、今回読みながら終始感じていたのは、作品のいたるところに横溢する「若さ」です。母に死なれたことに因を発する心理のたゆたい、主人公自身と、彼を取り巻く人たちとの関係性等、未熟と切り捨てるにはあまりに真摯で、それゆえに悲劇的な「若さ」でした。
事件に至るあらましが描かれた第一部と、裁判と独房での内省を中心とした第二部で構成されていますが、読了にさほど時間を要しないので、一読後、第一部の読み直しをお勧めします。「異邦人」という題名が主人公の抱えていた孤独感を暗示しており、その孤独感の源をどこに措定するかが逆に読むこちら側の内面を照射してくるような気持ちにさせられます。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.139:
(5pt)

なぜムルソーはアラビア人に近づいたのか。

明るすぎる死体置場の母親の棺の前で、二匹の蜂を接点としてムルソーの意識が事象に触れ、融解、拡散していく。
偏頭痛が始まるといつも、風景も他者も、ただ眩しさの中で白々しい無関係な文脈として眠気と共に均質化してしまう。
おそらくそんな感覚に似ている。
彼は半意識的に微笑している。
話すべきことがない時、笑っている顔を見るとなんだか悲しくなるよと言われたことを思い出す。
大抵の場合、ミルク・コーヒーが大好きだからという以上の物語が人の理解には必要なのだ。
再読して、マリイはきっといい匂いのする女だなと以前より強く感じた。

とはいえ、異邦人という小説がこれほどに賛意を得ているのであれば、むしろここ(第一部)に書かれたある感覚、気分は構造的にかなりの度合いで一般化されているのだと思う。
だが最後にムルソーが了解した、剥き出しの世界についてはどうだろうか。

詰まる所、母の死に、アラビア人に、レエモンやマリイ、太陽がそこに在るということに際してどのような態度をとったか、或いは取らなかったかということさえ、ムルソーの自我を含めた、世界がそのように存在しているという文脈を証明立てるものにはならない。
にも関わらず、そこにある種の無関心の態度が仮想され、共感されているように見える。
彼は無罪放免にされるべきであり、この経緯は不条理ではないと評定するのであれば、彼が死刑に値するとした者たちと寸分変わらない。

ではなぜムルソーはアラビア人に近づいたのか。
一発目の銃弾と間を空けて二発目以降を四発、打ち込んだのか。
真実何かを悔いることがかつてなかった男のあらゆる可能性が閉じられ(たと信じ)、陪審員達がムルソーを容認しなかったように、自らもまた斬首刑を受け入れられない脆弱さ、父の嘔吐から認識の再構築をしてゆく。

夜明けを待ち、人間は全く不幸になることはないという母の言葉を足がかりに、死体置場の時とは違ったやり方で実存に肉薄し、「また」二十四時間を手に入れ、死を含めたあらゆる可能性を内包した世界の流転があることを了解し、安息する。
その時にマリイを想起し、穏やかに失うのはとても良い。
女の温もりは神の死後にも残り、静かに消える。

なのにその神の死体を携えた傀儡師のような司祭が、正に我こそは主であると言わんばかりに居座ろうとするのは、怒りによって世界の了解を読者に裏付けるためだろう。
この一連の出来事の殆どは「生き返る」ための儀式であって、大した意味はない。

世界のやさしい無関心さの中で、マリイのような女に抱きしめられるのは幸福だ。
ママンはそれを知っていたのだろう。
女は何だって、男よりも知っているような気がする。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.138:
(5pt)

満足

いつか私は英語版を購入したいと思っています。ありがとうございます。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.137:
(5pt)

太陽が眩しかったから

読後に血液が沸騰する興奮具合でした。

とても、おすすめですよ!!
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.136:
(3pt)

広津和郎と中村光夫の「異邦人論争」

この作品が発表された時、日本の文壇で論争が起こった。
当事者は、松川裁判批判でも知られる作家の広津和郎と、犀利な文章で名高い批評家中村光夫。

この本を読んで衝撃を受けた人には、知っていて損はないと思うし、この作品に対する読みも深まると思う。

以下は、1998年に神奈川近代文学館で開かれた、「広津柳浪・和郎・桃子展」からの「異邦人論争」についての引用。

「1951年、カミュの「異邦人」が和訳され、文壇の多くはこれを絶賛した。しかし和郎は、主人公の冷酷で無反省な行為を執拗に印象付けようとする作者の手法を、実験室の遊戯に過ぎないと批判した。
これに対し中村光夫は、カミュこそわれわれが今まで見逃していた心理の暗所に照明を与えたとし、この実験小説の真価を解し得ない常識道徳の代弁者と和郎を評した。その後作者の不条理観をめぐっての応酬があり、ついにはカミュ本人からの見解も寄せられた。
この論争を通じて注目されるのは、主人公の生き方に対する和郎のこだわりである。和郎はこの作品の手法や哲学的解釈には理解を示しながらも、自己の責任を不条理に委ねる主人公の無責任な人生態度を否定し続けた。それは〈散文精神〉を貫く和郎にとって、最も認めがたい生き方だからである。」

つまりこの論争は、広津和郎という作家の人生観や人間性が色濃く反映された性質のもので、論争と言えるのかどうかも微妙なところだ。しかしカミュ本人からの見解も寄せられた、というのはとても面白い。

また、広津は死去する約10日前の読売新聞の取材に、この論争について次のように言っている。

「あれは僕の生き方にてらして、主人公ムルソーの考えがきらいだと言ったまでだ。だから、論争に勝ったって、負けたって、向こうの言い分を聞けますか。自分の今までの生き方が間違っていましたなんて、とても言えるものじゃないですよ」

この論争の全貌を知りたい、と思ったら、広津・中村それぞれの全集に当たるしかないと思う。
このレビューでは中村の意見については言及しなかったが、それはレビュー筆者自身知らないからだ。(ただ広津に対して「年はとりたくないものだ」と言ったのは有名な話)
多分中村の考えの方が、作品の性質やそれを通したカミュの思想を的確に見抜いているのだろうが、私としては広津の考えも捨てがたい。

広津和郎の「異邦人」観に賛成するかどうかは、無論人それぞれだ。私自身は、あまりこの作品は面白いとは思わなかった。古いと思った。
しかしムルソーの在り方を前にして何を感じ、思うかによって、読者の人格が露出してしまう、恐ろしい作品だと思う。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.135:
(4pt)

カミュ史上最高

カミュの中の最高傑作であり一人で行う読書という行為に最も適した書でもある。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.134:
(5pt)

私の一生の本

異邦人に出会うことで、救われました。ページ数は少ないものの、中身は世界一!最終ページの感情の爆発は、何度も見入ってしまいます。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.133:
(5pt)

自分は他の他人とどこか違うとあなたが思っているなら、この本こそ、あなたのために生まれたような本です

多くの人がココロの中に疎外感を持っている。自分は他の人と感じ方が違うと。この本はそういう感じ方を持っている男ムルソーが、脅威から自分を守る行為が行き過ぎて、自分の放り込まれた偶然の中で、他人を殺してしまう。そういう世界を描いている。ムルソーはまわりの人々と大いに違っていることが原因で、死刑になる。理解できない、冷酷な殺人鬼。そう烙印を押されてしまう。現代は親を殺しても死刑にならなかったりする。死刑というものが殺人行為だからかも知れないが、殺された人の命が軽く扱われている気がする。それとは対照的に、この物語では、殺された1人のアルジェリアのアラブ人の命が重く、殺したアルジェリアに住むフランス人犯罪者の命が軽いことになる。この物語の時代、フランス人が理由あってアルジェリア人を殺しても、大きな罪に問われなかったらしいが、そのことからして、全く正反対の結果であり、その当時の常識に反して、この男は死刑になる。その理由は、フランス人が持っている価値観に徹底的に反した男とみなされたからかもしれない。正直に言うと、この男の思っていることやしたことがそんなに無茶苦茶に思えない(もちろん、変なところも多々ある。また、逃げれば殺人自体は避けられたはずだ)。死の前夜、自分が多くの他人の注目を浴びて、憎悪とあざけりの中で死んでいきたいとする彼の心情は、私にも想像がつかない。忘れられない作品になることは間違いないだろう。後にノーベル文学賞を受賞した作家の、常識の世界に衝撃を与えた処女作。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.132:
(4pt)

深そうな内容だが、なかなか難しい

カミュに興味があり、読んでみた。
主人公のムルソーは変わった人ではあるが、ムルソーの視点で書かれているため理解できなくはない。
裁判の場面で誰もムルソーのを理解しようとはせず、自身の常識に照らし合わせて都合の良いようにムルソーを解釈している部分が恐かった。
しかし私もムルソーの視点で書かれた物語を読まず、裁判の場面での事実とやり取りだけを見れば同じように思うかもしれない。

私には良くわからない部分も多かったが、最後に解説を読むと何となくわかった気になれた。
しかしそれに頼るというか、そのまま受け取っているようでは駄目だなとも思う。
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4102114017
No.131:
(5pt)

無機質人間ムルソー最高!読んで絶対損はありません!

「昨日、ママンが死んだ。」

この大変有名な冒頭の一文で引き込まれた人は多いのではないでしょうか?
おおよそ一般的な人間的感情が完全に欠落している男ムルソーが主人公です。
ママンが亡くなってもその顔を見ずに棺桶を閉じ、ママンの遺体の前で煙草を吸ってミルクコーヒーを飲み、
翌日海水浴に出かけて女と出会い、映画館でデートをした後情事にふけり、
同じアパルトマンに住む住人のいざこざに巻き込まれて(?)よく分からない理由で殺人を犯し、
動機について法廷で「太陽が眩しかったからだ」と答え、死刑判決が下され牢屋で死刑執行を待つ身であっても
自分が幸福であることを絶対的に信じて疑わない・・・

この完全無機質人間こそ、ニーチェが言うところの「超人」ということになるのでしょうか?
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4102114017
No.130:
(4pt)

ムルソーのような性格の人、みてみたいなぁ

ムルソーが母の死体を見なかったことは読者の私は理解できなかったが、母の死に対してムルソーが泣かなかったこと、母の年齢が、分からなかったこと、母の遺体の前ではコーヒーを断るべきだということ
その辺に関しては、自分も祖父の死を前にして泣かなかったし、親族のいる前で泣くことは茶番のような気がしたし、事実読者の私も母の年齢なんてよく分からないのである。
私はムルソーのように神経がおかしいのだろうか?心を持ってないのだろうか?熊本の震災があって益城のボランティアに行ってたりする私も異邦人なのだろうか?
検事のいうように、ムルソーは無感覚だとラベルするようには単純に人間は割り切れないと思うけどな。

ムルソーが最後に神父らしき人にブチ切れる瞬間の心、気持ち、誰もが心に持ってると思うけどな。

文章に関して
検事の述べる一節
肉体関係のことをわれわれの関係になった
と書くところが翻訳のうまさなのか、カミュのうまさなのか分からないが面白い表現だと思った。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.129:
(5pt)

積極的勇気

物語が心にこない..おかしいな、と思いつつページが過ぎて、最後、心が爆発するのを感じた。
主人公ムルソーの心と、今の自分の心の、似通った部分が反応した。
一体これは何だろう。すごい。むしろ、勇気をもらった。

物語が嫌いな人に、オススメ..!!

個人的に、何度も読み返したい本だ。
あらすじを読んで、理解できるような本でないのが、とても気に入った。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.128:
(5pt)

とても考えさせられる。

14年の慶應文学部の小論にカミュの異邦人という本が出てきたので試しに読んでみました。

小論から抜粋。母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告される恐れがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮らす社会では、異邦人として扱われるほかはないということである。ムルソーはなぜ演技をしなかったか、それは彼が嘘をつくことを拒否したからだ。(中略)ムルソーは人間の屑ではない。彼は絶対と真理に対する情熱に燃え、影を残さぬ太陽を愛する人間である。彼が問題とする真理は、存在することと、感じることとの真理である。(以下略)。

小論を読んだ後にこの作品を読んだため驚きはやはり半減してしまった、しかし、この作品に出会えたことはとても良かった。

皆さんは"異邦人"と呼べるものに出会ったことはありますか?それとも、それはあなた自身ですか?
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017

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