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異邦人
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異邦人の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.42pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全227件 201~220 11/12ページ
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| ひたすら自分の感情に素直に生きる主人公は世間の固定観念を受け入れずに、自分の世界で生きている。常にすべてを観察しているかのような目で世間を眺める主人公は恋人に向かって愛しているとも言わない。子供のようにいつもその時その時のみ、熱情を持って生きる事はいい事であろうが、自分の感情をよく知っているとは、常に自分を分析しているからからであり、自分にしか興味のない、他の人にとってはつまらない人でしかない。人間は社会的動物であり、現実に入り込まずに、社会の外側で生きている気になっている主人公は自分の人格形成が社会に影響されていると言う事に気がついていない。このような一方的な世界観は今やもう古いのではないだろうか。 | ||||
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| 文章がすらすら読めてしまうという読みやすさと、簡潔な乾いた文体が、読み手にまったくロマン的な解釈をさせない所にカミュの魅力が隠れている様に思えます。”全てが当たり前で、それがどうした”という様な彼の世界観と、その裏側にある満たされない哀しさが全体から漂う必読書です。 バロウズやケルアック、あるいはギンスバーグといったビートニク達の原点となる考え方がここにあります。 | ||||
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| 始終読んでいて、不可解な部分はなく。ごく自然な人間の考え方にこの方向性も多いにありうると思った。むしろ自然に考えるとはこういうことなのではないのか、とさえ思った。知らず知らずのうちに固定化されている概念が、今生きているなかでいくつあるだろう。 | ||||
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| カミュの本を読んだのはこの異邦人が初めてだった。 情景や心理描写を淡々と描いていく文章はこの小説にどこか無機質で感覚の鈍い安定感を与えている。 犯罪者の心理を描いたドストエフスキーの小説の人物のような感情の揺れがこの主人公にはほとんど無い。 日常を送る感覚の延長線上で非日常的?な事件が発生していく。 母の死、新しい恋人の出現、殺人、刑務所の中の生活、裁判、判決。 主人公と世間の反応の違いは母の死も殺人も裁判も判決も日常の延長戦にすぎないという心理に主人公が忠実すぎたためだ。 我々人間は同じようで違う。また違うようで同じである。 同質と乖離が同居しているところに人間の本質がある。 この小説は乖離している部分をモデルに、人間の本質を洞察しようとしたのだと思う | ||||
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| 主人公の絶望感は今の人々の気づかぬうちに大きくなりつつある絶望感に似ている。彼の徹底した客観的視点は世界との関わりを絶つことから生まれ、関わりを絶つことで発生した内なる衝動に蓋をするために、彼の明晰な頭脳は無意味というひとつの終着点を決定してしまった。そうすることで彼は現実との折り合いを付けていったのである。 なんとも絶望的な小説だろう。しかしその絶望から抜け出るための生きるためのヒントは多く隠されている。それは多くの人が欲している希望というものとはまったく異なった、奪われ続け、損ない続けた一つの世界である。その世界に生きることを現実は彼に許さなかったのだ。 | ||||
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| ムルソーの視点から見れば彼を取り囲む世界こそ不条理という感じがする。自分に全く正直な彼の言動は衝撃的だったりおもしろかったりする。自分の信念をどんな状況になっても曲げないところもいい。彼は既存の慣習に全く左右されないで、自分が正しいと思ったことだけ口にだすし行動する。こんな考え方できたらおもしろいと思わせる魅力的な主人公だ。 | ||||
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| 「あるべき」姿・「あるべき」行動をしていなければ、 途端に異物・異端として排除される。異邦人にされる。 不条理なのはムルソーではなく、むしろ世界の方である。 他人事ではなかった中学時代以来、何回も何十回も読んだ本。 | ||||
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| 本を読み終え最初に感じたことは「ムルソーはいったい何がいけなかったのか」ということだ。 彼は自分の思ったよう行動しただけだ。それが他の人には奇異に映ったために異邦人とされてしまった。 何かが起こった時、こうしなければならない、ということは無いのではないだろうか?親が死んでも悲しくないかもしれない。偽りの涙を流すのならばむしろ・・・ あまりに自分に正直に生きることも罪なのか? 欲望を肯定する訳ではないが、倫理的なものに束縛されなくても良いのではないか?人間はロボットではない。ゆえに常識に雁字搦めになる必要もない。人はある程度、自由に生きても良いと思う。 | ||||
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| この文庫を買ったのは高校生の頃でした。タイトルの「異邦人」という響きが気に入って。 しかし、読む時に最初のページの「ママン」(フランスだからね…)、裏表紙の解説による、主人公ムルソーの書かれ方(ただの狂人)に興味が出ず、そのまま数年ツンドク… 最近になって手に取ってみた、私は十分社会人になっていました。 この作品は1940年代はじめ頃に発表された作品ですが、古さを感じませんでした。読むにつれてムルソーという人物に興味が出、周辺の身近な人物たちにも心が動きました。特に最後の司祭とのやり取り、ここで涙が出て止まらなかったんですが…読んだ他の方々はどうなんだろう? 死刑が決まってからの彼は恐怖に怯えていました、それを自分の考えで感情を軌道修正しようとする心の葛藤、なってしまった事に対して人を恨むでもなく、何とか今をやり過ごすことだけを考えるさま。彼は他人に依存しません、だから冷たい人にも見られる。でも、それがどれくらいのものか? 高校生の頃に読んでいたらどう感じれたのか、それが気になりますが、今はただ、読んで良かったと思うだけです。 | ||||
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| 善意思を持たず、正義という感覚も持たず、人間らしい悲しみや喜びを持たないムルソー。それ故に彼は異邦人なのだ。彼がアラビア人を殺した理由を「太陽のせい」としたのは彼の内面を見ればまったく理論的である。この本が不条理であるのは、正当防衛で人を殺したムルソーが死刑になったからでも、異邦人であるムルソーがまったく他人から理解されないからでもない。人間として生まれた彼自身に、他人から理解されたいと思う欲望どころか、自分自身の生きる目的や自己を探し求める意思が欠如している事が不条理なのである。 | ||||
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| 名作として名高い本書ですが、冒頭からしばらく退屈します。養老院にいた母親が死んだという電報を受けて、それから葬儀をしたりするのですが、そこらへんは多少きついものがあります。老人たちの描写とかが気色悪かったりで。 それからマリイ(女)と再会して、以後楽しい生活?に向かうあたりからは開放感もあるし読みやすくなると思います。非常に名高い名作であるので是非読んでみて欲しいです。 カミュが本作を解説しているという「シーシポスの神話」は少し難しいですので、(例えば、ドストエフスキー「悪霊」の脇役キリーロフへの言及や、普通にカフカ論とかがあります。)ある程度の知識が要求されます。 本作と同時期に執筆された「カリギュラ」の方は戯曲ということもあり、またストーリー自体は単純ですので楽しく読むことができると思います。おすすめです。 | ||||
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| 中学か高校のときに一度読み、大学1年の終わりに読み返した。 二度目でやっと理解できたような気がした(というか一度目は「太陽が眩しいのか」という印象くらいしか残らなかった)。 舞台はアルジェリアで、淡白な文章からはまさに、ぎらぎらとした苛烈な太陽が目に浮かぶようである。 世の中にはいかなる条理もなく、生にはいかなる意味もない。 だからこそ、生という大いなる徒労を喜びを持って肯定しなければならない。 このパラドックスが、終わりにある主人公ムルソーの言葉と、「自分が幸福であったし、今もなお幸福である」(127ページ)という感情によって、説得力を持った熱いメッセージとなっている。 これが正しいか否かは問題でなく、これを人生に対するひとつの考え方として持つことが、ある種の積極性を身につけることになるのではないだろうか。 | ||||
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| 「太陽が眩しかった」という理由で人を殺したムルソー。不条理な犯罪。しかし、殺意も計画性も意味も無い行動を罪といえるのか?罪と言うならばどう反省すべきなのか? 人は全ての事象に意味を付けたがる。自然にも無意味なことにも。 ムルソーは弁護士の的確な意見も受け入れずに自分を貫き通す。このようなムルソーは誰よりも誠実だと言えるだろう。 謝罪という行動さえとれば減刑される。母親が死んで涙を流さなければ冷酷とされる。 この小説は私たち人間の抱える欠点を鋭く批判しているように思えた。 | ||||
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| 皆さんは自分の心にどれだけ素直に行動できるだろうか?どれだけ過不足無く、等身大の自分を表明しているだろうか?自分の心の中にある真実のみを信じることができるだろうか?たとえそれが、自分を処刑台に登らせることになってもである。これを成し得た男、それがムルソーである。また、我々は、他人の優しさや同情をどれだけ信用しているだろうか、これらの問いかけの答えが意味するところは、我々がは自己に対して如何に不誠実に生きているかということである。限りなく己に誠実であった男ムルソー。彼は、この飼いならされた世界の異邦人(Outsider)にして、我々の英雄である。 | ||||
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| 自我が強くなって社会との摩擦が一番つらく強くなっている (世の中不条理だらけで、どいつもこいつも本当のことを わかっていない。と悩んでみたりする)十代に読んで カタルシスを得てほしいような小説です。 太陽がまぶしかったから殺したというのは全然的を射ていない 引用なのではないかと私はおもうのですが、有名なフレーズに なってしまってますね。 | ||||
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| この小説には、特に二つの良い点がある。一つは、物語の最後のくだりの、独特の鮮やかさだ。そのくだりでの主人公ムルソーの叫びが、それまでの物語全てを新たに蘇らせる。様々なエピソードやそれまでのムルソーの振る舞いが、強く読み手に迫ってくる。そして最後の数行において、明るさも安らぎもないのに、鮮烈な(解放感に似た)感覚が湧き上がる。このような素晴らしい終幕は、ジャンルを問わず探してもそうはない。 もう一つの良い点、それはこの本を読んで感銘を受けたとき、何かを語ろうとする意欲が強く湧いてくることである(それはこの本についての各レビューに何より素晴らしく表されている)。それはおそらく、常に何かを語ろうと試み続けたカミュから伝わってきたものなのだろう。ここには、安易ではない不思議な勇気づけがある。 明るさを越えた鮮やかさ、何かを語ろうとすることの勇気づけ。どちらも、現在では得ることの困難なものだ。だからこそこれは、今こそ読まれるべき小説である。 (理屈っぽい意見を並べたが、そんなものを除いても、描写の鮮やかさや筋立ての上手さなど、良い点には事欠かない) | ||||
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| これほどコンパクトな作品に重いテーマがいくつも込められていることがすごい―肉親に対する愛情・肉親の死、殺人という行為、人が人を裁く裁判・死刑制度の是非、信仰など、切り口はこの他にもまだあると思う。あっという間に読めたが、その後何日も考えさせられている。 「太陽のせい」で人を殺した主人公はたしかに不条理だが、では母の葬式で涙一つ見せなかったからといって、冷酷非人間→有罪と決めつけてしまう周囲は一体何なのか?愛情という最も主観的な事象を短絡的に定義して、そこに殺人との因果関係を見ること、そもそも人が自分の不完全は棚に上げて、あたかも神のごとく人を裁くこと、裁判・断罪という名を借りた殺人行為(=死刑制度)こそが究極の不条理ではないだろうか。 断っておくが、私は主人公の殺人を肯定しているわけでは毛頭ない。主人公が被害者を1発だけなく何発も撃つくだりにはショックを受けた。ムルソーの無関心、冷淡、投げやりな態度など他のすべては理解できても(だれでも愛する人を亡くしたとき、多少ともヤケにならないか?)、この一点によってすべてが帳消しにされたような後味の悪さはまだ消えない。 タイトルの「異邦人」とは主人公を指すのだろう。しかし主人公に言わせれば、この矛盾だらけの人間社会こそ、彼には相容れられない「異邦人の集まり」と映ったに違いない。 | ||||
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| 異邦人を読んでいると、あることに気が付く。どこか、世界とムルソーとの間に隔たりがあるように思われるのだ。ムルソーは身に起こる多くのことに対し無関心である。ただ、淡々と目の前の問題に対処をしているだけだ。その代わり、彼は些細な自分の嗜好にとても実直である。彼は、よく眠り、よく食べ、よくタバコを吸う。隣人の恋のトラブルに対し興味を抱き、老人の小さな孤独の物語に同情をする。太陽に心地よさを感じ、そして、恋人との情事を喜ぶ。しかし、恋人が彼に自分を愛しているか。と聞かれると彼はわからない、と言い、結婚を求められてもお決まりの文句、<Cela m'etait egal.(どちらでも同じさ)>と受け流してしまう。彼は自分の人生に対する関心に欠けている。 シャンピニーは「異教徒の英雄論」の中で主張する。一方に、偽善的慣習や約束事によって成り立つ社会や宗教の「芝居的世界」があり、これはアンチ・ピュシス(反自然)でり、また一方では本来的な自発性に属するピュシスの世界があり、ムルソーはそれに従って生きている。「芝居的世界」を受け入れることを拒否するムルソーはそのために異邦人とみなされ、罪人の烙印を押されて死刑を宣言される。 物語のクライマックスであり一番の盛り上がりの部分である、アラブ人殺人の場面はあえて語らず、他のレヴュアの方に任せようと思う。フランス語の原文で読むとねちねちと皮膚に張り付いてくるような文体がこの場面の緊!張感をひしひしと高める。 私はカミュの特徴はその精緻な描写だと思う。読者は物語の始まりの部分からその孤独な老婆たちの描写に驚かされることであろう。この本は私がフランス語で読んだはじめての本であるが、フランス語で読むとまた、違った面白さが発見できると思う。作品自体そう長くはないし、フランス語も簡単なので試してみる価値はあると思う。 | ||||
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| 初めてこの本をめくったとき、なんと陰気くさい物語だろうと思った。この無感動な主人公の生き方こそ不条理で理解しがたい。。 しかし、2回、3回読み返すうちに、私は主人公・ムルソーの恋人、マリイになった。彼が側にいたら、きっと愛せずにはいられなくなるだろう。 「そんなことはどうでもいい」「意味がないことだ」「自分には関心がない」etc・・とムルソーは口癖のように言う。世間の喜びや哀しみ、感動に背をむけて、ただ淡々と生きている。刑務所に入っても斬首刑が勧告されても動じず、処刑されることを幸福にさえ思う。彼は生きていることに、そんなに投げやりだったのだろうか? いや、本当は彼こそ、真剣に誠実に人生を生きていたのだ。あるがままの人生を受け入れ、自分の心に響く真実のみに生きようとしていた。彼はいつも今の生活が不幸ではないと思っていた。転勤で華やかなパリに行くことに興味も野心もない。そして数ヶ月の刑務所くらしの退屈さも、記憶を回想することで苦ではなくなった。彼は気が付く。「たった1日だけこの世で生活した記憶だけでも、100年はゆうに刑務所で暮らしていける」と。この感性の豊かさこそがムルソーなのだ。 感動を強要し、固定概念に凝り固まった集団心理が、彼を裁く。司祭の前でムルソーは神を否定するが、真実を語るものが集団によって裁かれる最後は、キリストをも思わせる。残念ながら、最後に彼がぶちまける真実の意味が、まだ私には咀嚼できないが、何度が読み返すうちに、また新たな発見があるに違いない。 | ||||
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