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異邦人
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異邦人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.43pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全223件 181~200 10/12ページ
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サイコキラーの話なのかもしれない。 ふと最近読み直してそんなことを思ってみたり…… でもやっぱり違うと思った。そんな「サイコキラー」なんて言葉で済ませられる作品じゃないとも思った。 主人公ムルソーの行動はかなり不可解だ。 文庫本の裏表紙に煽り文に書かれているように彼の行動は論理的ではない。 でも……でもどこか共感してしまう部分を感じる。 初めて読んだとき、最初の方は退屈だった 養老院にいた母の死。葬式の翌日には女性と知り合い、ひょんなことから人殺しをしてしまう…… そして裁判にかけられるのだが本番はここからだった。 ここまでの展開は全て伏線でありムルソーという不可解な男の行動の軌跡を追っていくにすぎない。 裁判のところからこの小説は神がかってくる。 彼の、ムルソーの心の声の一つ一つが胸に突き刺さるような感じだった。 終盤でまくし立てるように綴られる彼の叫びは読んだ後もずっと心に残ってる。 | ||||
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名作といわれるがゆえん、 なんとなく避けてきて読んでいなかったのだけれど 難解なことなくすごく読み易い話でした。訳もとても良いと感じました。 主人公の語り口がとても現代的で 小気味よいテンポの中物語は進んでいきます。 ふとしたはずみで(太陽のせいで) 殺人を犯してしまう主人公。 社会におけるモラリティ(宗教も含め)と 社会に棲む個人の生理感の対立というテーゼを中心として 主人公は「真理とは何か」を見出していきます。 でもこれは現代の日本であれば 高校生か大学生レベルの思考についての話ではないかとも 思います。(大学生を超えるとまた思考に困難なテーマとも思います。) それだけ現代は基本的に精神的な抑制からの自由に 満ちた社会なのかもしれません。 だけれど現代に生きるものが主人公が求めた真理に近いかといえば そうでもない気がします。 物語終盤、主人公が司祭に向かって吐き続ける 言葉の連続はとても鋭く、躍動感をもって読者の脳に滑り込んできます。 「生きる」というあまりに捉えどころのない 現象 概念 を真正面からもぎ取らんとする言葉。 とても迫力があります。 永遠に普遍的であってほしい言葉。 | ||||
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誰でも知っている世界的名作。 主人公の動機は誰でも知っているが、実際に読んだ人は実はあんまりいないんじゃいか、と。 奥が深いので読んでおいたほうがいいかも。 | ||||
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アルジェの夏の海とひかり、夕暮れの空のざわめきと街の匂い、恋人とタバコとミルク・コーヒー。 ムルソーの愛したものは、どこにでもあるささやかなものばかりでした。 海辺の垂直に降りそそぐ太陽のひかりのなかで、一人のアラビア人を射殺し、彼はそのすべてを失うことになります。 後半では、それらを“奪われた”と感じたムルソーが、理不尽なシステムに映る裁判にとまどいながら、過去の自分や関わり合った人々を新たに見つめ直したり、取り戻せないかもしれない、愛しいものへのぬぐいきれない執着に苦しんだりする様が、丁寧に描かれています。 私にとってムルソーは、純粋無垢でありながら、論理的で聡明な人であり故に、異質と親しみが激しく入り交じった、強い磁石のような魅力を感じさせる存在です。 カミュは何故そんな彼を通して、あのように永遠を感じさせる自然描写を執拗に描いたのでしょうか。 ムルソーの死後も変わらずに在り続けたであろうアルジェの美しい海と太陽は、彼にとって憧れと快楽と苦しみの根元であり、カミュにとっては、対峙する人間という存在のはかなさの象徴だったからではないでしょうか。 永遠を理解する有限、狂おしいまでの生への情熱、それをムルソーと太陽に託そうとしたカミュの気持ちが切なくてなりません。 | ||||
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(;'Д`)ハァハァ 主人公である ムルソーは死刑になっちまうが、彼は本質的な人間の生き方をしていたのだと感じざるを得ない。 彼は世界に対して受け身ですが、世界に対して それを率直で受けるという意味で 能動的であります。 その主人公の心理状態は小説を読んでいる間、終わりまでは 何故 このやうな事をするのだらうか? 分からないままです・・・。 最後の文体でカミュはその謎を解き明かします。 それは『無関心』です。 無関心という言葉が最後に出てきて、主人公はあらゆる出来事(母親の死 恋人との結婚 人を殺す事 そして裁判の行方)に無関心だったと・・・。 社会に縛られない人間の生のありのままを ムルソーは体感しており、 彼にとって社会や世間そのものがおかしなモノに思えた事でしょうw その人間性の本質そのものに率直に行動するムルソーが 最後に見た 風景こそ… この矛盾に満ちた 共同体である社会の姿であり そこに包括する 人間というもの そのものの本質であるでしょう。 この本を読んで、おいらは感銘を受けました。 ぜひとも読んでもらいたい一冊です。 | ||||
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薄い本なので、簡単に読みきれます。 ただ、この本だけ読んで「へー不条理なんだねー」 と納得してしまうと、ちょっとカミュがかわいそうな気も。 カミュは日常を生きるための健全なニヒリズムを探求した作家なので。 相当ボリュームありますが、ペストもいいですよ。 人生は不条理だから△△ - 異邦人 人生は不条理だけど○○ - ペスト セットにしてみると面白いと思います。 | ||||
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この作品の全ての内容は、カバーの後ろに書いてある作品の 内容紹介にまとまっていると言っていい。 しかも、この本の訳はお世辞にも読みやすいとは言えない。 先の展開が知れていて、ついでに読みにくい本を読み進めて いくのは、なかなか骨が折れることだった。 しかも、僕はこの主人公の行動を全く理解出来なかった。 まさしくそれこそはこの本のテーマの「不条理」だったわけ だが、論理的に理解できない行動を書くことに意味があるの だろうかと疑問に思いながら読み進めていった。 しかしこの本の最後の最後、僕は自分の考えが浅はかだった ことを知った。 最後に主人公のムルソーが明らかにしていく心中の告白。 それが語られたとき、ムルソーの今までの行動が彼なりの理念 によって一貫されたものだったということが明らかになり、 そしてその時が僕の中でこの作品が一気に名作になった瞬間でも あった。 彼の一見奇妙な行動と言動。それらはたしかに理解しにくいもの だが、一つの真理とも言えるような説得力を持っているものだった のだ。 彼の行動と理念を自分なりに理解した今も、それらを参考にして 生きてみようなどとは微塵も思わないが、一度は触れておいても 良いかもしれない。 名作たる所以がわかるだろうから。 | ||||
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異邦人は不条理の文学である。屁理屈に理屈をつけても意味はない。みんな「異邦人」に理屈をつけたがる。読んでみると最近どこかでよく聞く話である。そう動機なき殺人だ。宮崎勤、少年A、切れる17歳・・・。ムルソーとは、現代風に言えば、衝動的に殺人をする理解できない犯罪者と変わりはないのである。周りは、なぜ不条理にこう論理的で答えようとするのか理解できない。シンプルに言えば、プッツンである。これ以上のムルソーの捕らえ方はないはずである。 | ||||
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所謂古典的名作と言われる作品には、そう呼ばれるだけの内容がある。カミュの「異邦人」は、中学生の頃読んでみたのだがさっぱりわからなかった記憶がある。あれから20年以上たった今読むとさすがにわかる。不条理に生きることの窮屈さが身にしみた年齢になったからだろうか。私も主人公同様20年ほど前に母親を無くしたが、長いこと一緒に住んでいなかったこともあって、あまり悲しくなく、葬式でも涙の一滴も出なかった。人間などそんなもので、自分の肉親の死よりも、飼い犬の死のほうが悲しかったりするものだ。主人公にとって、神や死後の神の祝福などは何の意味も持たない。死ねば死にきりなのだ。それを全うして生きられる人間は強い。翻訳もなかなか格調高いが、もうすこしこなれた日本語に出来るような気がする。 | ||||
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20世紀の名作というと必ず上位に名前が挙がる作品なので、いつか読みたいと何年もの間思いつつも、実際手に取ることはなかった本です。タイトルから勝手に「外国人」であることから感じる疎外感を扱った本かと思っていました。でも、疎外感(いうよりは感じ方のズレ?)は何も国籍とか、文化とか、そういった違いからのみ生まれるわけではない。たとえすぐ近くにいる人でも、人はひとりひとり異なる感じ方をする生き物なのだから。とても薄い本なので、読み始めたらあっという間でした。 | ||||
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久しぶりに読み返してみましたが、やっぱり読み応えのある小説ですね。ジリジリと照りつける太陽の日差しが感じ取られて、そのような情景の中で主人公の内面が揺れ動く。そして、了解可能なような、でも不可解なような感じを受ける。 今の時代でも、読む価値のある必読書だと思います。 | ||||
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ムルソーの行動どれをとっても他意はなくて、彼は自分の感じたままに行動しているだけであって 少なくとも彼は人を殺してしまったこと以外に死刑になるほどの悪いことをしたのかなと思う。 実際ムルソーはママンを愛していたし、ママンの死を悲しんだりした。 けれどもママンに何の関係もないはずの他人はムルソーの行動の一部(ママンの葬儀の後に彼女とデートしたりだとか、いろいろ)を見て、人でなしのクズヤローと叫ぶ そういう好き勝手自分たちの都合を押し付けるエゴだらけの世界に住んでいるわけだけれど 僕はたぶんムルソーは心の底ではそんな世界でも愛していたはずと思うにいられないわけ でもそれは一方的なムルソーの片思いだったんだな。 | ||||
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主人公ムルソーは最終的には死刑になってしまいますが、彼の真に人間的な生き方には共感せざるをえませんでした。 彼は、自らを貫き通します。と言っても、その姿は何かに意欲的に取り組むわけではなく、やや受動的なものです。 一言で言えば、彼は「無関心」という言葉で表わされます。 母親の死にも無関心、自分の裁判もまるで他人事のように振舞い、人を殺すことに関しても無関心であるようでした。 私が、なぜそのようなムルソーの態度にシビれたかと言えば、彼の生き方は社会に縛られていないからです。 われわれ人間は、社会に去勢される生き物だと言えると思います。 例えば、コミュニケーションをするおいては、場の空気を読んで行動します。場の雰囲気を壊さないために、にこやかに振る舞い、己の保身も考えて発言します。 そのようなことは、世間では「生きていくための知恵」として良いことだとされていますが、本当はそれによって人間性を削がれているのではないでしょうか。 私はムルソーの生き方の方が、正に人間的な生き方だと感じました。 本作は、人間の本質を暴かんとする傑作であると思います。 ぜひ一読をおすすめしたい一冊です。 | ||||
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この本を初めて読んだのは高校生の頃でした。その時はつまらなくて意味の分からない本だと思うばかりでした。しかし、最近になって、再び読んでみてすごい感動しました。 死刑を目前にしたムルソーは、死の前でやっと人の愛に気づきます。そして、死によって自由になります。 主人公ムルソーに対する解釈は様々です。「純粋な人」「無責任な人間の典型」などなど。。。皆さんも是非読んでみてムルソーを評価してください。 | ||||
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名作と言われるこの作品だが、最初の方はなかなか頭に入ってこなかった。 第2部から俄然面白くなったが、それは最初の部分を読んでいないとわからないことなので、きちんと読んだほうがよい。 人間がいかに常識や評判、見かけなどで人を判断していくのかを考えさせられる。 自分と人との感じ方、価値観などが異なると、主人公のように流されるまま罪が決定されてしまう。 逆に読めば、常識に則って行動し、周りからの評判もよく、見かけもよい人、そして、自分の気持ちを偽って、心から悔いた振りをし、人々の同情を得られればこうはならないということで、そこに人間の愚かさやある種の大衆心理の恐ろしさを感じる。 | ||||
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ひたすら自分の感情に素直に生きる主人公は世間の固定観念を受け入れずに、自分の世界で生きている。常にすべてを観察しているかのような目で世間を眺める主人公は恋人に向かって愛しているとも言わない。子供のようにいつもその時その時のみ、熱情を持って生きる事はいい事であろうが、自分の感情をよく知っているとは、常に自分を分析しているからからであり、自分にしか興味のない、他の人にとってはつまらない人でしかない。人間は社会的動物であり、現実に入り込まずに、社会の外側で生きている気になっている主人公は自分の人格形成が社会に影響されていると言う事に気がついていない。このような一方的な世界観は今やもう古いのではないだろうか。 | ||||
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文章がすらすら読めてしまうという読みやすさと、簡潔な乾いた文体が、読み手にまったくロマン的な解釈をさせない所にカミュの魅力が隠れている様に思えます。”全てが当たり前で、それがどうした”という様な彼の世界観と、その裏側にある満たされない哀しさが全体から漂う必読書です。 バロウズやケルアック、あるいはギンスバーグといったビートニク達の原点となる考え方がここにあります。 | ||||
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始終読んでいて、不可解な部分はなく。ごく自然な人間の考え方にこの方向性も多いにありうると思った。むしろ自然に考えるとはこういうことなのではないのか、とさえ思った。知らず知らずのうちに固定化されている概念が、今生きているなかでいくつあるだろう。 | ||||
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カミュの本を読んだのはこの異邦人が初めてだった。 情景や心理描写を淡々と描いていく文章はこの小説にどこか無機質で感覚の鈍い安定感を与えている。 犯罪者の心理を描いたドストエフスキーの小説の人物のような感情の揺れがこの主人公にはほとんど無い。 日常を送る感覚の延長線上で非日常的?な事件が発生していく。 母の死、新しい恋人の出現、殺人、刑務所の中の生活、裁判、判決。 主人公と世間の反応の違いは母の死も殺人も裁判も判決も日常の延長戦にすぎないという心理に主人公が忠実すぎたためだ。 我々人間は同じようで違う。また違うようで同じである。 同質と乖離が同居しているところに人間の本質がある。 この小説は乖離している部分をモデルに、人間の本質を洞察しようとしたのだと思う | ||||
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主人公の絶望感は今の人々の気づかぬうちに大きくなりつつある絶望感に似ている。彼の徹底した客観的視点は世界との関わりを絶つことから生まれ、関わりを絶つことで発生した内なる衝動に蓋をするために、彼の明晰な頭脳は無意味というひとつの終着点を決定してしまった。そうすることで彼は現実との折り合いを付けていったのである。 なんとも絶望的な小説だろう。しかしその絶望から抜け出るための生きるためのヒントは多く隠されている。それは多くの人が欲している希望というものとはまったく異なった、奪われ続け、損ない続けた一つの世界である。その世界に生きることを現実は彼に許さなかったのだ。 | ||||
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