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エジプト十字架の謎
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【この小説が収録されている参考書籍】
エジプト十字架の謎の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.97pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全39件 21~39 2/2ページ
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本筋の連続殺人事件以外に、宝石泥棒やら前科者が絡んできたりするので、話しがやたらと混乱してくる。で、本来なら先を急いで読み進めたくなるのが、ミステリーだけど、この作品だけは、腰を据えてじっくり時間をかけて読み進めるのがいい。 それでも、エラリーの「挑戦状」は相変わらずついている。で、相変わらず真犯人(?)を読者が特定することは並大抵ではない。 この手のミステリー本には読者の便宜のために「主な登場人物」なるものが添付されているのが普通だけど、本書ではこの「登場人物」がきわめて少ない。これは意識的にそのようにしてあるそうで、その趣旨は解説を読んでみること。 読者を引き込んでやまないトリックは、今読んでも「あっ!!」と思わせる・・・・・。あっ! | ||||
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アメリカ北東部の遠く離れた二つの町で、連続して同じ手口の猟奇的な殺人が起こる。そして犯行の動機を探る内、中央ヨーロッパと関係する ある男達の暗い過去や、復讐者の存在が浮上する。しかし犯人の次の出方を窺う他ない名探偵エラリー・クイーンも、行き詰まり唸りを上げるのだった。 作者のクイーンは、本格ミステリーの中で、早くから猟奇的な殺人を扱った作家としても有名であり、この小説は彼のこの方面での代表作である。 また、クイーンと言えば、特に国名シリーズ等の初期作品は、ロジカルに創ろうとする傾向が強い反面、彼独特の文章の癖のため、やや読み難い作品も しばしば見られるが、この作品は国名シリーズにあってロジカルなだけでなく、猟奇性や話のテンポの良さもあって面白く、全体的に魅力的な作品に仕上がっている。 おそらくクイーンの作品の中で、これが最も全体的なバランスの良い物の一つだろう。彼の作品の中では、私はこれが最も好きです。 しかし残念ながら、問題もあります。具体的に言うわけにはいきませんが、特に気になるのは、話の途中で名探偵クイーンが述べる論法の御都合主義。 またこれが最終的な事件解決の際にも関係するので、この御都合主義を批判してしまえば、決め手に弱くなります。また、例によって例のごとく、 この作品でもクイーンは論述自体はそれ程上手くはありません。「もう少しこうすれば」と思ってしまうところも、けっこうありましたし。 とは言え、ロジカルさを武器にしながらも、代表作と言われている作品でさえ、論述自体が読むに耐えない作品も多いクイーンの中で、 むしろこれはアラが少ない方であり、私としてはこの位なら仕方ないなと思え許せましたが。 そこで結論は、全体的にレベルは高いが、しかし論法の御都合主義や論述のマズさ等が幾らかあるため、それらを差し引き、星4つ位かと。 | ||||
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国名シリーズの第五作。インパクトならシリーズ中随一でしょう。醜悪にして奇妙な恍惚感をもつ導入部から、ラストまで怒涛の展開を 有する凄まじい世界観です。 T字路の突き当たりにある、T字形の道標に、鉄くぎで磔にされた死体は首がちょん切られていたのでこれまたTを象徴している。さらに 殺された男の家の扉には血でTが殴り書きされているという、あまりに強烈な冒頭で幕を開けます。そして真相究明もままならず、事件の 背後には古代宗教の暗示やら得体の知れない裸体主義者なんかも出てきて...。第二、第三、第四まで暴走する事件は、場所と道具立てこそ 違えど、現場の状況と死体の状態はことごとくTで統一され完璧に複製されているのです。。流麗ともいえる縦横無尽な流れをもってして 刻まれていく凶行の真意とは(?)。 さて、以上のようなストーリー展開の魅力もさることながら、本当に些細な(事件全体からみれば一瞬とも表現できる)痕跡から鮮やかで 反駁の余地を許さない推論を組み立てたエラリーも凄い。その会心の名推理も見所です。 勇敢なあなたは是非この強烈無比な謎に挑戦してみてください。 | ||||
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国名シリーズの第五作。インパクトならシリーズ中随一でしょう。醜悪にして奇妙な恍惚感をもつ導入部から、ラストまで怒涛の展開を 有する凄まじい世界観です。 T字路の突き当たりにある、T字形の道標に、鉄くぎで磔にされた死体は首がちょん切られていたのでこれまたTを象徴している。さらに 殺された男の家の扉には血でTが殴り書きされているという、あまりに強烈な冒頭で幕を開けます。そして真相究明もままならず、事件の 背後には古代宗教の暗示やら得体の知れない裸体主義者なんかも出てきて...。第二、第三、第四まで暴走する事件は、場所と道具立てこそ 違えど、現場の状況と死体の状態はことごとくTで統一され完璧に複製されているのです。。流麗ともいえる縦横無尽な流れをもってして 刻まれていく凶行の真意とは(?)。 さて、以上のようなストーリー展開の魅力もさることながら、本当に些細な(事件全体からみれば一瞬とも表現できる)痕跡から鮮やかで 反駁の余地を許さない推論を組み立てたエラリーも凄い。その会心の名推理も見所です。 勇敢なあなたは是非この強烈無比な謎に挑戦してみてください。 | ||||
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私にとっての本書は、作者国名シリーズの中で「オランダ靴の謎」に次ぐベスト2。 本書の謎解きのポイントはヨードチンキの瓶にあり、このたったひとつの証拠を基にシンプルかつ明確に唯一この人物しか犯人ではありえないと論理的に読み解くという点と、意外な犯人が明らかにされた際の驚愕度、ショッキングな4つの首なし死体に後半の追跡劇と、国名シリーズで最も派手なストーリー展開とくれば、「オランダ靴」や作者の最高傑作「Yの悲劇」と互角以上の作品と言えるかも知れない。 しかし、4つの殺人のうち、メガラ殺しだけは犯人の行動論理に反している。 メガラの提案によって警備を解かれはしたものの、犯人にはそれが警察が仕掛けた「わな」ではないと確信できる根拠がなく、そのような中、船に単身乗り込むなどということは絶対に考えられない。もしも考えられるとすれば、それは犯人とメガラがつるんでいて事前に打ち合わせができている場合だけだろう。 だから私はメガラが犯人で、メガラと思われた死体はクロサックではないかと推理した。死体にはヘルニアがあるのでメガラだとわかったとのことだが、ヘルニアはメガラだけの病気ではあるまい。クロサックがヘルニアでなかったとどうして言い切れるのか? それに、メガラが犯人ならその後のストーリー展開も極めて自然なものになる。 ヴァンの警戒振りからすれば、ヴァン自身を別としてヴァンの小屋に押し入ろうした人物はその場でヴァンに射殺されていなければならず、これに対してメガラは唯一ヴァンに警戒心を抱かせることなく近づくことができる人物であり、またエラリーを初めとする警察関係者以外で唯一ヴァンの居所を知る人物でもある。 結局は、ヨードチンキの瓶から別の人物が犯人であると明確に推理されるのだが、メガラ殺しだけはどうしても納得がいかずマイナス評価せざるを得ない。実に惜しいことだ。 | ||||
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私にとっての本書は、作者国名シリーズの中で「オランダ靴の謎」に次ぐベスト2。 本書の謎解きのポイントはヨードチンキの瓶というたったひとつの証拠を基にシンプルかつ明確に犯人を読み解くという点と、意外な犯人が明らかにされた際の驚愕度、ショッキングな4つの首なし死体に後半の追跡劇ととくれば、「オランダ靴」や「Yの悲劇」と互角以上の作品と言えるかも知れない。 しかし、メガラ殺しだけは犯人の行動論理に反している。 メガラの提案によって警備を解かれはしたものの、犯人にはそれが「わな」ではないと確信できる根拠がない中、船に単身乗り込むなどということは絶対に考えられない。もしも考えられるとすれば、それは犯人とメガラがつるんでいて事前に打ち合わせができている場合だけだろう。 だから私はメガラが犯人で、メガラと思われた死体はクロサックではないかと推理した。死体には脱腸があるのでメガラだとわかったとのことだが、脱腸はメガラだけの病気ではあるまい。 それに、メガラが犯人なら第4の殺人も極めて自然なものになる。ヴァン自身を別として、メガラは唯一ヴァンに警戒心を抱かせることなく近づくことができる人物であり、またエラリーを初めとする警察関係者以外で唯一ヴァンの居所を知る人物でもあるのだから。 結局はヨードチンキの瓶から別の人物が犯人であると明確に推理されるのだが、メガラ殺しだけはどうしても納得がいかずマイナス評価せざるを得ない。 | ||||
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私にとっての本書は、作者国名シリーズの中で「オランダ靴の謎」に次ぐベスト2。 本書の謎解きのポイントはヨードチンキの瓶にあり、このたったひとつの証拠を基にシンプルかつ明確に唯一この人物しか犯人ではありえないと論理的に読み解くという点と、意外な犯人が明らかにされた際の驚愕度、ショッキングな4つの首なし死体に後半の追跡劇と、国名シリーズで最も派手なストーリー展開とくれば、「オランダ靴」や作者の最高傑作「Yの悲劇」と互角以上の作品と言えるかも知れない。 しかし、4つの殺人のうち、メガラ殺しだけは犯人の行動論理に反している。 メガラの提案によって警備を解かれはしたものの、犯人にはそれが警察が仕掛けた「わな」ではないと確信できる根拠がなく、そのような中、船に単身乗り込むなどということは絶対に考えられない。もしも考えられるとすれば、それは犯人とメガラがつるんでいて事前に打ち合わせができている場合だけだろう。 だから私はメガラが犯人で、メガラと思われた死体はクロサックではないかと推理した。死体にはヘルニアがあるのでメガラだとわかったとのことだが、ヘルニアはメガラだけの病気ではあるまい。クロサックがヘルニアでなかったとどうして言い切れるのか? それに、メガラが犯人ならその後のストーリー展開も極めて自然なものになる。 ヴァンの警戒振りからすれば、ヴァン自身を別としてヴァンの小屋に押し入ろうした人物はその場でヴァンに射殺されていなければならず、これに対してメガラは唯一ヴァンに警戒心を抱かせることなく近づくことができる人物であり、またエラリーを初めとする警察関係者以外で唯一ヴァンの居所を知る人物でもある。 結局は、ヨードチンキの瓶から別の人物が犯人であると明確に推理されるのだが、メガラ殺しだけはどうしても納得がいかずマイナス評価せざるを得ない。実に惜しいことだ。 | ||||
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T字路のT字型の道標で、T字型に磔にされた首なし死体、犯人が残したTのなぐり書き。もしも本書がドルリー・レーンものだったなら、『Tの悲劇』と題されたことだろう。その本書には2つの大きな欠陥がある。 まず、メガラ殺しについて。 自らがおとりになるとメガラ自身が提案した際、ヴォーン警視は「あいつはなかなか用心深い野郎で、われわれがいきなり突然ここから消えてなくなれば、これまた、手出しをしないでしょう」と事前に指摘している。にも関わらず、犯人がまんまとメガラ殺しをやりおおせたことから、メガラが犯人で殺されたのは別人であるか、スウィフト船長が犯人もしくは共犯であると考えるのが論理的というものである。 警備が見当たらなくなったからといっても、船にメガラとスウィフト船長以外に人が乗っていないことを確かめる術は犯人にはなく、最低でも1人対2人以上という不利な対決を覚悟しておかなければならないわけで、そのような中、無警戒にボートを漕ぎ進んで船上に忍び込むようなリスクを冒すはずがないからである。 にも関わらず、犯人が警護を警戒せず船に忍び込み、ものの見事に船長を昏倒させた後メガラを仕留めたというのは、作者のご都合主義によるものとしか思えない。 さらに本書には、4つの殺人のうちの1つについて作者が読者に示した「地」の文章に、次のような記載が見られる。 「着ている血まみれの○○○から、それが不運な「A」(未読の方のために名前を伏せる)の死体であることがわかった」 しかし実際には「A」は死んでいない。もしもこれが、「「A」の死体のように思われた」という推定の文章なら虚偽の記載にはならないが、本書の記載は「わかった」と断定的な虚偽記載で、アンフェア以外の何物でもない。 以上のように、不合理でご都合主義的かつアンフェアな本書を、「読者への挑戦状」に記されているような「唯一適正な解決」を見る推理作品であるとは、とても認めることはできない。 | ||||
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T字路のT字型の道標で、T字型に磔にされた首なし死体、犯人が残したTのなぐり書き。もしも本書がドルリー・レーンものだったなら、『Tの悲劇』と題されたことだろう。その本書には2つの大きな欠陥がある。 まず、メガラ殺しについて。 自らがおとりになるとメガラ自身が提案した際、ヴォーン警視は「あいつはなかなか用心深い野郎で、われわれがいきなり突然ここから消えてなくなれば、これまた、手出しをしないでしょう」と事前に指摘している。にも関わらず、犯人がまんまとメガラ殺しをやりおおせたことから、メガラが犯人で殺されたのは別人であるか、スウィフト船長が犯人もしくは共犯であると考えるのが論理的というものである。 警備が見当たらなくなったからといっても、船にメガラとスウィフト船長以外に人が乗っていないことを確かめる術は犯人にはなく、最低でも1人対2人以上という不利な対決を覚悟しておかなければならないわけで、そのような中、無警戒にボートを漕ぎ進んで船上に忍び込むようなリスクを冒すはずがないからである。 にも関わらず、犯人が警護を警戒せず船に忍び込み、ものの見事に船長を昏倒させた後メガラを仕留めたというのは、作者のご都合主義によるものとしか思えない。 さらに本書には、4つの殺人のうちの1つについて作者が読者に示した「地」の文章に、次のような記載が見られる。 「着ている血まみれの○○○から、それが不運な「A」(未読の方のために名前を伏せる)の死体であることがわかった」 しかし実際には「A」は死んでいない。もしもこれが、「「A」の死体のように思われた」という推定の文章なら虚偽の記載にはならないが、本書の記載は「わかった」と断定的な虚偽記載で、アンフェア以外の何物でもない。 以上のように、不合理でご都合主義的かつアンフェアな本書を、「読者への挑戦状」に記されているような「唯一適正な解決」を見る推理作品であるとは、とても認めることはできない。 | ||||
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数ある《国名》シリーズの作品のなかでも、最も けれん味に溢れ、エンタテインメントに徹した作品。 古代宗教の狂信者、裸体主義者村、連続首なし磔殺人、そして、本作で 初お目見えとなる愛車デューセンバーグを駆ってのアメリカ全土にわたる追跡行――。 以上のような、通俗的な道具立てや趣向が盛り込まれていることから、作者が、 それまでの《国名》シリーズにみられた論理主体のスタティックな展開を一変し、 読者に精一杯のもてなしをしようと、サービス精神を発揮したことが窺えます。 とはいえ、本作でクイーン一流のロジックが疎かにされているわけではありません。 《国名》シリーズの黄金パターンである、物的証拠をもとにした《演繹的推理》は健在です。 本作の物的証拠は、クイーン作品の手がかりの代名詞ともいえる、かの 有名な「半透明で、ラベルの貼っていない暗青色のヨードチンキの瓶」。 この何の変哲もない小道具に、特権的な価値が付与されているのです。 複雑に絡み合い、錯綜した迷宮的事件に対し、ささいな物的証拠に関する「設問と解答」 という一本の「論理の糸」を引くことで、謎の大楼閣を崩し、唯一の真相を導き出していく ロジックの手筋は、今も変わらぬ切れ味を誇っています。 | ||||
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数ある《国名》シリーズの作品のなかでも、最も けれん味に溢れ、エンタテインメントに徹した作品。 古代宗教の狂信者、裸体主義者村、連続首なし磔殺人、そして、本作で 初お目見えとなる愛車デューセンバーグを駆ってのアメリカ全土にわたる追跡行――。 以上のような、通俗的な道具立てや趣向が盛り込まれていることから、作者が、 それまでの《国名》シリーズにみられた論理主体のスタティックな展開を一変し、 読者に精一杯のもてなしをしようと、サービス精神を発揮したことが窺えます。 とはいえ、本作でクイーン一流のロジックが疎かにされているわけではありません。 《国名》シリーズの黄金パターンである、物的証拠をもとにした《演繹的推理》は健在です。 本作の物的証拠は、クイーン作品の手がかりの代名詞ともいえる、かの 有名な「半透明で、ラベルの貼っていない暗青色のヨードチンキの瓶」。 この何の変哲もない小道具に、特権的な価値が付与されているのです。 複雑に絡み合い、錯綜した迷宮的事件に対し、ささいな物的証拠に関する「設問と解答」 という一本の「論理の糸」を引くことで、謎の大楼閣を崩し、唯一の真相を導き出していく ロジックの手筋は、今も変わらぬ切れ味を誇っています。 | ||||
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本書は1932年に発表されたエラリー・クイーンの代表作。 同じ年に「Xの悲劇」「Yの悲劇」「ギリシャ棺」といった傑作も発表されており、 エラリー・クイーンの最も脂がのった時期の作品と言える。 途中やや冗長に感じてしまう所もあるが、 プロットの緻密さ、トリックや犯人当ての醍醐味を存分に楽しめる、 本格推理の王道と言える傑作。 他のレビューで第4の殺人の必要性に疑問を感じた意見もあったが、 これは犯人が逃亡するにはむしろ必要な殺人だと思うのだが・・・ 細かい突っ込み所や御都合主義的な所も許せる範囲であり、 そんな些末事より純粋に本格推理を楽しむべきだろう。 | ||||
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本書は、数あるクイーンの作品の中でも傑作とされ、当レビューでも高い評価を得ているが、とても同意できない。 犯人は4つの殺人を犯すが、第3の殺人までで完全に目的を達しており、捜査当局を瞞着することにも成功している。ゆえに、犯人が第4の殺人を犯し、逃亡する必要は全くない。にもかかわらず、第4の殺人が起きるのは、犯人の失敗ではなく、作者の構想が破綻しているからである。 クイーンはフェアで論理的といわれるが、本書には非論理的なところが多々ある。例えば、第3の殺人が起これば、第4の殺人現場が焦点になるのは必然だが、警察はなんの措置もとらず、クイーンも、大学教授との長談義の後やっとそれに気づくのだから、間抜けと言わざるを得ない。第4の殺人で、僅かな物証から犯人を指摘する過程は、それなりに筋は通っているが、クイーンが推定した死亡時刻を根拠としているのはいただけない。法医学の専門家でもないのに、なぜ死後14時間などと断言できるのだろうか。また、第2の殺人で、犯人はややこしい方法で被害者の手紙を隠すが、それについてのクイーンの説明も支離滅裂である。犯行直後に手紙が見つかっても、犯人に不都合があるとは思えない。 それに、書名の「エジプト十字架」がクイーンの的はずれな想像というのは冗談なのだろうか。事件とエジプトとは全く関係がなく、登場人物にエジプト学者がいるにすぎない。作者は、執筆の際に、古代エジプトについて相当に調べ物をしたそうだが、ヴァン・ダインがカブト虫殺人事件で、エジプトに関する知識をふんだんに盛り込んでいるのに比べれば浅薄であり、両者の力量の差を感じずにはいられない。諸々の欠点に目をつぶれば、ストーリー展開はそれなりに面白くはあるのだが・・・ | ||||
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T字路のT字型の道標で、T字型に磔にされた首なし死体、犯人が残したTのなぐり書き。もしも本書がドルリー・レーンものだったなら、『Tの悲劇』と題されたことだろう。その本書には2つの大きな欠陥がある。 まず、メガラ殺しについて。 自らがおとりになるとメガラ自身が提案した際、ヴォーン警視は「あいつはなかなか用心深い野郎で、われわれがいきなり突然ここから消えてなくなれば、これまた、手出しをしないでしょう」と事前に指摘している。にも関わらず、犯人がまんまとメガラ殺しをやりおおせたことから、メガラが犯人で殺されたのは別人であるか、スウィフト船長が犯人もしくは共犯であると考えるのが論理的というものである。 警備が見当たらなくなったからといっても、船にメガラとスウィフト船長以外に人が乗っていないことを確かめる術は犯人にはなく、最低でも1人対2人以上という不利な対決を覚悟しておかなければならないわけで、そのような中、無警戒にボートを漕ぎ進んで船上に忍び込むようなリスクを冒すはずがないからである。 にも関わらず、犯人が警護を警戒せず船に忍び込み、ものの見事に船長を昏倒させた後メガラを仕留めたというのは、作者のご都合主義によるものとしか思えない。 さらに本書には、4つの殺人のうちの1つについて作者が読者に示した「地」の文章に、次のような記載が見られる。 「着ている血まみれの○○○から、それが不運な「A」(未読の方のために名前を伏せる)の死体であることがわかった」 しかし実際には「A」は死んでいない。もしもこれが、「「A」の死体のように思われた」という推定の文章なら虚偽の記載にはならないが、本書の記載は「わかった」と断定的な虚偽記載で、アンフェア以外の何物でもない。 以上のように、不合理でご都合主義的かつアンフェアな本書を、「読者への挑戦状」に記されているような「唯一適正な解決」を見る推理作品であるとは、とても認めることはできない。 | ||||
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エラリー・クイーンの作品は多くの傑作があるがその中でも国名シリーズが有名だ。 この作品はその有名な国名シリーズの中でも評価が高い。 私も「ギリシャ棺の謎」と並ぶ傑作だと思う。 この事件の発端は田舎町で始まる。ウェスト・ヴァージニア州の町、 アロヨでT字路に立つ道路標識に首を切り落とされた小学校校長の死体がT字型にはりつけられていた。 小学校校長の家の扉には「T」という文字が書かれていた。 この「T」に執着した異常な殺人殺人には、意味があるのか?という異様な幕開けだ。 エラリー・クイーンには珍しい異常な事件だが、解決編ではいつものように論理的な解明が示される。 是非読んでほしい作品である。 | ||||
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国名シリーズの4作目で、「オランダ靴」、「ギリシャ棺」と並んで代表作とされる。これまで、劇場、デパート、病院を舞台として来たが、本作では"広いながらも閉じられた空間"という設定を止め、過去から現在という時間軸を中心にそえている。それでいて、最後にはアメリカ横断の追跡劇を用意するサービスぶり。 テーマは連続首切り殺人という、クィーンとしてはハデな設定で、子供の頃読んだ時はそれだけでもハラハラ、ドキドキした。しかし冷静に考えると、首切りが過去から蘇った人物の復讐劇と自然に思わせる進行ぶり、首切り死体をトーテムポールに吊り下げるとその人物の頭文字"T"になるという韜晦ぶりなど作者のミス・ディレクションの巧みさが光る。そして、最後には1つの小瓶から論理を積み重ねて、いつものクィーン流に真相に迫るという構成は見事の一言に尽きる。国名シリーズの代表作という名は伊達ではない。 なお、クィーンが本作を書く際、古代エジプトの知識を得るため図書館等を訪ねたが、いたる所でヴァン・ダイン(「カブト虫殺人事件」)の足跡を見つけ、驚嘆したというエピソードは当時の両者の関係を表していて面白い。 | ||||
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クイーンは何作か読んできたけど、Yの悲劇とこれがいまだに私的最高傑作となってます。殺人の演出、流れにトリックと申し分なくて、一気に読ませました。なにより最後のヨードチンキの壜のところは、これぞロジカル!といえるほどの、まさにお手本的な論理性で賽濾といえるでしょう。外す事は決して出来ない永久に色褪せない酒林慾祭のような絶品である! | ||||
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国名シリーズで最も人気があるのがこの「エジプト十字架」でしょう。いわゆる「タウ」ですね。探偵学園Qにまで紹介がで出来てちょっと驚きでした。 すり替え物の原点というべき作品で、島田荘司の占星術殺人事件にも通じるもののを感じます。何しろ1900年代の初めの方でこの作品のレベルの高さは驚きです。推理小説マニアが通らねばならない一冊ですね。 | ||||
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クイーンの「国名シリーズ」でもかなり有名な作品。そして、「国名シリーズ」のうち、「シャム双生児」と共に、2作品だけ、本当にタイトルになっているものが出てくる作品。T字型のエジプト十字架のような、首のない磔の死体がそれだ。舞台や死体の不気味さから、人気もあり、子供向けリライトも盛んだ。そもそも休暇で父クイーン警視と出かけて遭遇した事件なので、父子のやりとりも沢山楽しめるし、エラリーの素顔もふんだんに楽しめる。単にストーリーの上で言えばもっと短くもできるのではないか、と思うが、クイーンの初期作品は長いものが多いので、キャラクターを楽しむものと思って割り切ろう。 長いが、最後に犯人を示す決め手となる手がかり発見のくだりはやはり冴えている。パイオニア作員の常として、トリックがその後の作品で使い古され、却って今読むとすぐに犯人がわかってしまうパターンにあてはまる作品かもしれないが、うすうす犯人がわかっていてもなお、やられたという感じがする。 エラリーとの広大なアメリカの旅をどうぞ。 | ||||
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