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神々の山嶺
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神々の山嶺の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.46pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全172件 101~120 6/9ページ
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自分までもエベレストにのぼっている気にされてくれます。 あくまでも山にこだわる男の生き様が、読んでいて怖いくらいに響いてきます。 素晴らしい! いいところは、他の人も書いていますので、この辺で。。。 で、あとがきが良くない。 寡黙に山だけに生きる羽生に心を打たれている読者。 その後で、あとがきを読んではいけない。 筆者は、その男とは全く逆で、一気にさめてしまう。 滑落してしまう。 あとがきはすぐに読むな。 | ||||
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ずっと読んでみたかった本、神々の山嶺。 読み始めて一気に最後まで駆け抜けるように読んでしまった。 孤高の天才クライマー羽生丈二。その羽生を追っていくうちに、彼の魅力にはまり、生き方に刺激を受け、自らも山に挑んでいくカメラマンの深町。 作者は山に対する造詣が深く、まさに自分がネパールからエベレストの頂きをにらんでいるような、 そんな気分にさせてくれます。 特に、6000mを超えたあたりからの圧倒的な描写力のため、こちらまで息苦しさを覚えるほど。 ただの登山物語ではなく、エベレスト初登頂を成した証拠となるマロリーのカメラをめぐって、カトマンドゥの街並みで繰り広げられる情報劇。 山好きな人もそうでない人も一度読んでみると、生きていくということを見直すいい機会になると思います。 | ||||
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ネパールの首都カトマンドゥの路地の奥の登山用具店で見つけたものは・・・。すべてはそこから 始まった。マロリーのものと思われるカメラを追う深町は、ひとりの男と出会う。伝説の登山家、 羽生丈二だった。深町は、しだいに羽生という男にのめり込んでいくのだが・・・。 イギリスの登山家ジョージ・マロリーは、エヴェレスト初登頂に成功したのか?マロリーが遭難死 してしまった今、1924年の登頂には数多くの謎が残る。その謎を解く最大のカギが、マロリーの カメラだと言われている。残念ながら未だに発見されていない。この小説では、そのマロリーの カメラが実に効果的に使われている。カメラを追ううちに、深町はそのカメラの発見者である羽生に 興味を抱くようになる。知れば知るほど、羽生という男に惹かれていく。 それにしても、人はなぜこれほどの危険を冒してまでも山に登るのだろう。常に死と隣り合わせだと いうのに。読んでいると、無事下山できるのが不思議なくらいの過酷な世界だ。たったひとつしか ない自分の命。それを懸けてまで挑むということがどうしても理解できない。だが、羽生も深町も、 エヴェレストに命を懸ける。その描写の迫力は、読み手である私を圧倒する。羽生の、深町の、執念に 満ちた息づかいが聞こえてくるようだ。山は・・・すごい! とても面白い作品だと思う。けれど、後半にダラダラしていると感じる部分があって、飽き気味に なってしまった。ラストもでき過ぎのような気がする。個人的に、少々不満が残る作品だった。 | ||||
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無駄に長いなあ。 ネパールはあんなに人を騙す人間が多いのかな? 小さな主人公、いや作者の小ささが山に縋り付こうともがいてる。 なんと言っても圧巻は作者の「あとがき」でした!! 登攀シーンは臨場感があって良いです。 | ||||
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中古ですから汚れは覚悟していました。でも、読むには問題なく安価で手に入れることができて良かったです。 | ||||
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中古ですから汚れは覚悟していました。でも、読むには問題なく安価で手に入れることができて良かったです。 | ||||
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心の葛藤描写が稚拙かつ長く、この本をつまらないものにしている。 | ||||
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なぜわざわざ冬の雪山に登るのか・・・。そして遭難・・・。 登山をしない私はずっと疑問に思っていました。 でも、この本を読んで、フィクションとはいえクライマーの気持ちがわかった気がします。 たしかに、1ができるようになると2に進んでみたい。あらゆることに共通していることだと思います。 エベレストのベースキャンプくらいまでは行ってみたくなりました。 もちろん、夏に(笑) | ||||
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かなり評価が良く、山岳小説にも興味があったので読んでみた。最初は、イギリスの登山家マロリーのカメラの発見で始まり、それが彼がエベレスト登頂成否の鍵を握る歴史的に価値ある証拠品として、そのカメラとフィルム探しを、ひと儲け狙う怪しげな地元連中との間で展開されるが、途中、グルカ兵についてもっともらしくあれこれ書いたり、また、関係する日本女性が、そうした怪しげな男らに誘拐され交換条件とされようとするが、この誘拐劇も、いかにも机上で考えたストーリーそのもので現実味も迫力もなく、その解決もあっけない。まさに、余分な話しの挿入で無くてもいいようなものである。結局、フィルムは無かったということで、この展開はあっさり途中でお終い。次に、カメラを通して行方不明の羽生を探し当てた深町と、友人を登山途中で遭難死させたとする羽生との間の、エベレルト登頂をめぐっての葛藤的な話に展開されるが、冗長で話があちこちに飛び、何を言いたいかわからない。 小説ということだが、著者の手の平の中で物語(ストーリー)をあれこれいじくりまわしただけで、焦点が定まらない。 評価は高そうだが、内容はこの程度なんだろうかというのが実感である。また、山の環境問題とか、あまり関係無い話がけっこう出てきて関心をそぐ。著者はいろいろ調べた成果を本書で書きたかったんだろけど、「それがどうしたの?」の印象がぬぐえず、全体的に読んでる気持ちも散漫となってしまう。 | ||||
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本書を書くにあたって作者の相当な苦労、精力を使い果たしたことは‘あとがき’から伝わった。 しかしそのあとがきを読みたいがために、また作者のご苦労を共感するためにわざわざ買って読んだわけではない。 そこで本書が山岳本の類に入るということなら言わせていただく。 いや、実際にあった山岳史上の事柄や実在の人物を実名で描かれている所もあり、それがかなり構成上重要な部分を占めているので 山岳本と言わざるを得ないだろう。 まず、羽生丈二の人物像。『アルピニスト・森田勝』を当てはめたであろうことは周知のとおりで、また私もそう思わざるを得ない。 そうというのは森田勝の生立ち・経歴を他書から丸々引用してあるからだけで、それはかなり強引な人物像作りである。 森田勝の本質のイメージとは程遠いし、かといって森田勝が浮かんできてしまうし 頭の中でどう人物像をイメージしたらよいかとまどってしまい、結局そのままずるずるといってしまった。 重要な登場人物のイメージ像が定まらないのは致命傷であった。 また長谷常雄とかいうこれまた『虚空の登攀者・長谷川恒男』らしき人物も登場するが羽生丈二とのやりとりを、 森田勝と長谷川恒男の実際にあったであろう人間関係・葛藤(これも他書から引用)を主人公の深町誠を通して フィクションの世界に置き換えて繰り広げていくが、もはやすでにそれもしらけムードである。 構想から製作まで20年とあるが、年月かければすばらしいものができるともいえないことがわかる。 山岳の世界、またその中に生きた人物の話というものはそれだけで壮絶であり、こんな事が実際あったのかと 愕然とし絶望したり共感したり時には理解に苦しんだり、だから、はらはらわくわくさせられる。山に散っていったアルピニストには申し訳ないが。 かといってまったく別世界のことではなく、とても身近に感じるので山岳本は親しみやすいのであろう。 本人の手記などが淡々と書いてあるだけの本でもそれはとってもすばらしい書物でバイブルにもなる。 もしそれが架空のことだったら?……なんの感動もそこにはない。 | ||||
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読みやすくて一気に読めます。 以前マンガ版を4〜5ページほど読んだときに、面白そうだったので気になってました。 できればマンガで読みたかったのですが、こちらの原作から読むことにしました。 丁寧な描写で、山と無縁な自分でも何となく想像が出来ました。 特に酸素が薄くて苦しそうな様子は、読んでるこちらまで苦しくなってくる気分でした。 | ||||
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どこぞの社長が漫画の神々の山嶺を面白いとテレビで言っていたのを観て興味を持った。 漫画を読もうと調べると原作があると知り、それならと原作から読んでみた。 普段は漫画ばかりで活字はあまり読まない、登山をするわけでもない。 が、ぐいぐい引き込まれた。 | ||||
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これを読み終えた後たくさんの山岳映画を借りた。 高尾山ぐらいしか登ったことはないがいつか日本一の山には登ってみたい。 そこに山があるからじゃないそこに俺がいるからだ! | ||||
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山岳小説に、若干ミステリーの味付けがある。 世界で最高峰のエヴェレストに最初に登頂したのはイギリス隊のヒラリー(ニュージーランド人)とテムジン(シェルパ)であるが(1953年)、もっと前に登頂に成功した人物がいたのではないか。その名はジョージ・マロリー。ただし、アーヴィンとともにエヴェレストの頂にたどりついたかもしれないマロリーは、アーヴィンとともに下山中に遭難し(1924年)、いまでは登頂を確認するべくもない。 ところが、マロリーがその時に持っていたカメラがあり、フィルムも装填されていたとすると、登頂直後の撮影記録があるかもしれず、となるとアルプス登山史が大きく塗り替えられる可能性がある。エヴェレスト登頂をかつて目指した(敗退、2名遭難死)カメラマン深町誠は、カトマンドゥの裏街の登山用具店で、偶然に古いコダックを手に入れた。それはもしかすると、それはマロリー所有のカメラかもしれない。 深町はそのカメラを登山用具店に持ち込んだ男を、そしてカメラの過去を追い始める。カメラの過去を追う過程で、深町は羽生丈二という、孤高の天才クライマーの存在を知る。小説はこの羽生丈二の人となり、登攀の哲学、人間関係に焦点を絞り、この得体のしれない人物像をあぶり出そうとしている。 北アルプス屏風岩での後輩岸文太郎の遭難死、彼自身のグランドジョラスでの遭難と奇跡の生還、ライバル長谷常雄のカラコルムK2での死、次々に厳しいエピソードが出てくる。深町はその後、羽生が本名を伏せ、ビカール・サンという通称でネパールに住みついていることを確信し、古いコダックのカメラを持ち込んだのはそのビカール・サンであったことを突き止める。 深町は、羽生と交際があり不慮の遭難死をした岸の妹涼子とともにカトマンズにとび、そこでつてを辿って行方をくらましたビカール・サンこと羽生丈二に邂逅。羽生はその地に不法滞在し、エヴェレスト南西壁無酸素単独登攀を虎視眈々とねらっていた。上巻はここで終わる。 | ||||
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ナラダール・ランドセラとアン・ツェリン、この二人が下巻の最初の部分のキーパーソンとなる。誘拐、拉致された岸涼子の救出、ビカール・サンこと羽生丈二の捜査に力となったからである。 しかし、羽生丈二はアン・ツェリンの娘ドゥマと結婚しふたりの子供もいた。傷心のまま涼子は、帰国する。現地にとどまった深町は、羽生丈二のエヴェレスト南西壁冬季無酸素単独登攀にカメラマンとしての同行を許される。 神々にもっとも近い秘境、8000メートルを超えるエベレスト登攀。半ばから後半はこの登攀の記録、遭難した羽生のメモである。装備の準備、ルート確保、アイスフォールの回避、雪崩、落石への対応、ビバーク地点選定、テント張り、ハーケンによる足場の設定、瞬間によぎる恐怖との闘い、想い、それらが散文詩のように綴られる。 羽生が先行し、深町がそのルートをなぞるように進む。標高6700メートルの地点で深町は、それ以上登ることを断念。彼はそこからカメラをとおして、人間の力では不可能と考えられた南西壁で虫のように動く羽生のカタツムリの速度での前進を捉える。しかし、その羽生が視界から消えた。羽生の遭難、そして死。 翌年11月、深町はチベット側からノーマル・ルートでエヴェレストの頂上をめざしていた。下山中にG・マロリーと羽生の遺体を発見する。 人はなぜ山に登るのか?この問いに対する答を探しもとめた著者入魂の作品。柴田錬三郎賞受賞。 | ||||
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以前に読んでもう一度読みたくなり購入。 山の事は全然分からないですが、登場人物のそれぞれに生き方を考えさせられる。 「何故山に登るのか」が「何故生きるのか」というテーマと重なって考えさせられる一冊です。 一気に読んでしまう。 お勧めの一冊です。 | ||||
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Amazonで購入したのではないので恐縮ですが この本が最初に出版された時、帯に「どうだまいったか」の惹句が踊っていた記憶があります。 山岳小説と言えば「孤高の人」「栄光の岩壁」「強力伝」などにはまって山を始めた自分としては、新田次郎に始まって終わるくらいに思っていたので、醒めた目で流した記憶があります。 それが最近文庫化され児玉清さんの推薦文が帯につき(どうも帯に弱い、Amazonもこの帯をつけたらいいのに)、あらためて読んでみました。 正直まいりました。 このテーマはエベレストでしかかけないと思うし、単独無酸素というこれ以上の極限状態は作れないと思われるので、おそらく作者が言うようにこれ以上の物は書けないかも知れない。 ディテールも良いです。深町がエベレストの基地となる村でキャンプする時、畑でキャンプしていて何故畑でキャンプするかというと、農閑期なので持ち主に断ってなにがしかのお金で使用することが出来る、と言うようなことがさりげなく触れられる。 おそらくもの凄く緻密に情報収集をし、自分でも山に登った(実際にベースキャンプの6500mまでは登ったそうです)体験を踏まえ、でもその膨大な情報に流されることなく、ど真ん中の山岳小説になっている。構想20年という時間がこの物語を醸成したと思います、若い時に勢いで書かなかった作者はエライ! マロリーのカメラがサイドストーリーになっていますが、これは物語の始まりのきっかけでしかない。 あくまで主人公はエベレスト南西壁。 | ||||
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圧倒的だった。 (下)を読み終わった今、痺れるような感覚に襲われている。 深町と羽生。 二人の登山の描写がこの巻の大部分を占める。 淡々と、そして克明に書きつづられた、この王道ともいうべき山岳小説は、あとがきの中で著者本人も述べていたことだが、これを超える山岳小説はもう誰にも作れないだろうと思う。あまりにド直球すぎて、これ以上の直球があり得ないだろうから。 読むべきだと思う。 あらゆることの答えが、この中にあると思う。 人間の意味、凄さ、誇り、そういったもの、けれどしっかりと言葉にはできない、魂とでもいうべきようなもの。精神とでもいうべきもの。 そういったものをこの本で垣間見れた。 | ||||
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最近夢枕獏さんが好きで、今度は何を読もうかと何気なく、本書を選んだ。 本が届いてみると、帯に大きく「児玉清さんが愛した本」と書いてある。 何かと思って裏を見てみると、集英社文庫の企画なのだろう。児玉清さんが愛した本と題して、5つのタイトルが並べられており、そのうちの一つがこの「神々の山嶺(上・下)」だった。 俄然、読み始めるのが楽しみになり、本を開く。 物語は、主人公・深町がカトマンドゥの登山用具店で一台のカメラを見つけることから始まる。そのカメラには、エヴェレスト初登頂の謎に関わる重大な秘密が隠されていた。 物語は、この一台のカメラを中心に展開していく。 G・マロリーや植村直己という実在した登山家たちを絡めながら、エヴェレストを舞台に男くさい男がダイナミズムに描かれていく。この筆致は夢枕獏さんの十八番だろう。 男が惚れる小説というのだろうか。たまらない。 | ||||
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山関係の本を読んでいる人なら、誰しもどこかでマロリーの事件にぶつかることと思う。 初めて知った時は誰しもぞくぞくするような興奮を覚える話だろう。 本書の出だしのあたりでマロリーの話が出てきたとき、 「あれっ、この本はノンフィクションだっけ?」と調べ直したのが、 本書を通して何度も感じた私のぎくしゃくした感覚の始まりだった。 今更マロリーの一件を語られても、知っていることばかりだから、斜め読みするしかなかった。 マロリーとカメラの歴史的事実が明らかになっている今、 フィクションにねじ曲げられて利用された内容に違和感を覚えるのは私だけではないのではないだろうか。 また話を広げすぎて何でもありで、 崖から車が落ちて、中の人を助ける場面等はハリウッド映画のような展開で、 本の題名から感じるストレートな山岳小説を期待していた私は、呆れる思いがした。 レビューを見たら賞賛の嵐だったから進んで読む気になったのだけれど、期待を裏切られた。 | ||||
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