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ダブル・ダブル



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ダブル・ダブルの評価: 4.00/10点 レビュー 1件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.00pt

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全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(4pt)
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ダブルで愉しめるとよかったのだが

実に摑みどころの無い事件である。
最初に心臓病で死んだ隠遁生活を送っていた老人に端を発した事件はその後、実業家の自殺へと続き、“町の乞食”もしくは“町の呑んだくれ”と称されていた男は行方不明になっているが、追いはぎに殺された可能性が高い。“町の泥棒”と呼ばれた男は揉み合ううちに銃の暴発により死亡する。そして“町の聖者”とも呼ばれる清貧の医者は交通事故で死んでしまう。
これら自殺を除けば、不運な事故の遭遇もしくは人命を全うしたとしか思えない連続する死亡事件。また雇われる先々で雇い主が奇妙な死を迎える“町の哲人”ハリイ・トイフェルの存在もオカルト風味をもたらしている。つまりこれら殺人事件とも思えない連続的な事故に対し、エラリイは誰かの作為が介在して意図的に起こされた殺人なのだと固執して事件の関連性を調査するというのが、本作の主眼なのだが、上に書いたようになんとも地味な内容なのだ。
そしてエラリイが周囲の反対を押し切って捜査を続ける理由が、“金持ち、貧乏人、乞食に泥棒・・・”と歌われる童謡どおりに事件が起きている事実、それのみ。

人智を超えたところで作用する避けられない巨大な意図が今回のエラリイの敵、それがテーマなのだろうか?
つまり偶発的に連続する死亡事故にも実は論理の槍を付きたてて事件性を見出すというのが作者クイーンが語りたかったことなのだろうか。

話は変わるが、本書はクイーン作品としては珍しく素っ気無い題名だ。これは事件に纏わる二という数字から来ている。

まずはエラリイが述べる「物事には二通りの見方がある」という台詞から端を発している。
その後、この二の符号は広がり、上に述べた童謡には二通りの文句が存在すること―“金持ち、貧乏人、乞食に泥棒。お医者に弁護士、インディアンの酋長”と“金持ち、貧乏人、乞食に泥棒。お医者に弁護士、商人のかしら”―、さらにその二つ目の文句には句点の入れ方で二通りの解釈が出来ること、などなど。
二が二を生み、どんどん拡散していく。その他にも二に纏わる符号は出てくるが、それは本書を読んで確認して欲しい。

今回、エラリイは明敏な探偵ではなく、迷える名探偵という位置づけだ。この作品の前の作品に当たる『九尾の猫』でもリアルタイムで起こる無差別殺人に手をこまねいていたエラリイだったが、本書でもそのスタンスは変わらない。

しかし後期作品のエラリイは事件に翻弄される役回りばかりだ。初期のエラリイは事件を高みから眺め、全てを見抜く、全知全能の神のごとく振舞う存在だったのがはるか昔のことのように感じる。
唯一の救いは今までの作品では真実を知ることで失う代価の多さから打ちひしがれる姿が多かったのが、本書では清々しく閉じられていることだ。
前作のエラリイの探偵廃業を決意するまでに絶望に落ち込んだ彼は一体何だったんだと叫びたいくらい、立ち直りが早い。まあ、これはよしとして次作がもっと面白いであろうことを期待しよう。


▼以下、ネタバレ感想

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Tetchy
WHOKS60S

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