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哲学者の密室
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【この小説が収録されている参考書籍】
哲学者の密室の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.37pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 1~20 1/2ページ
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とても面白かったです。 | ||||
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ギリシャ神話のミノタウロスの迷宮の話とハイデガー哲学が複雑に絡み合うそこからハイデガーにいくもの良し。ギリシア神話に行くのも良し様々なものの入り口になってくれます。 | ||||
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Amazonで購入させていただきました。 矢吹駆シリーズ第4作目。 小説内時間で現在ーー1970年代と考えられるーー発生したダッソー邸殺人事件と、それから30年前の第二次対戦中のコフカ収容所殺人事件と2つの密室殺人事件に探偵役の矢吹駆とワトスン役のナディア・モガールが立ち向かいます。 それら2つの殺人事件の背後には、マルティン・ハイデガーとエマニュエル・レヴィナスの2人の哲学者の思想的対決が潜んでいます。「死への先駆」と「イリヤ」の対決。 現象学徒としてハイデガーを信奉していた駆は、密室殺人の本質を「特権的な死の封じ込め」と直観します。しかし、レヴィナスと会話することによって、考え方を変えます。密室殺人には2種類があることに気づくのです。「竜の密室」と「ジークフリートの密室」。前者は作者=制作者のいない自己生成する密室であり、後者は犯人=制作者のいる密室です。そいて「ジークフリートの密室」の本質直観とは「特権的な死の夢想の封じ込め」なのです。 あるいはハイデガー批判として読んでもいいですし、最後にはレヴィナス哲学さえ駆が超えてしまうことを考え合わせると、これからの連作でどこまで駆が空高く飛んでいけるのか見ものです。 なにしろ圧倒的な1160ページという圧倒的なボリュームでいつ終わるとも知れない<読むことの快楽>に浸れます。 | ||||
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ようやく、読み終えたという感じだ。文庫本で総ページ数が1,100ページを超え、また、読みやすい内容とは言えないので、読み始めるのにはちょっとした決意が必要な作品。 これだけの長編になると、このシリーズのファンしか、手を出さないだろう。作者はこのシリーズでは、孤高の姿勢を貫き、読者側に一切歩み寄ろうとはしていない。文章は非常に達者なのだが、ユーモアは全くなく、硬くて重苦しい。そもそも、ミステリーと哲学の融合に関心を持つ読者がそれほどいるとは思えない。 全体的に読みにくい作品なのだが、中編ではナチスのコフカ収容所での出来事、ヴェルナー少佐とフーデンベルグ所長の心理的葛藤等が描かれ、文学性、物語性が高い箇所で、幾分読みやすくなる。 本作品で扱っている哲学は、ハイデッガーの死の哲学だが、哲学書に較べると非常にわかりやすい内容だと思う。ハイデッガーに関しては、名前を聞いたことがある程度の哲学初心者の私でも、何となくわかったような気にはなれる。なお、本作品では、ハルバッハという名前でハイデッガーを模した人物を登場させており、作品中で作者がハイデッガー批判をしているところが注目される。 私はこのシリーズを読むのが、「バイバイ・エンジェル」、「サマー・アポカリプス」、「オイディプス症候群」に次いで4作品目だが、ミステリーと哲学の融合という面では、一番成功していると感じる。事件の背景や顛末は死の哲学と密接な関わりをもっているし、作中でニ十世紀の探偵小説や密室との関わりにも言及されている。 ミステリーとしての評価は、ちょっと微妙。この作品の真相には、意外な犯人、奇抜なトリック、どんでん返しなどはないし、そのようなものを期待してはいけない。あるのは、非常に複雑な様相を見せる事件の状況をうまく説明できる解釈。事件の細部に至るまで、あらゆる可能性を検討し、論理的な考察が進められていく。この論理的な考察の過程こそがこの作品の真骨頂なのだ。 30年の年月を隔てた、コフカ収容所とダッソー邸との2つの「三重密室」が本作品の売り。密室の設定は非常に凝ったものであり、魅力的な謎だ。一方、その真相だが、ダッソー邸の密室への出入り口は意外な盲点ではあるが、探偵役の矢吹駆が現場を見て気づいたものであり、現場を見ていない読者には予測しがたい。コフカ収容所の密室は、異常で倒錯した犯人の心理と思考からでき上がったものであり、同様に予測しがたい。きれいな解答ではないので、おそらく、ほとんどの読者がこの真相に完全には納得できないだろうと思う。 2つの密室のそれぞれにダミーの推理も示され、それもなかなか面白いのだが、物理的な仕掛けによる解決であり、文章だけでは多少わかりにくいので、やはり、微妙な印象を持つ読者が多いと思う。 | ||||
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笠井潔さんの、10年という時間、2000ページ、まさに渾身の傑作本格ミステリー小説であるが、 商業的には成功していない。(もちろん作家にはそんな目論見はない) まず第一に、 ドイツ哲学の巨人ハイデッガーが小説ではマルティン・ハルバッハと仮名で登場する。 今回、名探偵矢吹駆が迫るのはマルティン・ハルバッハの大著「実存と時間」未完の謎であるが、 いうまでもなくそれはハイデッガー「存在と時間」未完の謎である。 と、いわれてもそもそも「存在と時間」を読んでいるミステリーファンは多くはないだろうし、 ましてハイデッガー「存在と時間」未完の謎に関心のある読者はさらに少ない。 さらに、 一遍のミステリーで2000ページという物量となればふつう読者はたじろぐだろうし、読み始めるには相当の深呼吸がいる。 まあ最長不倒記録にのぞんだと思えば、その完走の達成感は尋常ではないが。 肝心のミステリーは2件の密室殺人事件である。 密室殺人トリックの解明がダブル挑戦である。 親切に密室の精緻な見取り図がそれぞれ示されているが、その親切があだとなって読者はさらに混乱する。 最後にダメ押し。 名探偵矢吹駆くんの推理は「現象学的直観」によるのであるが、 この「フッサールの現象学」理解が一般人にはじつに難しい。 ちなみに本屋でフッサールの著作を一冊でも手に取ってみるといい、まずチンプンカンプンであることを請け合う。 現象学のテキストでよいものがない。 しかし皮肉にも、この矢吹駆くんシリーズが最良の入門テキストであるということになる。 つまり、息も絶え絶えに読み切れば恐るべき名著であることがわかる、という次第。 | ||||
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このレビュー執筆の前日(2014年10月26日)、本作品を読み終えた私は、重厚な本格ミステリの世界に浸ることのできた喜びを噛みしめています。 1992年に発刊され、1996年にノベルズ化された上下2巻本を数週間前に手に入れた私ですが、それは、楽しい本格ミステリの読書の旅でした。 こんな傑作を私はなぜ未読でいたのか? 本作品は、1979年発表の著者のデビュー作、「バイバイ、エンジェル」から始まる「矢吹駆シリーズ」の第4作目にあたります。 本作品発表時、かなり話題になったのは知っていましたが、「バイバイ、エンジェル」は未読、なぜか第2作「アポカリプス殺人事件」と第3作「薔薇の女」は読んでいたものの、あまり面白さは感じられず、手をつけなかったというのが、実情です。 この矢吹駆という探偵は、「哲学探偵」とでも呼ぶべき存在で、作中で起こる事件の真相解明の推理とは別に、登場人物の誰かと哲学的論争を繰り広げるという趣向が組み込まれています。 第2作、第3作を読んだ数十年前の私は、そうした論争についていけなかったのでしょう。 最近になって、矢吹駆シリーズを愛好している知り合いのオススメもあり、第1作目を読んでみたのですが、中高年になるまで読書を続けてきた効果でしょうか、そうした哲学的論争も楽しめ、あっという間に、第2作、第3作の再読も終えていたのでした。 本作品は、第3作から10数年の時を経て発表された、超大作。 ノベルズ版の2段組みで500頁程度のものが上下2巻ですから、手をつけるのには、それなりの覚悟が必要でしょう。 しかし、本作品は、恐らく、20世紀に発表された本格ミステリの中では、ひとつの到達点として、後世に残る傑作であると、断言します。 中高年になるまで、何百冊読んだか分からないミステリ小説の中で、これほど印象に残るものは、今後、なかなかお目にかかることがないでしょう。 ただし、本作品は、シリーズ4作目というところに、やはり注意が必要です。 それは、第1作から第3作までの登場人物について語られるシーンが多く、その部分が理解できないと、本作品を本当に楽しむことはできないと感じられたからです。 でも、第1作から第3作まで読んでも、本作品と同じ分量に過ぎません。 せっかく超大作に挑むなら、第1作から第3作で、このシリーズの作風に慣れてからの方が、すんなりと本作品の作品世界に入り込むことができるでしょう。 本格ミステリが好みなら、必読の書。 本作品には、密室ミステリの巨匠、ジョン・ディクスン・カーの諸作をも凌ぐほどの「密室トリック」が2つも織り込まれています。 たとえ哲学的論争部分が十分に理解できなくても、そのトリックを知るだけでも読む価値はあると思います。 | ||||
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生まれて初めて読んだ本格探偵小説。 本屋でナディアが過去作の犯人について延々と考えてるシーンをななめよみして、これって誰?と思って購入した。 結局、過去作全てを購入して読む羽目になったわけだが。 ちなみに私はハイデガーもフッサールもこの本で初めて知った。興味をひかれて哲学書を読むようになったきっかけでもある。この作品を読まなければ、おそらく今までもしらないままだったろう。 この作品のメインは、言うまでもなくハイデガー批判なわけだが、このテーマ自体、作品の大きな転換点を示している。主人公本人も語っている通り、過去作ではハイデガー哲学を信奉していた主人公が、今作からはその哲学を捨て去っている。 思想がメインテーマでもある本シリーズにおいて、この転換は極めて大きい。それを説明するためにこの分量が必要だったということなのだろう。 小説としては、シリーズ再開の幕開けとして、語り手が過去をひたすら振り返っている、事件が発生する、ハイデガー哲学について説明する(このパートは本編とは関係なさそうに見えるのだが、読者に極めて重要な情報を与えるパートである)第1部、ナチスドイツの収容所での事件を描く第二部、主人公が現場に出向き事件を解決する第三部という流れになっている。 きわめて長大な小説だが、不要な内容は少なく、読み応えがある。ただし、過去作の致命的なネタバレがあるため、シリーズの最初から読み進めるべきだと思う。私はそのため犯人が分かった状態で読み進める羽目になった。もっとも、それでつまらないとは思わないが。 ただ惜しむらくは、これほどの大著でシリーズの大転換を図ったにもかかわらず、結果としてシリーズの続刊がほとんど出ていないということ。オイディプス症候群は雑誌連載から単行本発売まで永劫に近い年月がかかってしまったし、そのあとも1冊しか発表されていない。雑誌連載終了済みの作品はもう数点あるというが、それの刊行もいつになることやら。生半可な内容で出版したくないのかもしれないが、もう少し出版ペースを上げてほしいと、一ファンとして強く願う。 | ||||
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かなり厚い本だがミステリとしてはそれほどのものではなく、 良くも悪くも作品に色濃く出ている作者の思想を評価するか否かがこの作品の評価に繋がる作品 ミステリとして期待しては買わないほうがいいだろう | ||||
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密室解釈に無理がありますよね…。 これ以降著者は「大量死」をドグマ化して、あらゆる探偵小説やラノベの評論に移行していくわけですが、 行動経済学でいうところの「確証バイアス」(仮説を立証するデータしか評価しない)に近いです。 力作であるし、『虚無』の虚無性を明らかにしたいという著者の意気込みは評価できるのですが、いささか理論偏重です。 次作(『オイディプス症候群』)の方が面白い。 | ||||
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ユダヤ人資産家ダッソーの邸(「森屋敷」)で、滞在客の老人が、 頭部を殴打され、背中を刺されて死んでいるのが発見される。 現場には、ナチス親衛隊の短剣の柄が残されており、なぜか刃は消えていた。 被害者がいた三階の部屋は外側から施錠されており、二階は当主とその知人に よって、一階は二人の使用人によって、部屋につながる階段が監視されていた。 さらに、屋敷自体に厳重な戸締りがなされているため、 いわば、三重密室という状況だった。 やがて、三十年前のユダヤ人強制収容所においても、 三重密室殺人事件が起きていたことが明らかになり……。 「森屋敷」の三重密室トリックは「密室から出ることが、密室に 入ることになる」というメビウスの輪的な逆説を体現したもの。 密室の性質を掴めさえすれば、即座に犯人を特定できるという点が秀逸です。 一方、収容所の密室で用いられているのは、シンプルな機械的トリック ですが、密室を構成する動機が、切実かつ凄惨なものとなっています。 現在と過去、二つの密室殺人は、三重であるという点で表面的には同質ですが、 「偶然にできた密室」(竜の密室)と「意図的に作られた密室」(ジークフリートの 密室)という点で決定的に異なった対照的な意味づけがほどこされているのです。 | ||||
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果てしなく重厚で、手がかりを元にいくつもの仮説を構築し、論理によって選択していく。巨大な密室の謎と、その濃度、情報量の多さは圧巻。今回も思想の追求は前人未踏の深みに達している。ただ一つ欠点がある。つまらないのだ。 | ||||
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殺人事件を推理するのに、哲学の一手法である「現象学的還元」を用いる矢吹駆が主人公のシリーズ第四弾、にして最高傑作。 このシリーズは言うまでも無く、「推理小説」であるとともに著者の「思想」を表現する手段でもある。今回扱うのは第二次世界大戦中ナチスと関わりがあったドイツの哲学者ハイデガーの、「死の哲学」である。 これまでの作品では、「推理小説」として楽しめる部分と「思想対決」として楽しめる部分にある程度分かれていた感じで、ストーリーと思想の関連させ方は個々の作品に巧拙の差はあったとしても、基本的には思想の部分はとってつけた感は否めなかったように思う。 だが今作では、先に推理小説のストーリーがあってそれに思想対決の面白さを肉付けしたのではなく、先に「死の哲学」というものがなければ生まれてこないようなストーリーになっていて、第四弾にして初めて、思想とストーリーが有機的に結びついている気がする。 分厚くて読むのに時間がかかるし難解な部分もあるので、どう考えても読みづらい部類に入ってしまうが、ハイデガーの死の哲学はもちろん、ナチスドイツのユダヤ人収容所がどのようなものであったかについても勉強になるので、第三弾まで読んだ方は是非読んでみて欲しいと思う。分厚いからといって敬遠してしまうのは本当にもったいない作品だ。 またこれまでのシリーズを読んでいない方も、一応は独立して読めるようになっているので、今作を単独で読むことから矢吹駆シリーズをスタートさせても良いかもしれない。 | ||||
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現在の密室殺人と過去の第二次大戦中にドイツで起きた密室殺人との双方のつながりに迫る大長編傑作。単なる推理にとどまらず、哲学者ハイデガーの思想までも持ち出して、「密室」とは何かを問う。 かなり小難しい会話も飛び出して、混乱することも。ただ、当時のドイツの収容所の実態や理念を描ききり、それを現在に持ち込みながら、一つの本格推理として完成させた作者に拍手を送りたい。 読むのにかなりの時間と労力を費やすが価値はある作品。 | ||||
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現在の密室殺人と過去の第二次大戦中にドイツで起きた密室殺人との双方のつながりに迫る大長編傑作。単なる推理にとどまらず、哲学者ハイデガーの思想までも持ち出して、「密室」とは何かを問う。 かなり小難しい会話も飛び出して、混乱することも。ただ、当時のドイツの収容所の実態や理念を描ききり、それを現在に持ち込みながら、一つの本格推理として完成させた作者に拍手を送りたい。 読むのにかなりの時間と労力を費やすが価値はある作品。 | ||||
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カケルやナディアたちが存在している「現在」で起きた密室殺人と、30年前、第二次世界大戦中にコフカ収容所で起きた密室殺人。いままでのシリーズ作品同様、事件を解決してゆく推理小説というよりも、それを取り巻く人たちの人生、密室の謎を解いていく際に吐露される、それぞれの生死の捕らえ方、哲学論がこの作品の中心にあるように思います。間に挟まれている30年前の収容所での出来事。戦時中の、しかもユダヤ人虐殺に関する描写であるため、読んでいてツライ部分も多く、一体どこで「現在」の密室につながってくるのかと、その部分を読み始めた頃は斜め読みしていたのですが、次第にその雰囲気に心を捕らえられてしまいました。ユダヤ人虐殺や、収容所で過ごした過去を持つ人たちの苦悩について、読み進めながら私もいろいろ考えさせられました。人の生死に関する哲学的な議論も興味深かった。そして事件の舞台となる30年前のコフカ収容所にせよ、現在のダッソー邸にせよ、そこの寒さや匂いを感じさせて、まるでその場所にいるように感じさせる筆者の描写力に、改めて圧倒されました。 | ||||
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ハイデガー批判というお題目だけが先行してて、しかも分厚い本ということで評価されてるみたいだけど、はっきりいってそこまでの価値があるのか疑問。ハイデガー理解としては浅いのではないか。本当のハイデガーの危なさって、こんなもんじゃないと思うんだけど…。推理小説という観点からどうかというと、テンションの高さで読ませる部分は確かにあります。あと、「現象学的還元」という言葉をかっこよく使ってるところが<エンターテイメント的>にGoodでした。トータルで星三つ。 | ||||
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基本的に死ぬのは恐ろしいことだと思います。だから人は物語を作るんだよね。人生って名前のさあ。でも、死は物語すら虚しくしてしまう。一方、こういう事を夢想した人もいるよ。死と生は背中合わせ。死の可能性を直視すれば生きる意味も見えてくるんじゃないかってね。イラクで死んだ例の人も、そう考えたのかもね。僕はただ状況に流されてるだけだから、何を信じていいのかわからない。むしろ、それが正しいことなのかもしれないとも思う。けど、敢えて答えを断定する生き方はかっこいいね。矢吹駆みたいなさあ。 | ||||
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20世紀の最高傑作のうたい文句はだてではない。2つの密室事件をモチーフにハイデッガー哲学に対して批判的な思索を登場人物達が繰り広げていく様は圧巻。ただ事件は徹底して哲学論争のための下地に使われるため、事件の展開や謎解きは強引でご都合主義に見える。ヒロインであるナディアの哲学的思索が凡人というか市井に生きる人間の成長をよく表していて、好感が持てる。こうした深遠な哲学への素朴な意見表明を描くことができるのはエンターテイメントを通して哲学を語ることの大きな意義であると思う。 | ||||
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とにかく分厚い!測ってみたら約4.5cm。矢吹駆三部作を受け、沈黙を破った第4作。傑作『サマー・アポカリプス』の後、普通の推理物の面が強くホッとできる『薔薇の女』ときて、思想対決が前面に出ています。舞台を三十年前のドイツとからめて、最後まで先が読めない物語。ただし、確かに、カケルの推理というか推測を100%支持できるかというとそうでもない向きもあると思います。思想の面でもトリックの上でも。ただ、久々の登場のあと、解説にもあるように、そろそろナディア・モガールの方では自分のカケルに対する気持ちの分析に答えは出たようで(あいかわらずの推理合戦でのバカっぷりには今度こそ怒りすら感じますが)、ラストシーンの美しさ、これは最高です。このラストシーンゆえに、(借りて読んだ後)購入を決意しました。何の事は無い、僕はカケルファン。この『哲学者~』では「死」についての議論。そして次作『オイディプス症候群』では意外なあるモチーフのもとに「愛」についての議論。果たして思想の問題はどこまで進みどこまで広がるのでしょうか。(愛だけに、舞台はギリシャに行っちゃったので、本当にどこまで行くのかわからなくなりました。)ただ、愛、という面では、どんな議論がでてこようが、ナディアには苦難の道のりでありますな。 | ||||
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パリで起きた密室殺人と第二次世界大戦のさなかのユダヤ人収容所で起きた殺人とが密接に関連していく。これだけでも面白いのだが、現象学を用いて縦横無尽に考察していく様はマジックを見せられているような不可思議なおもしろさ。ユダヤ人収容所の描写は特に引き込まれる。かなり長い小説だが、次のページを繰るのももどかしくさせる内容は圧巻。この小説でフッサールやハイデッガーを読んでみたくなるのは、果たして私一人だけではないだろう。 | ||||
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