煉獄の時
※タグの編集はログイン後行えます
※以下のグループに登録されています。
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点0.00pt |
煉獄の時の総合評価:
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
現在レビューがありません
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
同じフレーズの繰り返し、それがしつこい。 10年以上かけて、加筆、校正をした、それにしては連載時の、「前回の続きとして」が改まっていないように感じる。 色んな書評を読んでみたが、連載時から、犯人まで変えてしまうという大改編らしい。 しかし、長かった。もう少し整理できないのか? そう思う。 過去編が素敵だった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
矢吹駆シリーズのフランス編の第7作になるらしい。 1979年に『バイバイエンジェル』が刊行され、『サマーアポカリプス』『薔薇の女』『哲学者の密室』『オイディプス症候群』『吸血鬼と精神分析』と続いてきたが、本作を含めていずれも1970年代後半のヨーロッパを舞台に、次々に猟奇的な殺人事件が起こり、それに語り手の哲学専攻大学院生ナディア・モガールと日本人の矢吹駆が巻き込まれつつ、現象学的手法で解決していくというミステリーだ。 本書の中でもモガールが回顧しているが、わずか2年間に7つもの猟奇殺人事件に巻き込まれているのである。 だから、この小説は197年代後期のフランスにずっと留まったままだ。 しかも、いつからか、著名な哲学者や心理分析家を絡ませて、矢吹駆に哲学的に批判し尽くさえるというのが定番になってきた。もっとも、本書では大した批判をおこなっているわけではないが。 『哲学者の密室』ではハイデガー、『吸血鬼と精神分析』ではジャック・ラカン。多少とも名前は変えてあるが、すぐにわかるような形で彼らは登場させられている。 本書では、ジャン・ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーボワールである。 彼らの部屋で、当時から39年前の手紙が消失する。 なぜ消失したのか、そして取り戻してほしい、という依頼から物語が始まるが、そこからセーヌ川に係留された船で発見された全裸女性の首なし死体の事件が起こる。 その遺体には、血で模様が描かれていた。 そして、39年前のドイツとの開戦前のパリでも、トランクに詰められ血で装飾された女性の首なし死体が、3つの鉄道駅で相次いで見つかるという事件があった。 この時代を隔てた事件の関係が、ナチスドイツによるフランス占領、スペイン内戦とバスク解放闘争、ユダヤ人へのホロコースト、1970年代のフランスのマオイスト過激派の闘争を絡めつつ展開してくのである。 それにしても、上下2段組で800ページ。おそらく400字の原稿用紙で2000枚もの長編である。そこに込められているのは、主人公の矢吹駆の口を借りた、笠井潔その人の思想と世界観そのものである。 そして、本作で痛感したのであるが、実は、そこで語られている思想や世界観、歴史観には、今となっては自分でも驚くほど近しいものを感じるのである。特に1960年代後期の世界的な急進的左翼運動への評価について・・・。 特に、本書で興味深く感じたのは、日本を「奇妙な敗戦国」、フランスを「奇妙な戦勝国」とする議論だ。日本の場合はドイツやイタリアと異なり戦争指導部が戦後も政権を担うという連続性がると同時に、戦争放棄条項による絶対平和主義の欺瞞がある。それは1960年代後半の若者たちの反乱が「戦争から疎外」されていく原因となった。故に革命戦争のイリュージョンに多くの新左翼党派は捉われ、それに取りつかれた典型が連合赤軍であったと。 他方で、フランスが奇妙な戦勝国である理由は、第三共和国のドイツへの降伏によりヴィシーの片田舎にヴィシー政権が作られ、このヴィシー政権は正式に第三共和国から権力を移譲されたことによる。そしてヴィシー政権は枢軸国側として正式に承認された。ドゴールの亡命政権である自由フランスは、その意味ではドゴールの個人的な影響力とリーダーシップによって成立したもので、正当な継承関係は存在していない。にもかかわらず、フランスとフランス人が戦勝国としての地位を得たのは、対独抵抗運動(レジスタンス)のおかげとされる。しかし、フランスのレジスタンスに参加したのは1000人に1人程度でしかなかった。フランス人はわずか0.1%の人々におぶさって、自分たち全員が戦ったかのように幻想することで、戦勝国として振舞った、というのである。 この辺の議論は、イタリアパルチザンとの対比においても大変興味深いものがある。 さて、本書だが毎日何時間も読書に集中しても、読了まで20日以上を要した。 しかも、第8作、第9作は連載が終了し、第10作が連載中という。 ずっと、あの1970年代後期を舞台に猟奇的事件が続くようなのである。 でも、まあ、出れば読み続けるような気もしている。それにしても、このシリーズの読者は新しく獲得されているのだろうか。それともぼくと同様に、1980年ごろから40年以上にわたって読み続けている読者ばかりなのだろうか。 後者だとすれば、必然的に読者数は減少していかざるを得ないだろう。 それでも、出版が続けられているというのは、やはりコアなファンが相当数いるということなのだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私の住む街の店舗には置いてありません。ネットで買うしか無いのです。前巻までは並べてありました。時代の流れでしょうか。 矢吹駆シリーズを読んでないと登場人物の関係やら背景が分からず単体では辛いかと思われます。シリーズを読んできた読者には過去巻を再読したくなる部分があります。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
謎解きと衒学趣味の見事な融合こそ「探偵小説」というジャンルの王道だ。探偵と犯人が、灰色の脳細胞を駆使し、衒学趣味すれすれの論理と博識、そして嫌味にならない程度の雄弁で渡り合う。チェスタトンのブラウン神父シリーズ然り。近年大ヒットしたホロヴィッツの『カササギ殺人事件』や『ヨルガオ殺人事件』然り。そして本書もまた、この王道を行く。 サルトル、ボーヴォワール、ヴェイユ、バタイユ、とおぼしき、時代がかった人物が登場し、存在や、現実の世界や、神秘の世界や、今回の事件について、他の登場人物たちと侃々諤々議論する様は、まさしく衒学趣味すれすれだ。「盗まれた手紙」の真相が明らかになった時、誤った謎解きをしてしまったナディア・モガールに対し、サルトルとおぼしき人物が「きみは釣竿の仕組みをよく知らないようだ」と突っ込みをいれる場面は、ペダンティックなやりとりの最たるものだ。衒学趣味と悪趣味とは紙一重だから、サルトル、ボーヴォワール、とおぼしき人物とクロエ・ブロックとのゴシップ・ネタは、評者には悪趣味に思えてしまった。 謎解きについて不満が2点ある。「双子」と「死んだはずの人物が実は生きていた」というレトリックを使用している点だ。エドガー・アラン・ポー的な「盗まれた手紙」の謎で始まり、奇々怪々な船上の殺人事件が続き、過去に起きた連続殺人事件といったいどう結びつくのだろうと読み進んでいくうち、この2点がでてきてがっかりした。「双子」のほうはひとひねりが加えてある。「死んだはずの人物が実は生きていた」という事態が、大戦時と戦後復興の混乱ではリアルな出来事であったこともわかる。だが、いずれにしてもこの2点にたよったことで、謎解きは安易になってしまった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
なぜ雑誌連載終了から単行本まで12年もかかったのか。雑誌掲載版を読み返して愕然とした。ほぼ書き直しに等しい改稿が行われているのだ。連載終了の2010年から何があったのか。東日本大震災、民主党政権の終わり、英国のEU離脱、トランプの登場と退場、平成の終わり、コロナウイルスのパンデミック、そしてロシアによるウクライナ蹂躙。数多くの消失と簒奪が行われ、私たちはまだその意味を理解し得ていない。新しく書き直された煉獄の時は、過去の思想、哲学、戦争や革命を語りながら、それは決して過去の遺物でも忘れられた歴史でもない。今、正に世界で起きていること、私たちが直面している状況を語っているのだと読み解ける。笠井潔氏の集大成であり、また未来に向けての提言と受け止めた。何より、面白い小説を読んだという満足感がとても大きい。探偵小説であり、冒険小説であり、観念小説であり、歴史小説であり、そして今を切り取る評論でもある。困ったことは、もう一度第1作のバイバイ、エンジェルから読み返したくなることだ。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 6件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|