サマー・アポカリプス
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サマー・アポカリプスの総合評価:
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全2件 1~2 1/1ページ
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この作家は哲学的な表現が多く、とても鬱陶しいのですが、ストーリーはまあまあでした。 | ||||
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矢吹駆シリーズ第2作!前作以上の謎に哲学。不可能犯罪の魅力的な解明。傑作! | ||||
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良かった | ||||
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本作でも4つの事件からなる連続殺人から構成されています。 解説でも述べられている通り、『バイバイ・エンジェル』では事件と思考対決が別になってしまっていた感じがしましたが、今回は思想対決も物語の中にしっかりと組み込まれています。(それゆえ、どこで思想対決があったのか読み返すのが面倒にはなりましたが) 推理小説としても非常に面白く、特に第一の事件で全くの偶然であった無傷の蝶の死骸を基点に推理していくナディアのミスリードと、被害者の状態から本質的直感によって正解を導く矢吹は秀逸でした。 難点としては、ページ数が500超えと決して短くないことでしょうか。 特に今回はカタリ派に関する知識も入れてきたため、このようなボリュームになったと思います。 | ||||
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「昨日ジゼールは、黄昏時にモンセギュールの城跡を散歩していた。 観光客の足も途絶えた人気のない石の廃墟に一人いると、 まるで痺れるような畏怖の感覚の海に沈んでいきそうになる。」 南フランスアリエージュ県モンセギュール村、スペイン国境に近い盆地。 ふつう観光客は、南仏といえばアルルからエクスプロバンス経由で地中海に出る。 中世の故事がなければ誰も知らない村である。 殺人事件はこの村の山荘で起こった。 「老人の前頭部は完全に砕かれていた。 ・・・しかも、老人の心臓には、一本の矢が深々と突き通っているのだ。」 『被害者は二度殺されている』 「モンセギュールといえば、13世紀、カタリ派(アルビジョワ派)討伐のためのアルビジョワ十字軍が組織され、トゥールーズ伯レモン6世は降伏を余儀なくされた。こうして政治的保護を失ったカタリ派の勢力は、モンセギュールの山頂に拠点として抵抗を続けた。1244年3月16日十字軍勢力はバスク山岳兵を用いて砦を陥落させ、籠城していた200名以上のカタリ派の信徒を火刑に処した。」(Wikipediaより引用) 今回カケルくんは、事件の背後に宗教問題があるのではないか、と推理する。 ローマカトリックの「豊穣」かカタリ派の「清貧」か、さらにカタリ派が残したとされる財宝探索というおまけが付く。 ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』の「清貧論争」的雰囲気がいい。 モンセギュールの攻防については佐藤賢一さんの「オクシタニア」に詳しい。 | ||||
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傑作である。読書の愉しみを知る総ての人に薦める。 矢吹駆は、パリで、コルベールが編纂させた、異端カタリ派に纏わるドア文書の謎に挑む。協力者の下には、カタリ派の、黙示録の呪を記した脅迫状が届いていた。駆は銃撃されるが、調査のため、ナディアたちとともに、中世にカタリ派が繁栄していたラングドック地方に滞在することになる。滞在先である財閥当主の豪壮怪異な別邸で、ドイツ人が殺され、黙示録の呪は現実のものとなる。その後の連続殺人事件、ナチのオカルティズムが絡んだ知られざるサン・セルナン文書の探索と、事件は縺れに縺れた展開を見せる。 舞台が整うまでは少し退屈したが、これ以上ない舞台が整い、紆余曲折ののち結末に至って、見事な解決に導かれる。オーソドックスなミステリーとしての完成度は高い。 だが、最高だと思ったのは、論理的な展開自体ではない。オーソドックスなミステリーの味を楽しみながら、いつしか、様々な人生の描写に魅せられていた。話が進むにつれ、ちりばめられたガジェットと見えたものが、重みを持った実在性を帯びてくる。中世に異端カタリ派が繁栄していたラングドック地方の風土が、一人の男の特異な、だが毅然とした生き方を納得させる。その生き方が、弱さをもった者を誤らせる。愛されなかったという思いが憎しみに変わった時、犯行は準備された。ナチのオカルティズムが、思わぬ人を思わぬ形で、悲劇の舞台に立たせた。長い時間が流れ、多くの人にとって悲劇は終わったのだ。 さて、前作から引き続く、純粋な悪に対する考察はどうなったのか? 少なくとも、駆は、前作と変わらず、思想的に対峙するものを追い詰め選択を強いる。作者は、駆に、そのような態度をとらせたが、その結果から考えると、結論を引き延ばしたようにもみえる。自明な悪に加担するものを前にして、どのような態度をとるか、ということであるが、その問いに対する時、必ず呼び込まれている秘教的要素を読む側としてはどう考えればよいか? それに対する評価の在り様が、ミステリーを超えた部分での、読者の評価を決めるに違いない。とはいえ、それは小説を充分堪能したのちに、心に留め置かれて、折に触れて考えてみる、といった形にならざるを得ないものと思う。 | ||||
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●この世界の本質が弱肉強食だと知った上で なおかつ自分が強者の側に立っていると自覚した上で それでもなお、弱いものたちの痛み・悲しみが、どうしようもなくわかってしまうとき 人は、己の存在をかけて決起するのかもしれません そういう意味では、この小説に登場するシモーヌ・リュミエールは ジャンヌ・ダルクにも、あるいはマザー・テレサにもなりえた存在でしょう しかし、矢吹駆の抱え込む巨大なニヒリズムが、その欺瞞を暴きだします 上を読めばわかっていただけるかとおもいますけど シモーヌの世界など、初手から矛盾をはらんだものなのであって 世界に蔓延する「悪」を相手するには、あまりに脆弱です 彼女は、「バイバイ、エンジェル」において殺されたある人物の、ある意味仇討ちとして 矢吹駆に論争を挑み、ほとんど完膚なきまでに粉砕されるのでした まるでそう、聖女が悪魔に食い殺されるかのように けれど、矢吹駆のニヒリズムは、現代社会において安穏と生きるすべての人 つまりわれわれ全てが、おそらく持ち合わせているものでもあるのです ●物語は、ヨハネ黙示録に見立てた謎の殺人事件を軸にして進行します 前作であれほど痛い目を見たナディアでしたが、 またしても今回、旅行先で起こった殺人事件に、首をつっこんでしまいます 途中、矢吹駆の探索する「カタリ派の秘宝」に胸ときめかせたりしつつ、 緊張感あるのかないのかよくわからない素人探偵に精を出すのですが そんな中、今作では彼女の将来を暗示する、不吉な伏線がいくつも張られることになるのです 「あなた、若いのにいけないことよ。権力を背景に他人を思い通りにしようとするなんて」 シモーヌに叱られてしゅんとなるナディアですが、「青銅の悲劇 瀕死の王」における 力任せの容疑者尋問を思いだすかぎり、その反省が、後に生かされることはないのでした ●ところで、ラスト近くのあの展開は、映画「太陽を盗んだ男」を意識しているのでしょうか | ||||
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