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サマー・アポカリプス
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サマー・アポカリプスの評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.23pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全13件 1~13 1/1ページ
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| 外も中も非常に綺麗です。 お買い得商品でした。 | ||||
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| 夏のテーマといえば、『サマー・アポカリプス』訳すと『夏の黙示録』。 フランスは猛暑だった。ジリジリと暑いフランスの情景が述べられる。この表現がうまい。 それにしても、本書は難解である。フランスの翻訳本を読んでいるみたいだ。日本人が書いていると思えない。『ヨハネの黙示録』を読んでいないと、理解の半分もできないだろう。新約聖書は青年の時に読んだが、聖書とは無縁の生活を送っていた。笠井潔の知識量が半端でないことを知らしめる本だ。 事実とフィクションが入り混じって進行していく。 知らない言葉が、ゴツゴツと至る所にあり、それを調べて理解しながら進む。実に時間のかかる作業だ。矢吹駆の『バイバイエンジェル』『バラの女』は、読んで、そのパターンをある程度理解したと思ったが、この本には、歯が立たなかった。 矢吹駆は、大学生のナディア・モガール(彼女の父親は警部)と一緒にいるとこを、車から撃たれ、肩に傷を負う。矢吹駆は、異端カタリ派を調査している。カタリ派が異教なのか、異端なのかも問われる。異教はキリスト教とは違う宗教、異端とはキリスト教の中での派閥の違いだ。 矢吹駆は、「カタリ派の運動の中には、魔術と民衆叛乱の自生的な結合がある。正確に言えば、魔術ではなく秘教ということで、マニ教とグノーシス主義を通じて、カタリ派は古代の東方異教の流れを継承している」とナディアにいう。 カタリ派は、新約聖書のイエスの神は愛と救済の神で、旧約聖書の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神は妬みと憎しみに満ちた残酷な神としている。カタリ派は13世紀に滅びた。 カタリ派は、物質世界を「悪」と見なし、霊的浄化と禁欲を重んじた。これは、現代の物質主義や権力構造に対する根源的な否定として描かれる。モンセギュール城での集団火刑など、彼らの最期は「黙示録の四騎士」や「終末の予兆」と重ねられ、物語の殺人事件に絡んでいく。 カタリ派が残したとされる文書や象徴(十字、光、浄化)は、矢吹駆が追う謎の鍵となり、グノーシス的知の探究と結びつく。まぁ。こう書いていても、よくわからない。主流派は、豪華絢爛で、カタリ派は、清貧なイメージがある。この物語は、カタリ派の埋蔵宝物が、聖地モンセギュールに埋めてある。なんか日本で言えば徳川埋蔵金みたいなものだ。そのことが、書いてあるドア文書の一部を矢吹駆は探すのが物語の中心となる。 夏休みは、バルベス警部の故郷の村の近くに、カタリ派の聖地モンセギュールがあり、そこにいく。 ジゼール・ロシュフォールはナディアの友人で、モンセギュールにロシュフォールの山荘がある。そこに、歴史学者のシャルル・シルヴァンも滞在する。ロシュフォールは、原子力発電も行う大きな企業である。ロシュフォール家の長女ジゼールは、ナディアの友人だ。ジゼールの母親のジュヌヴィエーヴは、聖地の山から転落して死んでいる。ロシュフォールの下僕ジャン・ノディエが突き落として殺したと言われ、刑に服している。後妻にニコルという美女が収まっている。ジャン・ノディエは、いわくつきの男だ。重要な役割を果たす。彼は、刑を終えて、モンセギュール周辺を宝探ししている。 矢吹駆の追い求めている文書は、ドア書の削除された一部。コルベール家が持っていたドア書は、1732年にブルボン王家にわたり、ルイ14世がとった。そして、1789年のフランス大革命でブルボン王家が倒れると、フランス共和国のものとなった。そのドア文書の一部が盗まれている。それは、隠されたカタリ派の財宝のことが書かれていたのではないか?それは秘宝伝説もあり、カタリ派の秘宝の伝説が書かれていたかもしれないと推理する。 ロシュフォールは、原子力発電の建設を行なっていて、そこにロシュフォールの家には脅迫状がきていた。「財宝を狙うものには、カタリ派の呪いがかけられる。黙示録の怒りがその頭上に堕ちかかるだろう」という内容だった。 ヨハネの黙示録は、白馬、赤馬、黒馬、青馬と4騎士が現れる。それぞれ、弓矢、剣、天秤が使われる。その黙示録の物語に基づいて、4人の人物が殺されることになる。 ロシュフォールの山荘で、ドイツ人ワルターフェストが最初に殺される。そこには、ロシュフォール夫妻。その娘ジゼール、ジゼールの恋人で原子力研究者のジュリアン・リュミエール、その姉で、原発反対運動しているシモーヌ・リュミエール、カタリ派の大学の研究者シャルル・シルヴァン助教授、ポールソネ神父、そして、ナディアと矢吹駆がその場にいた。当初そのワルターフェストを殺したのが、ジャン・ノディエが犯人とされる。ところが、2番目にジャン・ノディエが首吊りして死んでいた。犯人は誰だということになる。相変わらず、ナディアのナレーションで事件が説明されていき、探偵の役割をする。 矢吹駆は、『バイバイエンジェル』でマチルド・デュラナンを死に追いやったことを苦しんでいた。自分は悪だと思っている。シモーヌ・リュミエールは、マチルドの知人だった。そこから、矢吹駆のことを聞いていたのだ。シモーヌ・リュミエールは、フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユ、1909年生まれである。16歳で哲学のバカロレア(大学入学資格試験)に合格し、高等師範入学準備学級で、哲学者アランと出会い、影響を受ける。過激な赤い処女の煽動家として知られる。スペイン内戦にも関与する。彼女は拒食傾向にあり急性肺結核にかなり、体力がなく34歳で死んだ。死後『重力と恩寵』が発刊され、ベストセラーになった。この物語の真骨頂は、シモーヌと矢吹駆の激論だ。これは、笠井潔の自己問答に近い。 シモーヌ・リュミエールは、西欧秘教の理念に根ざしていて、カソリックの受洗は最後まで拒み通した。カタリ派に高い評価を与えていた。アナルコサンディカリストの戦闘的な革命家だった。第二次世界大戦下のフランスがナチス占領期において、対独抵抗闘争の前線に立った。ドイツと戦う中で「地獄の底」で悪と対峙した経験を持つ。彼女はこの経験をもとに、悪を悪として認識し、それを克服する唯一の道は善の観念に頼ることではなく、むしろ悪を悪としてそのまま受け入れることであると主張する。彼女は現世に存在する悪と向き合い、それを受容することによって神への愛、真の信仰に到達できると説く。この思想は、悪の絶対性と信仰における悪の受容を論じたものであり、そのモデルとして実在の哲学者シモーヌ・ヴェイユの思想を参照している。 一方、矢吹駆は、シモーヌの主張を批判し、「人間的な思考を停止し、信仰という非論理的な概念に逃避している」と評価する。彼は、悪を単なる「悪」としてそのまま受け入れることは、思考を放棄することに等しいと考える。矢吹は、悪の根源を徹底的に現象学的に分析し、その構造を解明することによって、悪を超克しようと試みる。彼にとって、悪は絶対的な存在ではなく、分析と理解によりその実体を明らかにし、相対化可能な対象である。この二人の対立は、悪を信仰の対象として受容すべきか、それとも理性の力によって克服すべき対象とみなすかという、根本的な哲学的問題へと帰着する。 ドア書の一部は、いくつかの時代で、それぞれ重要な意味を持つ。 1209年に始まったアルビジョア十字軍の結果、カタリ派は異端とされた。モンセギュールがその中心だった。1233年にグレゴリウス3世によって、異端審問官を教皇が直接任命。強大な権力を発揮しカタリ派を弾圧。1252年教皇インノケンティウス4世が拷問を公認。拷問を武器にした異端狩り、魔女狩りは、その後4世紀間で述べ数百万人を虐殺した。鉄槌の異端審問官のサン・ジョルジュのインノケンティウス4世教皇庁あての書翰が、ドア書の一部らしい。そこにカタリ派の「悪魔の秘宝」が書かれていた。とにかく、徹底して拷問し、火刑にして殺した。サンジョルジュが亡くなったのが、サンセルナン寺院だった。その書翰が、サンセルナン寺院の床下に、700年にわたって秘蔵された。それにしても、宗教において、異端審問で虐殺するのは、なぜかおかしい。『チ。地球の運動について』で、異端審問ノヴァクの個人的な異端審問にしているが、実際はひどい異端審問だった。 その発見が、地元の研究家アンリ・ドゥルニュであり、神父が立ち会った。その時にナチスの親衛隊が二人いて、ドゥルニュが拘束された。書翰はその親衛隊のワルターフェストの手に渡った。ナチスだったワルターフェストは、第1番目の犠牲者だった。アンリ・ドゥルニュの息子が、大学の研究者シャルル・シルヴァン助教授であることが明らかになる。 ナチズムのことも詳しく書かれていて、シュタイナーがナチズムに反対し、そしてナチスは有機農業を推し進めた。「血と土(Blut und Boden)」は、ナチス・ドイツが掲げた民族主義的スローガンであり、人種的純血性(血)と祖国の土地(土)への結びつきを強調するイデオロギーを、進めた。その中心が、ハインリヒ・ヒムラーであり、ユダヤ人虐殺を推し進めた。 この事件を通じて、矢吹駆を狙っているのは、悪霊、死神と呼ばれるニコライイリイチであることが、見えてくる。ただ、まだその正体はよく分からない。 結局、カタリ派の財宝は、分からずじまいで、ロシュフォール夫妻が亡くなり、ジゼール・ロシュフォールと結婚した原子力研究者のジュリアン・リュミエールが、ロシュフォール企業の代表となり、原発を推し進めるのだった。いやはや、すごい物語だった。フランス思想史が、少しづつ理解できるようになった。 | ||||
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| 良かった | ||||
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| 本作でも4つの事件からなる連続殺人から構成されています。 解説でも述べられている通り、『バイバイ・エンジェル』では事件と思考対決が別になってしまっていた感じがしましたが、今回は思想対決も物語の中にしっかりと組み込まれています。(それゆえ、どこで思想対決があったのか読み返すのが面倒にはなりましたが) 推理小説としても非常に面白く、特に第一の事件で全くの偶然であった無傷の蝶の死骸を基点に推理していくナディアのミスリードと、被害者の状態から本質的直感によって正解を導く矢吹は秀逸でした。 難点としては、ページ数が500超えと決して短くないことでしょうか。 特に今回はカタリ派に関する知識も入れてきたため、このようなボリュームになったと思います。 | ||||
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| 「昨日ジゼールは、黄昏時にモンセギュールの城跡を散歩していた。 観光客の足も途絶えた人気のない石の廃墟に一人いると、 まるで痺れるような畏怖の感覚の海に沈んでいきそうになる。」 南フランスアリエージュ県モンセギュール村、スペイン国境に近い盆地。 ふつう観光客は、南仏といえばアルルからエクスプロバンス経由で地中海に出る。 中世の故事がなければ誰も知らない村である。 殺人事件はこの村の山荘で起こった。 「老人の前頭部は完全に砕かれていた。 ・・・しかも、老人の心臓には、一本の矢が深々と突き通っているのだ。」 『被害者は二度殺されている』 「モンセギュールといえば、13世紀、カタリ派(アルビジョワ派)討伐のためのアルビジョワ十字軍が組織され、トゥールーズ伯レモン6世は降伏を余儀なくされた。こうして政治的保護を失ったカタリ派の勢力は、モンセギュールの山頂に拠点として抵抗を続けた。1244年3月16日十字軍勢力はバスク山岳兵を用いて砦を陥落させ、籠城していた200名以上のカタリ派の信徒を火刑に処した。」(Wikipediaより引用) 今回カケルくんは、事件の背後に宗教問題があるのではないか、と推理する。 ローマカトリックの「豊穣」かカタリ派の「清貧」か、さらにカタリ派が残したとされる財宝探索というおまけが付く。 ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』の「清貧論争」的雰囲気がいい。 モンセギュールの攻防については佐藤賢一さんの「オクシタニア」に詳しい。 | ||||
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| 傑作である。読書の愉しみを知る総ての人に薦める。 矢吹駆は、パリで、コルベールが編纂させた、異端カタリ派に纏わるドア文書の謎に挑む。協力者の下には、カタリ派の、黙示録の呪を記した脅迫状が届いていた。駆は銃撃されるが、調査のため、ナディアたちとともに、中世にカタリ派が繁栄していたラングドック地方に滞在することになる。滞在先である財閥当主の豪壮怪異な別邸で、ドイツ人が殺され、黙示録の呪は現実のものとなる。その後の連続殺人事件、ナチのオカルティズムが絡んだ知られざるサン・セルナン文書の探索と、事件は縺れに縺れた展開を見せる。 舞台が整うまでは少し退屈したが、これ以上ない舞台が整い、紆余曲折ののち結末に至って、見事な解決に導かれる。オーソドックスなミステリーとしての完成度は高い。 だが、最高だと思ったのは、論理的な展開自体ではない。オーソドックスなミステリーの味を楽しみながら、いつしか、様々な人生の描写に魅せられていた。話が進むにつれ、ちりばめられたガジェットと見えたものが、重みを持った実在性を帯びてくる。中世に異端カタリ派が繁栄していたラングドック地方の風土が、一人の男の特異な、だが毅然とした生き方を納得させる。その生き方が、弱さをもった者を誤らせる。愛されなかったという思いが憎しみに変わった時、犯行は準備された。ナチのオカルティズムが、思わぬ人を思わぬ形で、悲劇の舞台に立たせた。長い時間が流れ、多くの人にとって悲劇は終わったのだ。 さて、前作から引き続く、純粋な悪に対する考察はどうなったのか? 少なくとも、駆は、前作と変わらず、思想的に対峙するものを追い詰め選択を強いる。作者は、駆に、そのような態度をとらせたが、その結果から考えると、結論を引き延ばしたようにもみえる。自明な悪に加担するものを前にして、どのような態度をとるか、ということであるが、その問いに対する時、必ず呼び込まれている秘教的要素を読む側としてはどう考えればよいか? それに対する評価の在り様が、ミステリーを超えた部分での、読者の評価を決めるに違いない。とはいえ、それは小説を充分堪能したのちに、心に留め置かれて、折に触れて考えてみる、といった形にならざるを得ないものと思う。 | ||||
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| ●この世界の本質が弱肉強食だと知った上で なおかつ自分が強者の側に立っていると自覚した上で それでもなお、弱いものたちの痛み・悲しみが、どうしようもなくわかってしまうとき 人は、己の存在をかけて決起するのかもしれません そういう意味では、この小説に登場するシモーヌ・リュミエールは ジャンヌ・ダルクにも、あるいはマザー・テレサにもなりえた存在でしょう しかし、矢吹駆の抱え込む巨大なニヒリズムが、その欺瞞を暴きだします 上を読めばわかっていただけるかとおもいますけど シモーヌの世界など、初手から矛盾をはらんだものなのであって 世界に蔓延する「悪」を相手するには、あまりに脆弱です 彼女は、「バイバイ、エンジェル」において殺されたある人物の、ある意味仇討ちとして 矢吹駆に論争を挑み、ほとんど完膚なきまでに粉砕されるのでした まるでそう、聖女が悪魔に食い殺されるかのように けれど、矢吹駆のニヒリズムは、現代社会において安穏と生きるすべての人 つまりわれわれ全てが、おそらく持ち合わせているものでもあるのです ●物語は、ヨハネ黙示録に見立てた謎の殺人事件を軸にして進行します 前作であれほど痛い目を見たナディアでしたが、 またしても今回、旅行先で起こった殺人事件に、首をつっこんでしまいます 途中、矢吹駆の探索する「カタリ派の秘宝」に胸ときめかせたりしつつ、 緊張感あるのかないのかよくわからない素人探偵に精を出すのですが そんな中、今作では彼女の将来を暗示する、不吉な伏線がいくつも張られることになるのです 「あなた、若いのにいけないことよ。権力を背景に他人を思い通りにしようとするなんて」 シモーヌに叱られてしゅんとなるナディアですが、「青銅の悲劇 瀕死の王」における 力任せの容疑者尋問を思いだすかぎり、その反省が、後に生かされることはないのでした ●ところで、ラスト近くのあの展開は、映画「太陽を盗んだ男」を意識しているのでしょうか | ||||
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| 個人的には退屈した一冊。探偵役の矢吹駆があまりにも無味乾燥で魅力がないように思う。 | ||||
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| 直観推理を標榜する矢吹駆シリーズの第二作。私はミステリの中で前作(この場合「バイバイ、エンジェル」)の解説から始まる作品を他に読んだ事がない。読者は必ずしも作品の発表順に読む訳ではないから、この作者の精神構造には唖然とした。そして、キリスト教の異端カタリ派を中心とする偏狭な衒学趣味による思わせ振りな記述が延々と続く。正直、ここで読むのを止めようかと思った程だ。百科事典を引く暇があったら、トリックを練るべきだろう。 語り手は駆の友人ナディア、舞台はカタリ派の聖地の南仏ラングドックの屋敷。屋敷の主人は娘婿で有力な原発推進派。その娘のジゼールはナディアの友人で、ジゼールの恋人ジュリアンは優秀な核物理学者。そのジュリアンの姉シモーヌは反原発派の活動家で、パリでの初対面時に駆に奇妙な態度を見せ、その直後、駆とナディアは襲撃される。主人と歴史学者シルヴァンはカタリ派の聖地の発掘を計画している。一方、ドア文書と言う、カタリ派の財宝のありかを秘匿した記録の存在が示唆される。そして、ヨハネ黙示録の<四人の騎士>を模した四連続殺人が起こると言う趣向。第一の殺人は密室もどきの資料室が舞台で、ドイツ人の骨董商が被害者。凝っているようだが実は粗雑な創り。第二の事件のトリックには前例がある。ここから読者は異教論争と作者の青臭い善悪論を長々と聞かされる羽目になる。第三・四の事件は形式を整えるための完全な付け足しで、何の工夫もない。 宗教やオカルティズムや因縁談と言った贅肉を削ぐと、ミステリとしての骨格は驚く程脆弱。作者の精神的幼さが露骨に出た低劣な作品と言えよう。 | ||||
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| キリスト教異端カタリ派に関心を持つ矢吹駆は調査のため、ナディア・モガールとともに、 カタリ派の聖地であった南仏モンセギュ―ルにある、ロシュフォール家の山荘を訪れる のだが、そこで奇怪な殺人事件に遭遇する。 被害者は、大理石の石球で撲殺された後、なぜか心臓に矢が射込まれており、 さらにそれと前後して、馬小屋では、白い馬が撃ち殺されていた。 続いて、逃亡していた事件の容疑者が、密室状態であった城壁都市の塔の一室で、 縊死体となって発見され、現場近くには、額を打ち抜かれた赤い馬の屍体があった。 さらにロシュフォール家当主の後妻が墜死したことで、犯人が新約聖書の 「ヨハネ黙示録」に見立てた連続殺人を行おうとしていることが明白になるのだが……。 第一の殺人では、ナディアと警察によって、関係者の綿密なアリバイ検証がなされますが、 その際にナディアが着目する「無傷の蝶の屍骸」という物証が秀逸です。 結果的には、真相に直結する手がかりではないため、読者をミスリードする仕掛けでは ありますが、かといって、犯人が捏造したものでもないので、別の角度から事件の真相 を暗示する働きをしているといえます。 また、第二の殺人において、《見立て》の装飾と思われた馬が殺人の ための、即物的な役割を担わされていた、というのも素晴らしいです。 本作の全体の構図としては、連続殺人犯とそれを巧みに利用しようとする超犯人、 さらにその超犯人を影で操る黒幕という軸があり、それと関連させながらも、別の 位相で、駆とシモーヌ・ヴェイユを模した人物との思想対決が設定されています。 駆にとっては、殺人事件の究明よりも、その思想対決こそが目的であり、 そのためには、事件の真相さえも、対決相手を揺さぶるカードにしてしまう、 というのが、本シリーズならではの探偵役のスタンスといえます。 そして、そんな駆の生涯にわたる宿敵というべきニコライ・イリイチの暗躍が ほのめかされて終わる本作は、ミステリと思想対決の融合の完成度において、 シリーズ最高傑作といえると思います。 | ||||
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| 長すぎるよっ、なんですか535ページって! 半分ぐらいにして欲しかったよ正直。 まあ最後まで読むとそれなりに面白い事はあるんですが…… 逆に言えばそれまでは全然詰まらないです。 淡々と、特に物語りに波もなく進行されていきます。 蘊蓄は、基本的に大好きなんですが、この作品では何で京極ばりに語ってるのかよくわかりませんでしたね。 最初の事件のトリックとか、あれでみんな納得しているのだろうか?? 弓矢で確実に人を殺せるのだろうか。。。 それ無理じゃね? と思ったら、この作品の推理は完全に破綻してるので読まない方がいいかも。。 んーでもこの作品は巷では真の本格小説的な触れ込みなんだよなあ。 僕の読み取り方がいけないのだろうか。 | ||||
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| 現象学探偵、矢吹駆シリーズ第2弾。 このシリーズのウリは、本格派推理小説であると同時に、作中で異なる思想の対決が行われるという点なのだけれども(今回はVSシモーヌ・ヴェイユ)、巻末の解説にもあるようにこの「同時に」というところがなかなか難しいところであるようだ。 このシリーズ第1弾である「バイバイ、エンジェル」では、思想対決は確かに面白かったけれども、「小説としての面白さ」に欠けていたように思われる。 その点、本書「サマー・アポカリプス」では、その辺のバランスがよく取れていて、 犯行のトリックの暴き方やストーリー等、「小説としての面白さ」と、「思想対決の面白さ」のどちらも「同時に」、「同水準で」達成できているように思われる。 かなり質の高い「本」であることは間違いないだろう。 | ||||
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| 笠井潔の矢吹シリーズといえば、思想対決が売りですが、この作品はまず本格ミステリーとして素晴らしい。緻密な作品構成はただただ感嘆するばかり。二度殺された死体の謎を解くくだりは鳥肌ものです。笠井潔の本格作家としての実力が良くわかる本です。また本作で対決している思想家はシモーヌ・ヴェィユです。 | ||||
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