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赤朽葉家の伝説
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赤朽葉家の伝説の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.77pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全107件 81~100 5/6ページ
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ミステリーといえば、語弊が残るようなお話ですが、「千里眼」の祖母や「漫画家」の母、(特にこの母親の週間連載がすさまじくて、過労死するところなど)ともかく、ああそうだあの時代は、そんな感じかとまるでその時代を生きてきたかのように読めるのですごく面白かったです。 | ||||
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横溝以来、私が「山陰」に持つ勝手なイメージそのままに、旧家に纏わる不思議で怖い話が進んで行くのかな、と思いましたがどうやらそういう重厚な感じではなく。途中で、あぁしかしこれは自分も知っているずいぶん最近のことなのだ、と何か不思議な思いに駆られました。私の知っている20世紀末とは違うように。 この作者の持つ「湿度」感がちょうどよい具合であったのでは。 同じ50年の年代記なら、私は作者の別の作品の方が楽しめた。しかし、彼女のホームはこっち?とも感じた。 | ||||
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万葉、毛毬、瞳子三代の赤朽葉家の女性を、文字数多く丹念に書き上げた物語。瞳子が語り手となって、主人公3名の人物像を昭和史を交え、表現する辺りには好感を持てました。しかし、ミステリーとしては結末があまりにもお粗末で、赤朽葉家の伝説?を空想し、緊張感が高まった部分に水を差していると思います。本来ミステリーと呼ぶべき小説ではないと思うし、伝奇小説としても結末が少し弱い。でも実力ある小説家とは思いますが。 | ||||
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話題の桜庭一樹、目を引く真っ赤な装丁。 当然、期待に胸膨らませて読み始めましたよ、最初は。 しかし・・・期待はしぼみ、しぼみつづけて、なくなった・・・ なんなんだこれは? 特異な風土を舞台にした、特異な一族の年代記といえば、 ガルシア・マルケス「百年の孤独」が世界最高級の傑作と思うが、 そういう小説を狙ったのか? 舞台を日本にして、主人公を女3人にして、パロったのか? いずれにしても、力不足が露呈し、なにもかもが中途半端。 「神話の時代」の山陰地方が舞台、だが、ことさらそんな設定に する必要が感じられない、「神話性」の薄さ。 登場人物、とくに主役たる3人の女性たちの人物造詣の甘さ。 そして、安っぽい時代背景の説明。 「高度成長期は誰もが上をめざし、しかしその背景では公害が 問題になりはじめ、、、若者はデモを繰り返し、その後の70年代は しらけ、、、」って、こりゃ、中学生が社会科の宿題で書いた レポートか? ただ単に、3人の主役の女性が生きた時代を 教科書丸写しみたいに説明しただけなのに、これを 「憂国の書」とか言ってる人が多々いることを憂いますね。 | ||||
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テレビのブックレビューを見て気になっていた本です。最初の万葉の時代から、女三代の約50年の話で、それぞれの時代を生きる様は興味深かった。時代背景がおおざっぱだなぁと思う箇所もあったが、まぁ許せる範囲か…。私が気に入ったのは表紙。タイトルにも合っていてよかった。 | ||||
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これはミステリーではない気がします。ミステリーと言ってしまうには、 あまりにも最後のオチがお粗末でした。 女性の半生記としては興味深かったです。 もう少し、最初の万葉を、その時代と心情を深く掘り下げて丁寧に書いていたら、 もっと読み応えのあるものになったのではないかと思います。 少し気になったのは、古い時代に急に現代の言葉遣いや感覚が入るので、 古い時代の雰囲気から急に目を覚まされる時があり、それが残念でした。 不良から少女漫画家…二代目の話は、コメディかと思いました。 この話はリアリティか、それともフィクションでいきたいのか、頭が混乱しました。 | ||||
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ある家系をめぐる物語という意味では『楡家の人びと』や『ブッデンブローク家の人びと』の重厚さを若干彷彿とさせながら、一風変わった多彩な登場人物を巧みにあやつりつつ、一気に読ませるストーリー・テリングの才に脱帽。主人公が(会社を)「やめます」と云ったシーン(289頁)では、思わず拍手しました。(こういうの好きです。)今年の各種トップ・テン上位に入るのも頷ける一作でした。一読をお勧めします。 | ||||
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1953年(昭和28年)から現代にかけて、鳥取県西部の旧家である赤朽葉家(あかくちばけ)をめぐる栄枯盛衰、因縁のドラマが、三代にわたる女の視点で語り紡がれていくストーリー。 最初は、未来を視る千里眼の力を持った祖母・万葉(まんよう)の物語。次は、万葉の四人の子供のひとり、長女の毛毬(けまり)の物語。最後は、わたしこと、毛毬の娘である瞳子(とうこ)の物語。ミステリー小説の素顔を覗かせるまでの件りが長く、話のかなり先のほうまで、これのどこがミステリー小説なんだろうと、やきもきしながら頁をめくっていました。 で、ある人物が、死の直前に言い残した「むかし、人を一人、殺したんよ」の言葉をきっかけに、俄然、ミステリー小説の謎と謎解きの展開が始まるんですね。それまでに語られた話のどこかに真相が隠されているはずと、わたしこと瞳子は、謎の言葉の正体を探っていきます。 ぶっちゃけて言ってしまうと、この終盤の謎解きの箇所が、あんまり面白くなかった。その前の二代にまたがる赤朽葉家年代記の件り、殊に数奇で破天荒な「毛毬の物語」に引き込まれたのに比べて、割と早い段階で推測がついてしまった謎解きの部分は、いまいち面白味に欠けました。 移り変わる時代の中、宿命の縁で結ばれた女たちの人生を綴っていくドラマ、これはかなり面白かったです。でも、期待した終盤の展開が思ったほどでなく、ぱん!と弾けるものがなかった。そこが残念。 | ||||
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祝「このミス」第二位。ミステリーというよりも憂国の書として読んだ。 日本が栄光の時代を経てついにここまで落ちてきたことを、再認識させられた。 学生の学力がゆとり教育の弊害で著しく落ち、向学心もなく、普通の大学を卒業しても普通の生活が出来ず、ネットカフェ難民と化しては、結婚も出来ず子供も生まれずますます日本は落ちていく。 低所得者層の月収が生活保護者層の月収より少なくなったので、生活保護費の切り下げを検討しているとは本末転倒の極み。 普通の人が普通の生活をおくれていた時代は甦るのか? 赤朽葉瞳子の未来は日本とともにぱらりらぱらりらと・・・ | ||||
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久しぶりで「筆力」という言葉を思い出した。 同じ形容詞を1つの文で2回使うこともあるし、顔つきはいつでも「かんばせ」だし、無職の趣味人は必ず「高等遊民」だけど、そんなことが瑣末に思えるほどの力業。 女3代と大屋敷の分厚い歴史を恐ろしいほどのスピード感でねじ伏せる。 人物の造形が際だっていて、生々しく目の前に立っているかのよう。人称代名詞を使わないことで臨場感が高まるのかな。 3章「瞳子」は蛇足かと思っていたが、ラストの5行を読んで不明に恥じ入った。この物語は3章を書きたいために作られたのかもしれない。瞳子によって、伝説は現代に紐づけられた。 フィリピンの海老料理店や「ふくぷく茶」などの道具立て、「レッドデッドリーフ」のような小技も効いている。 人と時間が転がり落ち、性懲りもなく再び登ってくる赤い坂道が眼に焼き付いた。 | ||||
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うまく神話的世界が構築されていると思う。 優秀なエンタティメントとしての側面と、文学的側面を持ち合わせている。 『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』などにある桜庭一樹本来の持ち味である、暗くじとじとじとじとした感情の噴出は、もう一つのエキセントリックな女たちと対立し続けている。 この構図はこれまでの桜庭作品に存在した「現実と空想」の対立を発展させたものだといえる。実際、本書にも歴史小説としてのリアリズムを描いたシーンと、ファンタジカルなシーンが同居している。前二部と比べて低く評価されがちな第三部は計算されてやっていると思う。語るべきことはなにひとつないという文章にもそれは滲み出ている。要は、第三部は空白で、そこになにを書くのも読者の自由なのだ。 | ||||
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女系家族に焦点を絞った桜庭一樹版「シンセミア」。 阿部和重はパン屋が支配する地方都市を舞台に様々なエピソードを散りばめ激動の戦後史を炙り出した。 「シンセミア」が視点の拡散を促しカタストロフに至る一大叙事詩だとすれば、「赤朽葉家の伝説」は同じ閉塞感を共有する地方都市を舞台に、旧家三代の女たちを主人公に据えた一大叙情詩。 産道を通り今まさに産まれ出でようとする我が子の生涯を一瞬の内に幻視する千里眼の万葉、暴走族のリーダーとして刹那的に生きたその娘・毛鞠、語るべきエピソードも持たずまだ何者でもない私。 三者三様の人生観と恋愛観が時代の風潮に添っていて興味深い。 桜庭一樹は少女の造形が上手い。 地方都市特有の閉塞感と怠惰を持て余し、しかし表面上はそれらと折り合いを付け、醒めた風を装いながらも内に癒し難い衝動と焦燥とを抱え込んだ少女の姿に切迫したリアルを感じる。 向かうところ敵なしの毛鞠の青春時代も痛快だが、「私」ことその娘・瞳子の現代を象徴するぬるい生き方も身近に感じた。 「熱くなっていいのは恋愛だけ」と女友達との間に暗黙のルールを作り上げ、自分の仕事がただの苦情受付係に過ぎないと上司に啖呵を切り同僚から拍手を受ける。 しかしその拍手も決して熱くはなく、衝動的に仕事をやめたあとも「熱血」や「感動」とは無縁のぬるい日常が相変わらずだらだらと続いていく。 女性陣が強烈すぎて男性陣が総じて霞んでいるのが難だが、「女」になみなみならぬこだわりのある桜庭一樹ならむべなるかな。 万葉は恋する暇もなく母となり、毛鞠はとうとう大人にも母にもなりきれずじまいだった。 「私」は大人になるのを面倒くさがり、子供とも大人ともつかぬ宙ぶらりんの状態のままだらだらと日々を過ごしている。 大人は責任を負う。 嫁は家を負う。 母は命を負う。 そのどれもに恐れに似た忌避と淡い憧憬を感じる瞳子の「今」は、確かに私たちが生きる「今」なのだ。 | ||||
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作品の中心的登場人物である赤朽葉万葉が、空を飛ぶ男を幻視するシーンから、物語は始まる。この鮮やかな導入から、製鉄業を営む赤朽葉家に生きる女(祖母の万葉、母親の毛毬、語り手である娘の瞳子)の3代に渡る物語が悠然と語られてゆく。 物語は「最後の神話の時代」「巨と虚の時代」「殺人者」という、3つの章から成る。中でも、千里眼を持つ祖母、万葉の半生が描かれた最初の章は、マジックリアリズム的ともいえる興趣が横溢していて圧巻だ。 強烈な祖母、母親に比べ、語り手・瞳子の存在感がやや弱く、後半は幾分息切れしてくるきらいはあるものの、全体を通しての読み応えは十分。「物語」の面白さを十分堪能できる作品だ。 | ||||
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推理作家協会賞を受賞している作品だから推理モノと思いきや、 推理は最終章にちょろっとあるだけで あくまで鳥取の旧家・赤朽葉家の3代の女たちの人生を読ませる記録モノです。 二段組みだし、一見ボリュームがあるように見えますが読み始めたら止まらない! 長さを感じさせず、スラスラを読めてしまう面白さでした。 けど一章の祖母・万葉の不思議な生い立ちと能力、 二章の母・毛毬の大映ドラマのような青春に比べると三章は少々パワーダウン気味。 特に大映ドラマで育った私には毛毬の青春はドンピシャ(笑) 女親から女の子供にのみ遺伝する「寝取りの血筋」・・・ 寝取りの百夜の存在の不気味さなんてツボです。 マジメに書いてるんだか、笑わせようとしてるんだか著者の意図はナゾ。 作品を面白くするために著者の都合のいいような設定になってる部分がいくつかあるし、 「おいおいっ!」と突っ込まずにはいられない箇所満載だけど、 その吹き出しちゃうような小技が妙にハマるんですな〜。 桜庭一樹は今回は初読みでしたが、 これからはしっかりチェックするぜよ!(← 毛毬風にしめてみました 笑) | ||||
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昭和28年,万葉は山陰の山奥からある日突然転がり落ちてきた。鳥取県西部紅緑村に住む製鉄業を生業とする若夫婦が,その万葉を引き取った。万葉は読み書きなど学校の勉強は出来ないが,おかしな方法で未来が視えていたのであった・・・ 3世代:万葉→毛鞠→瞳子による約半世紀に及ぶ紅緑村の赤朽葉家にまつわる物語である。戦後の昭和から平成の現在にかけての社会と人の変遷を紅緑村に住む3人の女性を中心に置き物語としては3章の瞳子(とうこ)が万葉から聞いた話の伝聞として語られている。淡々と流れる時の中で千里眼を持つという祖母万葉の不思議な話から,最終的には壮大な時の中に隠された小さな謎を追うのであるが,時の流れの中を赤朽葉家をめぐる個性の強いキャラクタたちが話の中で生き生きとしている様がとても心地よく感じる。現実と想像の間に取り残されたような錯覚に陥るような,心地よい物語であった。 | ||||
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単純に面白いです。もっとゆっくり読むつもりだったのに意外に早く読んでしまったという感想です。 ……でも、それ以上何も出てこない……。 面白いんですけど、読んだあとも考えさせられたり、じーんと来たり、重いものが残るってところはないなぁ、個人的には。もっとずっしり胃がもたれるようなテーマを扱っているにもかかわらず、やけにさらっとしている気がします。もう少し濃厚な何かが欲しかったです。 女性三人の生き様みたいなのはすごく好きだし、面白いテーマなんだけど、なぜかぐっと来ないんですよね。文章は多いのに、本自体は分厚いのに、なぜかとてもあっさりしている。食べ物で言うと、かなりの薄味かな。少なくとも私はそう感じました。 時代描写や風景描写がちょっとうっとうしかった気もする。結構読み飛ばしてしまいました。私は風景が見たくて小説を読んでいるんじゃないので、背景ではなくて人物の方に重点を置いた見方をしてほしかったです。素人な意見ですが。。。。 私は、ハードカバーの本には文庫本以上の期待をします。お値段もそれなりに高いしね。だから文庫本よりすごい何かがないと消費者としてちょっと納得できない。 これは文庫本で十分だと思いました。 文章はさらさらとしていて読みやすいし、キャラクターの作り方も好きなので、以後、「ううう……」とうならせてくれるような満足のいく作品が現れることを期待しています。 | ||||
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鳥取旧家の三代の女性の物語。主人公の一人を千里眼という超能力者に設定したことがストーリーを膨らませているが、各エピソードはあっさりとした印象。激動の昭和を生き抜いてゆく過程をもっと丁寧に書いても良かったのではなかろうか。 | ||||
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この作品の中で著者がやりたかったことは、ここに尽きるような気がします。 『影の姉妹』のフォーマットを利用して、佐々木丸美の世界を自分の価値観の中で再構築する。 故に、幻想伝奇的少女小説風味の物語になってしまっている訳で。 佐々木丸美がそうであるように、中途半端な歴史の断続の中で(経済環境などから見て、鉄鋼不況についての知識がおかしい、など)、伝奇的な世界を少女小説の形で形成する事が、この作品の中核ではないですかね。 ただ、作者は佐々木丸美ほど夢見がちではなく、もっと浮き世にどっぷり浸かった(地に足のついた)作品を書いた訳なんだけれど。 推理小説としての書き方をしていないという気もするので、祖母と母を追憶した記録物語である、と評価すべきではないかと思います。 ただ、作品の内容から見ても不特定第三者に読まれる事を前提にした「死んでお詫びしたいところだが」なんて言葉が入るようでは、興ざめなんですがねえ。 | ||||
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山の上に立つ製鉄業の旧家。不思議な生い立ちの千里眼「万葉」が、物語の軸となる。昭和という半世紀を伝奇小説の背景に据え、大きくざっくり文明批評している。二代目「毛鞠」のヤンチャぶりも面白い。人物を極端に描いているので、戯画化されたように感じる。 目指すべき目標や、共通の理念を失って、うろうろさまよっている現代の心もとなさが実感できた。昭和という時代は、既に昔語りの対象となったのだ。 でも、前半部のオカルトっぽい部分が一番面白かった。 | ||||
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未来が視えるという万葉の不思議な力。その力は、製鉄業を営む赤朽葉家を 窮地から救ったこともある。しかし、自分にとって大切な人たちの未来を 視てしまうこともある。未来を知ってしまっても変えることはできない。 ただ運命に向かって突き進む人たちを見守ることしかできない万葉の姿は、 胸を打つ。また、時代が大きく変わる中、流されることなく己の信念を貫き 通した万葉の娘毛毬の生きざまはすさまじい。生きるということは、こんなにも 激しいことなのか。ラストの毛毬の娘瞳子の万葉への思いには、ほろりとくる ものがあった。赤朽葉家に関わる人々が織りなす物語も、切なくてほろ苦い。 これから、瞳子そして私たちが生きる未来はどうなっていくのだろう?自分 自身の人生についても、考えさせられるものがあった。 | ||||
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