■スポンサードリンク
家守綺譚
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
家守綺譚の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.52pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全148件 81~100 5/8ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
現世を軸に万物の声に妄想とも思える想いを馳せ、全くの受け身で在りながら純粋かつ卑猥な主人公の心持ちに現代人の心情が投影されている作品であることが秀作だと感じた。古き好き日本と言う意味では宮崎駿作品に通ずる感あり。しかし、その文脈と情景描写が映像として成立し3次元の煩わしさの無い様は「夢」の狐の嫁入りの長編を観ている様で満足した。2/3までが素晴らしいだけに私としては残念に思うこともあるが、文章にてこれだけ明瞭な映像を観させてくれる作品も稀だと思う。本を読まない映像世代にもお勧めだ。漢字が読めないか?...も知れないが。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
不思議な優しさに包まれた小説。 死んだ友人や狸、河童などが主人公の元を訪れてもまったく違和感がない。当たり前のように植物たちが意思を持つ。 読んでいると、自分の周りの植物たちが話し掛けてくるのではないかと思わせる。美しい物語。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
美しく儚く、そして懐かしい話がこの本の中では息づいています。 ヤモリ、烏瓜、ダァリアの君。 今まで人間になった夢を見ていたのだよ。 こんなにも綺麗で身に沁みる話を私は他に知らない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
未だにこの本を最初に手に取った時の衝撃が忘れられない人間の一人です。 家を守り続ける中で接する、不思議でどこか酷く懐かしい世界にどうしようもなく惹かれてしまいます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私は『西の魔女』は世界観に抵抗があり最後まで読めませんでした。 ですがこちらは全く反対で、これからもずっと手放さない一冊になると思います。 夢十夜のような、唐突でありながらゆったりと読める奇妙な 短編集であると同時に、一冊で1つの話になっています。 舞台背景が明治初期なんでしょうか、少し昔の日本なのですが 明らかな時代描写や時代象徴的な固有名詞、文体を用いておらず 時代に疎い私でも置いてけぼりにならずありがたいです。 「だいたいこんなかんじ」程度で大丈夫です。 昔の日本、売れない書生、その友人高堂、等々 多くの女性は好きになる世界だと思います。 書生の日常にちょっかいを出す四季折々の植物 あやかしのなんともいえぬ微笑ましい雰囲気が印象的ですが、 一部では切り取ったような鋭い闇の描写があり この作者は色んなタイプのお話が書ける人なのでは、と思いました。 読んだ後、自分の何気ない生活の中に小さな情緒や季節を探してしまいます。 こういった日本を感じさせるやわらかいお話がもっと読みたくなりました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
小さな頃に読んだメーテルリンクの『青い鳥』の最初の章で、亡くなった家族に再会できる話があったことを、なんとはなしに思い出しながら読んだ。 この作者が描写すると、どんなに摩訶不思議な現象でも、なんら違和感なく自然に読めてしまう。不思議な植物や小さな動物、狸、鬼、幽霊、河童、人魚やその他もろもろ…想像や寓話の世界ではお馴染みであったり、これまでに考えたこともなかった輩が…ここぞとばかりに跋扈・跳梁しはじめ、押しあいへしあいしながら大饗宴…と思いきや、それぞれは、それぞれの分を弁え、自然の一部として、けっして他者を傷つけず、健気につましく暮らしている―つまり、各自が、自分の役柄に徹している一種の棲み分け=調和的世界。 百年前といわず、自分が子供であった時分には、まだ、ここに書かれているようなことは、実家のすぐ近くの裏山や、林や田圃や川や池などに、ふつうにリアルに感じていた親しい世界だった。たしかに、自分も子供の頃なら、小さな町の人間役として、とくに不自然さもなくここに登場する輩の一人でいられたかもしれない。しかし、多くの人がそうであるように、私もいつのまにか、彼らとはべつの世界に生きることを余儀なくされ、なんだかよくわからないうちに、こころは子供のまま、みかけだけは大人になってしまっていた。それでも、失っていたものに気づかされることは、とても得がたい体験である。 ごく個人的にいえば、私は犬のゴロー君が大好きで、ゴロー君が、昔実家に住んでいた柴犬で雑種のT君に重ねあわされ、彼の大活躍に、ずいぶんたのもしい気もちがしたし、T君となつかしい再会を果たした気分にさえなることができた。もしかすると、この物語のもうひとつのテーマは、‘再会’であるのかもしれない。 この小さな身辺雑記風物語の中には、じつにいろいろなものが鏤められている。おそらくは幼少時、こころの中の抽斗に、ふと置き忘れてしまった‘銀の匙’のようなもの、誰もがいつか、どこかで過ごしたはずのなつかしい思い出。それは、あふれるような自然の中で、植物、動物、死者や精霊たちと対話しながら、自分自身とも対話していた世界であり、本当は現代人のすべてが、綿貫氏が暮らしたように、一度は幼少時を送るべきだった世界。作者はたぶん、当時もてるものすべてを注ぎ込み、私たちが一度は経験し、忘れかけたあとにふたたび思い出されるべきものとして、この綺譚のような貧しく豊かな生活を描いてくれている。読者は、気づかないうちに、綿貫氏の目でものを見、四季を感じ、自然の匂い、時代のたたずまいを味わっている。そして、私たちはそれぞれに、身のまわりに起こる摩訶不思議な出来事に綿貫氏とともに頭を悩ませつつ、じつは綿貫氏の立場で記し、自分自身の知らないなにかを思い出している。 本書は、文庫本の絵柄も雅やかな風情があるが、単行本の装幀は、また古風なゆかしさがあってたいへん味わい深い(ただし、文庫では綿貫征四郎氏の随筆「やぶがらしの記」が読める)。親しい家族への贈り物にしたい気分にもなるし、また、読んでいる間は、死んでしまった人(動物)たちに、なんとなくもう一度会えるような気分にもなれる一冊。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ここでの評価が絶賛しかないので、序盤で無理と思ったのですが、頑張って 読破しました。 不思議なモノが普通に出てくるわけですが、ヤバイ、どうでもいい・・・・・ って感想しか。 もちろん 面白いって人が多数派何だろうけど・・・・ シンドイと思った君は一人でないと、レビューしてみました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
梨木作品は、大別して三つある。絵本と「からくりからくさ」系の理屈ものと、そしてこの作品のような、寓話のような物語。レビューすべては読んでいないので、どこかでかぶっていたら申しわけないが、わかつきめぐみの「ご近所の博物誌」系がお好きな方には、ぜひおすすめする。浅学で、知らない植物がたくさんあり、どうしても知りたくて調べまわり、一応全部わかるようになった。去年の夏、岩手を訪れて南蛮ギセルを見たときは、何ともいえない感慨があった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
今まで私は梨木さんの数々の本を読んできましたが、今回のような文体には驚きました。メルヘン的な作品のりかさん、少女の回想録みたいな作品の西の魔女は死んだとは違って、読んでいて出てくる風景、調度品、生き物、人間など懐かしさを感じますし、一昔前の日本って良いナーと教えてくれます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
今からそう昔でもない、といって今ほど電灯などが普及していなかった時代。あまり売れてはいないが、もの書きの綿貫征四郎は、亡くなった友人の親に頼まれ、家の守りをするために庭つき池つき電燈つきの二階家へ移り住む。そこで出会う、掛け軸からボートに乗って現れる友人の幽霊、河童、人魚など様々な怪異。これらに驚くでもなく怖がるでもなく、日常に普通に起こることのように付き合っていく綿貫征四郎。 短編というよりはショートショートといった分量の二十八編が納められた物語集。 一編一編はとても短いのですが、そこから立ち上ってくる雰囲気、情感、懐かしさ、繊細な優しさといったら!著者の美しい文章の力にただただ圧倒されてしまいます。 何度も何度も繰り返し読み返したくなるような心に染み入る一冊です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ハードカバーも持っていますが、文庫版も迷わず購入です。 随処に見られる美しい日本語、日本の原風景。ノスタルジックな描写に酔いしれます。 不思議を、非日常を、すんなり生活の一部として納得するおおらかさ。 そして桃源郷に住まうことを、「私の精神を養わない」と拒絶しながらも、決して否定せず住人たちをいたわる繊細さ。珠玉の物語です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
物語の舞台は、19世紀末の日本。 亡き友の実家に「家守(いえもり)」として 暮らす事になった主人公・綿貫征四郎。 四季折々の植物の名を冠した28の短編に、 他界した筈の友人・高堂をはじめ 木霊、河童、人魚、鬼、狸、獺などの 異界の住人たちが続々と姿を現しては、 主人公を未知の世界へと誘う。 文明の発達に伴い、こういった事象が この国の片隅に追いやられている事を残念に思う。 更に 綿貫と高堂は、出版社の垣根さえも越え 角川文庫「村田エフェンディ滞土録」の 最終章に ゲスト出演を果たしている。 新潮文庫のパンダ=Yonda?君が表紙の雑誌「yom yom」に 時折 続編が掲載されているので そちらも要チェック☆ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
個人的にはすごく面白かったです。大好きな本の一つになりました。古き良き日本の情緒を感じさせる単語や表現、季節感、当時の生活感、人々の知恵、そしてちょっとした「怪談」的な要素(怖いのではなく、不思議な生き物や出来事が淡々と普通の日常に織り込まれているところが最高)など、心にやすりをかけてくれるような作品でした。そして、文体や発想だけではなく、主人公の志の良さに感動します。最後の方で決め台詞のようなものがあるのですが、胸を打たれました。いい本だと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
“ハリーポッター”や“指環物語”にそこまで入り込めない私は、ファンタジーが苦手 なんだと思っていた。しかし、それは背景のちがいなんだとわかった。 本書に登場する日本のファンタジーになら容易く馴染めたからだ。 掛け軸を媒介にあの世とこの世を行ったり来たりする亡き友を筆頭に、人間に恋心を抱く サルスベリやら、徳の高い犬、河童など、本書には不思議な生き物がたくさん登場する。 アメリカでヒットするホラー映画を観ても全然怖くないが、日本の怪談に背筋が寒くなったり 五感には風土と切っても切れぬ深い関わりがあるのだと実感する。 それは百年昔の物語であっても何ら変わるところはないのだと思う。 −最近筆が進まなかった。執筆にはペンとインキを用いているのに筆が進まないとは。 しかし、ペンが進まないと云うより、筆が進まないと云う方が、精神の在り方に即している ような気がする。(中略)文明の進歩は、瞬時、と見まごうほど迅速に起きるが、 実際我々の精神は深いところでそれに付いていってはおらぬのではないか。− とは、日本人の根幹をなす部分をズバリ言い当てられたようで、ストンと胸に落ちた。 『村田エフェンディ滞土録』とシンクロしているところも楽しい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
批評も理屈も余計な事!共に其処にあるのだから。当たり前に素敵な出来事がいっぱいで、とてもやさしい気持ちになれます。この本は、不思議な事が大好きな人は大好きになる、きっと。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
小説の舞台は、私の住んでいる、京都の山科。 この本を読んでいると、自分の周りが幻想的な世界に思えてくる。 ホントに、この地に昔こんな話があったのかも・・そんな風に思えてくる。 私にとっては不思議な小説。 ついつい贔屓目になってしまうけど、★★★★★ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
駆け出しの物書きである綿貫征四郎は、学生時代亡くなった親友である高堂の家を管理することになる。 あるとき「庭のサルスベリがおまえに懸想している」という忠告と共に死んだはずの高堂がボートに乗ってやってきて…… 季節折々の自然とそこに在る怪異をごく自然に描いてくれる短編集です。 短編、とは言ってもそれぞれの話が巧妙につながり、ところどころで接触しながら読ませてくれました。 高堂にからかわれながらも、常にまっすぐで素直な綿貫のキャラクターもよかったです。 個人的には「ふきのとう」から登場する小鬼がかわいくて好きだったのと、サルスベリが健気な一方、ときたま人間らしい艶かしさや嫉妬を見せるのが魅力的でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
梨木果歩は力のある作家だな、と思い注目もしているのですが、 この作品に関しては、ちょっと他のみなさんの感動に水をさすような コメントを書かざるをえません。 この作品を読んで「本当によかった、美しい日本語に出会って 感動した」と思う人は、この作品の親本ともいえるような過去の日本の 作家の作品に触れていないんじゃないでしょうか。 そういう作品に出会いにくい時代になったのはたしかだし、若い人が 本格的な読書を始めるためのきっかけになればこの作品の価値も あるとは思いますが、鏡花であれ百間であれ鴎外であれ、当時の本物 と比べると、器用に雰囲気や小道具を使い、文体も模倣してはある ものの、二次的な複製にしかみえないのです。 ラストのあたり、たしかにグッとくるものはあり、「この作家はちゃんと 核を持った書き手だ」とは思わせるのですが、だからこそ苦言を呈したい 気持ちがあります。こういう形式の作品に挑戦してしまった、という意図 への批判も込めて。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読み始めてすぐに「これはヤバイ」と思った程、いい本に出会ってしまった。 本好きサイトでも絶賛されていたので早く読んでみたいと思っていましたが、 大勢の方が感想を述べている通り確かに心に染みる作品でした。続きを読むために この本を手に取る時、自然と心が安まりました。家守綺譚に出てくる草や花という ホームページがあったので、どんな植物かわかってすっきりしました。 見た目にも個性のある植物が多いですね。 最後のほうで征四郎が葡萄を食べない理由を語ったシーンが最高です。 これで作品が引き締まった感じがしました。 文庫にすると380円という安価ですが、読む価値は計りしれません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
疎水の近く、山の手の住宅地。山を越えれば湖。 関西弁は一切出てこないが、舞台は京都東山辺り。舞台と言語のズレが、異世界めいた味わいを増す。 どこか自然に、不思議な者達が息づいていた景色。かすかに懐かしく、驚きに満ちた生活。 物語の筋を追うよりも、日記を読むように、世界の空気を味わった。 その家は、彼岸と此岸の交わる場所、過去と未来の重なる仮屋。平気で矛盾を背負い込む健康な衆生ではないものの、避難場所。 滅びの予感は雨のようにしっとりと降り注ぎ、やがて滋養となるのだ。 疎水べりの桜を愛でながらそぞろ歩いた思い出も、胸苦しい。心の奥深いところにしまった景色を彷彿とさせる、まさに珠玉のような小説だった。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!