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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全986件 541~560 28/50ページ
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村上春樹氏の小説はほぼ読んでいます。 今回の作品では何がテーマになり、何が解決されたのかを考えながら読んでみました。 一つは時間論、もう一つは孤独の問題をどうすればよいのか?だったと思います。 プルーストの『失われた時を求めて』が登場することからも示唆されているように時間論はこの小説の重要なテーマだったと思います。 流れるとか止まると言った時間論ではなく、存在を規定するであろう時間の必要性についての言及だったと思います。 簡単に言えば、感じる時間についての説明がなされていたと思います。 誰に対しても平等にあると思われがちな時間は決してそうでなく、どのように感じ得るのかを説いたのだと思います。 この時間論は孤独の問題に接続します。 次に、孤独の問題です。 これは僕の勝手な解釈ですが、『アンダーグラウンド』から抱えてきたオウム真理教が社会に受け入れられ、排除された原因の根本が孤独の問題であり、その解決策をどうすべきかを悩んだ結果が書き記されたのだと思います。 牛河氏が「ソーニャに出会わないラスコールニコフ」と述べた部分にそれがあるのだと思いました。 3名の孤独を抱えた登場人物の対比から「孤独」と「一人」を導きだし、そして孤独であることとは何かを説いたのだと思います。 ドストエフスキーの『罪と罰』において「大地にキスをすること」が救いであったのですが、この作品では誰かを想うことが救いの一要素であったと読めました。 誰にも愛されたことがない人が救いを探し、求め、そしてそれを見つけるまでの過程が書かれており、宗教の根本的な部分を暴露したのだと思いました。 それはオウム真理教に傾倒していった人々に対する回答であり、現代において生きにくさを感じている人々に対する回答なのだと思いました。 この回答を提示するために3人称を使用されたのだと思います。 誰の声でもない、しかし誰の声でもあるような存在の使用です。 テーマとしては非常に重苦しいのですが、僕には比較的しっかりした回答を提示していただけたと思いました。 問いとそれを解くための道筋は難解なのですが、回答はシンプルで誰にでも受け入れられるものだったと思います。 それこそ真理であり、ある意味では定義なのかもしれません。 1と2とは違ったテーマで3を書かれたと思います。 村上春樹氏の力量に驚嘆させられた1冊でした。 | ||||
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book1,2と、book3は、筆致がまったく異なっている。 ドストエフスキー的全体小説に、より近づこうとした形跡が見られる。 しかしながら、それが「成功している」、あるいは「完成度が高い」、とはとても言い難い。 一人称から三人称に移行した『アフターダーク』のときのように、随所にぎこちなさが残っている。 とはいえ、今後さらに努力を重ね、著者自身が目指す境地に進んでいくのだろう。 少し、詰めすぎの感が否めない。 もう少しこなれてくれば、ゆとりのある(必要なムダを残した)文章でありながら、 確実な全体小説になっていくだろう。 妥協せずに進歩を続ける村上春樹、すごいな。 | ||||
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Book1、2を読んでからだいぶ時間が経ってしまったので、記憶の隙間を埋めながら読むことになった。 600ページという膨大な量の割には、また村上春樹の他の著作よりもサクサク読めたのは、ストーリーが極めてシンプルだったからだ。 ただ、ストーリーがシンプルであったとしても、その背後にある村上春樹が描こうとしていたものは、どうだったのだろう。 難解だったのか、単純だったのか。 壮大なラブストーリーといえばそれまでだが、その物語、文脈、言葉の奥深くにはそれ以外の要素も十分に感じることができる。 【1Q84】に限らず村上春樹の物語は【世界は確かにそうなっているのかもしれない】という示唆を与えてくれることだ。 自分が存在するこの世界とは別にあるかもしれない世界(言葉は単純だが、言いたいことは無意識下にある世界とも言い換えることができる)との歪み、ゆがみをかいま見る。 その深く薄暗い深淵を覗きこむ作業が、村上春樹の物語を読むということになるような気がしている。 Book3に関しては私個人の感想で言えば、完全なエンターテイメントだ。 村上春樹独特の言い回しや描写、シークエンスは健在だが、圧倒的にエンターテイメントだと思う。 それが良いのか、悪いのかは個々人の村上春樹に期待するものによって違うだろうけれども、 私は今までにないくらい村上春樹の物語の中ではクリアな物語だった。 確かに物語の展開は予想できるし、大方その通りになる。 それが一体なんなのだろうか。村上春樹に私が期待しているのは前述したような【世界は確かにそうなっているのかもしれない】という示唆を与えてくれることだ。 居心地の悪い、空気が肺に届ききれていないような不安定さ、不完全さ、違和感を村上春樹の物語を通して この世界と村上春樹が描くような世界とのあいだにある深く、暗い溝を恐れながら、見てしまうのだ。 それはひどく観念的で、不明瞭なものだ。 Book3では今までのそれとは違う。 さて、果たしてBook4はあるのだろうか。 伏線うんぬんではなく、私はこの【1Q84】に描ききれていないであろう物語を知りたいと思う。 それがどんな物語であれ、文章であれ、表現であれ、言い回しであれ、知りたいと思う。 それを感じさせてくれたBook3は私の中では、嬉しい限りだった。 ★4つは、Book4が出ることを期待して、あえてひとつ少なくした。 | ||||
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この人は「最後どうなったかは読者の判断にに委ねる」というパターンが多いが、 今回はきちんと物語を終わらせていた。 いつもはもどかしく感じているのに、いざ此処まで書かれると逆に少し違和感を 覚えなくも無い。 残った疑問 「ブン」の死は何者の仕業で「つばさ」は何処へ行ったのか? | ||||
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ほんとにこれで終わりなのか? 楽しみにしていたBook3だったのに、すごく中途半端なイメージ。 魅力的な人物の描写が途中で終わってる、 魅力的な事件もデティールの描写に入るどころか途中で終わってる、 そんな気がしてならない。 こんな中途半端な印象のまま終わるのであれば、 読者の想像力にまかせた、Book2のエンディングの方が好きだな。 構想が充分に練られていないだけなのかもしれないが・・・。 もしかしたら、この中途半端に終わった印象を与える 色々な事件のエピソードや人物の描写を、 短編や中篇若しくは長編として表現し、 サグラダ・ファミリアのような世界をつくりあげようとしているのかもしれない。 そして、多分、続きのBook4ではなく、それを、僕自身が一番期待している。 | ||||
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1990年からの20年という歳月は、なんだかあっという間に過ぎてしまい、 正確な時間の流れに身を置いていないような気が、常々していたのですが、 この本を読んで、ようやく20年という時間を、本来の長さで感じることができました。 おもしろかったです。こんなにおもしろい小説ってなかなかないと思います。 4巻が出たらとてもうれしい。 | ||||
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BOOK1,2はテーマこそ重厚であったものの物語としては未完成のまま終わった。その点が不満な方にはこのBOOK3は「『王殺し』の後日譚」としてかなりの満足感が得られるだろう。依然いくつかの謎は残るが今回はこれで終わるもよし、BOOK4を書くもよし、と思う。 文章の完成度はさすがに村上春樹、その緻密さ、リズム感、表現力の豊かさには他の追随を許さない圧倒的なものがある。三人の視点・距離が徐々に縮まっていき最終地点に向かって収斂していく流れはスリリングで久々にサスペンス小説の趣さえ感じさせた。 天吾の「深い孤独が昼を支配し、大きな猫たちが夜を支配する町。美しい河が流れ、古い橋がかかっている。でもそこは僕らの留まるべき場所じゃない。」という表現はどこか「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の静謐だった世界を連想させる。しかしあれが主人公の内的世界だったのに対してこの1Q84という世界は決してそうではない。オウム真理教事件等を通じて現実世界と向かい合い、「物語の力」により世界を良い方向に変えていこうとする村上春樹の新しい挑戦である、ととらえるべきなのだろう。 一点だけ気になるのは「謎のエネーチケー集金人」がこの小説にとってどんな意味を持つのか分かりにくい点。「オッカムの剃刀」的に徹底的に余計な推測を排除して残った事実だけで説明しようとすれば「この男は死ぬまでNHK集金人であることをやめなかった」という単純な事実しか残らないが、敢えてこれに推論を付け足すとすれば「本当は実子ではない天吾と彼を産んだ母を意識下では憎んでいて、彼に関わる人物に嫌がらせを続けていた」と言うところか。ユング的に分析すればこの物語は「王殺し」と「竜殺し」が並存した物語かもしれない。それ故小説中でおよそ哲学とは縁の無い殺し屋のタマルにユングを語らせているのがとても印象に残った。 | ||||
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BOOK2で完結するべきだった... 拡げるだけ拡げて結局この結末では? 村上春樹は、答えを出す作家ではないことは分かっているつもりだが、 ただのメロドラマに堕してしまったようだ 他の作品でいくらも好きなものはあるが、 ノルウェイと並んでがっかりしたものになった | ||||
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どうにもこうにも、この作品の最終評価はやはり、予想される完結編(サブタイトルはやはり「1〜3月」になるのでしょうか?)のBOOK4 を読了しないと出せませんね。。結末にへの壮大な期待感の中で、このBOOK3は幕を閉じられています。オビとかにある出版社さんのキャッチコピーからしても、物語の継続を示唆していますしね…第四巻への向かっての、主人公ふたりの壮大な邂逅、がこの作品のメインテーマのようです。「ねじまき鳥」シリーズの時は、かなり間隔が空いたようですが、超個人的希望としては、今年中には読んでみたいです。。 | ||||
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昨年、1と2を読み、今回3が出ると話題になっていたので 買ってみました。 2で一応、完結していたように感じたので 3の筋について、あまり、最初は 興味なかったのですが、 読むうちに、どんどん、引き込まれて ざーっと、最後まで目を通してしまいました。 そして、もう一度、長ーい文章を ゆっくり味わいたくなって、 いろいろな場面を、隅々まで目をとおしています。 村上春樹さんの小説を読むと、 まるで別の世界にトリップしたような気持ちになります。 日常につかれている自分にとっては、 それを忘れさせてくれる独特の世界観です。 まるで、こどものころ、初めてものすごい できた漫画や、物語、映画をみたような、 そんな読みごたえを、 大人なって感情がやや磨滅した私に、くれます。 本当にうれしい小説です。 | ||||
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BOOK1を読んだときにはこれまでにない作品になると思ったいた。正直、この落ちですかというところです。 で、世間を巻き込んで大ブーム! 新潮社だけはおいかったでしょうね。 マイベスト1「羊をめぐる冒険」を超えるテーマをもった作品だと思っていた自分がアホでした。 次回作に期待しましょう。 | ||||
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BOOK2完結の時点では、これ以上語らず読者に余韻を与えて終わる可能性を持たせていた。それでも良かったのだ、その時点では。結局上梓されたBOOK3ではもう徹底的に最後の最後まで描写しようという方向に振れた結果、極上のエンターテイメント性と爽快な読後感が獲得されているが、同時に十分に語られていない「残り」についてもきっちり描かなければならない責任が生じてしまった。そう、結末が語られずに退場してしまった登場人物はまだ残っている。ここまで描いてしまった以上、不在のまま本当の幕を下ろすわけにはいかなくなった。今回ばかりは。何よりも本来のバックグラウンドであった1984年そのものが行方不明になって久しいのだ。どうやらメタレベルで拡散していた主要な語り部達がそれぞれ意思を持ち、ここに集結しただけなのだ。何かが起こるのはこれからであり、当然結末はその先に無ければならない。BOOK1読了時点でもっとも知りたかったことは何一つ語られていないのだから。1Q84はエンターテイメントであるという宿命を背負ってしまった。もうとことんまでやるしかないのだ。 | ||||
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三巻目で実感した。村上さんは、もしかしたら人の集合意識(シンクロニシティ)を表現したかったのではないかと…。登場人物それぞれの章は、本人たちの無意識を表現したもので、読み進めるにしたがって、共時的に表れ、絡みあっていく。私達の無意識が強い意図に変わった時、願いは叶うのかもしれない。また、自分が心にふたをした過去の思い出をいつも無意識に頭に浮かべ、自分をどこかで無意識に思い出してくれている人がいるかもしれない、と甘酸っぱい気持ちにさせてもらった。 | ||||
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いろいろ、賛否がかしましい。話題性のある作品であるからだろう。相変わらずの、レトリック、形容の仕方、言い回し、暗喩と比喩、メタファーでBOOK3はたいへんわかりやすい。 青豆が天吾を思う切ない気持ちが痛いほど伝わってくる。人は、幼少時代に愛情に接していないと、社会性を構築することができなくなるといわれている。愛されているという、至極当たり前に思えることにすら実感として経験できなかった二人の、切ない思い。青豆のその気持ちを思うだけで、涙が出そうになる。BOOK1、2と読み進んできた自分のなかに、青豆が住んでいるのだ。 これから読まれる方、すでに読了された方様々な期待と意見があろうが、人が人を思う気持ちという心のありようの根本に立ち返ったつもりで、この物語に接してもらえないだろうか。 この物語は、読者の心の鏡なのかも知れない。 | ||||
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意識/無意識、主観/客観と簡単に二元化できない境界を掘り下げることで フィクション/ノンフィクション、物語/現実という 小説という表現媒体を支える根本的な概念を覆す 世界文学史上前代未聞の怪作ではないでしょうか。 もはや既存の言葉を流用/再構成するだけの、 批評などという後追い行為では、語ることのできぬモノだと思います。 ヴィトゲンシュタインが挿入されていたのは、彼の有名な言葉 「会話は存在しない。言語ゲームがあるだけだ」を受けてのものか。 『1Q84』の登場が、既存のあらゆる小説と批評が 想像力の乏しい言語ゲームにすぎなかったと知らしめてしまう気がします。 この観点から改めてみると、 『1Q84』、イチ・キュー・ハチ・ヨン というタイトルからすでに、言語ゲームに喧嘩売る気満々だったんだなと その、ただの思いつきでない革命への準備の周到さ、計算高さに、脱帽します。 凄い。 センスのかけらもないうすら鈍い批評家たちがどう言おうと村上春樹は天才でした。 | ||||
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book3やっと読み終わった 。なんか、これ村上春樹とは違う人が書いたんじゃないか…?? とおもうくらい、今までの文章とは違ってびっくりするところが多々あった。牛河が謎を解いていく時の切り返しや、選択の絞り方が都合よすぎる様に感じたり(話を進める為に) さいごまた、階段で戻れるのは最高に嬉しく感じたし、いい結末だと思うんだけど、なんか、流れがサラサラし過ぎて、ダイナミックな話のわりに、重みにかけるなあ…と思った。 ファンとしてはもっとこう、いつもみたくじらしてほしいという気持ちも否めなかった。 全体的にもそんな印象。 読み易くはあるけれど、ものたりなさが残る。 後読感も、今までの作品とはちがって素晴らしく晴れやか。(3の時点でだけど。。もしこれから、またいつもみたいな作風に戻っていつもみたいな終わり方をする、、というbook4がでたら凄い) だけど自分はこれで全然嫌な感じはしなかったし、率直に、こんなのもあっていいのかなあ♪って感想。 ただ、ほんとに彼がかいたのかなあ?? ってやはり思った。book123の中で、3が一番テンポよく、分かりやすく感じた。 一番、スラスラと読むことが出来た。 彼の作品らしくはないけれど スラスラと読めるって非常に大事かとおもう。 難解なストーリーや、癖になる言い回しも大大好きだけど 小学生のときに好きだったのは前者のような文章だ。 でも、人ってどこか癖のあるものがたりに惹かれてしまうのかなあ。。。 彼の物語は彼らしいからいつも、 価値があるのだろう。 そして 彼の物語は 社会的にものすごい『ベストセラー』でありながら 合う合わないが非常にはっきりしている小説で、 好きな人には『自分だけ特別の本』という愛され方をしていると凄く感じる。 自分は、大好きだ。単純に面白く、格好良く、 何度読んでも 飽きない。 私の中で、何度読んでも飽きない本は、彼の本だけ。そんな自分の様なファンを充分に満たしてくれる一冊だと思う。 | ||||
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予想していたより、遙かに面白かった。とくに第27章の滑り台のシーンは美しく、白眉だと思う。先に進むのが惜しくて、ここを3度読み返したぐらい。ほんと、ここで物語が終わってほしい、と思った。ま、むりだけど。でも逆に、第31章の最後は書きすぎていると思う。もうここまでくれば、読者が「まあ、こんな風になるだろうね」というようにしか展開させようがないのだから、もっと刈り込んで余韻を残して欲しかった。書きすぎで全体の印象が安い感じになっていると思う。惜しい。可能なら文庫化するときに、ちょっと手を入れていただけると嬉しい。もっとも、これは、Book4が出ないという前提でのお話。出るのだったら、評価を留保しますが。まあ、使い切っていない設定も残っているので読んでみたい気もするけど、基本的には、Book4いらないような気がします。(なんて、春樹さんにいってみてー。) | ||||
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この作品を読みながら実感したのは、村上春樹氏の作家としての力量です。 何しろ最初の200ページほど物語は全然進展しない。複数の主人公のうち2人は相手が現れるのを「待つ」だけ。もう1人はいろいろ歩き回って調査するけれど、既にBook1,2で語られている事柄が別の視点から語られるだけ。Book1は天才少女作家の作品の謎、Book2は暗殺のスリルという物語的なエンジンがあったのに、Book3はストーリーが先へ進まず、新事実も明らかにされず、いわば何も起こらない(ように見える)状態が延々と続くのに、飽きさせず、退屈させず、登場人物に対する読者の感情を操作しながら、ぐいぐいと読者を引っ張っていく。筆力の勝利ですね。筆力と言うよりキーボード力かな。 「待つ」というのは村上作品では重要なテーマですが、これまでは「なんとなく待つ」とか「次の展開を(作者が)思いつくまで(登場人物はパスタを煮ながら)待つ」というのが多かったのに、ここでは登場人物が目的を持って待っている。待つだけじゃ駄目なこともある。いろんな待ち方を描く作者の意図性が感じられます。 その背景で少しずつ積み重ねられた要素が中盤から加速し交錯する物語を支えていく。視点を変えて時系列を乱しサスペンスを生む手法そのものは当たり前だけれど、感覚的な時空の操作(もしくは翻弄)が多かった村上作品の中では珍しく緻密な計算が感じられます。 「感性」と「計算」と「意図」が共存しているこの作品は、村上春樹氏の作家としての円熟ぶりと新しい展開を見せているのかな。1Q84はもうこれで完結にして、次の作品が楽しみです。 | ||||
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天吾と青豆という男女が長年の恋を実らせるスケールの大きな恋愛小説。 タイトル通りの感想でした。 これまでのお話でつむいできた糸を、手繰り寄せて絡み合って 無駄と思われた部分まで無駄なく使った感じがしました。 宗教がメインなのか?と思わせつつ、はっきりいえば そういうところはあくまでも端役で、エッセンスやスパイスなのでは ないのかと感じました。 話を深く広くしたくなるような事柄(さきがけのことやリトルピープルのことなど 非日常的事柄)まで1組の男女の恋愛物語のエッセンスやスパイスに使えるところが 村上春樹さんの凄いところなんでしょうね。 | ||||
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一言、面白かった。 自分には、表現力も小説の背景を感じ取ってあれこれ論ずる能力もないので、 むずかしい事は言えない。 でも、どんどんページをすすみたくなる、本当に物語を読んで楽しかった、面白かった。 村上春樹さんありがとうございました。 海辺のカフカを読んで春樹さんワールドに惹きこまれ、羊をめぐる冒険、世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド、 ねじまき鳥クロニクル、ノルウェイの森...みんな夢中で読む時間をもらった。 読んで退屈な本も多い中、表現の力、簡潔でありながら奥の深い言葉、ストーリーに漂う切なさ、哀しみ、再生力などなど たくさんちりばめられていて、やっぱり小説は読んで退屈しない、それがまず大事と単純な私は思う。 | ||||
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