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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全986件 501~520 26/50ページ
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恐らく、この小説は村上春樹の作品の中で、最もエンターテイメントに徹した作品であろう。 彼の小説は、フォークナーやカフカ、ロブ=グリエといった20世紀の先達の小説技法を大胆に取り入れながらも、それをエンターテイメント性の高い身近な文学に昇華してきたことの功績が大きいと思うが、彼の過去作品と比べて以下の点でより万人受けする内容になっている。 1)過去作品は、謎を意図的にオープンなままにしておくことで、作品に隠喩性と深遠な雰囲気をもたせてきた。 「1Q84」は自己完結しており、だれが読んでも分かりやすい謎解き作品になっている。 2)村上作品はどれも映画的であるが、過去の作品は比較的ペダンティックな映画(たとえば、「海辺のカフカ」は「マグノリア」、「時計じかけ」など)から得たであろうイメージをちりばめながら、登場人物たちの心理的な動きに比重を置き、そこに作品の重みを持たせてきた。 「1Q84」では、多くの人がイメージしやすい映画的シーン(「ニキータ」や「地獄の黙示録」のイメージなど)をちりばめ、心理描写よりはストーリー展開で引っ張る内容になっている。 3)過去作品は、「僕」や登場人物の視点、映画館の観客の視点(「アフターダーク」)といった具合に視点を一貫させ、その視点以上のことは語らなかった。 本作品では、こうした視点を超えた作者の解説が書き込まれており、「分かり易さ」を意識している。 4)過去作品は、常に何らかの喪失感を持たせたエンディング(例えば、「ノルウェイの森」や「クロニクル」の逃げていく女性、「ハードボイルド」の諦念)がお決まりであったが、この作品は主人公の希望が成就され、前向きな未来を予感させる受け入れ易いエンディングになっている。 5)村上作品では、ある音楽を通奏低音のように繰り返し登場させることで作品の持つ雰囲気を高めるのに大きな役割を持たせる場合が多い。「1Q84」でも、ヤナーチェクのシンフォニエッタが繰り返し登場するが、ここでの使われ方は謎解きを面白くさせるための1アイテムの位置づけに近い。 といったように非常に謎解きのストーリーテリングに徹しており、他の村上作品の持つ洒脱な重みみたいなものを期待した場合は、軽さの方ばかりが目に付いてしまう。面白いが、「売れる」ことを非常に意識した作品というのが感想である。 | ||||
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10歳の時に離別した二人の男女が周囲に多大なる迷惑をかけつつも20年後に再会し、セックスをするラノベ。 600ページあるが、村上春樹の素晴らしく冗長な表現技巧のお披露目を少しご自重いただくだけで、品質を損なわずに200ページには圧縮できそうだ。 登場人物はみな頭の回転が早く、賢く、知識豊かで趣味が高尚。言葉は含蓄と隠喩に富む。素晴らしい。馬鹿が存在しない完璧なイヤミなスノッブだらけの世界だ。反吐が出る。 そんな彼らの言葉や行動を紡ぐ文章表現技巧は緻密でさすがの一言だが、行動動機の裏付けに説得力がまるでないためリアリティはひとつもない。 プレイステーションの上で動くフルCGムービーのお人形劇を延々と見させられているかのようだ。 タマルのドラえもん振りは、まあ便利。素晴らしい。タマルにお願いしたら何でも解決☆ 無敵のデウス・エクス・マキナ・タマル様最高! リトルピープルやらマザやらなんやらは話を膨らませるためのたんなる舞台装置でした。ちゃんちゃん。終了。 1、2巻で勃起したので今回も抜きどころ盛りだくさんかなと思ったらあっさりしすぎて拍子抜け。 20年溜めたセックスがそんなもんでいいのか? 深刻なテーマを上っ面だけ体裁整え、広告費たっぷりかけたマーケティング戦略で見事バカ売れさせちゃいました☆ つまらなくはないし、むしろ面白いと思うが、貴重な時間とトレードオフできるか、よく考えてから読んでほしい。 | ||||
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Book3を読み終わった感想は、多くの皆さんが書いていますが「違和感」でした。 このようなハッピーエンドという終わり方はこれまでの村上さんの作品ではなかったように記憶しています。 また、どなたかも書いてましたが、”ノルウェイの森”をはじめとして初期の村上さんの作品に登場する女性は重要な意味を与える役どころでも、女性側の思いや気持ちについてはほとんど描写がなく、そのために存在感が希薄で、女性としては消化不良を感じることもありました。しかし、今回は青豆という生々しい女性が登場し、赤裸々な気持ちがつづられていることが、これまでの作品とは違う違和感の理由のように思います。 それでも、最後の100ページはジェットコースターのように時間を忘れて読みきりました。 そして心に残ったのは「自分を信じることの大切さと意味」でした。 パラレルワールドは私は昔から個人的に好きなプロットなので、違和感なく読み進むことができました。Book4は元の世界である1984と1Q84のねじれと同期点について語られるのでしょうか。とても楽しみです。 | ||||
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素直にとても面白かったです。 加えて、非常にわかりやすかった、と思います。 このBOOK3では、それまで端役だった牛河が 狂言回しの役目を果たしているおかげで、 BOOK1と2で入り組んだ話は、かなり整理されます。 しかし、このわかりやすさ、ということを考えると、 これまでの愛読者を念頭に書いているのではなく、 普段は小説を読まないような人々にも開かれているような気がします。 1と2が売れすぎたせいで、3がより平易になったのではないかと…… そして、この1Q84という作品のわかりやすさは、 やはり全世界の読者を意識しているからだと思います。 一方、ストーリーの展開について述べれば、 『君の名は』的な、ベタな青豆と天吾のすれ違いは ある意味、非常に古典的といえましょう。 そして、出会った後の二人の展開は、 (春樹的に)非常にベタで期待を裏切りません。 その描写は、かなり、あっさりですが(笑)。 個人的には、死について描かれている部分が良かったです。 ひとつ挙げれば、天吾が父の死後、遺品を整理する時が印象的でした。 社会的に見れば無きに等しいような人の人生を 肯定しているような目線が好きです。 | ||||
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全て知るのは不可能なのだ。青豆、天吾、牛河の各人物の視点に密着した記述によりこの事実がまず明確になる。彼らは其々知り得た事実を因果律によって系統立てて世界を理解しようとするが、作者は世界にふたつの月を浮かべて嘲笑う。 例え、それが因果律によって理解できなくとも、それ故に我々を不安に陥れようとも、事実が事実であることを拒否出来ない。そんなストレスに対する救いとして神は存在する。宗教が存在しうる。そして、神でないなら知りすぎてはいけない。牛河の運命がそう警告する。私はこれを現代の知識万能の時世に不可知な領域、または神聖なるものを復活させようとする物語として読んだ。 この壮大な物語は丁寧で完結で清らかな文章で綴られている。時折見せる独特の比喩表現もチャーミングだ。その文章を読むだけでも代価に値する。 | ||||
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根幹のテーマはシンプルだ。新興宗教をからめてはいるが、基本的には主人公二人の精神的な結びつきを壮大に表現したかったのだと思う。それこそが、この危険に満ちた世界を乗り切っていく唯一の舵なのだと。 それを裏付けるかのように、物語は他にもいろいろな組み合わせのペア(二者関係)が登場するが、それぞれ全てが(物語の言葉を借りて言えば)マザとドウタのような関係に思われる。思えば他者との関係というのは全てがそういう役割に集約され、それがすなわち原子核と分子のような結びつきとなり、人間関係の最小単位が構築されるのだ。もちろんうまくいくものもあれば、なかにはうまくいかないものもある。ただそういった他者との関連性もまた、派生した主題の一部であろう。 ストーリーの展開は濃密だ。例えていえば1センチのものを表現したい場合、10等分して1ミリずつ描いていくのを普通とすれば、1000等分して0.01ミリずつ描いていくような感じである。しかし退屈ではない。当たり前だが、0.01ミリの世界には、1ミリの世界とは全く違う景色が広がっているのだ。テーマがシンプルな分、物語にはこの密度の濃さが必要だったのではないだろうか。というかおそらく作者は、そういう小説を書きたかったのだ。たった1行ですむ事を、原稿用紙数千枚で表現するというような。 しかし村上春樹以外、いったい誰がこんな小説を書けるというのか。純粋といえばこれほど純粋な話はない。純粋という言葉すらも不純に感じしてしまうぐらい、この物語は凄すぎる。しかしそれゆえにもしかしたら、この現実世界にこの書は崇高すぎるのかもしれない。村上春樹は、いつのまにかそんな次元に行ってしまったのだ。空に浮かぶ月のように。 | ||||
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ある水準を越えた作品では、何を書かないかは何を書くか以上に大事だ。 出版史上最大の成功を収めた本書で、作者は何を書かなかったのだろうか。 天吾の母親のこと。「ふかえり」や青豆の「味方」の人達や天吾の「父親」がそれぞれ一人ひとり独立した人間として考えていたこと。 そして3巻の物語を読む我々は、書かれなかったこと故にこれを特別な物語として楽しむことができる。 4月にはじまった1Q84年の物語は、今回12月で完結した。 1Q84年の1月から3月まで、そして最終ページで二人はどこにいるのかは、書かれることはないのだ。 | ||||
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待望のBOOK3。 しかし読み始めてすぐにまた描写の繰り返しが 多いのにゲンナリし始める。 長くしようとして書き増ししたような按配で冗長。 明らかに「ねじまき鳥」を超えるテーマとサイズの長編を書こうとして 失敗している感が拭いきれない(筆力の衰えかも)。 前回のオカルト的展開を踏まえた啓蒙目的で 書いている感じが若干鼻につくのと、 後半の天吾と青豆の再開から結末までが素っ気ない描写な上に 内容がありきたり過ぎて椅子から転げ落ちそうになったww タマルがユングを引用する殺人シーンは なかなか読ませるものがあったが ミステリーの書き手にあのレベルのものを 書ける人は山ほどいるし、わざわざ春樹が書く必要が あたのかしら等々…不満は多い。 これでBOOK4を出たりすると正直きつい。 やはり「ねじまき鳥」が作家としてのピークだったのかも。 | ||||
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僕は大学時代から村上春樹のファンだ。 でも、というか、だから、というか「アフターダーク」の時には途中で投げ出されてしまったような終わり方に失望し、アマゾンにもそういうレビューを書いたことがある。 一度は村上さんの作品に失望した僕だけど、そのときに書いたように、それでも期待し続けただけのことはあって、村上さんは「1Q84 Book1」で見事に期待に応えてくれたかに思えたが、「同Book2」では、やはりこの本も「アフターダーク」同様、混沌のままに終わるのかと少しがっかり。 ところがまさかのBook3。これで落ちが着けるのではと大期待しながら読んだ。 Book3を読んで抱いた印象は、この本はafterオウムの村上さんの集大成(Book1のときの感想と同じ)ではないか、ということ。章立ての形式からしても、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の、「世界の終わり」の時空と「ハードボイルドワンダーランド」の時空とが交互に描かれ、最後それが見事に結び合うのを一つの頂点として、「アフターダーク」ではそれを超えようとして失敗した(ように僕には見える)が、「1Q84 Book3」では「天吾」「青豆」「牛河」の3人の軸で順繰りに語られ、さらに各々の章で時間がずれている、そしてそのずれは読み進まないとわからないため、三人が探し、探され、追いつ追われつする中で、たとえば「天吾」の章では、「青豆」は、「牛河」は、すでに読んだあの時間にいるのか、それともあの時間はまだ来ていないのか、とドキドキハラハラするので、章立て形式も「世界の終わり・・・」よりも更に技巧的(良い意味で)になっている。 内容の面でも、村上ワールドは更に豊饒さを増し、膨張するイメージを確かな筆力で描写している。こんな表現、並の作家にはできないと思う。 P.551「二十年間という歳月が天吾の中で一瞬のうちに溶解し、ひとつに混じり合って渦を巻いた。そのあいだに集積されたすべての風景、すべての言葉、すべての価値が集まって、彼の心で一本の太い柱となり、その中心をぐるぐるとろくろのように回転した。天吾は言葉もなくその光景を見守った。ひとつの惑星の崩壊と再生を目撃している人のように。」 おそらくこの言葉に表現されている、時空の融合のようなものは村上さんが自身の人生に重ねて感じていることそのものなのだろうと想像する。単なるでっちあげの世界ではないから力強い。 日本経済新聞の数日前の夕刊の最後の頁にこの「1Q84」に関する特集記事が載っていた。今朝古紙回収でその新聞も出してしまったので、本文を辿ることはできないが、批評家にも概ね好評で、「わかりやすいように、しつこいほど饒舌な文章」だが、「新しい地平を開拓した」旨のことが書かれていたように記憶する。ただ、一人の批評家は酷評しており、「何も解決されていない」「だからBook4が出るはず」とあった。しかし、僕はこの批評家の感性を疑う。一体何を読んでいるのだろうかと。解決はされている。解決というよりも主人公たちの決断はされていて、それは作者の決断でもある。Book4をこの批評家が期待するのは牛河のその後だろうが、それをどう描くにしても明らかに蛇足だ。読者が好きなように想像すればよいだけの話。だから僕は、賭けてもいいが(何を?)Book4は出ないと思う。 現代日本の最先端をいく作家の、集大成をリアルタイムで読める2010に、それなりの経験を積んだ中年として生きていられる僕は幸せだと思った。いつも同じような、幸せを噛みしめる括りで申し訳ないけれど。 | ||||
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今回の妄想は今まで以上にすごいですね。 どうしてこんなに下ネタがお好きなんでしょう。 本当は私も星5つにしたかったですよ。 お金も時間も相当費やしましたからね。 無理やりにでも自己肯定して楽になりたかったです。 でも私のような「被害者」が増えないためにも悔しいけど 正直に評価しました。 この本に高い評価を与えている人たちへ 自分の金と時間を無駄にされて悔しい気持ちは分かりますが、 見ず知らずの人を巻き込もうとするのはやめてください。 それと、村上春樹という名前につられて買ってしまったという人は おそらくそれ以外にも様々な流行に流されている人でしょう。 貴重な人生を無駄にしないでください。 | ||||
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会社から帰る途中、夜空を見上げて、 あれっ?月がひとつしかない・・・ あっ、そうか、ふたつあるわけないよなぁ。 って思うくらい、どっぷり浸かって読んでました。 月がふたつ無い世界にいることに違和感を感じるぐらい・・・ どなたかも書かれていましたが、 村上春樹さんは、私にとっても、 私のために小説を書いてくださっていると思わせてくださる作家のひとりです。 1,2で不完全燃焼に感じて保留していたものが、 3では、すっきりした感じをうけました。文句なしに面白かったですよ。 4も出るんですか?それはそれで楽しみです。 | ||||
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BOOK 3 の展開については賛否両論あるようですが、最後まで読ませる筆力というものは、やはりすばらしいと思うのです。 できれば毎日少しずつではなく、一気読みしてフルマラソンを完走したような達成感を味わってほしい気がします。 作品中重要な舞台となっている池尻大橋近辺の高速道路を眼下に見下ろして日々暮らしているのに加え、1984年を生きた中年としてはディテイルをとても身近に感じました。(BOOK 3 に出てきた「赤坂のホテル」って閉館が決まったあそこのことですよね、きっと。。。) | ||||
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面白かったです。 続きが読みたくて、夜更かしをして、数日で一気に読みました。 ただ感動するとか、そういった類の感情がわいて来ないですね。 それとここまで性的な部分は必要なんですかね?? 私はそれほど小説を読むタイプではないのですが、ちょっと引いちゃいます。 それでも面白かったです。 買って損は無いんじゃないですか。 | ||||
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私はこれまで出た春樹さんの作品はほとんど読んできました。 しかし、彼の「記憶」に対する考え方がいまひとつしっくり理解できていませんでした。 しかし、この第3巻で理解できたように思います。 人生は物語である。 物語の中に私は含まれる。その物語は自分の強い思い、大事に思っている人の強い思いが作っていき、いやおうなく自分とその人を含みながら進んでいく。 強い思いは強い記憶から生まれる。 好きな人との大事な記憶は心の中を常にともす小さな光になり、生きていく自分の足の少し前を照らす光になる。 春樹さんにはきっとそのような光となる記憶があるのだと思います。だからこそこの本を書けたのだと思うし、小説家としてたぐいまれなる成功を手にしたのだと思います。 私自身にとってそんな光となるような記憶はあるのか?ないことはないけれど、強い現実の風の前では吹き消されてしまいそうです。 第3巻では牛河が殺され、彼の魂の一部が復活をしようとして終わっています。 また、牛河が知っている天吾の母の本当の死因について天吾はまだ知りません。そして、天吾はそれを知りたいと思っています。 そして、青豆と天吾の子供は果たしてどんな運命をたどるのか。 今までの春樹さんの作品と違い、登場人物のほぼすべてに子供がいることも注目ポイントでしょう。 子供とは血=記憶を受け継ぐものだと春樹さんは考えているのでしょう。 では、春樹さん自身が子供を持たないのは、彼自身が子供に受け継ぎたくない記憶があるからなのでしょうか。 私も子供がいませんが、本当に一生いないままでいいのか、また悩んでしまいます。 ともあれ、第3巻はつぎの月が1個しかない新しい世界へのブリッジ的役割の作品となっていると思いました。 | ||||
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未完の作品なので総合評価は保留中です。 あくまでBOOK3についてだけ言えば、いささか冗長であるかとは思いました。 どうも状況説明的な文章に氏独特の比喩がプラスされただけという気がします。と りわけ前半の展開は余りにスロー。「やたら長い小説を書く」ことが目的化された 故とは考えたくありませんが、ここは削っても良いでしょうと思える部分は多いと 感じました。 もともと全4巻と計画されていた筈ですから、次巻では散りばめられた謎について、 取り上げられたテーマについて、青豆と天吾以外の多くの人々についてしっかりと 語られることを期待しています。何しろ私は27年前から村上作品のファンなのです。 「世界の終わりと・・・」レベルの重厚さと完成度の作品をあとひとつは書いても らいたいです(できればふたつ)。 因みに、BOOK4まででることは、BOOK1と2の刊行時点で察しはつきまし た。帯をつけた表紙は「Q1」「Q2」と読め、即ち「Quarter1」「Quarter2」 の意味だろうと・・・。 それと、「Q」という文字そのものの形状や、BOOK1のはじめに何度かでてく る「ねじれ」という言葉が気になっています。 | ||||
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僕は、年を取ることに対して感傷的でやたら主人公が泣く初期春樹作品よりも、オウム事件と神戸大震災以降、世界の闇や暴力に本格的に対峙することを始めた中期以降の春樹作品の方を評価する読者です。そんな僕としては、本書の背景として導入されている宗教や闇社会、天皇制の隠喩(=「さきがけ」は丸山眞男的な中心のない体制である)、心の通わない親子、私刑(/死刑)などの重いモチーフがどう料理されていくのかということが、このお話を読む上での興味の中心です。 「原理主義やある種の神話性に対抗する物語」を作ることが作家の役割であり、「大事なのは売れる数じゃない。届き方だと思う」と作家自身は読売新聞でのインタビューで2009年に語ったそうですが、この「対抗」の部分に至る前段として、背景となる神話性や暴力を描いたのが一・二巻だと言えるでしょう。前段にかけるには500頁で二冊はちょっと長いんじゃないかとは正直思いますが、じっくり書いている作者に付き合う根気が読者にも求められちゃってますね。なお、本書の後半では、やっと「空気さなぎ」のあらすじが明かされますが、美少女作家が書いたからといってベストセラーになる内容じゃないよね、これ(笑)。でも、同じくらい取りとめのない「1Q84」がブームになってる僕らの生活の現実とパラレルだと言えなくもないんだよな。 | ||||
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物語りに引き込まれる、という点では「さすが」という感じです。 読後、気になり続けた点は「なぜ牛河さんにあのような結末が必要があったのか」です。 この作品は彼の暴力についての思索の結論なのではないでしょうか。 1Q84といういわば観念の世界で繰り広げられる暴力の物語りを経て、青豆と天吾は望んでいた幸福を手に入れます。 カルト的宗教集団が自分達の信仰や利益のために暴力を用いたり、幼い子供をその道に縛ることは確かに非難されるべきことです。 しかし、青豆が自分の幸せを望み始めた途端に、今度は牛河の存在、さきがけの追っ手が立ちはだかる。彼女が天吾との幸福を実現するためには、それら立ちはだかるものが除去されねばならない。たとえ自らの手を汚すことがなくとも、誰かの手が汚れている。 人として当たり前の幸福を、当たり前のように手にするという小さな幸せは、無垢なものではなく、誰かの犠牲の上に成り立っている。 幸福であっても、暴力とは無関係ではいられない人間の哀しさ、それゆえにその小さな幸せをかけがえのないものとして守っていかなければならないことを語りかけているように感じます。 3人の視点で物語りが語られていく、というのも、青豆と天吾の二人が幸福を求める物語りであっても、そのために暴力的に排除されていく者が忘れられてはならない、そんな思いを表しているような気がしました。 | ||||
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村上春樹自身、これが最長の作品になるとコメントしてるから、まだまだ出るだろうし、売り方云々より、全ての内容を見てレビューしたいところだが、今回は以下の一点において全て失望した。 すなわち、今まで村上作品の登場人物達は、井戸にもぐったり家出して四国の森の中に決然と分け入ったり、地下に潜ったり、ギリシャまで行方不明の女性を探しに行ったりと、自分の力であえて困難な道を選び深遠(たぶん無意識の)にアクセスしようとしていたわけだが、今回はあまりにも安易にドラッグに頼る場面があった。がっかりした。 と同時に全てが一瞬にして陳腐に色褪せて見えてしまった。安易に魔術的世界に入り込んでしまうライトノベルと化してしまった。 ええファンタジーとして、ラノベとしては面白いですよ。 でも非現実的でも寓意性という、現実世界に還元されうる生々しさを持って息苦しいまでに読者に迫っていた従来の作品に比べるとその安易さゆえに残念な感じがしてならない。 | ||||
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村上春樹ならではの世界観は変わっていないように見えるが、過去の著作を振り返ってみると、文体もテーマもちゃんと筋道をたどって変化しているのがよくわかる。また、テーマや文体は、少し前の短編、中編小説で試みがなされて、それがちゃんと今回の長編に活かされているのがわかる。長く読み続けるのが楽しくなる作家だ。 読み終えた直後でまだ自分のなかで整理ができていない。自分の頭が物語にうまく馴染んでいない気がする。もう少しして、クールダウンしてからもう一度読み返したい。そうしたら、「世界の終わり〜」や「ねじまき鳥」に対するのと同じような愛着が出てきそうで今から楽しみだ。 | ||||
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1Q84はBOOK1&BOOK2を読んだ感想は、村上春樹は旨くなった分、味が薄くなった。 分厚い単行本2冊をすいすい読めてしまうのは、10年前までは無かった。 しかし、BOOK2を読み終える頃に、グッと面白くなってきた。 この頃はBOOK3が出ることは決まってなかったのですが、続編は必要だとおもってました。 それだけに期待していたBOOK3 青豆と天吾、よかったと素直に感想 しかし、BOOK3完とあったのはBOOK4もあるかもってこと? ・発射されていない銃 ・青豆に宿った命 ・天吾が1984年に持ってきた原稿 ・1Q84年でリトルピープルが紡いだ空気さなぎ このようなものが放置されたままBOOK3は終わった やはり、このまま終わるわけにはいかないような そして、BOOK4もすぐ買うでしょうね 村上春樹の新作が出ることが、うれしい。 | ||||
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