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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全986件 581~600 30/50ページ
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手に入れたものの対価を支払わなくちゃいけない。 君が生きている限り。 世界はバランスするんだ。 信仰の深さと不寛容さは常に表裏の関係にある。 もし、そこに何かが実際に存在していれば、 理屈が通っていてもいなくても、 論理が通用しなくても、 ただ現実として受け入れるしかない。 なぜなら、 原則や論理があって現実が生まれるのではなく、 あとから、 それに合わせて原則や論理が生まれるのだから。 だから、 現実を歪めることなく、 真正面から、 受け入れる。 そこが、スタート地点。 そして、 なぜこんなことが生まれるかは、 追求すべき問題じゃない。 この状況にどうやって対応するかが問題なんだ。 死のないところに再生はない。 死はどこまでも孤独なんだ。恐ろしいくらいに。 しかしながら、人は生きながら死に迫ることがある。 それができたなら。 振り出しに戻るんだ。 失うものはない、命以外は。 そして、人は自分のためには再生できない。 他の誰かのためにしかできないんだ。 好き嫌いじゃない。 一番上手にできることを、 見つける。 続ける。 それは、とても幸せな生き方かもしれない。 急ぐんだ。 出口が塞がれてしまう前に。 | ||||
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なんだかとてもへたくそな小説を読まされた気分だ。もちろん村上さんはとても文章がうまいし、すんなりと頭に入ってきて、引っかかるところは何もない。それでも、たとえば、BOOK1のP224辺り、『さきげけ』についての説明部分。地の文で解説しながら、ときどき〈「私は何度か深田農場を訪れて、彼と話をした」と先生は言った。〉なんて文章を挟みながら、再び地の文で延々と説明。「最初にこんなことがあって、次にこうなって、その次のこんなことがあって、そしてこんな風になってしまいました」なんて、あまりにも芸がなさすぎではないか。ぼくはこの部分を読んでいて急激に白けてしまった。ただ、いつも感心するのは、読み進むうちに「青豆」「天吾」「ビッグブラザー」「リトルピープル」などに、ずっと前から知っていたような既視感を覚えてしまうところだ。村上さんは、ぼくらの深層心理に共通してあるものを表現できる希有な作家なのだと思う。そして、結局訳のわからないまま物語は終わってしまうとわかっていながら、毎回最後まで読んでしまうのは、その辺りに原因があるのかもしれない。 | ||||
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ねじまき鳥クロニクルを超えることはないと思ったが…明らかに超えてます。 以前より懐が広くなり、文学の可能性をさらに拡張。深淵な世界を表現。カラマーゾフの兄弟の衝撃に近い。 虚構性が高かった過去作品に比べ、「現実との対比」という新たなレイヤーを獲得している点で進化。 逆にキャラクターの虚構性が増しているのが現代的なリアリズムとピッタリ合致。 そして読者を説得する為の狡猾な「手さばき」。これも晩年のドストエフスキーを彷彿とさせる。 確実に後世に語り継がれる作品です。 | ||||
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BOOK1、2では脇役にすぎなかった牛河、「ねじまき鳥」にも登場するあの嫌な男が、BOOK3ではずいぶん魅力的なキャラクターに変貌している。彼はこれまでに明かされなかった謎を解く探偵役として重要な役割を果たしていく。 3巻を通して読むと、この小説が純愛をテーマにしていることがよく分かる。 物事が収まるところに収まった感じの結末はやや不満。 | ||||
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レビュー内容は詳しくは書かない。ネタバレするといけないから。今の社会は何が現実で、何が非現実なのかわからなくなってる。小説の中でしか起こりそうもない事件が、現実に起きている。近未来だった1984年を振り返ってみても、近過去の現実感がない。だけど、BOOK3を読んで、愛の素晴らしさを感じた。愛にこそ現実の世界の希望があると思った。自分の過去の苦い経験と重ねる点が多かった。これで完結なのだろうか。 | ||||
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これで終わりかと思ったら四巻も発売決定らしいです。うーん | ||||
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あまたある小説の全てを読了することは出来ない。10年後、輝いている書を読もう。因みに、本書を含めた、いわゆる「村上作品」が然る可き世に残っているとは思えない。 ”ノルウエイ”の残光を背負った駄作であることは間違いない。我ら真摯な時代を生きた同士にとって、天上の青は未だその姿を見せない。【結論】買ってはいけない車、もとい、読んではいけない、読むに値しない書。 | ||||
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終わりじゃないよね? 終わりなら予定調和すぎる 1Q84は4Qで完結へ | ||||
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女性読者向けのハッピーエンド。やや説明過剰になったかもしれない。 このBook3もおもしろい話だったが、 2で完結し、その後の展開は読者の想像に委ねた方が良かったのではないか。 | ||||
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文学にしては軽すぎる。 娯楽にしては面白くない。 偏執狂的な性癖やディティールへのこだわりも、 ここまで焼き直しが繰り返されると、もはや作者が変態ではないかとさえ思えてくる。 ファンだから読んだが、正直苦しかった。 | ||||
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以前から村上さんの作品の中で気になっていたのは「損なわれる」または「失われる」というような言葉です。 この意味が今回の物語でも多く使われていて、いままでその「損なわれる」「失われる」ことの原因について言及して来なかったことを、今回物事が損なわれてしまう暴力性についてしっかり向き合って行こうとする村上さんのかつない意欲が窺えた。それによって著者としての自己像が浮かび上がってくる気がした。それはファンとして喜ばしいことだし、作者としてメッセージがより明確になったということではないかと思う。 暴力性とはなにも拳や、拳銃を介することだけの話ではなくて、関係性が暴力になることもあるというメッセージを僕は受け取った。法律で取り締まることのできない暴力が実在する。それが時に壊滅的な魂の傷となって、その人の人生を支配することもあるのだということを。 ただし、救済も確かにある。それもまた人と人との間に、基礎に善意を置いた関係によって損なわれたり傷ついた心を癒されるのだということ。まだ物語りは終わっていないのだけど、救済の予見を見た。 文明、特にIT革命といわれる近年、特に忘れがちになっていたことではないだろうか?便利になればなるほど、大切な物は遠ざかっていくようなジレンマに軽いめまいを感じるのはなぜだろう?続巻を待ちたい。 | ||||
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春樹さんは初めてですが、おもしろかったです。 先がすっごく気になって気になって・・・。 3日弱でbook2まで読めてしまいました。 春樹さんのメルヘンワールド初体験で大興奮しましたが、 友人の進めから違う春樹作品を読んでみると、それにも大興奮。 この方非常に、独特でおもしろい作品を作る方ですね。 なぜこの年まで気付かなかったのか不思議です。 1Q84が春樹さんの作品で特別優れてるか?って言われると 微妙ですが、村上春樹好きならこの作品も好きなのでは? と思います。 | ||||
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これは終わってないと思う。 続編でるでしょ。 いずれにせよ、今まで書かれてきた テーマが織り込まれていて 村上作品の集大成のような規模感を感じます。 | ||||
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村上さんの小説はほとんど読んでいます。 この小説も面白かったです。 ただ、村上作品に好きな順番に並べると、 「1Q84」はベスト5にも入りません。 「1Q84」には村上さんのダサい部分が他の作品より強く出ている気がします。 青豆が自分自身に「クールにやるのよ、青豆さん」って語りかけるようなとことか。 ナルシスというかキモイというか。 「世界の終わり…」と同じで一章ごとに登場人物が交替する構成も嫌いです。 ふたつの話が交わりはじめてくるとすごく気持ちよいのですが、 前半とかは、いい感じで話に集中しはじめたときに章が変わったりしてやきもきします。 話自体はとても好きで3巻が出るのも待ち遠しいですが、 あの村上春樹がこんなに長い時間かけて書いた作品ならもっともっと面白くてもよかったはずなのに、 という気がします。 別の世界へと移動する、個性的で不思議な女の子が出てくる、 得体の知れない不気味キャラが出てくる、など過去の作品と似ている部分も多く、 よくも悪くも村上さんらしい小説なので、好き嫌いは分かれるのではないかと思います。 個人的には、「1Q84」が200万部売れるんだったら「ねじまき鳥クロニクル」は400万部売れないと納得できません。 | ||||
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感想聞かれればこんな感じで終わってしまいそうなタイトルですが、文体の話です。 先にBOOK2のレビューを書いてしまってからBOOK1を、ってのも、どうにも間抜けですが、やはり気になる文体について、あらためて書きたくなりました。 これまで春樹文体の核となっていた「やれやれ」は、青豆があゆみと組んで一夜の宴を催した翌朝、二日酔いの頭であゆみからの電話を受けるシーンで使われるだけ。 そして、数えたわけじゃないですが、一番多いように感じたのが「もちろん」。ほとんどすべての登場人物が会話中で使っていて(ふかえりでさえ!)、特に青豆のセリフに不必要なくらい多い。ほかに気になったのは、“possibly”の和訳とおぼしいが多分に両義的な「あるいは」、日常会話ではあまり使われそうにない「おおむね」、対話中に頻発する「そのとおり」「そういうこと」。 人物造形に気を配るなら、これらのセリフがほかの表現に置き換えられてもおかしくないと思えるのですが…こういうところで、作中人物がみんな主人公の分身に思えてしまう。一人称を基本にしてきた作家の業のようなものなのでしょうか。それとも意識的に選んでいるとしたら、翻訳されたときに微妙なニュアンスを付加できる可能性を想定しているのでしょうか… 唯一例外なのが、牛河かな。この人のねちっこさはスゴイ。もっともキャラが立っている人物といえるのでは。『ねじまき鳥〜』にも登場しますが、春樹ワールドのネガとしてかなり重要な存在かもしれないですね。個人的には一番「やれやれ」が似合うキャラだと思うんだけどなあ。 | ||||
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この本がなぜここまで売れたのか。 「春樹氏の小説、あるいはこの小説は、そこまで多くの人に理解され、共感されるものではないように思う。なのになぜここまで売れたのだろうか。」 そのように考える方が多くいるように思います。 春樹氏のかつてのインタビューに答えたもので、面白いものがあります。(引用は正確ではありません。) 〜10人の客が来たとして、1人の客に気に入ってもらったら、その喫茶店は成功する。〜 特に価値観や嗜好性が多様化している現代において、とても面白い指摘だと思います。 そして、この本が売れたことにも、春樹氏が日本随一の作家であることも、ここにポイントがあるように思います。 | ||||
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著者の小説をしばらく(カフカ以来)読んでいませんでしたが,「1Q84」は面白いと思う。1984年というと自分は14歳で,「羊〜」を既に読んでいたのかな?文庫で読んだ覚えがあるので,それはさらに数年後のことなのか,まぁ,そんな頃です。ちなみに著者は当時35歳。若い・・・ 青豆と天吾が交互に登場して,それぞれのシーンが交錯しながら進んで行く今作ですが,結構退屈させることなく読ませてくれる。それもそのはず,「タカシマ塾」なる農業コミュニティ(ほぼカルトですが・・・)が登場し,そこから派生した「さきがけ」というコミュニティが舞台のひとつとなっているのですが,自分の住んでいた町にちょうど「タカシマ塾」のモデルとなった「ヤ○ギシ会」(いまは名称を変更していますが)がありまして,同じクラスにヤ○ギシの子どもがいたので,なんだか妙な気分と,変な盛り上がりのなかBOOK2まで読了しました。 途中,別の世界に行ってしまうところもありますが,まずまず楽しめる本。BOOK3は2010年の4月発売,BOOK4まででるのかな?おそらく著者の最高傑作ではないと思うけれど,同時代に読める幸せは感じる。 | ||||
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村上春樹の“僕”が語る物語が長らく好きだったので、村上春樹が三人称で語り始めた時点で どうもなじむことができず、書いている著者自身も本当の意味ではしっくりきていなかったのでは ないかという気がしていました。 以前とは違い、“現在”を描くうえで三人称への転換は作家の中で重要なテーマだったのかと。 そして、その三人称での語りが『アフターダーク』を経て、この作品で完成したように思えます。 オブライエンの『ニュークリア・エイジ』を村上春樹は“魂の総合小説”と称していましたが、 この作品も同様に村上春樹にとっての“魂の総合小説”を目指しているのでしょう。 そのため、これまでの作品の焼き直しに思えるところなどはありますが、明らかなミステリでも ないのに文学作品でこれだけ読ませるのはさすがだなあと思いました。おそらくbook3が発行された ところで物語ははっきりしないのでしょうが、「よくはわからないけど、読後感にしばらく包まれる」 くらいの作品として着地してほしいですね。 このbook1だけで考えると非常に出来はいいと思います。 | ||||
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村上春樹氏の言う、一つ上の次元からの救済を この本を読んだときに感じました。 『海辺のカフカ』のときよりもそれははっきりしているように思います。 『ノルウェイの森』で救えなかったものを、この作品では救えると思うのです。 宗教、孤独、やるせなさ、を常に意識させられますが Book2を読み終えて、やっぱりよかったなって思いました。 彼の作品の中でも、出口が大きいものだと思います。 | ||||
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文学界の話や、宗教の話がでてくるのですが、個人的にもクリスチャンで、小説家になりたいと思った事が あるので、内容をとても身近に感じました。春樹氏に僕個人の内面を見抜かれたようにも思えました。 青豆と教団のリーダーの会話が面白く、知的好奇心をくすぐられますね。 | ||||
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