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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全986件 361~380 19/50ページ
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村上春樹氏は本当に稀有な小説家です。 1度目は物語の展開と文体で一気に読ませ。 2度目で細部に気づかされて。 そして3度目で人生を考えさせられる。 (できれば少し時間をおいて) そして至極の言葉の集まりでもあります。 最低でも3度は読んでみるべきです。 世には多くの批判もあるようですが そうしてから批判してもらいたいものです。 村上氏の本質が分からないのは もしかしたら人生の宝物を見過ごしているかもしれません。 すべての氏の長編小説がそうです。 だから私は氏の作品だけはすべて手元に残っています。 氏のインタビューからも分かりますが かなり意識して創作されています。 勿論1Q84のそういう作品です。 50代のオヤジでも十分満足できる作品です。 | ||||
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「アフターダーク」の形式と同じです。 2人主人公がいて、場面が順番に変わります。「青豆」の章と「天吾」の章。 慣れるまでは、場面の切り替わりに、ついていくのが大変でした。 おもしろいから、その場面をもっと読みたいのに、切り替わるのですからつらいです。 と言いながら、やはり、たとえようもなくおもしろいです。 謎に包まれた展開で、これから先どうなるのか、はたまたどうもならないのか、わくわくします。 | ||||
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天吾と青豆の再会直前の時の天吾の「本当に青豆なのだろうか?」みたいな太文字の部分が無理やりというかわざとらしくてちょっと残念でした。疑わないなんておかしいだろう、という読者の声にこたえたかのような感じがしたので。看護婦の「胸と尻は必要な容量を備えていた」という表現には笑ってしまいました。 | ||||
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大ベストセラーになり、メディアでも大々的に取り上げられた作品、 でも、ここの評価はイマイチ 村上春樹の小説は、晦渋な言葉をあまり使わず、伏線は有って無いようなもの、比喩を多く使い、海外のブランドと小説家を取り上げる傾向と自分は判断してる なので、普段は小説を読まない人から好かれ、読書家には厳しい目で見られるのではないだろうか 自分の読書量は、その中間程度、その目から見て、この小説は面白い ノルウェイの森は☆2つ、だったが、これは☆4つ BOOK1、2は☆5つ、3は☆2つだ 文学を楽しむという事は、物語を楽しむ事であるが、村上春樹の小説は文を楽しむ事が本編で、物語はおまけと思っている そして、BOOK3は物語として☆1つも無いと思っている | ||||
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以前は村上春樹の作品はあまり好きではありませんでしたが、 1Q84はあの頃そんなことがあったな、と思い出しながら ねじれた時空に自分も迷い込んだ気分になり、入り込んでいけました。 3部作という長い話しにもかかわらず、時間を忘れどっぷり浸り、 表現力豊かな描写が、かつて自分が歩いた道、 町並みにダブらせる事ができ、リアルに感じられました。 自分の選択しなかった未来も、1Q84の世界の中に存在しているかもしれません。 | ||||
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私がこの作品を読んで感じたことは、「村上春樹はやさしくなった」という事です。 これまでの村上作品には、 何か救いや希望の無さ、冷たい風にさらわれたような、時が止まってしまったような、そういう印象を感じていました。 ですがこの作品は違っていました。二人の主人公にはある種の救いと希望が用意されています。ストーリとしても 分かりやすく読者が置いていかれるような感覚も薄く、文学的な普遍性とエンターテイメント性のバランスがうまく 調和していると感じました。 個人とシステム、私と世界というこれまでの小説と同じテーマ・世界観を残しつつ、読者と一緒に新たな ステージに進みたいとう氏の純粋な野心を感じさせる一冊です。 昔の作品のリズム・メロディー感が好きな人には物足りなく感じるかもしれませんが、私はありだと 思っています。 | ||||
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あくまで個人的な感想です。 読むことが苦痛でした。 イライラしました。 最後の50ページくらいは我慢できずに会話文以外は流して読みました。 まず、内容とページ数が合致してない。無駄に厚い。だから、文章がクドく、テンポが悪い。必要ない表現や意味分からない表現もある。 セックス関係の話はあんなに必要だったのか疑問。 邪魔でしかない(苦笑) 変態チックな文を入れるくらいなら、もっと物語について書くか、バッサリ切ってほしかった。 盛り上がるのは終盤。しかも、その盛り上がりは乏しい。 中盤までは退屈になることが多かった。 大変、盛り上がりに欠ける。 登場人物は物分かりが良すぎて、言動も変で、人間味がなくて魅力を感じなかった。人としての面白味がない。 どうしてもっと薄くしなかったのでしょうか。 作中に小説は文章を書き加えたり、削ったりして作る、と言っていますが、作者は果たしてそれができているのか。甚だ疑問です。 正直、ベストセラーと呼ばれるものではない気がします。ベストセラーになった意味が分かりません。 何であんなに買った人がいるんでしょう。 たとえ、次巻から面白くなるのだとしても、シリーズものとしては一巻の掴みが大切なはずですから、もっと試行錯誤すべきだったかと。 おそらく、続きは読みません。読んだとしても、最終巻の最後の結末を読むくらいです。 買わずに図書館で借りて良かったです。 僕にはもう読めません。 正直、変態がそういうことを書きたくて書いた小説にしか感じませんでした。 良かったところは比喩の表現が豊かなことくらいですね。 まあ、散々書きましたが、結構当たり外れがあるらしいので、暇があれば同作者の他作品も読んでみようかと思います。 | ||||
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book3まで読みました。久しぶりの長編ということで期待していました。一般の広い読者を意識しているなと思いました。いろいろ言う人はあると思いますが、村上さんが言っている「小説はテーマを提供する」という意味では成功したと思います。 | ||||
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私はかなり期待してこの作品を読み始めたのですが、Book1からBook2になるあたりで惰性的にこの物語を読み始めている自分に気がつきました。 時間が戻るなら読まなければよかったと。でもせっかく読み始めたので最後まで読もうと決めてよみました。 結局のところ、この感想はBook3になっても消えず、かなり後悔しました。 私のこの作品に感じたものは、「商業的」とか「娯楽」という部分が大きすぎて、本来の著者の言いたいとこがよくわからなかったということです。 ぐろい性描写や話題性のある事項を取り入れすぎていて、それを抜きに読んだとしても本質が私には伝わってこなかった。 昔、ノルウェーの森を読んだ時のずっと心の奥に残る陶酔性が全くと言っていいほどなかった。 残念。 でも、この感情は本物なのか。 逆にこの感情の持つように著者はしむけたのか。 はたして。。。 | ||||
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外国語がどんなに得意な人でも母国語よりも上手にあやつれる人はいない、というのを聞いたことがありますが、小説の登場人物もそうではなかろうか。書き手の知性や個性を超えられるキャラクターは、登場しない。村上春樹のファンはそれを知っていたはず。そして、小説が好きな読者もそれを知っておいた上で読むべきものであって、『1Q84』を通して今さら村上春樹論を展開する必要があるのだろうか? ホテルの1室でこの小説は終わる。そして、終わる間際に、僕には青豆がバブル期のメークをした、ごくごく普通の当時の女性としてイメージできた。 「バブル」の本質を描いた傑作だと自分は解釈しています。経済的もしくは家柄的には最底辺で人生が始まった登場人物達が、シュールな世界で繰り広げる冒険談を愚かしいまでの平文に『朝日ジャーナル』的な教養を散りばめながらも糸井重里司会の『YOU』をフォローするほど垢抜けてもいなく、あまり縁がなかったであろう女体とフリーセックスとDCブランドを遠巻きに見ているかのような、時代を辺境から見ていた小市民的な視点がなんとも逆説的に「バブル」! ちなみに、醜男こそ自分の中に「女」を見つけ、同性(男)にも相手にされないから「俺は野郎に興味はねえ」といった発言をしがちなのでのすが、この小説に出て来る牛河はそういう点で説得力が無さ過ぎる、と思いました。 | ||||
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私はこの人の作品は、『約束された場所で』『アンダーグラウンド』などのドキュメントは別として、小説は短編『眠り』以外は全く評価しないのだが、この作品もやはりひどい。 まず、主人公は1954年生まれで筑波大学出身という設定、苦学した奨学生で、浪人もしていないので、1972年か1973年に入学したことになるが、東京教育大学が再編され筑波大学に改称したのは1978年(私は附属高校出身なのでまちがいない)なので、ありえないこと、どうしてこんな重大なミスを編集者が見過ごすのか不思議でならない。 また、ヒロインはDV加害者を密かに暗殺する殺し屋という設定だが、その偏狭な正義感や、その殺し方が、首の後ろを細い金属で一突きするというもので、テレビの『必殺仕事人』と同じなのもあまり陳腐なので笑える。 これがベストセラーになるというのが信じられない。 | ||||
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作者としては珍しく?ストーリーの展開(及びそのテンポ)で読ませる構成になっていて 読んでいて自然に引き込まれ、非常に面白かった。 村上春樹の長編というと(特に初〜中期のものは)、ストーリ展開で読ませるというよりは どちらかといえば、複雑に絡み、入り組んだ心理描写の糸を読み手に紐解かせるような 展開のものが多く、それに疲れた挙句、根底に流れる救いようの無い孤独感や喪失感に 苛まれることになり、そこまで極端では無いものでも根底に流れる鬱っぽさに気持ちが 参ってしまうものが多かった。 心に強く訴えるものはあるがしかし、“面白い”と言える物では私にとっては、なかった のだ。 例えば、「ノルウェイの森」などは作品として優れていても、面白いか面白くないかの 評価軸では少なくとも私は全く感想を述べられない。 その点、本作には分かりやすい“面白さ”がある。 軸をなす2つの話の展開が比較的テンポよく進み、早く次を知りたいと思わせるドキドキ感 で飽きることがなく、“面白い”と素直に感想を述べられる。 ストーリーは、“何かどこかが正常と違ってしまった1984年”という設定で、架空の世界 を表現していながらも、途方も無く現実とかけ離れた物語として描かれてはいない為、 “もしかしたらこんなことって有り得るかも・・・”的に(あるわけないですが)、頭の中で ストーリーをイメージさせ易く、題材も過去にあった社会的な出来事をモチーフにしたもの であることなど、十分に私の興味をひいた。 又、村上春樹らしく登場人物の描写が非常に緻密なので、ストーリー自体が浮つかず しっかりしていることにも好感を持った。 別々の物語が一体となった時、本作が“20年前の過去一点に端を発する二人のラブスト ーリー”であることに気付かされて(いい意味で)唖然とさせられ、物語の世界観も私は 拒絶感無くスムーズに受け入れられた。 個人的には、新しい村上春樹を見た思いがし、読んで大変によかったと思っています。 (実はまだ、読んだのは2巻まで、3巻は買ったばかりでまだ読んでいない。) 冒頭のタクシー運転手のセリフに“あんなこと言うタクシー運転手はいないだろ”とか、 又、性描写への非難しかしない人達は、私に言わせればピント外れも甚だしい。 “個人の感想”なので批判するつもりは毛頭無いが、そのうちに“月が2つ出ている なんてわけわからん”と言う人が出てくるに決まっているとも思うが、お話にはならない。 少なくとも、様々な小説を読みなれている方の感想・レビューでは無いでしょう。 (本作の場合、確かに少し特異なものも含まれてはいますが、この程度の性描写は官能 小説では無くても一般小説で普通にありますよね・・・。本作でなぜそれが比較的大きく 取り沙汰されるのか全く不思議です。) 本作は読みやすい部類だとは思いますが、総じて村上作品は暗喩による言葉の置換えの 多い文体や複雑な心理描写の上に成り立つ作品構成が、平易なものとは言い難い部分が あるのでその結果、比較的はっきり読み手を選びます。 少なくとも普段、読みやすい軽いものばかり読まれている方や、いろいろな作家の小説 を読み慣れていない方には難しい(面白さが分からない)、若しくは、合わない、ことが 多いはずです。 突き詰めれば、単に好みの問題だけの場合もありますが、この作家の場合は、一部、 読み手の読解力に作品の評価が左右される場合も多くあるでしょう。(面白いと思わない なら読解力が無い、と言っているわけではありませんので念のため。単なる好みも当然、 作品の評価に影響するはずでそれはごく自然なことです。) その意味からは、元来、万人受けする作家ではないはずなので、宣伝効果(或いは「宣伝 しないこと効果」)ではあるのでしょうがバカ売れの状況には確かに疑問があります。 つまり、全ての人にとって“売れているから面白い小説”とは全く言い切れない。 “これが何故、ベストセラー本なの?”という比較的多くの感想がそれを示している。 傾向としては本作にもそれを僅かに感じますが、村上作品の根底に流れる鬱っぽさが 私には合わず(ずっと昔に読んだ「ノルウェイの森」を引きずっているかもしれない)、 実はあまり好きではないのですが、軽くて読み応えの薄いものばかり読んでいると、筆力 のある作家として、時々読みたくなる作家の1人です。 | ||||
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「参考になった」と言われがちな 世間の一部評判から照らし合わせてピックアップした (ので、ごくごく断片的なポイントに特定されたことをお許しください)私の感想。 普通の感覚で読んでいる限りでは、 作者が「男性の欲望を書き連ねている」というような印象は、特に受けない。 例えば、男女複数いる主人公のうちのたったひとりが、 自ら何もせずともモテモテだったからといって、 それが作者の願望だというふうには、どうしても結びつけられないのだが。 結びつくとしたら、それはただの安直な「決め付け」というものだろう。 また、小説の中に、今回は多種多様な性的描写は出てくる。 が、しかし、普通に読んでいる限りでは、 それが作者自身の嗜好だという理解には、どうしてもならない。 それもまた、安直な決め付けだろう。 (「性描写が自分にとって不快だった」という意見が出る可能性は、 十分あり得る内容だとは思うが。 ただ、これは「児童文学」ではなく、ただの「文学」である。 多種多様な性描写が出てくる事は、少なくともこの程度は、もともとそんなに珍しいことではない。 「子供に読ませるんじゃなかった」と感じた人がもしいたとして、 この内容でそう感じるというならそれは、うっかり読ませたあなたが悪い、という範囲だということだ。 作者のせいでも、出版社のせいでも、本屋のせいでもない。 この内容でいちいち「成人指定」なんてつけるバカはいない。) 話の中の部分的な要素について、いちいちそんな決め付けをされて おまけに不快がられてしまうんじゃ、 小説家は、何もかけなくなってしまうよなあ。 「国民的小説」じゃないのだから。 国営放送ドラマでも、国語の教科書でもない。 村上春樹の小説は、そういった位置にあるものでは、そもそもなかったですよね。 村上春樹は、ここまで大ブーム「みたいに」ならないほうがいいんだよなあ、と思った。 決めつけ、思い込みも「世間の評判」のうちだとしても、 そんな評判を「参考になった」としてしまう人もたくさんいたりするので、 どうなんだろうなあ、と思う。 また、作家に対して失礼な決め付けをする読者は、 その作品自体を、読者自身で勝手につまらなくしてしまっているだけ、とも思える。 で、レビュー本筋、私個人のこの本に対する評価は、 あえて星ひとつ減らして4つ。 村上春樹の作品に対しては、「過度に」期待をしているからである。 しかし、もしこれがはじめて読む作家の作品であれば、 5つ付けていたかも。 なんだかんだいって、唯一無二の世界観を持っている作家だし、 誰の真似でもない、 そういう「唯一無二」の表現を持っている人を、私はそれだけで高く評価してしまう。 特異な表現世界で、あれだけのページ数を読ませるのだから、 それがきちんとエンターテイメントとして成立して面白いのだから、 やっぱりすごいことに変わりはない。 でもまた同時に、あまり「大々的多数の人向け」ではないのかなあ、 とも思える世界でもある、ということだ。 次回作、まだまだ期待してます。 万一もしBOOK4が出たら、即、買って読むと思います。 | ||||
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ん…個人的には青豆の一途な女心に惹かれて読み続けましたが、なんとなく3は駄作な気がします。あまり話は進みませんし、まだ続くの?と思ってしまうような終わり方。村上春樹さんの作品自体あまり好きでは無いので、その中でも少しは楽しめた作品でした。 | ||||
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ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』を聴きながらこの文章を書いている。物語の冒頭で現れ、重要な意味を持つ音楽だ。 作品を読み終えたばかりで、意識が昂揚し、震えている。それを差し引いても、『1Q84』は現時点での村上春樹の最高傑作ではないか。三人称で、独創的で深みがある長編小説を書こうとする氏の試みは、鮮やかに、畏れすら抱かせるほどに成功している。 今年2月のエルサレム賞受賞に際してのスピーチの冒頭、村上春樹は、自らを「職業的な嘘の紡ぎ手」と述べた。巧妙な嘘をつくことによって、真実を新しい場所に運び出して、それを新しい光で輝かせるのだ、と。 1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件の後、村上は、オウム信者、事件被害者にインタビューをし、また公判にも足を運び、2冊のノンフィクションを上梓した。『1Q84』の中で、宗教団体が大きな役割を担って、象徴的に、メタフォリカルに現れるのは、村上がその経験を通して世界観を更新したからに違いない。 『1Q84』の中には、『空気さなぎ』という別の物語が現れる。『空気さなぎ』は、『1Q84』の中で生み出された物語でありながら、実は『1Q84』のメタ物語として機能していることが明らかになる。「青豆」という女性と「天吾」という男性の二人の物語が交互に語られ、やがて交叉する『1Q84』の展開は、いくつもの「仕掛け」によって重層化されている。村上は、説得力と深みをもった一流の「嘘」を紡ぎだしている。真実(例えば、作品中で象徴的に現れ、最後まで正体を明かされない「リトル・ピープル」など)は、多くの場合、捉えどころがない。しかし、村上は、その「尻尾を捕まえ」見事に光を当てている。 すぐれた物語は、1つの宇宙として現れる。それは、仮構でありながら、現実の私たちを包み込み、慰撫し、意識下の部分に触れ、揺さぶる。『1Q84』は、広大で深遠な1つの宇宙だ。 | ||||
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内容に対しての、たくさんの賛否両論のレビュー、 これこそ、作品に力がある証拠です。 1984年、パラレルワールドの分岐点。 通常の1984と差別して 1Q84と命名した。 それがタイトルにもなっている。 実は僕も1984年を分岐点として 新たな違う人生を経験している。 それが、この本との距離を縮め そして不思議な世界に僕を誘う 1Q84(2)が早く読みたい 僕の心はすっかり この本の虜になっている | ||||
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ストーリーの展開が新しく、次々にページをめくることになり楽しめた。 ただ、話の本筋がわかるまで、200Pぐらい読まないと分からない。 読み始めてどこに向かって話が進んでいるのかわからないので、ちょっと しんどかった。 しかし、かなりじわっと話が進み、200P以降少しづつ紐解かれていくので、 読み進むペースが早くなった。 例えば、東野圭吾の初期の作品のように、最後の最後で一気にストーリーの 雰囲気が代わり、驚かされるようなものに近しい。 これのスローバーションのビックリ展開で惹きつけるものがあった。 なので、私、的には新しい感じがしておもしろかった。 本書には性的な描写があり、 これだけ流行っている大きな要素の1つだ。 性的表現は、話とは別にとりあえずはあきないし、興味が単純にわく。 東野圭吾の作品でも流行ったのはこういった描写が一因している。 あくまで、作品としてのスパイスなので、ストーリー展開はやはり一流で、 違和感なく、綿密に計算されて構成を立てられているので、 結論おもしろかった。 | ||||
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村上春樹の小説は出たら必ず買うくらいのファンですが、1Q84は正直すこしがっかりです。 BOOK2での投げっぱなし感とBook3でのむりやり終わらせた感が…… | ||||
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雑誌に特集が組まれ、謎解き本が出版されなど、何かと話題の本作だが、 いくら細かく切り刻んだり結びつけたりしてもこの本がなぜこれだけ人気なのかを 説明できているわけではないと私は思う。 これまでのレビューにあるように、女性の体の描写に不快感を抱く読者がおり、 文学の死を叫んだり、社会に対して襟を正せとどなったり、宗教を分かってない などとこき下ろしたりとさまざまだが、この作品に求めているものが読者によって 異なっているということだろう。 レビューにとらわれずに読んで、楽しんでほしいと私はお薦めする。★5つの レビューが参考にならなかったと切り捨てられることが多くとも、あえて減点無し でお薦めしたい。迷っているのなら読んでみたらどうだろうか。 この小説は創作であり、著者が有名だからという理由で比較対象とされる現実の 物事に対する配慮や正確性を求められる必要はない。性的な表現もいつもの村上氏 の味だ。主人公はクリーンである必要はなく、対抗する宗教団体も「悪の組織」で なければならない理由はない。読む側がそこに個人的な規範を持ち込むから、その ように不ぞろいな反応が起こるのだ。 あわせて千数百ページの長編を概観することは不可能だが、この物語を通して 作者が語りたかったことのひとつはこうだと想像する。現実社会が実は曖昧で不安定 であり、人々は揺るがない(ように見える)枠に自ら入り込んで生きたがり、その中 で正しいと思われた価値観が、枠の外では反社会的であったり、違法であったりする。 それを描くことで、人々は社会の成り立ちの不確かさや目に見える物事の裏に隠された 「深み」に思いをはせることができる。文学的であることは、公平公正で正義を身に まとい、理想を標榜することとは無関係だ。まして、勧善懲悪的な構図やスリルを 演出することとも違う。 ストーリーに入り込んで楽しめたこと以外に私が面白いと思ったのは、著者本人の ものと思われる哲学的な認識が登場人物によって語られていることろだ。特にBook1の 第22章にある「時間と空間と可能性の観念」を人間が脳の発達によって獲得したと いう記述とそれに続く説明については私の考えに近く、納得したところだ。 全体を通してヤナーチェック作曲の「シンフォニエッタ」が登場する。この曲を私は 高校の頃、実際に演奏したことがある。Book1の冒頭にこの曲が登場したとき、その 重厚な響きを頭の中で蘇らせることができたことも、この小説に入り込むことができた 要因のひとつだろうと個人的に思っている。もちろん、この作品に登場するいかなる 曲や文学作品に触れたことがなくても、ストーリーを、とりあえず目の前に広がった 現実として読み進めれば、最後まで飽きることなく読み通してしまうことだろう。 小説は解釈より「ノメリコミ」が大切!読み進めている最中の気持ちが大事だ。 ストーリーを追体験してつかの間の楽しみを得るためにこそ小説は読まれるべきだと 私は思う。 | ||||
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雑誌に特集が組まれ、謎解き本が出版されるなど、何かと話題の本作だが、 いくら細かく切り刻んだり結びつけたりしてもこの本がなぜこれだけ人気なのかを 説明できているわけではないと私は思う。 これまでのレビューにあるように、女性の体の描写に不快感を抱く読者がおり、 文学の死を叫んだり、社会に対して襟を正せとどなったり、宗教を分かってない などとこき下ろしたりとさまざまだが、この作品に求めているものが読者によって 異なっているということだろう。 レビューにとらわれずに読んで、楽しんでほしいと私はお薦めする。★5つの レビューが参考にならなかったと切り捨てられることが多くとも、あえて減点無し でお薦めしたい。迷っているのなら読んでみたらどうだろうか。 この小説は創作であり、著者が有名だからという理由で比較対象とされる現実の 物事に対する配慮や正確性を求められる必要はない。性的な表現もいつもの村上氏 の味だ。主人公はクリーンである必要はなく、対抗する宗教団体も「悪の組織」で なければならない理由はない。読む側がそこに個人的な規範を持ち込むから、その ように不ぞろいな反応が起こるのだ。 あわせて千数百ページの長編を概観することは不可能だが、この物語を通して 作者が語りたかったことのひとつはこうだと想像する。現実社会が実は曖昧で不安定 であり、人々は揺るがない(ように見える)枠に自ら入り込んで生きたがり、その中 で正しいと思われた価値観が、枠の外では反社会的であったり、違法であったりする。 それを描くことで、人々は社会の成り立ちの不確かさや目に見える物事の裏に隠された 「深み」に思いをはせることができる。文学的であることは、公平公正で正義を身に まとい、理想を標榜することとは無関係だ。まして、勧善懲悪的な構図やスリルを 演出することとも違う。 ストーリーに入り込んで楽しめたこと以外に私が面白いと思ったのは、著者本人の ものと思われる哲学的な認識が登場人物によって語られていることろだ。特にBook1の 第22章にある「時間と空間と可能性の観念」を人間が脳の発達によって獲得したと いう記述とそれに続く説明については私の考えに近く、納得したところだ。 全体を通してヤナーチェック作曲の「シンフォニエッタ」が登場する。この曲を私は 高校の頃、実際に演奏したことがある。Book1の冒頭にこの曲が登場したとき、その 重厚な響きを頭の中で蘇らせることができたことも、この小説に入り込むことができた 要因のひとつだろうと個人的に思っている。もちろん、この作品に登場するいかなる 曲や文学作品に触れたことがなくても、ストーリーを、とりあえず目の前に広がった 現実として読み進めれば、最後まで飽きることなく読み通してしまうことだろう。 小説は解釈より「ノメリコミ」が大切!読み進めている最中の気持ちが大事だ。 ストーリーを追体験してつかの間の楽しみを得るためにこそ小説は読まれるべきだと 私は思う。 | ||||
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