■スポンサードリンク
1Q84
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全986件 261~280 14/50ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
1Q84年は不思議な世界。 そこでは我々の世界の物理法則は時として蹴破られ、リトルピープルは空気さなぎを紡いでいる。 謎と矛盾に満ち満ちており、解決は一向に与えられない。 まともではない。まともな1984年の世界では物理法則は寸毫の綻びもなく、存在意義の杳として知れぬリトルなんちゃらなんているはずもない。 1984年はまともな世界。まともな世界? 1Q84年のクエスチョンは全て裏返すことができる。 1984年ではなぜ物理法則は一切の変更なく律儀に守られ続けているのか。なぜリトルピープルは存在しないのだろうか。 「そりゃ、そうだ」 そりゃそうだの壁の向こうにはもはや論理の立ち入る隙はない。 なぜ私は今、この世界で、こうして生きているのだろう。なぜ死んでいかなければならないんだろう。 そりゃそうだの壁は分厚く高く容易にその先は見通すことができない。 1984年は不思議な世界。 人の生命の孤独な成り立ち。 自分以外の人間が何を考えているのかなんて皆目見当がつかず、想像することはできるが、答え合わせはできない仕組みになっている。 なぜか自分にだけ自分が与えられ、他の人にも「自分」が与えられたのだと漠然と感得する。 彼と我とは違う人間。あなたとわたしは異なる人間。 人の生命の孤独な成り立ち。 その中にあって不意に沸き起こる想い。 心と心がまるで通じ合ったかのような感覚。 妄想や欺瞞ではないかと恐る恐る点検する。そうではない。 それが「本当」のことであるとの直観がたしかにそこにある。 「説明することはできない。でも私にはそれがわかるの」 「心から信じる」と天吾は心から言う。 人の生命は孤独な成り立ちのものではあるが、孤立したものではない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ネタバレになるので、詳細は書きません。 ダメもとで図書館で借りて読んでみました。 予想以上に面白かったです。 物語の展開が同時進行で、終盤にかけて盛り上がっていく感じにワクワクしながら読んでいました。 最初ははあ?って感じで投げ捨てたいぐらい意味がわからなかったのですが、後半で、「あー、あれはああいう意味だったのか」と納得しました。 ただ、皆さんが言われてる通り説明がくどい(笑) そこは笑いながら流しましたけどね。 BOOK2も借りたのでどうなるか楽しみです。 長文、乱文申し訳ありません | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
天吾と青豆(後半は牛河)の視点で、それぞれの章が描かれる。 「海辺のカフカ」と異なり、本著では最後で物語がつながる。 純粋に安心したし、ハッピーエンドと言っても構わないと思う。 ファンタジー的な世界観と文章の上手さは、流石に村上春樹である。 登場人物の個性も際立っていた。 ただし、はやり私のような凡人には消化不良が残る。 しかし、別世界においては、この世界のルールは適応されないので仕方のないことだとは思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作品は賛否両論いろんな評価ありますが、この作品に 個性があるということでしょうか。 青豆と天吾それぞれの物語のなかで少しずつ接点がつながっていく様子 月の二つある神秘的な世界 謎のリトルピープル 空気サナギ 引き込まれて全部続けて読んでしまいました。 面白い作品だと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
正直 続けて読もうかどうか迷ってましたが 俄然おもしろくなってきました。青豆と天吾の背景が鮮明になり そこにからんでくる牛河の存在。 読むにつれ奇妙な世界に対する違和感が薄れ リトルピープルさえも実在するような錯覚に見舞われる。1巻を読んで今ひとつと感じた方にも お勧めします。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
旧作『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と類似の、2つの物語が並列的に進行する構造を持つ。 (本作の冒頭に登場するタクシーが、『世界の終わり〜』冒頭のエレベーターと同様の機能を果たす小道具であることも感じられる。) しかし『世界の終わり〜』と異なり、本作では、2つの物語が同一のプラットフォームの上で進行していることはすぐにわかるし、随所に張られた伏線から、読者は、いつかこの2つの物語がひとつに結び合わせられる運命にあることを知る。 そして、文章は物語の進行上過不足ないバランスを備えていて、読者は、物語類型的に必然と感じられる流れ(よく「お約束」とか「フラグ立った」と呼ばれるような流れ)にドリブンされるがままに、読み進めることができる。 作中でタマルがチェーホフの引用として語る「物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない」という言葉は、そのまま読者に対する(「どうぞこのまま物語に身を委ねてください」という)メタメッセージになっている。 他の評者の方で、旧作のように「心に残るものがない」と書いておられる方がいたが、その気持ちはよくわかる。エンタテイメントとして物語の流れを推し進めるうえで余分なプロットやガジェットが(旧作のように多くは)登場しないのだ。だから、あたかもRPGを1本クリアし終わったような、爽快だがひっかかりの少ない読後感が残る(しか残らない)のだろう。 しかし、別段もじゃもじゃした読後感を求めないならそれでよいのだと思う。本作はサスペンスとエニグマ(謎)に彩られ、物語的必然に衝き動かされたエンタテイメントとして十二分に成立しているし、その意味で、旧作より洗練された小説だと思う。 「うまく言えないけれど、あるいはそうかもしれない。でも、はっきりそうであるとも言い切れないんだ…」云々、そういった(好悪分かれる)独特の話法に付き合わされる頻度も減った。 必然性のないガジェットが次から次へと登場することもなくなった(ヤナーチェクの曲は最後まで繰り返し登場する作者お気に入りの小道具だ。)。 本作が出版されたのはリーマンショック直後の2009年だったが、舞台設定は20年以上前の1984年に置かれている。それは、ジョージ・オーウェルに対するオマージュという意味を別にしても、必要な時代設定だったんじゃないかと思える。人々が電話で連絡を取り合っていて、カセットテープとレコードで音楽を聴いていた時代、そういう書き割りがこの物語には必要だったのだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私は難しいレビューなど書けるほどの 知識もないし、 ただ、読んで面白かった、感動した、心に残った か、どうかだけしかレビューできません。 で、これは面白かったです 村上春樹っぽさがところどころにあって、ほっとしたし 話の内容もわかりやすかったです シチュエーションがとても浮かんでくる内容なので 是非映画化したらいいのに・・と思いました。 そのとき青豆はあの女優に、天吾はあの俳優が、タマルや老婦人だったら・・なんて 自分なりに想像できました。 映画化といえば、「ノルウェイの森」はがっかりでしたけどね 性的描写について云々のレビューもありますが まったくそれを取り出してどうこう思うような描写はありません 普通に物語の中の一つの通過点に過ぎない 特に過激すぎて刺激を与えるものでもないし この物語を語る上で、そこだけをくり抜いて取り出してしまうのは なぜなのかな デビュー作からのファンの一人として この作品は改めて村上春樹が好きと思える作品でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
当時を思うとなぜ売れたかと疑問に思う。話が面白くて売れたか、メディアの猛プッシュで売れたか。確かこうだった。新聞では大々的に一面に載り、テレビでも取り上げられ、さらにノーベル候補、過去の栄光の実績を述べられた。アバターみたいにタイタニック監督新作みたいな面白くて評価されたら「話題になるだけはある面白い作品だ!」と人々の記憶記録に残るだろうが、1q84は違う。どう考えても猛プッシュ。話が面白くないし、巨匠が書いた本だからメッセージ性が溢れているにきまってるって人にしか評価されないクソ。メッセージ性というプラシーボ効果なんかでしか評価されない時点で過大評価じゃん。糞なものはクソ。こればかりは時間を返せとしか言えませんな。というよりなんで人は巨匠が作った面白くないものを面白くないと言わず、何かメッセージがあると勘違いするんだと思った。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
まるで出来の悪いライトノベル。 世界観や構成は変わっていて面白そうな雰囲気は出ていたのだけれど、 感情移入できるキャラクターが一人もいなかったので、全く楽しめなかった。 それと、悪い意味でエロい。 エロが嫌いなわけじゃないけど、なんだか気持ち悪いタイプのエロ。 自分は村上春樹さんの本を初めて読んだ。 で、他のもパラパラ見てみたらやっぱりどれも不快。 この本を読んで学んだことは三つ 1つ、メディアが持ち上げているもの全てが面白いとは限らない。 2つ、肌に合わない作家さんの作品は他の物も読まない方が良い。 3つ、本は冒頭を立ち読みしてから買おう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
今から3年前、ハードカバー版が発売された頃は、村上春樹の新たな世界に期待をしていた。 オウム事件の林泰男死刑囚に関心を持っていた作者が語っていたように、 「月の裏側に一人残されていたような恐怖」をどのように物語として描くのだろうと。 それから作品は大ベストセラーとなり、時が経ち、文庫化もされた。 オウムの菊池容疑者、高橋容疑者も逮捕された。 BOOK2の大部分は青豆のハードボイルド活劇に比重が置かれている。 雷と大雨が降りしきるこの一夜の緊張感は物語として我々読者をとても楽しませてくれる。 「空気さなぎ」の内容も然り、我々は青豆を通してその摩訶不思議な世界を認知していく。 それに比べて天吾の章は退屈がたっぷりと詰まっている。 「世界とハードボイルド」のように目を焼きつけられ、影を引き剥がされるわけでもなく、 「ねじまき鳥」のように井戸の底に監禁され、バットで殴られ殴り倒すわけでもない、 ましてや「カフカ」のように血で血をぬぐう殺人があるわけでもない。 ひたすら受身として、ここではないどこかへ導かれていくだけなのだ。 それはレシヴァとしての役目と言えば、そうなのかもしれないが、 かの教祖のように満身創痍という苦痛が天吾には与えられないまま物語は進んでいく。 大部分の読者が「退屈」だと感じるのは、この部分ではないかと思う。 ただ、天吾が劇中作の中に紛れ込んでいくというストーリーは、 オウム事件の真っただ中に知らず知らず入り込んでいった容疑者たち、 その抗いきれない力に飲み込まれた孤独を物語として編み出しているのかもしれない。 それを読み解き感じるには、たった1〜2回の読み返しでは足りないのかもしれない。 しかし、天吾くん。君は言われるほど、孤独ではないはずだ。そう思わないか? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この本は幼い時に 過酷な状況で子供時代を過ごさなければならなかった男女青年の物語です。 とても孤独に苦しんでいる人の内面は的確に表現されています。 本来 日本人はもっと幸福に生きることができるはず? しかしこの時代の日本では難しい 「さきがけ」のリーダーは声を聴く者として登場しています。その代償として大きな苦痛を背負わなければいけないと はるか大昔はそのように王が国を統治していたとあります。この青豆と天吾君がリーダーの後継者になる・・・ 難しい設定ですが すごい本だと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とりあえず一巻だけ読みました。 率直な感想はくどい!!ですね。 一つの事を説明するのに、例をあげてあーだこーだと説明する。 もう充分伝わってるしわかってるから、そのくどくどさが辛かった。 「もういいって、しつこい」と思ってました。 なので、くどい部分は飛ばして読んでました。 そうでもしないと、もっとしんどかったと思います。 青豆の男性の好みの設定に関しても、本当に下らない設定だし、その説明もくどくどくどくど。 青豆の自意識過剰さも読んでいて痛く、偉そうな対応も痛いです。 もともとは綺麗でかしこい女性という設定なのかなと思っていましたが、 素敵な女性ではないなとしか思えなかった。 あと、やっぱり性的描写をもっと軽くしても良いのではないかと思いました。 不必要な描写が多かったですね。残念でした。 おもしろくてサクサクと読める部分とおもしろくなく読むのがしんどい部分の差が大きいと思います。 ただ、ストーリー展開自体はまぁ面白く、しんどい部分もおもしろい部分で少しだけカバーできているのが救いだと思います。 なので☆1ではなく、☆2で。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
初めて村上春樹の小説を読みました。 まだBook 1なので、なにも断定的なことは言えませんが、 構成も面白いし、まあ、ツッコミどころが無い訳でもないけれど やっぱり続きが気になります。 だから、Book 2も買いました。 私は評価の低いレビューを読むのがなぜか好きなので、いくつか読みましたが、 性描写に随分強く反応されている方が多いのが不思議でした。 性描写をする文学はダメな文学なのでしょうか? よく分かりません。 性は私たち人間の生活の重要な一部であり、(何しろそれが無ければ生まれないのですから!) セックス中(あるいは後)だからこそ出てくる会話というものもあります。 性描写をタブー視することなく、純粋な批評的精神で 低い評価をされているレビューは、とても参考になるものもありますので 読まれてみると面白いと思います。 総じて評価が分かれるという点においても、興味深い小説であります。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
正直、いままで村上作品2作ほど読んだだけですが、どうも好きになれませんでした。(これだけ世界で有名な作家なのだから きっと面白いに違いないという幻想を基に読んだ結果ですが) 相変わらず情景描写は圧巻で、目をつむればその情景が浮かんできそうなぐらい緻密な情景描写です。 この点に関しては1Q84を読む前の2作品で思った感想でしたが、今回もその点は文句のつけようがありません。 しかし、この情景描写は英語に翻訳しきれるのか?なんて、要らぬ心配をしています。 他の2作品ではどうも内容に入り込めず、ページをめくるのが苦痛でしたが、この作品はなかなかどうして、ページを進める手が とまりません。青豆と天吾という二人の主役を別の章で交互に話を進めて行く手法です。 「一冊で『冷静と情熱の間』を書いている」感じは拭えませんが、それでも、内容の濃さはこちらの圧勝か。 しかし、本が分厚すぎる。これは文庫で読んだ方が、ページが進んで一冊が終わる達成感が早く訪れるので、無難かも。 あと2冊・・・最後まで読み切れるか心配になってきました。初めて村上作品で面白いと思えたので、頑張って最後まで読みたいけど・・・ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
過去に自分自身がなんの為に生まれて、何のために生きているのかが 分からなかったまま、自分の命が亡くなってもいい、と思ったことのある読者にとっては 『1Q84』は何かを伝えてくれるテクストだと思いました。 おそらく幼い頃、そうした何かを感じたことのある子どもとは、 自分ではどうしようもない家庭環境にいた子どもでしょう。 主人公の天吾と青豆のように。そして社会から疎外され続けた牛河のように。 そして愛し合った人間が、お互いを憎み蔑む場所を目撃し続けた私にとっても、 何かのメッセージーそれは空気のようなものなのですがーが 伝わってくるものでした。 私が受け取ったメッセージというのは、一つの物語や世界が 絶対的なものではなく、でもだからこそまた別の物語や世界が 自分の外に広がっている可能性がある…そういう可能性を探せる自分が いるーそういう希望のようなものです。 家庭崩壊に直面し、青豆のように怒りと悲しみに心を支配されていた 10代の頃にこの本が出版されていたならば 自分と社会を結びつける何かを探すための手がかりを 得ることができたのかなぁ、でもそれも私の「1q84」であり「猫の町」なの かもしれませんね。 青豆と天吾が世界を取り戻したように、 すぐそばに死の淵を歩いているような 読者への祈りと希望が込められていることを感じました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
Book1を読んで、Book2の展開の予測は無意味と思いつつ、自分なりに予測したが、かなり意外に裏切られる。ただ、恐ろしいことに、裏切られた展開はなぜかピースとしてはまり、新たな世界観の中で物語は進行する。 ただ、Book2を読んでも、かなりの本質的な謎は謎のままで残るが、「空気さなぎ」の小説の中身が語られることで、物語の中で何が起こっているかをようやく知覚する。 また、印象深いのは、天吾が父親を訪問する際に読んだ「猫の町」という本の話。ややオカルトっぽいオチに恐怖する(「失われるべき場所」とは?)だけでは終わらず、物語の中での現実と関わりがあるとはにわかには想像しがたい。 さらに言えば、性に対する記述について過剰、過敏反応傾向のある人は、1巻に続き、読むのは控えられた方がよいだろう。おそらく、人間のDNAに刷り込まれているのであろう過剰な性的記述に対する「性パニック的性向」をくすぐるのも、村上文学の本質の一部であろう。 で、いつも村上春樹作品を読み終わって思うことは、世の中って少し違う角度で見ると、自分が一生懸命になってかかわり頑張っていることは、その角度から見ると、何の意味もなく、無駄なことなのではないかという怖い直感である。本書もその例外ではなかったとだけ述べておこう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ざっと拝見した所、こちらのレビュアーにはどうやら「拳銃は火を吹かなければならない」という意見に与される方が多いようで、僕には意外でした。 この物語においてのヘックラー&コッホは、9mm弾を発射しないままで、しかし確実に、青豆との強い関わりを持っています。彼女はある十分な時期を経て、自身の一部とも言えるほどにこの自動拳銃の取り扱いに習熟します。このタマルからの贈り物は、あきらかに彼女の精神を支え行動規範を保ち、特殊な友情を繋ぎ、物語を前に進めました。 そう、火を吹く事が必ずしも、物語に正しい句読点を与え、意味を付与するものとは限らないのではないでしょうか。 (あるいは、こういった影響さえ必要ないのかもしれません。拳銃はただの拳銃として登場して、ただの拳銃として退場することもできたでしょう。) おそらく、プルーストの「失われた時を求めて」は、最後まで青豆に読み通されることはなかったでしょう。しかしこれもまた、彼女が潜んだマンションの「金のかかった」外装のタイル以上に、彼女の潜伏期間を形作り、支えだことは間違いないことでしょう。 最後にはその響きを繰り返すことをやめてしまった、ヤナーチェッタの「シンフォニエッタ」についてもそうです。 他にもたくさんのこういった、やってきては去っていく、いくつものエピソードがこの小説には描かれます。しかし、これらはほとんどすべて、火を吹かないのです。 火を吹かないまま、登場人物とすれ違い、あるいは何がしかの交流を得て、舞台の影に隠れるものもあれば、また気配を変えて立ち現れることもあります。中には詰問を受けて立場を変えざるを得なくなった者もいれば、血も流さずしかし大変な苦しみの時間を経て生命を失い、舞台から去る者も居ました。引退退職後も往年の職務を果たすべく、自らの昏睡状態に陥った世界の中でただドアを叩き続けた者も居ました。 そして1Q84年を生きる登場人物は、「着実に前に進んでいる時間」との折り合いをつけようとする中で、別の世界へ旅立つ可能性をより高め、確実なものにしていきます。これらは断片として隠されつつ、彼らは導かれています。 主人公であり1Q84年の住人である青豆や天吾にとっては、それらは、導き、そして役目を終えれば去るもの達です。 そして、それらと関わった証は、残された天吾や青豆たちのなかにも何かの形で残ります。去った者達はある意味で、残された彼らに含まれた一部となります。 導かれ、目指すべき場所に、少し近づきます。 たとえばそれが、ちょっとした日常の習慣であっても、誰かの死であっても、事の大きさは異なるけれど、繋がるべき場所はひとつです。 断片がくりかえされます。 知らされているかどうかもわからないし、たどり着けるかどうかもわからない事だけれど、青豆や天吾には結果として(10歳で出会ったそもそもから)、目指すべき場所がありました。 あるいはこれは神の肯定なのかもしれませんし、世界の成り立ちについてのごく簡単な説明なのかもしれません。そのうえ物語の最後には、1Q84年の世界における超越的な存在であるマザとドウタ、空気さなぎといったものたちと共に、この物語を去らなければいけないのです。幸いなことにリトルピープルは、1Q84年に留まるものかもしれません。月がひとつの世界には、マザとドウタはまた別の形で存在するのかも知れません。 ともかく、新しい世界には新しい世界の脅威があり危険がある。しかし彼らにとってはそれこそが目指すべきものであり、永遠の続きなのです。 教団の形をとったあるシステムや、その内部での意思決定についての断片的な情報についても、ひとつながりと言える程の情報は、最後までもたられないままでした。それは、秘密として扱われたというよりも、より現実的に、断片的にのみ示されました。 信じがたい、リーダーと、リーダーを囲む者達の立場とが大変具体的に明かされる話もあれば、団体の構成員として、つつましやかな生活をおくる多くの人達の話もあり、組織を維持するための、もはやとっくに誰か個人の手に負えなくなっているシステムの様子が垣間見える話もあります。 彼らがこのあと、リトルピープルとの関係を立て直す事が出来るのかはわかりません。しかしいずれにしてもそれはきっと、きわめてシステマティックに行われることでしょう。 青豆は青豆自身の神を自覚します。 1964年の約束を果たすためには1984年から1Q84年に入り込まざるを得なかった上、さんざんな目に会っているものの、青豆は今また別の世界へ旅経つことさえも恐れていないでしょう(天吾もまたそうでしょう)。彼らはもう、いつかまたさらに世界を移ることをも恐れないでしょう。 一方で、「声」に見放されかけ神を不在とする、いまはただリトルピープルの再来を待たざるを得ない教団のシステムがあり、これらは対照的です。 ところで、一番多くの1Q84年の断片を引き受けてしまったのは、意外にも、牛河だったのかもしれません。天吾の物語、青豆の物語、小説空気さなぎのあらわす物語。 ふかえりがカメラのレンズ越しに見通したのは彼のそういった部分であり、1Q84年への闖入者と思われた牛河が最も1Q84年らしく弔われるということについての、巫女としての振る舞いだったのかもしれないとも思えます。 彼が生命を絶ってしまった後も、1Q84年の世界は1Q84年の世界として機能することでしょう。そのためにもリトルピープルは、ふたたび現れました。ここでは、マザとドウタ、レシバとパッシバの法則はまだ有効なのです。 なぜ牛河が1Q84年の世界に紛れ込まなければいけなかったのか、そしてそこで生命を絶たれなければならなかったのかはわかりません。 ただ、タマルの言葉を借りるなら「紙一重」だということなのかもしれません。生死についても、あちらがわとこちらがわの世界についても。 知りすぎたために「紙一重」のあちらがわに紛れ込んでしまい、「紙一重」のために命を落としたのが牛河であったかもしれません。しかし、牛河とNHK集金人の亡霊との交感があったのも間違いないことです。彼もまた、1Q84年に移るまっとうな資格を持ったひとりの主人公であったことは認めてよいことでしょう。 ひょっとすると、牛河は1Q84年の世界で、生まれ変わるかもしれません。一体何に?と思います。 それは物語の中ですでに示されてたかもしれませんし、示されていないかもしれません。 しかしこの世界では、深い森の中にリトルピープルが居ます。リトルピープルは牛河とつながりました。 他のことはわからないのですが、これだけはどうやら間違いの無いことのようです。 ひとつ気になるのは、青豆はアイスピックを携えて世界を移り、今度は自動拳銃を携えて、もういちど世界を移ろうとしています。 天吾は、書きかけの原稿と共にやってきて、また新たな原稿と共に、猫の街の町から出て行こうとしています。 これは何かを意味するのでしょうか。 神話的な象徴かもしれませんし、ただのキャラクターズアイテムかもしれません。 結局のところ僕にとって小説1Q84は、まわりくどい純愛小説ではありませんでした。ある世界の成り立ちや、あるいはある個人の成り立ち(そしてそれらの間には、そう大きな相違が無いのかもしれません)について著されている物語でした。 また、村上春樹さんがこれまで用いてきた手法やちょっとした要点を、上手に別の世界に平行移動させて成立させたいくつものポップテクニックが楽しめるという意味でも、面白い作品でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ようやくBook3を読みました。 名作とされているミステリー小説の舞台を未来に置き換えた結果,キッチュになった作品のようです。 たとえば,松本清張の小説をリュック・ベッソンの弟子が映画化したような感じでしょうか。 エンタテイメント小説としてはおもしろく読めますが,複数の要素が未消化のまま,詰め込まれています。 テーマに関連させたい要素はたくさんあるのでしょうが,統合性に欠けています。 好意的に考えると,分量的に大きすぎた結果,こういうことになってしまったのではないかと感じます。 つまり,1800円×3巻=5400円+税という価格で販売しようという出版社(と著者)の思惑は完全に失敗していて, 正直,うんざりするような範疇の事柄のように感じられます。 最も大きな欠点は,村上春樹の一番の持ち味であるはずの「皮肉なユーモア」が,まったく欠けていることです。 なぜこうなってしまったのか,また編集者は,なぜこれでかまわないと思ったのだろう?? 登場人物で一番嫌なヤツであるはずの「牛河さん」が,最も共感できる人物として描かれていることを除けば,特筆すべき点はありません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
村上春樹を敬遠していた。最初に触れた「ノルウェーの森」は,私好みではなかったから。作品が持つ,足が地に着かないような独特の感覚が嫌だった(これがファンには魅力的なのでしょうが)。しかし「世界的作家」である。他の作品にも触れる必要があると思い,最初の長編「羊をめぐる冒険」を読み,次にこれを読んだ。羊や山羊が出てくるからというだけでなく,案外,共通点があると思わされた。よく「コミットメント」の問題が取り上げられるが,実は作者の問題関心の核の部分は変わっておらず,表現が変化したのだと感じされられた。私は,「1Q84」より前に「1984」を読んでいたし,「シンフォニエッタ」も聴いていたが,これらの有無によっても感じ方は異なると思う。登場人物の性的リビドーが強烈で,読み手には不快感を抱く人もいるだろう。なにより,「1Q84」内で完結していない。だから,不親切な小説だし,この意味で満点はつけられない。しかし,私にはとても面白い作品だった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本のレビューなんて、初めて書きますが・・・ なるほど、暗喩や隠喩が多すぎて、分かり辛い所はあると思います。 伏線を張ろうとして失敗してる暗喩もあるような気がしますしね・・・。 まぁでも、マザやドウタ、世界の成り立ちや様々な暗喩・隠喩に関して、 それの意味するところが全く分からないということはないかと思います。 少なくとも、適度に読書の習慣がある方にとっては、多義的な解釈の取れる このような文章は、むしろ面白く読めたかと。 謎を明らかにして欲しい的な意見を散見しますが、そんな説明は不要かと。 文中の言葉を用いれば、 「説明しなければ分からないものは、どれだけ説明しても分からない」 のであって、全ての事柄に関する情報は、(それが暗喩的なものであったとしても) 書かれていると思います。 最後がハッピーエンドで終わるところだけが納得出来ないところではありますが、 むしろあれ以外の終わらせ方が分からないので(それこそ収拾がつかなくなるので)、 仕方ないかな、という感じですかね・・・。 個人的にはふかえりがキュートで素敵ですね・・・。 現実には居ないと思うけど。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!