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1Q84
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1Q84の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全986件 301~320 16/50ページ
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女性に現実感が皆無です。 詳細に書けば現実感がでてくると思っておられるんでしょうか? 必死なのは伝わってきますが、嘘くさい女性キャラクターに笑ってしまいます。 避妊具だけで性病が防げるとか本気で書いておられるのでしたら 無理をせず春樹さん本来の真面目な性格にみあったキャラクターを描いたほうが よろしいのではと思います。 おおきなお世話だとは思いますが、こんな本を1890円も出して 読んでしまった者の愚痴です。お許しください。 | ||||
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別に背を向けていたわけではないが、ようやく読んだ。今さらなので、人の感想を聞いてみたいが、話題を振るのもやや恥ずかしい。 手に持つとボリューム感があるが、一度読み出すと流れがスムーズで、あっさり読める。 ただ、簡単に読めるからと言って、中味がないわけでないのが、おもしろい。 村上春樹についての文壇の評価はあまり読んだことがないので的外れかもしれないが、自分として感じたことを少し書いて見る。 ・REALとかVIRTUALということで区分けられない一つの世界(パラレルワールド)の存在が暗示される。世の中にあまた作家はいて、多くの本を読んできたが、この世界観・読後感は唯一無二。 本当に普通に話が進むが、どこかで何かがリアリティをもっておかしくなる。ユークリッド幾何学でない公理系が別に現れる感じ。さて、月は一つなのか、二つなのか? ・村上春樹を読むと、そこにある音楽を追体験したくなる。その意味での感染力はすごい。本作ではヤナーチェックの「シンフォニエッタ」。 ・複数の話が無関係であるかのように進行するが、実は「リトル・ピープル」を媒介として繋がる予感。 ・現実世界では味わえない(少なくとも自分の周りでは)剥き出しの性が、本書でも味わえる(天吾のガールフレンドである人妻や青豆嬢の振る舞い)。 一方、大事な要素だと言うことが分かっていてもなお、大塚環の話は辛い。家庭内暴力は単なる家庭内の問題ではなく、鬱に追い込まれての自殺は殺人と同じであるという問題提起も隠れているように感じる。 ・チェーホフの引用として紹介される「小説家とは問題を解決する人間ではない。問題を提起する人間である」という言葉にも脳のどこかが反応した。 ・謎は謎としてばらまきっぱなしなので、BOOK2以降に期待。 あと、どうでもよいことだが、1Q84が何か知りたければ、P.202を見ること。また、青梅線二俣尾駅は実在する。名所化するのだろうか? | ||||
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一冊目から続けて読みふけりました。 もう「村上春樹の作品は」という批評はいらないのではないか。 アマゾンのレビューを見て心底思います。 そして私は多分、この1Q84について書かれた批評を読みたいとも 思わないのです。 こんなに真っ向から、主人公の苦しみや生きづらさ・困難さを 村上さんが描いたことはなかったと思います。 この小説から何を読みとるのか、何を感じるのかは 読者にまかされていると。それも今までになく自由に開かれている、 と心底思います。そして多くの諸外国で、この日本で書かれたこの本が 「自分のことを言い当てている」と思う若者の心に届いていることを 実感します。 手にとって読むことをおすすめします。 | ||||
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『世界の終りと…』がもっとも好きで、他の作品も(飛びつくというほどではないが出版されてから数年後に)すべて読んでいる者です。 初読の感想は『村上春樹はいつからこんなに娯楽性の高い作品を書くようになったのだろう?』ということでした。 やたらとエンターテイメント、宗教あり暴力あり性あり、わかりやす過ぎる。 残念なのは、宗教団体の筋立てが非常に陳腐なところ。 現実の驚きを超えるものではなく、ただ大枠をなぞっただけとしかいいようがない。 それから性的な描写が下品なところ。心でコントロールできない性的な興奮を描きたいのはわかりますが、作品全体の格調を明らかに下げているのは、描写が乱暴なせい。物語に没頭する集中力をそぐだけです。 宗教、性といった誰もが興味を持つようなものを題材にして、ひたすら村上言葉(明らかな村上節というべき文体があって、それゆえに各人の話し言葉が不自然)で続く物語についていけません。 うんざりです。もっと繊細に世界を作り上げてほしかった。乱暴な作りの小説だと思いました。 これから青豆と天吾の恋愛に発展していくのでしょうが、いくらなんでも冗長です。 もう続きは読みません。 | ||||
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久しぶりに村上作品に手をだしました。レビューの多さはさすがですね。 それだけ読んだら何かを語らずにはいられない、という小説だと するならば、本当に凄いです。 でも言葉にならないんですよね。。。 小説は人との出会いと、恋愛と全く同じです。 本人たちが恋に落ちる理由なんて説明もできないし、 説明したとたんに実体は逃げて行くでしょう。 読んだ友人からは「あまり面白くなかった」と聞きました。 でも高校生の時に『ノルウェイの森』を聖書のように 愛読していた私は、この世界にどっぷりはまりました。 「雰囲気だけ」というようなレビューもありましたが、 文体は変わりませんが、出てくる中身は壮絶になった気がします。 痛みや苦しみに対してものすごくリアリティがある。 鬼気迫るものがあり、何度も深呼吸しながら読みました。 半日で500ページ強。物語に支配されるのにも体力がいりますが、 それだけのものを感じる大作です。 | ||||
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主人公のその後の世界を描いた続編を期待してしまいます。 | ||||
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うーん…。 一旦読み始めたので、途中で辞めてはもったいないと思い読み切りました。 話がいまいちとしか言いようがありません。 何より、青豆と天吾に魅力がなく、読んでいて応援できないので最後もだから何?というか、一緒に喜べないというか。 自分勝手で、理屈っぽくて。二人とも真面目でいい子のように見せかけて、自分のことしか考えてない。だから友達いないんだよ!みたいな(笑) 正義のための殺しだとしても、ちゃんと考えが書かれていないので合理性がなく、ただの勝手な犯罪に思えて納得いかない。 恋にしろ父親の病気の話にしても、こじつけっぽい。 小松やふかえりは、散々ひっぱっておいてほったらかしだし、天吾がいつ違う世界に移動?したのかもよくわからない。 「わたしにはそれがわかる」と言われても、分からない。 謎めいて面白いのと、意味不明なのは全然違うのに! 3冊一生懸命時間と労力をかけて読んで思ったのは、いわゆる中二病というか、そういう自己陶酔的な感じがあって、それは作者と読者が若いときにだけ許されるのではないのかな。ということと、3人称の語りや視点を変える語り方によって登場人物の魅力の無さ、自己中心的なところ、幼稚なところがより際立っているということ、そして作者は恋でも家族愛でも友情でも、説得力を持って感情を書くのが恐ろしく苦手というか、できないんだなということでした。 いくらスキルがあっても、作者に人生経験や人間的な魅力がないと魅力的な小説は書けないのじゃないかという気がしました。 若いうちは「理解されない孤独な僕」でもいいけれど、それが年を取ってくると鼻につくというか。自分のことしか考えない、というのは幼児性・未熟性であって、年を取ったら「自分、自分」じゃ品がないのではないでしょうか。 最後の最後で青豆がタマルに殺されたりしたら面白かったのに…なんて思いました。 あと、作者自身の口癖なのか、「〜。たぶん。」「〜。おそらく。」これに我慢ができませんでした。笑 気持ち悪い! | ||||
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発売当初、大変話題になっていましたね。 本屋で平積みされていたのを斜め読みをして『こりゃ読めないわ』と、以来忘れていました。 正直、村上春樹のエッセーは大好きですが、小説は読んでみるものの面白いと思ったことは一度もありませんでした。 そんな私ですが、たまたま人から借りて読み始めた1Q84は予想以上にスラスラと読めました。 冒頭、高速道路の場面はまるで映像を観ているようで心を鷲掴みにされました。 2つの月、猫の街、実態のないNHKの集金人、そしてホウホウと応えるリトルピープル・・・これらは宮沢賢治を思わせる世界で個人的に大好きです。 しかし・・・3巻になると少し停滞感が漂うのと、エキセントリックな青豆には感情移入がまったくできなくなり 天吾にも共感できずにいました。 加えて2人のラブストーリーは薄っぺらさが否めない感じですが、牛河さんの部分は例外で、あの部分だけでも3巻を読む価値がありました。 全体的な印象としては『面白かった』です。 しかし、これはあくまで顕在意識から見た感想で、深層意識に物凄く影響を受けた感じがしています。 私の深い部分にあった『何か』のスイッチを押されたような、そんな不思議な気がしてなりません。 | ||||
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うーん… 村上春樹さんの本は、とっつきやすいし、読んでるうちは楽しいんだけど読後何が言いたいのかよく伝わらない上に 本を閉じたとたん、何が書いてあったか忘れちゃう、似たり寄ったりなものが多い気がする。(ノルウェイの森は別として) もし、読んで面白くなかったら、無知な大衆扱いされるとか思わずに正直に面白くない、と言った方がいいと思う。裸の王様みたいになってしまいますから(笑) この本も、なんだかもやっとしてて、雰囲気系!? 結局、読者にちゃんと伝わらなければどんなに高尚ぶったってそれは格好悪い自慰行為にしか過ぎないし。 音楽の話とか、歴史の話とか詳しいのは分かるけど意味(必然性)があるのか・・・?というところがちょっと、気になります。 謎のある話は面白いが、意味がない話は読者への裏切りになってしまう。 天呉がゴーストライターをやるくだりも「ボートに乗っている」とかうじうじ言わないで、何行かですむような・・ とにかく、比喩がすごく多くて、それが絶妙にハズしてるというか、寒いというか、センスがないというか・・・ 文学ですから多少不自然でも生き生きとして美しかったり、面白ければいいけどもはや自己満オヤジギャグのような領域(笑) それがとにかくしょっちゅう挟まれる。シリアスな場面でも、性愛描写でも、会話でも独白でも。 地の文は神の視点のはずなんですがここにすごいださい比喩とか価値判断が入ってくるのはどういうことなんだろう・・・ 書いてる人≠作者村上なのか?このへんはこの先解明されることを期待。 とにかく、比喩や描写についていけるか(肌が合うか)が評価の分かれどころかも!? 話で面白ければ(今2巻の途中なんでまだ分かりませんが)いいけれど、(かなりの)お金と時間に見合うものが得られるか というところはすごくハラハラする作品ではあります。 | ||||
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3冊目はどうもね、という印象だけや。まあ全部もそうだったんだけど。1冊目の出だしだけが映画的。 | ||||
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村上春樹はこの作品で何を言いたかったのだろう。単純な恋愛小説でないことは確かだ。たまたまそれが青豆と天吾との、互いを求め合う物語になったとはいえ、それではふかえりの役割も、牛河の役割も、「現実というのは常にひとつきりです」という暗示的なメッセージを残したまま舞台を下がった冒頭の運転手の役割も、ただの装飾に過ぎなかったことになってしまう。そしてやはりこの作品が、大掛かりな暗喩であることを私は感じる。それが何であるか、うまく言葉で言えないけれど(間違いなく多義的である)、ここに深いメッセージが込められていることを、心に受け止めることができる。ともあれ、物語の幕は降りた。 1. 余人は知らず、私はこの作品に出会ったことに宿命のようなものを感じる。彼の作品としては、些かきれいに終わりすぎるけれど、もっと文学的な結末だったら、私はかなり傷ついただろう。だから少なくとも私にとって、結末はこうでなければならなかった。村上春樹らしくない?確かに、闇を吹き払うような本巻は、彼の作品として異質に思える(展開も結末も、かつてより形而下的だ)。プロの批評家ならいろいろと文句の付けようもあろう。しかし一読者として、そこまで非情になる必要を感じない。私はこの作品に対し、個人的な共感を表明することしかできない。携帯電話もインターネットもない時代。待つしかなかった時代。 2. 文章は抜群に上手い。しかし、なぜか綻びも目立つ。消し忘れかと思う余計な括弧書き(p.556)。「〜。たぶん。」という段落末尾が、気付いただけで6回(第1巻からの合計)。推敲の時間が足りなかったのかもしれない。不十分な推敲でこれだけ書いたのなら奇跡に近いと思うけれど、彼はこれまで奇跡を何度も成し遂げた人だった。どうしたのだろう。 | ||||
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使うモノ等はレビューを見て参考にしますが、 本は何も考えずに読んでみるのが良いかなと思います。 | ||||
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村上春樹作品ははじめて読むのですが、次まで読みたくなりました。文章は情景が浮かぶくらい上手だと思います。ただ、次への布石ということでいるのかもしれませんが、若干冗長的ですよね。すべてに大して性描写がいるのかどうかは不明ですよね。 BOOK1は序みたいなもんでしょうか。本書は、青豆と天吾の視点が交互に書かれる形式ですが、この二人のつながりみたいなものが垣間見れますが、出会ったりお互いの名前が出てくることはないです。これからどういう風につながっていくのかが気になります。 | ||||
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BOOK2でも、青豆と天吾の話が交互に展開されます。BOOK1との違いは、青豆と天吾がお互いを意識し始めることと完全に月が2つある1Q84の世界に入り込んでいることにお互い気がついたことですかね。青豆は「さきがけ」のリーダーを殺害した。天吾は、NHKの集金人の父親が入院している病院に赴いて、いろいろな話をした。 BOOK2に入ってどういう風に着地するのかなとおもったが、よくわかんないです。何かもやもやとするなあ。 | ||||
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今回は青豆と天吾の他にbook2で天吾とあっていた牛河の視点が入ります。あんまり話はすすまなかったかなと思う。牛河の視点によって、この話1Q84の世界がどういう話だったのかが追認できるのかなと思いました。 結局、元の鞘に戻ったのかなと思いました。青豆と天吾が出会えたのは良かったかな。ふかえりと牛河によってこの二人が出会えたのかな。1Q84の世界は半分ぐらいしか理解できなかったとは思うが、この二人が出会えたということから、この話を読んでよかったかなと思う。 牛河については、全体的に知りすぎたがゆえに殺されたんだね。牛河については有能な人だけど哀れだなと感じる。 | ||||
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読み終わった私の感想は、 ●軽い ●オタク、ロリコンぽい ●知識のボリュームは無駄に多い ●表現がくどい ●エネルギーがない。 ●伝えることを放棄している です。あんまり人と会話せずに箱にこもって書いているのか、非常にダラダラとし、暗くてジメジメしている割にはペラペラに軽い印象しか受けませんでした。 エバ世代?の子達には受けるのかな。「作品には意味がある」ことを前提にしか考えない人たちから見たら謎?をたくさん残してくれてるからハマれるのかも。 私の好きな明治文学と比べると、気持ちが動くことがほぼない作品でした。 とくに意味も無いけど、好きなキャラクターを妄想のまま落としたかったのかな、と思います。押し付けがましくないのが救いではありました。 これ読んでた時間、もったいなかったなーと思います。 | ||||
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背水の陣で臨む。現代の小説は嫌いだ。読者を同じ感情へ誘導する乗り物でしかない浅薄な作品が、取っかえひっかえ、脚光を浴びている。さもなくばマニア相手の特殊作品。「もしこれが駄作だったら、もう小説とは訣別するかもしれない」と私。「じゃあもう、近代(文学)へ行くしかないね」と妹。近代文学。文豪の時代。しかし現代は違う。小説はテーマパーク。A honky-tonk parade. この作品は筋を追うだけなら簡単だと思う。文壇を、宗教を、権力を、一刀両断するサービスもある。しかし、村上春樹の作品はすべて暗喩である。比喩やアナロジーを多用し、表面的な筋書きが単に水面の光景でしかないことを示唆している。水の奥に何が蠢き、どんな水流があるか、それを考えることが醍醐味なのだ。そこには重層する「多義的」な「意味」がある。だからこそ世界の知識人に読まれるのである。お話として面白いかどうかとか、焼き直しだとか、作者の女性観がどうとか、そういった皮相な批判は、だからまったく意味をなさない。そんな読み方しかできない人は、この先彼の作品など手に取らず(「説明しなくてはわからないということは、説明してもわからないということだ」)、もっとずっと易しい、大量消費型お子様ランチでも読んでいればよい。その方がずっと楽しい時間つぶしになる。 とはいえ、物語としての緊密さは、第2巻よりも第1巻の方が優る。次第に謎が明かされるにつれ、表層的な動きが増し、多義性が薄れて、つい読み飛ばしたくなる。「海辺のカフカ」では最後まで維持された緊張が、次第に緩んでしまったのを残念に思った。妹は「第2巻で一旦完結の感あり」と言う。だからここで感想を書くのだが、この結末は必然性を欠く。ここからは難業だろう。しかし前に進まねばならない。 そして結論。現代小説との訣別まで、今少しの猶予を設けたい。少なくとも彼の作品に、私はまだ未練がある。 | ||||
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文学といえども、内容がちょっと過激の様な気が。。。 幼い娘がいますが、高校にあがるまでは、ちょっと読ませたく内容かも。。。 そら豆さんと言い間違えて妻に話していたら笑われました。。。 | ||||
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(私は、熱烈な村上春樹ファンでなく、通りすがりの、一読者の感想です) 以下、ネタバレの感想を書いています。 3巻をとおしての感想としては、私はBOOK2の中盤で、窮屈に感じました。思えば、青豆・老夫人の怒りが『おびただしい落雷のさなかに失われてしまった』という表記がありますが、まるで読者も、本に対する期待感や楽しみなども、失われた気がします。というのも著者特有の表現、性的表現の多用で、物語を楽しむ気をなくし、また著者の宗教観も見え初め、読者にとっては違和感を感じるせいかもしれません。 (著者は、物語の中で描くカルト的な宗教を、その宗教によって翻弄される人達を通して、肯定的に書いていると思います。)それがBOOK3に入っても続き完結に向かうため、ただただ単調で長いだけと感じました。 しかし終盤のミステリアスなタマルに興味を感じて読みました。BOOK3では、青豆主観ではなく、タマルを通しての青豆を描かれたら全く違っていたかもしれません。またSF的な言い方ですが、平行世界を描いた物語としては、賛辞を送ります。 基準点を3点とし、今回は3点としました。 | ||||
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物語の終わりをなんとか作り出したという印象を受けた。 book2までばら蒔いた沢山の伏線は曖昧に消え失せて なんとなく作者が苦慮して話を終らせた三巻目な感じで、 話として魅力的な部分は無い。 2で登場した河牛は単なる怪しい探偵だったし 連続殺人を犯した青豆は、 すっかり恋愛モードの乙女になり、 自分のしてきた事の重みは無いようだし、 周りで起き続けた猟奇的な出来事にもとくに何も感じなくなってるよう。 普通なら警察が追う可能性だとか、あらゆる精神的葛藤を背負うはずだろうとおもうけど、 その辺のめんどくささは一才排除して 物語は、 散りばめた意味深そうな?議題の上部だけすくいとって軽いテイストに収束した。(これで終わりなのかは分からないけど) 本巻は、 book2で撒いてきた不可思議な出来事の回収というか、 ケジメみたいの着けようとするんだけど、 いくら言葉を尽くしても説得力を獲得出来ず、 結局うやむやになり終わりになってしまう。 同じように不可思議な話だったねじまき鳥のに比べても、話しに引力がなくて読み進めるのが退屈だった。 結局、1Q84という話しは、 70年代から90年代にかけての、共産主義的なコミューンやヒッピー達、オウムのような新興宗教が、今の世界に拒否されたり解体された後にも、 多分色濃く幻影を残していて、 それが人の心にどう深く影響していっているのか、 その核心みたいのを まとめて(現代的な恋愛や、 人智を超えた何かを面白く描いて)総決算したかった作品なのかなあと自分は解釈したけど、 深くは入ることが出来ないままなにも描けなかったんでは無いかと思った。 この小説を書いた人がノーベル賞候補者だなんて、 ノーベル賞というのは下らないものなのかなあと思う。 どうして村上は世界に受けるのか、 それを考えることの方が1Q84よりずっと面白くてミステリアスな話だと思う。 | ||||
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