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ノルウェイの森
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【この小説が収録されている参考書籍】
ノルウェイの森の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.82pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全812件 321~340 17/41ページ
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村上春樹を知ったのは、この作品が初めてでした。大学時代だから、ちょうど作品と同じ時期? だから、はまった。 今、改めて読み直して、まったく印象が違ってビックリした。 昔は緑の妄想とか、主人公の乱交ぷりが羨ましいような気もしたが、今は自殺した彼女の心理に痛みを覚える。なぜなら、私自身が二度自殺を経験しているからだ。 自殺を経験した人間にしかわからないこともあり、だからといってみなに自殺を経験してもらいたいとは思わない。そうならないためにも読んで欲しい。 私は幸い二度とも発見者に救われ、病院の人達に救われ、友人に救われた。だから生きていられるし、今は生き抜こうと思える。 でも、それぐらい生きづらい世の中だと、間違いなく思う。普通に何も感じないで生きれたらどれほど楽だろう。 感受性の強い人間にとって、今の世界は厳しい世界だが、美しい場所、人、物はいくらでもある。自然を見ればいい。そうすれば救われる。動物たちや植物たちの声に耳をすませばいい。そうすれば世界は救われる。 はやく、人間は猿だった頃に帰って、もう一度歩みなおすべきだ。 | ||||
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400人以上の方々がすでに論じれおられますし、中には秀逸な論を立てておられる方もおられます。よって、いまさら私個人の稚拙な意見はほとんど意味をなさないと思いますが、左記を承知の上でレビューを書かせていただきます。 ● 本商品は、音楽にたとえれば、次のカテゴリーにあると思います。 - クラシックかポップかといわれれば、本商品は後者 - ポップのなかにも、「歌詞」が秀逸なものと「メロディー(旋律)や声」が秀逸なものがあるが、本商品は後者 -「メロディー(旋律)や声」が優れている曲なので、繰り返し聴いて、大好きになった曲があったとする。そこで改まって歌詞をじっくりと読んでみたら、歌詞はミステリアスだったり面白いフレーズが入っているけれど、正直なところ内容的に大したものではないなと思わせる曲があったとする。本商品はそのような曲にたとえることができる。 - 歌詞は正直なところ内容的に大したものでなくても、ミステリアスだったり面白いフレーズが入っていて、「メロディー(旋律)や声」が優れている曲は、大好きな曲であることには違いない - たとえていうなら、わたしは井上陽水の大ファンで「氷の世界」をほぼ毎日聴いている。しかし、その歌詞は正直なところ内容的に大したものではないと思っている。けれど「氷の世界」は大好きな曲であることには違いない。 ● 文章に、音楽の「メロディー(旋律)や声」は直接的に入っていません。しかし、村上春樹氏の文章の「語りの良さ」が、音楽の「メロディー(旋律)や声」の良さに相当する効果をもたらしていると思います。「語りの良さ」はいいかえれば、流れるような読みやすい文章、心情描写表現および情景描写表現の文章の秀逸さです。 ● 村上春樹氏の文章は「語りの良さ」の面できわめて秀逸です。しかし上述のように改まって歌詞をじっくりと読んでみるように読んでみたら、ただただ人間の慾に基づいた描写が目立つので、内容的に大したものでないと思ったり、あるいは幻滅してしまうところがあります。 ● 人間の慾に基づいた描写の後、ワタナベ君による何かしらの考察が入っていれば(たとえば「人間の慾を満たしていくこと」と「精神的な自由を維持すること」の違い)、本商品の評価も変わったかもしれません。 ● 大好きな曲は、聴き手のこころに、何かしらの作用をもたらすには違いないと思います。これと同じように「語りの良さ」が読み手のこころに、何かしらの作用をもたらすには違いないと思います。読み手に慾があったときに、それを代わりにワタナベ君が満たしていくという点で、読み手にとって共感が得られるのかもしれません。 ● 読み手に慾がないと、ワタナベ君が満たしていくものについて、共感しにくいのかもしれません。 NOTE ● 文章に、音楽の「メロディー(旋律)や声」は直接的に入っていません。しかしたとえば宮沢賢治の文章は絵画的あるいは音楽的なうつくしさがあります。 ● 「氷の世界」の歌詞はミステリアスだったり面白いフレーズが入っていたりしますが、本商品にあるような人間の慾に基づいた描写はありません。 | ||||
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有名になった本なので、試しに読んでみました。 読んでみて、いや途中で読むのを断念して思いましたが、恐ろしく「何もない」本でした。 読み進めても、読み進めても、わからない。 簡単に言ってしまえば「つまらない」。 登場人物のセリフがわからない。感情の起伏がなく、著者が登場人物を操って言わせているような気さえしてくる。 気持ち悪い表現「死んだ友だちの彼女」 なぜかわからないが「右翼」が数多く登場していたり。 後味がなく、「ただ」そこにある本という印象しか受けませんでした。 | ||||
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本作は言わずと知れた超ベストセラーで、様々な見解が論じ尽くされたとも思えるのだが、発表当時の初読から25年ほどたった今、自分なりの感想を述べてみたい。(私は今までの人生でこの本を3度通読した) 本書は1969年というエポックメイキングな時代を背景に精神を病んだ直子、そして生の象徴とも言える緑、主人公であるワタナベのある種の三角関係を描いたようなものとも読めるが、多くの人が論じているとおり、登場人物が安易に無意味に(みえる)自殺をすること、性描写がやや濃厚でその必要性に疑義が生じること、最後にレイコさんとワタナベが交わるのも理解に苦しむなど、全体的な物語としてはやや破綻が生じているように思える。 全体の因果関係のつながりと事態の意味合いが無意味に連なっているようにも思えるのである。 しかし、なぜかしら心を打たれる部分があるのも否定出来ないのは、やはり時代背景の部分が大きいのではないかと思われる。 69年は泥沼のような年だったというような描写が見られるが、村上春樹氏がしばしば小道具として持ち出す文物、例えばフィッツジェラルド、ビートルズ、ジム・モリソン、ビーチボーイズなどには(田中康夫氏が持ち出す文物と比べて)小道具以上の情念が累積しており、それらが時代の精神を彩るのである。 時代背景を前提として、高校時代の友人の自殺、その元恋人で(主人公を愛してさえいなかった)恋人の自殺、最後に生の象徴である緑との交流=再生を通して、この時代が村上氏に与えた諦念と再生を表しているように思えた。 | ||||
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文学になるにはまだ年月を経ていないだけだと思う。上手く時代を切り取っていて、人生の中で良いタイミングで読めばとてもシンクロする事ができる。でもそれも長くは続かないと感じる。学術的な評価は素人なのでできないけれど、書評とか気にしないで、一度読んでつまらなくても、数年後に読むと全く違う感覚で読めたりするので、是非、何度か読んで欲しい。自分もこの物語の時代に生きたわけではないけれど、今の若者よりは距離が近いし、この作品が描かれた頃に思春期を過ごしたので、そういう意味で読みやすいという事もあるかもしれない。今の若者がこれを読んでも、自分や自分と同世代とは全く違う感じ方をするのだろうなと思う。だから文学と言えないのかもしれない。これは、作者の作品全般に言える事。 | ||||
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名作とは何だろな、と思わせてくれる作品。 昔、大学生の頃に読んであまり印象に残らなかったのを覚えているが、35歳になって読んでみても大してその評価は変わりませんでした。 ただ、ノーベル賞候補の村上春樹を読んでいる、という感覚がおもしろくないとは言ったらダメなんじゃないかな、という感覚を生みます。 みんながおいしいと言ってるメニューを一人だけたいしておいしくはないな、とは言えないように。 不思議な世界観を出すのに、精神疾患により特殊な世界観になってしまっている人、宗教などの団体により洗脳を受けることで世間とは異なる価値観で過ごしている人、この2つが主人公になる小説には、個人的には全く感情が入っていきませんな。 | ||||
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ワタナベ君は、直子を失い、緑で再生。 直子は、キヅキ君を失うが、再生出来ず。 レイコさんは、ピアノを失い、旭川で再生。 喪失感と、再生までの過程。 喪失感の共有。 17才の出版時に読んだときは、よく分からなかった。 40才になった今は、突き刺さる。 | ||||
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生と死の関係とそのとらえ方を悩む若者達。 繊細なタッチで進む物語に魅せられました。 まるでフランス映画のように、淡々とすすむ物語。 筆者から受け身体制で物語の起承転結を求める方には会わない作品だと思います。 死を生の一部と捉えるか、生を死の一部おして捉えるか。 性表現が非常にでてくる作品ですが、死と対等の立場にある性をこの作品でのべないことは必然ではないでしょうね。 | ||||
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初めて読んだ村上春樹の作品は、このノルウェイの森だった。 私は文学について無知であるので、文体や作品の雰囲気については言及しないことにする。内容に関してもなるべく。 この文庫本に関して、単行本の場合を知らないので何ともいえないが、二冊に分かれていることがとても良心的に思えた。 読みやすくしてくれている。 話は逸れるが、この作品の映画を見たのだが拍子抜けした。ただの色気・濡れ場のない似非ポルノ、また、雰囲気を重視しすぎてそれに飲まれる恋愛映画のような感じだった。 逆に言えば本作はそのような内容ではないということだ。 何故、二冊に分かれていて、前半と後半のヒロインが違うのか? それが何にもとづいていて、何を表しているのか。それに気が付かねばオチの部分は意味不明であろう。 この物語の、そして私たちの生活の根底にまとわりつく白かったり黒かったり、または灰色だったりするものに目を向けながら読んでほしい一品だ。 | ||||
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一般常識対策本に日本人なら知っておかなければならない本と紹介されていたので、興味を持ち読みました。 他の本より際立った点は、恥らいなく突然性表現がでてきたり、語彙が豊富。 日本が題材の作品なのですが、外国文化が作品中に感じられ、カッコよく書こうとかなり自分に酔っていますね、終始キザ文章です。恋愛描写は、無理がありますね。読んでて恋愛感や性描写が気持ち悪くて、肌に合わない本でした。 ストリーは面白くありません。ライトノベル作家の方が面白いです 何故、この本が常識本なんでしょう?マスコミに扇動されているのでしょうか?女性読者は本当はポルノが好きなのだけど、嫌ったふりをする。でも文学作品だとすればエロも公に支持されるといったところでしょうか?色々と疑問を巡らしました。不思議です | ||||
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20年ぶりに読んだ。当時はイマイチ面白さが分からなかったけど、20年後の2回目はむちゃ惹きこまれた。おもしろすぎる。名作だな。なんで20年前は何とも思わなかったんだろう?とすごく不思議。感性が貧弱すぎたんだろ〜な〜?去年映画も見た。映画も楽しめたけどやっぱ原作が半端無く面白いな〜。また20年後に読んでみよう。 | ||||
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中学生のころに母親から一度読んでみたほうがいいと言われ、数年が経ち19歳となった今初めて読んでみました。 私自身、まだ人生において本当に大切な人と死別した経験がないのでなんとも言えないのですが、きっと私は尊敬する母を失うこととなったとき、このノルウェイの森を思い出すのではないのかなと思います。 人の生と死について考えさせられました。 | ||||
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私がこの小説を知ったのは14歳くらいの時で、きっかけは進学塾での国語講師の薦めだった。 14歳にはちと早熟すぎると思われるかもしれないが、いい経験だったと思う。 それから年を経る度に、35となる現在まで何度も読み直してきたが、読んだ時点での自身の人生経験、恋愛経験、読書体験によって 「ノルウェイの森」の登場人物達の捉え方、小説そのものの捉え方は幾度も変わってきた。 本書はそれだけ奥深く、読み手の感性によっていくつもの解釈が可能なプロットに富んでおり、10年以上を経た再読に耐える点で 明らかに優れた小説なのだと思う。 14歳で読んだ時の私は、あけっぴろげな性描写に強烈に戸惑い(そして憧れ)ながらも、緑を選ぶ主人公にどうしても納得がいかなかった。 そして直子を助けられなかった主人公に強烈な憤りを感じた。 20歳で再読した時の私は、筆者と同じくレイモンドチャンドラーやビートルズ、ビル・エヴァンスにはまっていたこともあり、主に文化的な 視点で読み進み充実した読了感を得た。武者小路実篤の「友情・愛と死」、夏目漱石の「こころ」といった、同じく喪失を扱う物語との比較も楽しかった。 昔は読み取る事のできなかった、脇役達の心の揺れ動きや主人公に対する立ち位置と役割が明瞭になり、 どう見ても直子と同じく「死」にとらわれる寸前だった主人公を(ある意味)救った「緑」と「レイコさん」に対する感じ方が変わった。 物語を語る主人公とほぼ同じ歳になった今では、若い頃感じた憤りや喪失感とは違う「達観」した何か、を感じる自分に驚いたりしている。 本書を読み進みどんな感想を持った方でも、何年も経ったあと再読すればまた違った感想を得られるのではないか。 一度きりで読むのを止めてしまうのは余りに惜しい小説である。 なにより若い方に読んでいただきたいと思う。 | ||||
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長編はまったくもって駄目。とくにだめなのがこの作品。 話がだれてくると、自殺者が出てくる。都合がいいね。 あるいは、当たり障りのない性的描写が始まる、 しかも、異性が主人公にとって都合よくふるまう。 読者には気持ちの悪い喪失感が残るだけだ。 原型となった短編「蛍」の方がはるかに良かった。 彼がねちねちした長編を書くたびに貴重な森林資源 {ノルウエーの森}が一つ一つ消えていく。 地球温暖化が進み、平均気温が少し上がり。砂漠化も少し進行する。 せめて、自然保護のために印税を少し寄付してください。 | ||||
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この作品はもはや「文学」を越えた「現象」である。 にも係わらず一方向的一元論で浅い部分しか見られない人間が多いことは絶望的だ。 特に最近、自分のアタマの理解を超えたものを、面白くないと負け惜しみする卑小な無能が多くなった気がする。 読みやすいと言うが決して読みやすいわけではなく、それでは村上のギミックにまんまと陥っているわけだが、 それに気づかず得意顔で廉価なロジックを並べる様には同情を禁じ得ない。 読むなとは言わないが随感を述べる資格はないと断じざるを得ない。 そういう徒輩は携帯小説でも読んで文学に触れたつもりになって、スカスカのカタルシスに浸っていればいい。 もう一度言う、浅薄な似而非批評家が多すぎる、夏休みの感想文にさえ劣る負け惜しみである。 | ||||
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この作品はもはや「文学」を越えた「現象」である。 にも係わらず一方向的一元論で浅い部分しか見られない人間が多いことは絶望的だ。 特に最近、自分のアタマの理解を超えたものを、面白くないと負け惜しみする卑小な無能が多くなった気がする。 読みやすいと言うが決して読みやすいわけではなく、それでは村上のギミックにまんまと陥っているわけだが、 それに気づかず得意顔で廉価なロジックを並べる様には同情を禁じ得ない。 読むなとは言わないが随感を述べる資格はないと断じざるを得ない。 そういう徒輩は携帯小説でも読んで文学に触れたつもりになって、スカスカのカタルシスに浸っていればいい。 もう一度言う、浅薄な似而非批評家が多すぎる、夏休みの感想文にさえ劣る負け惜しみである。 | ||||
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とぅまんない、俺嫌い、エロい、ただの官能小説。そもそも上下巻分かれてる意味がわからん。印税目当て。 | ||||
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村上春樹のほとんどの小説に共通して云えることがあります。巨編ということです。小説は基本的には、長編よりかは中編、中編よりかは短編の方が、好ましいのですが、それは、長々しいものは、確実に冗長になり、終局まで読み通すのが困難、というよりも苦痛になるからであります。長編小説を読み、苦痛になるというのは、あるいは読者とその小説との相性の問題もあるのかもしれませんが、しかし、大抵の場合は、書き手の力量に問題があるように思われます。巧みに物語を構築し、洗練された文体で創造された長編小説は実は読めるし、もっと読みたくなるものであります。つまりは、巨編でも読めるのであります。また、巨編であることを希求する小説もあるのであります。たとへば三島由紀夫の豊饒の海、四部作、その一作一作が誠に素晴らしく、洗練された豪奢な小説となっておりますので、巨編ですが、読書が甘美なものに感じられるでしょう。幾何学的精神によって、論理的に構築された構想に、磐石の重みを感じさせながら、毒性が強く、悪の魔力を帯びた物語、そして宝石箱の中の燦然たる輝きに似た絢爛豪華な文体。読ませる魅力があります。それこそ、三島由紀夫の腕力なのであります。少しく脱線しましたが、ともかく長編でも、あるいは巨編でも、読める小説は読めるのです。村上春樹の小説は読めません。ほとんどの作品が巨編過ぎるので、了読不可能なんです。大した腕力もないくせに巨編を書けば読むに耐えないものに成り果てる事ぐらい自覚してほしいものです。最早、高い価格で売り捌く為の商業目的のような小説とし思えません。なんて狡猾で、傲慢なんでしょう。そういえば、彼は、カフカに魅了され、かなりの影響を受けたらしいのですが、カフカを本当に読んでるのかいささか疑問です。よしんば読んでいても吸収しきれてないのでしょう。安部公房とは対極的ですね。天賦の才という言葉の通り、生まれつき才能がある者は確かにいて、あとはその上でその能力の原石を磨くか磨かないかで、その道のプロになれるか否かが決定されるのでありましょう。無論、プロになっても、生きているうちに、成功をおさめられるかどうかは運次第でありましょう。もし、村上春樹が成功者であるならば、それは、才能以上に運があったということですね。まぁ、運も才能のうちという言葉もありますが。しかし、安部公房や三島由紀夫は、運と才能を持った、本当にプロの小説家であったことは間違いないでしょう。 | ||||
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最初に読もうとしたのは中学生のころで、そのときは最初のわずか数ページで断念した記憶があります。 その後、高校生のときにやっと最後まで読めるようになってからは、ちょくちょく読み返すようになりました。 学生のころほどの新鮮さはないものの、いま読んでも(私は)ちゃんと楽しめます。 ただそれでも、この作品を嫌う人が多いというのも何となく理解できるような気がします。 私が「ノルウェイの森」を読んで感じるのは、「この作家はある種の霊媒みたいなものなんじゃないか」ということです。 だからその“霊媒くささ”のようなものがしっくりくる人はとことん好むでしょうし、違和感を感じる人にはただのインチキ霊媒師にしか見えないのだろうと(勝手に)思っています。 占い師もそれぞれ、自分なりの伝え方や言葉づかいがあるように、“霊媒的小説家”にも語り口や自分なりのモラル意識があるものだと思います。 私自身についていえば、肝心な(困難な)場面でのワタナベくんの感覚や振る舞いや、世の中に対する姿勢に共感できるところがあるので、この小説を好むことができるのだと思います(もちろん、ゆきずりの女の子と寝たりはしませんけど)。 評論家の加藤典洋さんもどこかに書いていましたが、「ノルウェイの森」のもととなった短編の「蛍」と比べると、該当箇所の文体がすこし変更されているようです(個人的には、やや稚拙な表現に変わったような気がします)。 その違いが意図的なものなのか、たまたまなのかは私にはわかりませんが。 | ||||
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まず、村上作品を読むのはこれが初めてです。 文章は長くもなく、短くもなく、適切な感じで読みやすい。 1人称の小説なので、「ボク」の内面はのぞき見れても 他の人たち(これがまた、一風変わった病んでるひとばかりなので)まったく何を考えてるのかわからない。 すりガラスの向こうにある、ルノワールばりの印象派の絵画を鑑賞しているような、そんな読後感です。 緑さんの「ショートケーキ」の逸話はおもしろかった。 ボカロの曲「ワールドイズマイン」が流れました。。。なんか緑さんにぴったりだと思った。 | ||||
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