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ノルウェイの森
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【この小説が収録されている参考書籍】
ノルウェイの森の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.82pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全812件 441~460 23/41ページ
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88年ころの高校2年生か、3年生のころに読みました。残っている印象は、やたら人が死ぬ、やたらすぐに寝るということだけでした。ただ、面白くて一気に読んだ記憶があります。2010年、39歳、レイコさんの年で改めて読み直しました。それも初めての病気入院のベッドの上で。やはり面白い。一日で一気に上下二冊を読みました。そして、ああ、こんな話だったのかと初めて読むように面白く読めました。何が面白いのかと考えるに、表現の軽妙さもさることながら、主人公のワタナベくんのこだわりのなさ、川に流されるように漂う感じが物語が次にどうなるのかと読ませられてしまうのだろうと思います。ただ、最後、さすがにワタナベくんとレイコさんの話には驚きましたが。あら、びっくり、そうくるか、とさすがに39歳でも思いました。 | ||||
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今更なんですが読んでみたわけです.下巻はこれからですが,当然の事ながら「1Q84」からの流れです.この小説は1987年に書かれており(小生はまだ学生(大学院で研究室に泊まり込んで実験に入り浸り)だった頃),村上春木の文章にも年齢(ここでは若さ?)を,今(23年後の2010年)からすると「ういういしさ」を感じるような印象です.内容を今更書き表すまでもなく,『はっ』とするようなシリアスな部分と,いつもながらの性描写が特徴の村上春樹文学,読者が若かりし青春時代に引き戻されてしまうことがその魅了だと思います.さて,この小説の中に描かれている『(精神的に)切れる』状況に対してヒトはどのような行動を取るのか,その悲しい一つの選択肢が「自殺」であり,現代社会の大きな問題になっている事実があります.実は村上春樹は30年近く前に年間自殺者3万人を超える状況が来ることを予想し,人の心のケアー(今で言うメンタルヘルスの重要性)が如何に重要であるかを説いていたのかもしれません? 時代背景はかなり昔であるにもかかわらず,取り上げているテーマに陳腐性が感じられないところがすごいと思いました. | ||||
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初めて読んだときには、はっきりいって何がいいのか全くわからなかった。それどころか性描写が多かったり、まわりくどい表現に嫌悪感すら感じた。しかし、2回、3回と読み返すうちに、人間の内面の描写の奥深さに感嘆し、この作品を見る目が180度変わった。村上春樹作品全般にいえることだと思うが、この人は人間の心の奥、喪失感や孤独を描くのが本当にうまいと思う。この作品もしかりだ。登場人物の心の動き、孤独や悩み、葛藤や喪失感が実にうまく描かれていると思う。村上作品はかなり好き嫌いが分かれるし、あわないと感じる人の気持ちもわかる。しかし、この作品を評価するのであれば、2回以上読んでみてからにしてほしい。 | ||||
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よくよく考えてみてほしい。 いい大学を出て、女性にも困らない、インテリの超もてもて男が 孤独だ、喪失だ、などとほざいている。 性行為もやり放題(しかも女性から誘ってくるケースが多い)、 知識も非常に豊富で就職にも将来にも困らなそうだ。 僕は春樹アンチではない。 実際この小説の最後に出てくる漁師の言葉には心を打たれる。 ただワタナベは理解できない。 もっともっと何もなく、学歴もルックスも知識もなく 将来に希望ももてない人間は大勢いる。 孤独や喪失の定義は人それぞれだが、 もっともっと直子に何かできたはずだし、 (彼女のキズがどれだけ深くとも・・) 結果がアレであっても彼女を一途に愛する事もできたのではないか。 100%の恋愛小説というキャッチコピーは悲しい。 自分だったら直子が苦しんでいる時に他の女性とペッティングする 気分にはなれない。それがやけの行為であったとしても、 直子に想いをはせて、一途に愛し続けただろう。 最後に緑に電話をかけるシーン。 やり場のない喪失感を投げかけたい気持ちを投げかけたいのは山々だが、 本当の喪失というものは「電話をかける相手もいない事」にあるのではないだろうか。 これは今の時代背景と合わない小説なのだと思う。 当時だと星は5つ星だったのかも知れない。 ただ今の喪失と過去の喪失が合わなくなってしまっている気がする。 これは仕方のない事なのだろうか? 直子がキズつき続ける中で もてもてワタナベ君はひたすら異性との関係を楽しむ・・。 それを純愛とは自分には思えない。 | ||||
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とにかく、この本が好きだ。初めて読んだ時から、何度読んでも、何年経っても好きだ。初期村上作品に登場する「僕」と同じ性格であろうと思われる「ワタナベ」と「直子」、そして「緑」との若き日々を記録した物語。どうしてこれほど、この物語が若い頃から私の心に居着いて離れないのだろう。それも性的な描写がふんだんに盛り込まれているにもかかわらず。まずは、登場人物のキャラクターに依るところが大きいのだと思う。この物語以前の村上作品には、とにかくクールな人物ばかりが登場し、やや浮世離れしていた感はある。しかし、「ノルウェイ」ではみんなが生きている。特に「緑」の生へのエネルギーは読む者を快く圧倒する。静的で内向的な「直子」とは非常に対照的であるところが、物語を面白くする。その間で「ワタナベ」は揺れ動く。こう端的に書くと、若者がただ二人の女性の間を揺れ動くだけの物語になってしまうが、まったく違う。これ以上深く書くとあらすじになってしまうのでやめておくが、そんな薄っぺらい話ではない。故にあれから20年近く経った今読んでも心を打つ内容なのだ。なぜならそれは、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」このテーマが、この小説の頭から最後まで一貫して色濃く流れているからだ。だから、悲しいほどに物語の中の「性」的な描写が「生」の象徴として違和感なく流れていく。改めて読み返して、この本からも自分は影響を受けていたことをまた見つけてしまった。数年前まで、酒のツマミにピスタチオを好んで食べていたのは、そういえばこの小説の影響だった。 | ||||
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文学性とか精神性とかに言及している人がいるけれど 昔の名作をそんなに読んだことないのでよく分からない。 私はただ、周りに流されて流されて、いろいろやっちゃう主人公がいやだった。 何をしようというのでもなく、ただ生きてるだけの主人公がいやだった。 けれどそれが、この本そのものだと思う。 好きだという人は、きっと主人公のようなさみしさを抱えて、人生の虚しさを感じている人なのかもしれないと思った。 さみしくて、自堕落になって、だからこそ感じられることがある。ひたっていられる感覚がある。 私はそれがイヤでやめた人間だから、嫌いだけれど それを感じていることが良いことか悪いことかは、人によって判断が分かれることで、絶対の答えなんてない。 同じように、この小説も、良いか悪いかはっきり言えないものなんだろう。 これに高い評価をつけられるのが、私はいやだ。こんな自堕落な小説を高評価にしてほしくない。 でも批判されるのもいやだ。 さみしい心を表現した、大切な作品だ。この感覚に近い心の支えにもなっているだろう。だからこそ逆に、拒絶する人もいるかもしれない。 くったり疲れきっている背広のような小説だ。 素晴らしい背広だとは思わないけれど、そこに生きた軌跡があり、誰かを支えた記憶がある。 私は自堕落が嫌いだから嫌いだけれど「こういう人間がいる」ということを知る物語としては、よく出来たものだと思う。 何より、読みやすかった。文章力がすばらしい。 感性にヒットしたら、はまっちゃう気持ちはわかる。 自分の好みだったらどんなに良かったか。 これだけの文章力で書かれた作品は、なかなかないんだもんなぁ。 | ||||
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昔、大ブームだった小説ですが、最近著者の新作がベストセラーになっていることもあり、読んでみました。 読後に特に一番印象に残ったのは、自ら死を選んだ人たちのこと。 心に病をもった人たちのついての記述は、私にもその気があることも影響しているのか、自分も本当にそうなりそうで、ちょっと恐怖感を感じました。卓越した著者の心理描写のせいでしょうか。特に京都の山奥の療養所での描写は、私もすっかりその気になってしまって、自宅の中から外出先まで、人工的な音ばかりの日常生活に非常に耐えがたい気分を覚えてしまい、ちょっと困りました。現代社会において、金を稼いで生活する必要がある以上、私にあのような贅沢な生活は許されませんから。 私の場合、サラリーマンになって20年以上経ちましたが、学生時代に自分がいくつかのことで深刻に悩んでいたことを思い出しました。そのうちの一つは「人間の生きる価値」について。人間誰しも、普段の日常生活に価値を見いだせないと、本当に生きているのがつらくなる人も多いのではないか? 現在の私は、人間に生きる価値を問うのではなく、生きることそのものが人間であって、他の生物同様、人間の生は、価値を問う対象ではないと思っている。自分自信が納得できるこんな結論出して以降、上記のような悩みはすっかり消えうせたが。。。 | ||||
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「作品の売上部数=傑作」という単純な判断にはならないとは思いますが、この作品のクオリティは売上に比例して村上春樹の作品の中でも最高傑作と言えると思います。内容云々では無く、読んだ時のはまり具合、衝撃、読了後の感覚、余韻など全部ひっくるめてこれほどエキセントリックかつノスタルジックかつナルシスティックな作品は無い、と思いました。賛否はあると思います。しかし、村上春樹に興味があるのであれば避けては通れない作品である事は確かです。 | ||||
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二十代後半で別の作品を読んで嫌いになって以来だが、四十歳近い今、それでも根強い昨今の評価が気になり。性やエロティシズムを俯瞰したり、ある程度自己が安定した今なお、内容や話自体はやっぱり好きにはなれないものの、楽しみ方は私なりに多々発見できた。若者に特有の自己と相反する他人との距離感と境界に対する考え方。高度成長時代のカオスを思春期時代で過ごした若者とその時代の空気のひとつという捉え方で読んでみたり。意味や答えや共感、とにかく何をも求めていはいない。心を限りなく忠実に表現しようとしたのではないだろうか。その時どう感じたか、考えたか、考えてもわからないことはそのままに、ただ生きること、正常か異状か、何が正しくて間違っているなかという違いについてこだわる潔癖さ、人が人を、自分を理解することの不可能さ、無意味さ、でもなおそうせずにいられなさについて語られる。少しおかしなキャラクターに社会に対する不満やうっくつを語らせるところは巧いのかずるいのか。。はっきりと断定したり押しつけないところがいいのか。カオスをカオスのままに簡潔に表現し、読ませるところが称賛されるのか。世代と世相へのうっくつに悩める若者がそんなに多いのか。(それに比べ自分の青春時代のお気楽さといったら。)読みやすく、だれもが論議に参加できる。論議によっては人の心模様も露わになる。好き嫌いと面白い面白くないが複雑に交差する。こうして新たなカオスを人々や個人の中に生み出してしまうところがたいへん興味深い。そんな私もまた「下劣な連中」「インチキなやつら」の一員なのかも知れないが。さあ、見知らぬ他人の皆様、年代とあわせてご意見をきかせておくれ。ただし、純粋でまだ悩みも知らない柔らかい心の若者、不安定な気分に揺れている人にはおススメしたくない気がする。 | ||||
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村上春樹はすごい作家だと思いました。平易な読みやすい文章は象徴的で、意味を読者に委ねる空間が空いているような独自の世界。まるで翻訳しているような気分になりました。ここからは、私なりの翻訳。スプートニクの恋人ではあちら側の世界としていたものが、この作品では直子の療養施設の近くの森にあるという架空の井戸穴であり、直子は結局そこに落ちてしまったのかなと思います。(スプートニクでは、あちら側は"ここではない別の"世界として描かれており、意味は少し違うと思いますが)無駄に多いとされる性行為の表現に関しては、心と身体が深いところで共鳴するようなものに関しては、それは生を意味しているのではないかと思います。生は、生々しいものだからです。直子の身体は、本能は、生きることを望んでいた。だからこそ20歳の誕生日に、直子の身体は"井戸に落ちないであろう"僕を求めたのではないでしょうか。ですが、愛するものを失った哀しみは、残されたもののなかに死の種を植え付けます。直子のなかにある死はあまりに深く、癌細胞のようにその進行を止められなかったのでしょう。直子と対照的に描かれているのが緑ですが、彼女もまた両親を亡くした死と縁が深い人物です。ですが、彼女は自分のなかの死に対処し、生きる意思をもって生きています。僕は緑と直子、生と死の世界の境目を行ったりきたりし、最後は緑を選びますが、直子は死に、あとには深い喪失感と井戸穴のある風景が残ります。現在の僕は、文字通り、死を自分のなかにしまい込みながら20年の歳月を生きてきたでしょう。どこまでも深く暗い穴のある井戸の、場所を確かめながら。それは、見えていれば落ちないから。 | ||||
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きっと批判されてる方はこの本に「何か」を求めて読んだからではないでしょうか。 恐らく村上氏はすごく純粋な気持ちで書いたんじゃないかなと。 話の構成とか深みとかは意識せずに。 たまに出てくる変な例えは小学生的で、 セックスあれこれは思い行くままの中高生的で、 社会に大しての考え方、自殺、環境は大人で。 だから純文学と言っているのかな、なんて思いました。 だからこそ滲み出る純粋さ、繊細さは計画的な小説では出せないものに思います。 頭と心がカチコチの人は嫌いだろうな。もったいない。 映画化楽しみです。松ケンも菊池凛子さんも好きなので。 | ||||
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日本語としてどこかぎこちない翻訳小説風な文体が、「ある所にモテるにいちゃんがいましたとさ」というだけの話なのに、やたら「読む」に対する自己陶酔を煽るんだよね。とにかく登場人物が生きていない。トレンドを意識して作られた人形にしか見えない。サナトリウムが出てくる辺り、こんなものまで商売道具(あまりに薄っぺらである種の「ハッタリ」にしか思われない)に使うのかと噴飯ものだった。後年、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」の登場人名(スメルヂャコフ)を自身の書のタイトルに使ったやり口も、恐らく全く同じ思考回路を通って出てきたものと思う。究極の軽薄小説。卵の側に立つとか、(そりゃそうだ、潰れる筈の卵がなければ氏は永遠にヒーローになれないのだ)いい加減くすぐったいイスラエルでの演説もそうだが、手垢にまみれた「ピンチ」の場面で俄然張り切る浅ましさ。 | ||||
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20年以上ぶりに再読した。同世代の作家たちが、学生運動華やかりし頃の自分探しを 題材にして私小説的なものを世に送り出して脚光を浴びていたが、この作品は、最終 ランナーが先行者をぶち抜いてしまったように、普遍的な輝きを今でも放っている。 ストーリー性と言うよりは、複雑で不可解な人間心理の葛藤を丁寧に解きほぐして いこうとする作者の姿勢と、性的な行為の描写を、その背景にあるものまで、文面に 浮き立たせるかのような才能が、本作品の成功の理由ではないだろうかと思った。 | ||||
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この作品がどうして売れているのかわかりせん。 また、どうして評価されているのかわかりません。 | ||||
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この作品を読むと、学園闘争というイメージでしかなかった1970年代の学生に対するイメージが変わる。熱狂していたのは一部の学生だけで、大多数はこの作品の「僕」のように日々悩みを抱きながらも淡々と生活していたんではないかと思う。当時の学生をリアリティをもって描かれている。 | ||||
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昔売れていた頃、まだ小説なんてそんなに読んだことも無かった頃に買ったノルウェイの森。 でも結局上巻の途中で挫折してしまった。 大学生でも無ければ恋の1つもしたことのなかった僕には何一つリアルに響いてこなかったからだと思う。 あれから十何年が過ぎて、自分でも考えていなかったような人生を送り、恋をし、 来月、6年間同棲した彼女と別れることになった。 それは僕にとってどこまでも果てしない喪失感であり、僕は何かに取り付かれるように映画や音楽、 とにかく感傷に浸れるものを探していた。 雑貨屋で積まれていたノルウェイの森を手にとって、僕はすぐにレジに向かった。 あれから十数年、今回はびっくりするくらハマった。 一人一人の悲しくも悲しすぎない生き様が、いろんな自分や彼女にリンクした。 毎日少しずつありがたく読み、今日ようやく読み終えた。何一つ無駄の無い、最高の作品だった。 僕は完全にノルウェイの森の中にいた。 そして僕は、また何十年後かに、この小説を読もうと思った。 その時、僕は何をしていて、どこにいるか分からない。 また違った感想を持つだろう。そして、彼女のことを想い出すだろう。 | ||||
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傑作ですよ。やっぱり。 自分にとって、とても大切でかけがえの無い作品であることを 新ためて思い直しました。 20年前の忘れかけてた大学時代へ連れてってくれるんですよね。 あの味わった恋愛の素晴らしさとか、ひとりぼっちの辛さとか 思い出されます。 誰かは「直子」であり、誰かは「緑」であり、「永沢」であり。 他の村上作品にはない、心を揺さぶる「しっかりとした言葉」がいいですよね。 ボールペンで赤線を引きたくなりました。 それと、ほんとに街の風景描写が上手いですよね。 だからあの時だけじゃなく、あの場所へも連れてってくれるんですよ。 1Q84を読んだことを期に、今までの村上作品を読み返しています。 今回読んでみて、やっぱり「ノルウェイの森」は村上作品の最高峰であると 再認識しました。 この作品は、大ベストセラーで社会現象にもなったことから 中々「ノルウェイの森が好きだ」と人に言えないですよね。正直かっこ悪くて。 そんな人、多いと思います。だから、すごく損していますよね。この作品は。 ちょっと可哀相ですよね。傑作なのに。 そろそろ、ちゃんとした公正な評価をする時期なんじゃないでしょうか。 確かに唯一のリアリズム長編ですから、村上作品の傍流ではありますけどね。 おそらく、作者がこのような作品を二度と書くこともないし、誰にも書けないし。 この時代の村上春樹はもういないんですよね。 この作品は、時は流れ、過去には戻れないことをいろんな意味で感じさせてくれると 同時に、村上春樹の偉大さ、有難さを新ためて思い出させてくれます。 そう、ほんと彼の存在は、つくづく有難いことなんですよ。 | ||||
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普段小説などあまり読まない僕にとって、そのハードカバーの表紙は重い石の扉を開けるように、入り込むのに勇気がいるのだ。 重い石の扉をあけると、その中には何とも不思議な空間が広がっていた。 簡単にいえば、大学生の主人公が高校生の頃からの知り合いの女の子と恋愛をするのだが、うまく歯車がかみ合わず・・・・いゃ、この物語は簡単にあらすじが書けない。簡単にほどけそうな絡み合った糸を解こうとしても、解けば解くほど新たな糸が出てくるような ・・・ それにしても、読後感は最悪だ。 途中で結末が見えて、その通りになるのだが、あまりにも悲しすぎる。 月のない雨の夜に飛んでいたカラスが、方角を間違えて力つき、漆黒の海に沈んでいく姿を照明なしで撮影し、真っ暗な映画館で上映しているのを見るぐらい、くら〜ぃ気分になり、嫌になる。 読み進めるときはその不思議な空間に落ちていくのだが、落ちた結末が井戸の底というのはあんまりだ。 暗い気分になりたい方は是非どうぞ ( '△`)=3 | ||||
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登場人物それぞれ個性があって読みやすい作品。 だけど個性が強すぎて現実からかけ離れた人間のように思えました。まぁ本の世界だからいいのですが…主人公は20前後の年齢設定で、言葉では知的で大人びて感じるけど、何かにつけて「寝る」「誰かと交わる」という行動が多すぎて好かない。 下の最後のレイコさんとの関係もあって薄っぺらい男で自己陶酔してるしか思えない。要は直子の事は本気で愛してなかったんだということ。自殺、性描写の多さと必要性が理解し難いかなぁと…不思議な作品です。 | ||||
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全編を通じて現代の喪失感、エロティシズムが漂っており、読後感は村上春樹の小説ならはで、独特の世界観があります。 再読でのコメントになりますが、この小説は頭で読むものではなく、感覚で読む小説ですね。 20代に読んだころは、登場人物に共感できず、何を伝えたい小説なのか全く理解できませんでしたが、 30代になって読み直すと、小説の中の会話や描写が描き出す独特の喪失感は、 現代の一側面を強調しつつ、抽出したものであり、その世界観をそれなりに楽しんでよむことができました。 メッセージとか希望、面白さを求める小説ではないです。余裕があるときに読むと楽しめる本と思います。 | ||||
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