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ノルウェイの森
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【この小説が収録されている参考書籍】
ノルウェイの森の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.82pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全812件 361~380 19/41ページ
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僕は、村上春樹のあのキザな文章が苦手で、「風の歌を聴け」も「ねじまき鳥クロニクル」も、この「ノルウェイの森」も読破が出来ませんでした。 僕の持論は、自分にとってフェイバリットな物は、最初の数行で惹きつけるものを持っている・・・ということです。 なので、最初読んだこの本の印象が悪く、最後まで読まなくてもいいと、判断し放置していました。 しかし、国内最高の売り上げを誇ったこの作品を読んでおくのも一興かと思い、我慢、努力して、ついに上下巻を読破しました。(最初に投げ出してから、ゆうに2年は経ったかと・・・。) そして、自分の持論があたっていることを実感しました。 面白くなかったし、心に引っかかる部分も無かったし、どちらかというとやたら出てくる性描写に不快感がこみ上げてきました。 しかし、それはあくまで僕個人の意見。 この本が1000万部の大ベストセラーだという事実は変わりません。 伊達や酔狂でそんな化け物的な数字で売れたりしません。 つまり、その当時の人達には熱狂的に受け入れられたのでしょう。 ただ、僕はわかりませんでした。 ただそれだけです。 | ||||
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以前から興味のあった村上作品、初めて読みましたが全然理解できませんでした。 数パージで読むのを止めたのですが、知人が絶賛するので再チャレンジ。 上巻は何とか読み切ったのですが、とにかく皆さん言われているように性描写が無駄に多すぎです。 朝、電車などで読んでたのですが恥ずかしくなって閉じたぐらいです。 直子が、とても美しく謎めいていて神秘的なイメージに書かれているのに反し同じ女性として有り得ないほどの性的発言があります。 上巻だけ読んで私が勝手に抱いた感情は(以下、勝手な感想なので読み飛ばして頂いて結構です)、 いくら主人公がタラシのすぐヤル軽い男であっても良いのです、 ただ直子だけは抱くべきではなかったなと感じます。 直子だけは触れられない領域だったのであれば主人公の発散しきれない感情をその他大勢で発散しても良かったかな...と。 主人公も博識ぶっていて、「僕は君たちとは違う」と周りを見下したような男にしか思えなく、軽いです。 文章は確かにスラスラ読めますが、小学生の日記か?と思われるような程くどい情景描写。 正直、エロ本に近いと思います。 しかし、流行りの文学に付いていけない時代遅れの自分のせいなのかもしれません(1番好きな本は人間失格/太宰治) が、もう村上作品を読む気にはなれないです。 残念です。 | ||||
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物語に、序破急は必ずしも、必要ない。 読中読後に、自身が内包されている世界の、時の刻み方、 密度といった基調が揺らぎさえすれば良い。 そんな、望まれた、少し憂鬱な気分を与えてくれるのは、 彼だけ。 | ||||
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レビューとしては人による本だと思いますが、僕はおすすめしたい本です 恋愛小説です。世界の終わり〜の次に読みました。 死は生の中に潜んでいるというのはよく分かる気がして、実際人は突然死ぬことがあり、僕もそれを経験していたため「本当こんな感じだよな」と思えることがありました。 そして個性的な登場人物が何人もいて、主人公に影響を及ぼすのですが、やはり直子と緑の二人が印象的でしたね。 また先が読めないのでワタナベ、直子、緑が最後何を選び結果どうなるのかということを楽しめながら読めたと思います。生と死どちらを取るのかということも…。 最後に☆5としなかった理由ですが、著者も重々承知のようですが、ある程度人を選ぶ内容だと考えたからです。では。 | ||||
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作品を通して、世界観や人間味が感じられない為、読書中も、読書後も何も伝わって来なかった。 作者はやたら、海外のメーカーを出してくるけど、その意図が解らない。 また、取って付けたような衝撃的なエピソードが時たま出てくるけど、その意図も解らない。 そんなもので、感情移入出来るほど人間の心は簡単じゃないよね。 | ||||
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率直に言って好きです。結末も序盤からわかってしまいますが、綺麗な表現でところどころ切ないです。とくに蛍の光を眺めて、それに手を伸ばす箇所が美しく、主人公の男の子の寂しさが伝わります。けれど私はあまり「可愛いよ」だの「好きだよ」だの、違う相手にぽんぽん言える勇気はありません。章が変わるごとに別の女の子に「好き」と言っていますが、だったら直子が去ってから会わなければいいのに、死んでから会えばいいのに、と思ってしまいます。 よく喪失と再生の対比を売りに小説が販売されますが、この作品は概ね喪失ですね。緑が再生側に立っているかどうかも疑問です。むしろ主人公は緑を手にする機会を取り損ねたように思えます(もちろん緑もワタナベ君を取り損ねている)。下巻の最後に「どこでもない場所で緑を……」とありますが、場所(自分のいる位置)も失っている。 キャッチ・コピーは素敵ですけど、「物語の終わりはどうであれ、前向きに行こう」という方にはおススメしません。切なさを煽るキャッチ・コピーには騙されず、作品自体と向き合ったら考えさせられる作品ではあります。 | ||||
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確かにアホほど人が自殺していきます。 これだけ回りで人が死ぬと、自分はもしかして死神ではないかと 勘違いしていまうくらいですね。 性描写も男の都合のいい考え方で書かれていて、それはぁ・・・ という場面が多々ありました。小説だからね・・・。 主人公はもんもんとその中を生きている。学校や社会に寄生し ないで、自分と自分の回りのひとたちだけと繋がっていわば自由 に暮らしています。学生だから仕方ないか・・・。 でもその淡々と生きている主人公が一番大切な人を失ったとき 壊れますよね。今にも自分が死にそうなくらい。 でも生きる。 傷付いても失っても、生きようとする。死と対峙することで 生の重みが増すっていうか、強靭になっていきます。 がむしゃらに生きて、大人になって段々タフになり、図太くなり 無関心になっていく私たちはこういった感受性を忘れてしまう。 この本はその感情を掘り起こしてくれます。 最後のレイコさんとの性も生きていく者同士の儀式みたいな もので、レイコさんはワタナベに抱かれることによって今までの 生活を浄化させたのだと思います。そして生き残った者は改めて これからお互いに強く生きていくのです。 | ||||
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初めて読んだときは高校生のときで、村上春樹、エロくない? と衝撃を受けた覚えがあります。 そのときの衝撃が強かったので、 大学のとき再び読んだのですが、何となくいい本のような気がするようなわからないような.......。 先日も映画をやっているとき、思い出したように読んでみたのですが、 やっぱりよくわからない......。 歳や経験を重ねればわかるようになるのか、 それともいつまでたってもわからないのか、もう1回だけ読んでみようかな〜と思っている作品です。 | ||||
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ワタナベ君が 優しくて 何でも受け入れてくれて 読んでいて 幸せな気分になりました。きっと 20年前じゃわからなかったな 今だから この優しさがうれしくて 自分も優しさだけで生きたいと 思いました。ただ 1960年代の大学生って 結構 奔放だったんだな と思いました。一部だけの人ですか? | ||||
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なんともいえない気持ちになる本です。 何度も読み返したので、まるで自分の青春の一部であるような、過去の記憶の一部のような感じがします。 初めて読んだ時は高校生のときで、さらっと読んでしまって、話そのものと言うより性描写が目につき、 「なんでこんな誰とでもやっちゃうのかな」とワタナベの都合のよさに釈然としませんでした。(特にレイコさん。) が、それから何年か経ち、東京での大学生活を経験したのち、読み返すと全く違った思いを抱きました。 ものすごく、人は孤独で、永遠に一人で、だからどうしても他者との繋がりを求める。 セックスはそんな孤独な他者同士が行う祈りであり、救済なのです。 そして、死にながら生き続ける私たちの死への反抗でもある。 ワタナベは、優しく見えるけれどとても残酷でもある。なぜなら彼は嘘をつかないから。嘘をつけないから。 思った通りに行動するし、思った通りにしか行動できないから。 それで多くの人を惹きつけ、かつ、傷つけてしまう。 村上作品の中でも異色のリアリズム感が、手触りまで感じられそうで私は好きです。 こんなに時間がたってもみずみずしくて、これからも、若者がいる限りこの作品の輝きは失われることはないと思います。 むしろ、ひとりひとりの繋がりが無くなり、「個」になっていけばいくほど、この作品は必要とされてくると思います。 これからも、読み返すたびにまた違った感想を抱くことになるのでしょう。 この作品はそっとしまっておきたい、大切な宝物です。 | ||||
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モラトリアム不純満載のストーリーで、この話を村上ではなく他の者に話されたらひとたまりも無く、こちらが精神疾患に陥るか二度と関りたくない対象になってしまうだろう。読了直後の感想は「だ、ダメオトコ〜」と声に出した。が、全体的な「ちょっとそれどうなの」的な倫理観をセンスで補っているように思える。言い換えると「誰もが経験するもの」なので需要がある反面、誰もが「うざいので聞かされたくはない話」に魔法をかけて読ませてしまうものだと感じた。上手いんでしょうね、この人。 | ||||
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映画が公開になったのをきっかけに久しぶりに読み返してみました。 好き嫌いは別にしてこれだけ吸引力のある小説は今までに読んだことがありません。 死を全面に出した作品であるにも関わらず、読後感がすっきりしているのは、 やはり作品に出てくる登場人物がみんな生を望んでいるからなのでは。 閉塞感の漂う時代ではあるけれども、本質的に、皆「生きたい」と願っているからこそ この作品が現代社会に受け入れられてるのではないでしょうか。 素晴らしい作品だと思います。 | ||||
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読後感がすごくいいとは言えませんが、独特の魅力がある小説だと思いました。ただ、好きになれない表現とかもあって星5つは無理ですね。でも伊坂幸太朗さんや東野圭吾さん、それに神崎和幸さんのように、才能のある作家さんの小説を読むのはほんといいですね。 | ||||
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この小説は、心に問題を抱える人たちが、多く、登場する。そして、日常生活での苦痛をなんとか乗り越えようとして戦う心が、書かれている。読者は、ワタナベ君の(作者)の鋭い観察眼を共有しながら、病む心を知ることができる。小説には、種類の異なる心の病いが登場する。冒頭は、主人公のワタナベ君が、17年前の出来事を、飛行機の中で突然、思い出し、気分が悪くなるところから始まる。この時、肝心のことは思い出すのに時間がかかると書いている。その理由は何か?実際の小説の文章を以下に書くと、それらははっきりしているので、手をのばせば、それらを指でなぞれそうなくらいだ。しかし、その風景の中に人に姿は見えない。あれほど、大事そうに見えてたものは、彼女やその時に僕や僕の世界は、みんな、どこにいってしまったのだろう。・・・・僕の頭に直子の顔がうかんでくるのに、少し時間がかかる。そして、歳月がたつにつれてそれに要する時間は、だんだん長くなってくる。・・・まるで、夕暮れのかげのように、それはだんだん長くなる。そして恐らく、夕闇の中に吸い込まれてしまうことになるのだろう。と書かれている。ワタナベ君は、直子さんの死に、深い心の傷をかかえている。すぐには直子さんの顔を思い出せない。そして、時間がたつほど、思い出すことが難しくなるであろうと予想している。なぜ、ワタナベ君は、大事なものを思い出せないのだろうか?実はそれが、人の心のしくみであるからだ。動物は、つらいことを最初に忘れるようにしくまれている。その結果、ストレスを軽減させて、生存が可能となる。そうした事実を、著者が心で感じ取って文章に書いたものであろう。最近の脳科学は、ストレスへの対抗力は、海馬、歯状回の働きであうことを明らかにした。記憶は何度も思い出すたびに強化されてしまうことがある。PTDSなどが典型だ。記憶は、物質として残るようになっている。しかし、苦しい思い出は早く忘れるように、脳は調節を行う、こうした医学的知識は、最近、固まってきたものだと思う。この知識以前に、著者は、人に備わる能力に、するどい感覚で、自然に気づき、上記の文章がうまれたのであろう。この忘却能力は、うつを克服する時にも使われるであろうが、人によってはうまく働かない場合がある。そうした人は、苦しいことが重なり死んでしまうのかもしれない。後に自殺する直子さんの場合は、彼女の苦しい心が、小説の冒頭で語られている。彼女は、一人で深い井戸に落ちることを想像している。以下が、小説の文章上の方には、光の円が小さく・・・小さく浮かんでいるの。そんなところで、ひとりでじわじわと死んでいくの。すでに、直子さんはこのように絶望的に考えているが、小説の冒頭では、ワタナベ君に助けを求めていて、直子さんには、まだ余裕があったと想像できる。結局、直子さんは、性と愛の問題の解決がつかず、変化を恐れ、変化から立ち直ることができず、どんどん悪い方向へ、自分自身を追いこんでしまったようだ。突撃隊も、偏執狂で病んでいる。小説には語られないが、彼も不幸な顛末となっている。彼の気持ちは、ひとつだけぬかすってわけにはいかないんだよ。・・・・・一つぬかすとさ、み、み、みんなできなくなっちゃう主人公のワタナベ君も病んでいる。彼の心は以下のように語られている。死は、生の対極としてではなく、その一部として存在している。この小説は、さまざまに病む心を書き、その顛末を具体的に筋書きの中で示すことにより、人の心がかかえる不安について問題提起している。そうした病気の心を描くことにより、病気から抜け出す方法について、示唆しているのではないかと思う。これを読むと、すでに心の問題をかかえる人は、何か展望を見出せるかもしれない。あるいは、心を病む人の周りの人たちの理解が進むかもしれない、そして、サポートの提供につながるかもしれない。いづれにしろ、誰もが、心を病む現代に、この小説は、さまざまな示唆と展望をあたえてくれるような気がする。 | ||||
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この小説を読んで楽しめた人は、それはそれでよいとは思いますが・・・。私は家族や友人には読んでもらいたくないと思わされた小説でした。1、人物の意識や風景の表現のそれぞれが長くくどい感じがする。特に性行為に関する主人公の意識の表現は言い訳めいていて都合のよい妄想という感じがする。2、いろいろな意味で魅力的な女性を登場させ、いとも簡単に主人公と性行為をさせるということや、性行為に関する女性の言動が卑猥で非現実的である。男性風俗雑誌にある4コマ漫画を読んでいた方がまだまし、と思うほどの小節だった。 | ||||
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簡単に言えば、主人公が二人の女の子の間で揺れる大学生活を描いたストーリー。 正直、主人公が哲学的に物事を難しく考える場面が多くだらだらと悩みが続き、そんな考えるなよとつっこみたくなることが多かったです。。 こういう点で好みは分かれるんでしょうかね。 ただ、最近は内容が薄っぺらい本が溢れている中でシンプルなストーリをここまで艶やかに表現豊かに描けるのは本当にすごいと思ったので星は四つに。 感受性が強い人は物語にひきこまれて読み終えた時には暗くなってしまうかもしれません。 友達が失恋した時に読みたくなると言ってましたがなんとなく分かります。 恋愛について考えさせられます。 | ||||
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1Q84のヒットを受け、初めて読んだ村上作品でした。読み終わったあと、これまでにない不快な気分になりました。結局何が言いたかったんだろう?どうすることが正しかったんだろう?主人公のワタナベは結局傍観者で何もできず、ただいろいろな女性と関係を持っただけ。確かにあの年代の、あの年頃の男の子ならそうなのかもしれない。でもいろんなことを経験して大人になった目から見ると言いたいことはただ「何かできなかったの?」だけでした。大人になれば理解できるといった人もいますが、わたしは逆に子供だからこそこの小説を素晴らしいと考えるのではと思います。いろいろな苦難を経験し乗り越えてきた大人の目からは、ただ何もできずおどおどした子供たちの集まりで幼さは感じるものの魅力は一切感じることはありませんでした。考えず感じるべきとのレビューもありますが、そんな曖昧で抽象的、評価も浅い作品だったのか、と思い知らされています。 | ||||
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日常に潜む死との葛藤を真剣に綴った一つの記録。 そこから逃げずにネガティブを深く愛する。対峙する。 ひたすらそれについて書かれている。 何故かビートルズやビル・エバンスまでもが、この小説に出てくると鬱々とした雰囲気に変貌している。美しくとりつくろわれたこの社会の中で、ひそかにかつ根強くはびこる不安感。この小説に何かしらの居心地の良さがあるとすれば、その奮闘を静かに露呈してくれているからなのだろう。そして、この小説がファッション的でもある所に決定的な入りやすさがある。しかし、どうも気になるのは、この小説が支持されているという事実である。 この本の評価は、病んだ社会を呑み込んで膨れていくようで、とてもおそろしい。 現代社会が非常に危ういのではないかと感じずにはいられない。 | ||||
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「羊をめぐる冒険」を読んで村上春樹のファンになった私には、発売当時は納得できない作品だった。時代がバブルということもあって、赤と緑の上下巻のカバーはクリスマスプレゼントと同様に扱われ、がっかりしたものだ。内容も私の一番好きな「ねじまき鳥クロニクル」「ダンス・ダンス・ダンス」など不思議ワールドとはまったく違う作風で非常にリアル。それも、あとですべて納得できた。これは村上氏の自伝に近いもので、この作品を書かなければ、彼は次に進むことができなかったのかもしれない、ということを・・・。事実、この作品は海外で書かれているはずで、村上春樹の強い決意のようなものを感じた。全共闘世代なのに、恋愛小説を書くのは勇気が必要だったかもしれない。結果的に世界の若者に受け入れられた理由は「青春」の哀しさと危うさを、普遍のものとして、きちんと描けているから・・・だから共感を呼ぶのです。何度も読み返すたびに、価値はゆるぎないものになっていく。直子派とみどり派に分かれたが、私はみどりが好きだった。「蛍、納屋を焼く」の突撃隊が登場したのも嬉しかった。そして、まさかこの作品が私の大好きな「青いパパイヤの香り」の監督で映画化されるとはびっくり!!映画はまだ、見ていない。賛否両論は当然だろう。だって、映画化は困難だと言われ続けたのだから。 | ||||
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最初に断っておくが、本書を読んだ時点で拙者が読み終えていた春樹作品は、「アフターダーク」「風の歌」「ビンボール」「ねじまき鳥」「スプートニク」であった。いきなり本書に行かなかったのは、春樹作品にある程度慣れてから代表作である本書に行きたかった為である。全然春樹を知らない訳ではないが、ハルキストでもない、ヌルめのミーハーの言と受け取って頂ければ幸いである。成る丈率直に読後感を書いてみる。結論を先に書くと「決して駄作ではないが、ここまでウケている理由は分からなかった」である。もっとも濃密に描かれていたのは、主人公の青年と彼を取り巻く人々とのコミュニケーションのモヤモヤであるように感じた。そのモヤモヤを晴らそうとする手段として(結局巧くゆかないのだけれども)、性交が用いられているように思われた。出版社の付した「100パーセントの恋愛小説」というレッテルは作品に合っていなかった。主人公は口では直子を愛していると言うけれども、直子でなければならない必要性が分からなかった。なぜそう私が感じたかと言うと、直子の魅力が月並みの娼婦と月並みの白痴の美しさ以上のものに思われなかったからである。ワタナベ氏は直子を入院前から愛していた訳だが、入院後に描かれた娼婦と白痴の美以外の魅力が私には分からなかった。メンヘラの女の子が服を脱ぎ出す場面に立ち会ったらドキドキするかもしれないが、そのドキドキは恋愛感情ではない。直子の死に方はアッサリし過ぎている印象だったし、その後で「生死は対極にあるのではない」と改めて言われても、慰め以上のものではないように感じた。最後に直子の服を着たレイコさんと交わるのも意味合いは分かるが寂しかった。小説的な物語展開としてはアリだと思うのだが、最初ヒロイン扱いされていた女の末路としてはどうなのだろう。それよりも緑である。彼女とワタナベ氏のやり取りは純粋に面白かった。少々淫売過ぎる気はするものの、素直に彼女の人間的魅力を楽しめた。下巻の表紙の色となったのも頷ける。キズキと直子は死後の世界で結ばれ、生者の世界でワタナベと緑は結ばれる(可能性が高い)。この最終的な二つのカップルの線引きこそがこの作品の示した文学的可能性……なのだろうか? | ||||
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